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── 第28話─予告──





 境目の街の昼は、音が多い。

呼び声。車輪。足音。笑い声。

それらが重なって、街そのものが呼吸しているように感じる。

その呼吸が、ある一角だけ――整いすぎている。

 

 

「ここが“中心”だな」

男は、旅人の格好をしていた。

外套は擦れて、靴には土。荷も軽い。

だが、歩き方だけが妙に正確だった。

人混みの癖を読んでいるというより、最初から“道”が見えている歩き方。

男は露店の陰に入り、手のひらサイズの薄い円盤を取り出した。

石でも金属でもない。触れた指先だけ、薄く白く光る。

円盤の縁には、小さな刻印が並んでいる。

読めない。読めそうで、読ませない。

男はそれを、石畳の継ぎ目に置いた。

「――流れを起こす」

小さく息を吸って、指を一度だけ弾く。

カチ、と軽い音。

円盤は鳴らない。

代わりに、街の“空気”の方が、わずかに揺れた。

 

 

直後、通りの角で肩がぶつかる音がした。

「痛ってぇな」

「そっちが避けろよ」

普通なら、ここはただの言い合いで終わる。

だが境目の街では、終わらないことが多い。

見物が集まり、言葉が増え、余計な意地がくっつく。

拳が上がり、誰かが止めに入り、止めた奴に矛先が向く。

――“流れ”が育つ。

男は、その育つはずのものを見ていた。

「よし」

そのとき、二人の男の顔は真っ赤だった。

怒りはある。敵意もある。唾も飛んだ。

なのに。

「……」

次の言葉が出ない。

口を開いたまま、止まる。

噛みつきたいのに、噛みつく理由が手の中から抜けたみたいに。

「……なんだ、おれ」

片方が自分の拳を見る。

握っているのに、握る目的がなくなっている。

「……まあ、いいか」

もう片方がそう言った。

言った瞬間、本人がいちばん驚いた顔をした。

見物は肩をすくめて散る。

「たまたま」みたいに、空気が次へ流れていく。

男は眉を寄せた。

「おかしい……」

円盤の縁が、薄く震えている。

本来なら“痕跡”が立つはずだった。

怒りが行動に変わる瞬間。

その瞬間の“形”を採るための仕掛け。

だが採れない。

採れないどころか、仕掛けた側の手応えだけが空振りする。

男は円盤に指を置き、もう一段、強く“流れ”を押した。

 

 

次は、もっと露骨に起きた。

露店の値段を巡る押し問答。

護衛が剣の柄に触れる。

背中越しに、誰かが悪口を言いかける。

――どれも、途中で止まる。

止まる、というより。

“行こうとした線”が、線になりきらずにほどけていく。

男の喉が、鳴った。

「抑制じゃない……吸収でもない……」

分類できない現象を前にしたとき、

人間は黙るか、いら立つかのどちらかになる。

男は後者だった。

「……じゃあ、中心はどこだ」

視線を上げる。

そして、見つけた。

人波の切れ目。

不自然に空く、半歩ぶんの道。

そこを歩いてくる、少年。

 

 

レンは、あまりに普通に歩いていた。

大げさに周囲を警戒もしない。

自分が注目されているとも思っていない。

隣には、セイルがいるはずだった――

だがセイルは半歩後ろ、距離を取っている。

まるで。

「“ここから先は、お前の番だ”」とでも言うみたいに。

レンが通り過ぎる直前、円盤がひときわ明るくなった。

男は、反射的に息を飲む。

光は熱ではなく、冷たさに近い。

燃えるのではなく、整うような発光。

その瞬間――

円盤の刻印の一部が、欠けた音を立てた。

カチ、と。

音は小さい。

だが街のどこかで、同時に誰かが立ち止まった。

「……あれ? 俺、何しに来たんだっけ」

剣に手をかけていた護衛が、ぽつりと呟く。

手は柄に置いたまま、目だけが宙を漂う。

怒りは残っている。

敵意もある。

ただ、それを“誰に向けていたのか”が、ほどけている。

男は確信した。

(中心は、こいつだ)

 

 

男は、円盤を拾った。

欠けた刻印を親指でなぞる。

「……壊れた、か」

壊れたのは装置じゃない。

装置が想定していた“成立”の方だ。

男は歩き出す。

レンの進む道へ、斜めに割り込む。

「君」

レンが足を止める。

驚いた顔はしない。ただ、困ったように眉を寄せる。

「何ですか」

男は一瞬、言葉を選ぶのをやめた。

「――お前は、何をした」

レンは、首を横に振る。

「何も。……何もしてない」

嘘ではない。

この少年は、まだ自分の現象に名前を付けていない。

男は笑いそうになった。

笑う種類の状況じゃないのに、口角が勝手に上がる。

「そうか。なら、なおさら厄介だ」

男は視線を落とす。

レンの足元――そこに“いるはずのもの”を見ようとして。

見えない。

ただ、空気の密度だけが違う。

「……精霊か」

レンが小さく身構えた。

その反応だけで、男は確信を深める。

「報告が必要だな」

その一言が、冷たく落ちた。

 

 

レンは、前世の記憶を思い出す。

人が急に距離を詰めてくるときの、あの感覚。

言葉が“刃”になる直前の、空気の硬さ。

(また、来た)

――そして。

“来たのに、刺さらない”。

男の敵意はある。

目的もある。

でも、その目的が“ここで今、何をするか”に変わらない。

男自身が、それに気づきかけている顔をしていた。

「……」

男は次の言葉を探す。

探して、見つからない。

レンは確信する。

(これは、俺の近くだと……)

言い切れない。

言い切ったら、世界が固定される気がした。

そのとき、背後でセイルが一歩進んだ。

「そこまでだ」

男はセイルを見る。

薄く笑う。

「君が護衛か。……いや、監視側だな」

セイルは答えない。

剣にも触れない。

代わりに、言う。

「お前のやり方は、街を壊す」

男は肩をすくめた。

「壊れているのは、街じゃない。

“成立”の方だ」

その言葉が、街の音の上に奇妙に残った。

 

 

円盤の欠けた刻印が、もう一度、カチ、と鳴る。

誰かが遠くで笑っている。

誰かが露店で値切っている。

境目の街は平常運転だ。

なのに、レンの周りだけ。

“次の一歩”が、踏み出されない。

男は、最後に一言だけ置いた。

「明日、また来る。

 そのときは、君の“中心”を確かめる」


脅しではなかった。

ただの予告だった。


男は、それだけ言って人混みに消えた。


 


セイルが街を見て、短く言う。


「……来たな」


レンは、すぐに答えられなかった。


喧嘩でも、事件でもない。

けれど、見られた。


起きなかったことを、

確かめに来ただけだ。


 


これは始まりじゃない。

終わりでもない。


調べる側が、動き出した。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

ようやく「調べる側」が動き始めました。

もし少しでも続きが気になったら、

ブックマークしてもらえると励みになります。

次も、よろしくお願いします。

※毎日19時更新

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