よあけの砂漠 中編
よあけの砂漠でげんぞさんが停止している。たぶんもう15分以上。
直立不動だ。前掛け……じゃなくてマフラーに顔と手足だけ丸出しの全身タイツ姿なので、お店の前で置かれてるべビ人形感がつよい。
なんて観察してみるけど、正直、怖いところがあった。なぜならオール・アローン・ワールドでは、個々の通信回線の接触不良、いわゆるネットが繋がりづらい状況の場合、わりとすぐ飛ばされる。
通信の問題でせっかく集めていた素材がなくなってしまうよりかは、スタート位置と目的地へのシャトルラン状態になったとしても安全を確保しておいたほうがいい。それが運営側の考える「もしも自分がプレイヤーなら」の答えだった。
とはいえ、オール・アローン・ワールドのサーバーそのものは、かなり強固だ。規模の大きいオンラインゲームでは、ハッカーと呼ばれる不正にアクセスして課金しているプレイヤーの個人情報を抜こうとする犯罪者と、チーターと呼ばれるゲームを勝手に作り変えてほかのプレイヤーに迷惑をかける反社もどきがいる。
それらを徹底的に排除しながら、いろんな人間が遊べるようエンジニアが日々戦っているわけだけど──だからこそ、げんぞさんが停止しているのは、げんぞさんが原因であるという線が濃くなってしまっているのだ。
70歳と言っていたし、ネットに疎い可能性は往々にある。回線がおかしくなっていると思いたいけど、回線がおかしくなったら、自動的にスタート位置に戻されるはずなのでげんぞさんは目の前から消えるはずなのだ。
しかし、私の目の前には未だべビオブジェことげんぞさんがいる。動かないだけで。
こうして姿は見えているのに、どこかへ行ってしまったのは確実で。
丁度私たちのすぐ近くで、モンスターが砂漠の砂の中から這い出てきた。
さっきげんぞさんが倒したのと同じ種類だ。私は持っているハンドガンで急所を狙い、仕留める。念のため、もう一発。
ここ最近は運営が玄人向けにと用意するモンスターを前にしても緊張することなんかなかったし、倒してもどこか、他人事だった。自分なりに色々、時間制限を設けてみたり。手は尽くしたのだ。それでも前は確かに感じていた楽しみや胸の高鳴りが消えていて、工夫するたび、自分の他人事感を確かめる儀式みたいになっていた。
夢中になりたい。熱中したい。前みたいに。
でも、こういう緊張は望んでない。
黙々と敵を撃っていると、捨て身の戦闘狂の標本みたいなプレイヤーが戻ってきていた。げんぞさんが「あの人洋服無くしちゃったんですか?」と心配していたプレイヤーだ。
スタイルは、タンクトップに半ズボンの金髪青年。女子人気の高いゲームにいそうな感じ。
持っているのは双剣。青紫の炎を纏い、剣身は細く透け、剣を握る部分は黒い鋼にサファイアの鉱石がはめ込まれている。強いモンスターを討伐して素材を集めないと手に入らない武器だ。しかも気が狂うほどの量を集めないといけない。別名、陽キャの剣。友達が多いと素材集めが容易いので、陽キャ前提の剣だ。
ちなみに能力も何もかも、全く同じ強さの剣が別に存在している。そちらは単独で挑まなければいけない特殊なモンスターを倒したときの報酬になっており、別名、陰キャの剣とも言われてる。
それとは真逆の陽キャの剣を装備しているプレイヤーは、私のそばで停止した。
──ほかのプレイヤーがボイスチャットを希望しています、許可しますか?
システム認証を私は許可した。
『あっボイチャ許可ありがとうございます。あの~なんか大丈夫ですか? フレンドさん、全然動いてないっすけど』
明るくのびやかで、少し高めの声。男なのは確定として大学生だろうか。
『友達……フレンドではないんですけど、あっちは初心者で、突然消えちゃったので』
『あーなるほど、人間関係の揉めかと思って、すみません! 話しかけちゃって』
『いえ』
『じゃっ』
陽キャの剣を持ったプレイヤーはそのまま会釈をして去っていった。フレンド──いわゆる、友達。オール・アローン・ワールドというか、基本的にオンライン系のゲームではフレンドと呼ばれる機能がある。
SNSのフォローに似た機能だ。SNSフォローは一方的だけど、ゲームのフレンド制度は許可制で、相互での繋がりになる。相手が何時にログインしたか分かったりとか、個別に手紙を出せたりとか、相手が遊んでいるときすぐ近くに移動出来たり、関わりを増やす機能だ。
私は、誰ともフレンドになってない。何時にログインしたか知られるのも嫌だし。さっきの陽キャの剣プレイヤーみたいに話しかけられてフレンドの申請が来ることもあったけど、誰かと遊びたい人って感じで合わなかった。
ゲームだから、軽い付き合いでいいはずなのに、なんか、誰かと遊びたい人にとって自分は不適当な気がする。私自身、仕事の人間関係でもういいやとなった逃亡先がこの場所でもあり、この場所がなくなると、本当に逃げ場がなくなるという恐怖があった。
でも、フレンドがいれば違うかなと思わない日が、ないわけじゃない。ないわけじゃないけど、勇気が出ない。フレンドがいて心強い、楽しい場面よりも、苦しむ場面のほうが想像できてしまうから。
銃でわいてくるモンスターを撃ちながら、げんぞさんを見る。帰ってきてほしい。
というか、怖い。
フレンドじゃないけど、死んでたらやだ。
70歳。最悪のもしもがどうしてもよぎる。
分からなくて、怖いのだ。一大事だけど、サーバーは生きてるけどげんぞさんのパソコンが機器トラブルに見舞われていたらいいなと思う。顔なんか見たことないのに、今、国内のどこかでげんぞさんは慌ててパソコンを直そうとして、しっちゃかめっちゃかで、「ああ大変ヒナタさん待たせちゃってる」ってアワアワしているほうがいい。それがいい。
鬱々としていると、薄暗かった周りが、ぽっとカラフルな光に照らされた。魔術師のローブを羽織り、フードを目深に被ったプレイヤーが、私とげんぞさんのまわりにカラフルなランプを置く。
これは三週間に一度のペースで行っている期間限定イベントの限定アイテムだ。置いた場所は、一定期間の間、モンスターが出辛くなる効果がある。モンスターが出やすいけど写真映えするフォトスポットで重宝されるアイテムだ。
相手は、集中モード機能を使っている。こちらが話しかけることはできない。魔術師ローブのプレイヤーは、私たちのまわりを囲うようにランプを置いた後、サッと走っていく。
これは……助けてくれた、のだろうか。
集中モードだから分からないし、多分……人とのかかわりを断っている……とは思うけど。でも、さっきの陽キャの剣のプレイヤーみたいに、心配してくれたのかもしれない。話をして無い分、傍目に見れば直立プレイヤーとその横で武器装備しているプレイヤーがずっとそこにいるわけで。
そして、ランプのおかげでモンスターの湧き出る時間がゆっくりになってきた。
げんぞさんはこのランプを見たら、何を思うんだろう。
可愛い、とか、綺麗、とかかな。こうしたプレイヤー設置型のアイテムは、そのマップから設置主が去っても、目撃している人間──ようするに私やげんぞさんがいる限りは、マップに残り続ける。
欲しいって思っても……手に入れられない。オール・アローン・ワールドでは期間限定イベントの復刻はない。その瞬間を楽しんでほしい、持っていないことそのものを個性にしてほしいとの運営意向だ。
カラフルなランプが、ずっとげんぞさんを照らしている。帰ってきてほしい。はやく。最悪な想像を止めてほしい。もう多分、30分は過ぎている。電源を切り損ねたんじゃないか、という想像に無理があるくらい、げんぞさんは唐突に去った。それも話の途中で。
あの時に倒れたりしたのでは。
ずっと苦しいもしもが終わらない。でも、モンスターは湧き出てくる。私は銃を構えた。その時──パステルカラーの小さなサメが、砂の中からざばっと飛び出てモンスターを丸のみした。
サメの着ぐるみを着た幼女系のプレイヤーは私の目の前に立つと、くるりんっと決めポーズをしてきた。幼女プレイヤーはそのままげんぞさんのまわりを物凄い勢いで一周二週と走り回った後、また砂にもぐり、げんぞさんの真上をぽーんと飛ぶ。
一体何をしてるんだろう。げんぞさんの反応を待っているのだろうか。
ややあって、着ぐるみサメプレイヤーは私とげんぞさんに写真撮影用アイテムとして人気のクラッカーを撃った後、私とげんぞさんのそばに噴水を設置した。
カラフルなランプを、絶妙に避けている。そしてサメプレイヤーは砂に潜り、ザーッと消えていった……かと思えば、今度は夜空に花火を打ち上げ、去った。
一体何だったんだろう。お祭り騒ぎみたいなサメプレイヤーだった。唯一分かることは、サメプレイヤーもまた、ランプを置いてくれた魔術師プレイヤーみたいに、私たちを心配してくれたことだ。
だって噴水は、防御機能がある。モンスターから受けるダメージの軽減だ。それもレアなアイテムで、このあたりのモンスターの攻撃は、ほぼ無効化できるといっていい。げんぞさんは8回くらい吹き飛ばされても問題ないくらいだ。私の場合は、もう多分、1週間くらいこのまま操作しなくても全く問題ない。
『おわーにぎやかですねー』
ふっとボイスチャットが入る。さっきの陽キャの剣プレイヤーが戻ってきた。私は切っていたボイスチャットを慌ててオンにする。
『あ、どうしましたか』
『いやーさっきは何にも持ってなかったんで、これだけ置きに来ました。まぁ、もう色々あるんでお節介かもですけど』
そう言って、陽キャの剣プレイヤーは私とげんぞさんの間に焚火を置いた。これは一定時間継続的に体力が回復するアイテムだ。
『え、と取りにもどってくださったんですか』
『まぁ倒してからですけどね』
この先には、玄人じゃないと挑戦権すら与えられないモンスターがいる。
『ちょっと時間かかっちゃって、いるかなーってところだったんですけど、いたんで、良ければ使ってください』
『す、すみません』
『気にしないでくださいっす、楽しんで‼』
陽キャの剣プレイヤーは、そのままログアウトした。取りに戻ってきてくれたのか。私たちは、知り合いじゃないのに。げんぞさんが動かなくなって取り残された気持ちでいたけど、今は、カラフルなランプがあって、噴水があって、焚火があって──囲まれている。
でも、げんぞさんは動かない。なんにも。このまま、ずっと動かなかったら──
「ごめんなさいおでんわがかかっていてでんげんおしたとおもったのですがごめんなさい」
直立不動のべビ人形からフキダシが浮かんだ。
げんぞさんだ。
げんぞさんが、戻ってきた。
生きてる。
「大丈夫ですよ。おかえりなさい」
「ほんとうにごめんなさいなんとおわびしたらよいかあとただいまもどりましたおかえりっていってもらえてうれしいですごめんなさい」
げんぞさんは多分、頭を下げるかわりなのか、カク、カクと直立不動のべビ人形を左右に動かす。会釈とか頭を下げるアクションを伝えようか悩むけど、クルクルのままでもいい気がするし、今教えると直球で頭下げろみたいな感じになってしまうので、しばらくそのままでいたい。
「いいえ。本当に大丈夫ですよ」
それに、本当に困ったことは起きなかった。通りすがりのみんなのおかげで。
でも一体どうしたんですか。お電話って大丈夫ですか。
聞きたいけど、聞けない。答えを聞くのも怖いし、聞いていいか分からない。色々怖い。
「これはいったい」
げんぞさんは戸惑っている。戻ってきたら自分のまわりにカラフルなランプ、防御機能のある噴水、一定時間継続的に体力が回復する焚火が置かれてるわけだし、多分げんぞさんは効果どころかこういうアイテムの存在自体知らなそうだから、色々混乱しているのだろう。
「それは、通りすがりの人たちが、げんぞさん楽しく遊べますようにって、祈った名残です」
なので私は、アイテムがなんなのかではなく、意図について伝えることにした。
げんぞさんはまた停止した。かとおもえば、てくてくオブジェクトににじり寄っていく。
「ただいまありがとうございましたぶじにもどってこれましたらんぷきらきらしてかわいいです」
「ただいまありがとうございましたぶじにもどってこれましたふんすいひさしぶりでうれしいです」
「ただいまありがとうございましたぶじにもどってこれましたたきびしたことないですたのしいです」
「ただいまありがとうございましたぶじにもどってこれましたみなさんぼくをみつけてくれてありがとう」
持ち主不在のオブジェクトに、げんぞさんはひとつひとつお礼を言って、くるくる回る。
そのあと、たったったったと軽い足取りでオブジェクトを一周して、真ん中でぐるぐるした。
「ひなたさんをまもってくれてありがとうございましたひなたさんこのこといっしょにいてくれてありがとうございましたさみしくなかったですほんとうにありがとう」
「いいえ」
私は短く返す。
胸の奥が、ぐ、と熱を帯びるような、心臓なんて動いてないと死んでるってことなのに、動いてる気がした。
げんぞさんが帰ってきて良かった。げんぞさんを心配した人の想いが現ぞさんに届いて良かった。
「みなさんただいまですかさねてとなりますがほんとうにありがとう」
げんぞさんはくるくる回る。
もしこの先、げんぞさんが誰かとのかかわりで嫌な思いをして、オール・アローン・ワールドが辛くなった時。
げんぞさんを守ろうとしたプレイヤーも、確かにいたなって、優しい人もいたなって届いてほしい。
前に、魔法を使って痕跡を残した、あの名前も知らないプレイヤーみたいに。
「おかえりなさいげんぞさん」
私はげんぞさんがオブジェクトに寄り添うのを眺めながら、祈った。