── 第28話─予告──
境目の街の昼は、音が多い。
呼び声。車輪。足音。笑い声。
それらが重なって、街そのものが呼吸しているように感じる。
その呼吸が、ある一角だけ――整いすぎている。
◆
「ここが“中心”だな」
男は、旅人の格好をしていた。
外套は擦れて、靴には土。荷も軽い。
だが、歩き方だけが妙に正確だった。
人混みの癖を読んでいるというより、最初から“道”が見えている歩き方。
男は露店の陰に入り、手のひらサイズの薄い円盤を取り出した。
石でも金属でもない。触れた指先だけ、薄く白く光る。
円盤の縁には、小さな刻印が並んでいる。
読めない。読めそうで、読ませない。
男はそれを、石畳の継ぎ目に置いた。
「――流れを起こす」
小さく息を吸って、指を一度だけ弾く。
カチ、と軽い音。
円盤は鳴らない。
代わりに、街の“空気”の方が、わずかに揺れた。
◆
直後、通りの角で肩がぶつかる音がした。
「痛ってぇな」
「そっちが避けろよ」
普通なら、ここはただの言い合いで終わる。
だが境目の街では、終わらないことが多い。
見物が集まり、言葉が増え、余計な意地がくっつく。
拳が上がり、誰かが止めに入り、止めた奴に矛先が向く。
――“流れ”が育つ。
男は、その育つはずのものを見ていた。
「よし」
そのとき、二人の男の顔は真っ赤だった。
怒りはある。敵意もある。唾も飛んだ。
なのに。
「……」
次の言葉が出ない。
口を開いたまま、止まる。
噛みつきたいのに、噛みつく理由が手の中から抜けたみたいに。
「……なんだ、おれ」
片方が自分の拳を見る。
握っているのに、握る目的がなくなっている。
「……まあ、いいか」
もう片方がそう言った。
言った瞬間、本人がいちばん驚いた顔をした。
見物は肩をすくめて散る。
「たまたま」みたいに、空気が次へ流れていく。
男は眉を寄せた。
「おかしい……」
円盤の縁が、薄く震えている。
本来なら“痕跡”が立つはずだった。
怒りが行動に変わる瞬間。
その瞬間の“形”を採るための仕掛け。
だが採れない。
採れないどころか、仕掛けた側の手応えだけが空振りする。
男は円盤に指を置き、もう一段、強く“流れ”を押した。
◆
次は、もっと露骨に起きた。
露店の値段を巡る押し問答。
護衛が剣の柄に触れる。
背中越しに、誰かが悪口を言いかける。
――どれも、途中で止まる。
止まる、というより。
“行こうとした線”が、線になりきらずにほどけていく。
男の喉が、鳴った。
「抑制じゃない……吸収でもない……」
分類できない現象を前にしたとき、
人間は黙るか、いら立つかのどちらかになる。
男は後者だった。
「……じゃあ、中心はどこだ」
視線を上げる。
そして、見つけた。
人波の切れ目。
不自然に空く、半歩ぶんの道。
そこを歩いてくる、少年。
◆
レンは、あまりに普通に歩いていた。
大げさに周囲を警戒もしない。
自分が注目されているとも思っていない。
隣には、セイルがいるはずだった――
だがセイルは半歩後ろ、距離を取っている。
まるで。
「“ここから先は、お前の番だ”」とでも言うみたいに。
レンが通り過ぎる直前、円盤がひときわ明るくなった。
男は、反射的に息を飲む。
光は熱ではなく、冷たさに近い。
燃えるのではなく、整うような発光。
その瞬間――
円盤の刻印の一部が、欠けた音を立てた。
カチ、と。
音は小さい。
だが街のどこかで、同時に誰かが立ち止まった。
「……あれ? 俺、何しに来たんだっけ」
剣に手をかけていた護衛が、ぽつりと呟く。
手は柄に置いたまま、目だけが宙を漂う。
怒りは残っている。
敵意もある。
ただ、それを“誰に向けていたのか”が、ほどけている。
男は確信した。
(中心は、こいつだ)
◆
男は、円盤を拾った。
欠けた刻印を親指でなぞる。
「……壊れた、か」
壊れたのは装置じゃない。
装置が想定していた“成立”の方だ。
男は歩き出す。
レンの進む道へ、斜めに割り込む。
「君」
レンが足を止める。
驚いた顔はしない。ただ、困ったように眉を寄せる。
「何ですか」
男は一瞬、言葉を選ぶのをやめた。
「――お前は、何をした」
レンは、首を横に振る。
「何も。……何もしてない」
嘘ではない。
この少年は、まだ自分の現象に名前を付けていない。
男は笑いそうになった。
笑う種類の状況じゃないのに、口角が勝手に上がる。
「そうか。なら、なおさら厄介だ」
男は視線を落とす。
レンの足元――そこに“いるはずのもの”を見ようとして。
見えない。
ただ、空気の密度だけが違う。
「……精霊か」
レンが小さく身構えた。
その反応だけで、男は確信を深める。
「報告が必要だな」
その一言が、冷たく落ちた。
◆
レンは、前世の記憶を思い出す。
人が急に距離を詰めてくるときの、あの感覚。
言葉が“刃”になる直前の、空気の硬さ。
(また、来た)
――そして。
“来たのに、刺さらない”。
男の敵意はある。
目的もある。
でも、その目的が“ここで今、何をするか”に変わらない。
男自身が、それに気づきかけている顔をしていた。
「……」
男は次の言葉を探す。
探して、見つからない。
レンは確信する。
(これは、俺の近くだと……)
言い切れない。
言い切ったら、世界が固定される気がした。
そのとき、背後でセイルが一歩進んだ。
「そこまでだ」
男はセイルを見る。
薄く笑う。
「君が護衛か。……いや、監視側だな」
セイルは答えない。
剣にも触れない。
代わりに、言う。
「お前のやり方は、街を壊す」
男は肩をすくめた。
「壊れているのは、街じゃない。
“成立”の方だ」
その言葉が、街の音の上に奇妙に残った。
◆
円盤の欠けた刻印が、もう一度、カチ、と鳴る。
誰かが遠くで笑っている。
誰かが露店で値切っている。
境目の街は平常運転だ。
なのに、レンの周りだけ。
“次の一歩”が、踏み出されない。
男は、最後に一言だけ置いた。
「明日、また来る。
そのときは、君の“中心”を確かめる」
脅しではなかった。
ただの予告だった。
男は、それだけ言って人混みに消えた。
セイルが街を見て、短く言う。
「……来たな」
レンは、すぐに答えられなかった。
喧嘩でも、事件でもない。
けれど、見られた。
起きなかったことを、
確かめに来ただけだ。
これは始まりじゃない。
終わりでもない。
調べる側が、動き出した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ようやく「調べる側」が動き始めました。
もし少しでも続きが気になったら、
ブックマークしてもらえると励みになります。
次も、よろしくお願いします。
※毎日19時更新




