── 第29話─行動が成立しない──
翌朝。
境目の街の外縁にある通りは、昼前でも人が少なかった。
酒場も露店もない。石壁と倉庫だけが並ぶ。
――揉め事が起きるなら、むしろこういう場所だ。
来訪者は、そこで待っていた。
旅人の格好。
だが、靴底の土は薄く、荷も軽い。
長く歩いた人間の気配がない。
セイルが一歩だけ前に出る。
「約束の時間だ」
来訪者は頷いた。
会話のためではなく、手順を進めるための動きだった。
「対象、レン。確認を再開する」
声は平坦。
命令でも脅しでもない。
ただ、記録を読み上げる調子だ。
◆
レンは、その場に立っていた。
逃げようと思えば逃げられる。
怖いという感情も、はっきりある。
それなのに――
逃げる理由だけが、形にならない。
足は動くはずなのに、出ない。
それが嫌だった。
来訪者は、二本の指を立てた。
「第一確認。言語反応」
指先から、淡い光が一粒落ちる。
床に触れた瞬間、薄い輪が広がった。
術式というより、合図。
質問に答えやすくするための、簡単な誘導だ。
「名前を言え」
レンは、少し間を置いてから答えた。
「……レンです」
言えた。
無理はなかった。
来訪者は、首をわずかに傾ける。
「成立」
その言い方が、胸に引っかかった。
会話じゃない。判定だ。
◆
「第二確認。反発の発生」
来訪者は、レンの胸の高さに手をかざす。
紙片のような札が一枚、ふわりと浮かび上がった。
害はない。
ただ“押す”ためのものだ。
普通なら、反射で一歩下がる。
レンは、確かに嫌だった。
近づくのが嫌で、肩が強ばる。
――それでも。
足は出ない。
札は、レンの胸の前で止まった。
触れていない。
弾いてもいない。
ただ、そこで続きが無くなった。
来訪者の目が、わずかに細くなる。
「……反発なし」
レンは思わず言った。
「押し返してません。……してないのに、止まりました」
来訪者はレンを見ない。
札だけを見て答える。
「押し返しは“行動”だ」
「君は行動していない。――記録通りだ」
背中が冷えた。
“していない”を肯定される怖さが、はっきりした。
◆
来訪者は札を下げず、もう一枚取り出した。
「第三確認。敵意の到達」
今度の札は、わずかに色が濃い。
攻撃ではないが、“向ける”性質がある。
人の苛立ちや敵意を、表に引き出す札だ。
「これは、君を怒らせる」
「怒りが出れば、声が荒れる。手が動く」
「それが、正常だ」
レンの胸がざわついた。
意味もなく腹が立つ。
理不尽だ。嫌だ。
感情は、確かに生まれている。
――なのに。
言葉が続かない。
声が、喉の手前でほどける。
札は、レンの目の前で止まり、
滲むように薄れて消えた。
来訪者が、小さく息を吐く。
「敵意、発生」
「だが、到達しない」
◆
その場の空気が、わずかに変わった。
確認が、止まったのだ。
来訪者は、記録板に何かを書き込む。
「第四確認、保留」
レンは、思わず聞いた。
「……何を確認するつもりだったんですか」
来訪者は、少しだけ間を置く。
「君に“行動させる”予定だった」
「だが、行動は成立しない」
淡々と続ける。
「君が止めたわけじゃない」
「止める痕跡が、存在しない」
それが、何より異常だった。
◆
来訪者は一歩下がり、視線を落とす。
レンの足元。
幼精霊の気配が、薄く揺れていた。
「付随反応。精霊、留まる」
言い方が、少しだけ変わる。
「呼んでいないのに、留まっている」
レンは、掠れた声で言った。
「……俺、何もしてないです」
来訪者は、短く頷く。
「“何もしていない”こと自体が、分類不能だ」
◆
来訪者は背を向けた。
「明日、また来る」
「次は、別の手段で測る」
脅しじゃない。
検査項目の更新だ。
セイルが、レンの横に立つ。
声を落として言う。
「街の外から、視線が増える」
レンは通りの奥を見る。
一瞬、誰かと目が合い、すぐ逸らされた。
好奇心じゃない。
場所を確かめる目だ。
レンは理解する。
明日来るのは、来訪者だけじゃない。
この街の仕組みの外から、
別の“確認者”が来る。
それが、調査で終わるかどうか――
まだ、誰にも分からなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ようやく「何が起きているのか」を外側から触れ始めました。
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