たびだちの草原
この世界なら、誰とでも繋がれる。
そう銘打って配信されたゲーム『オール・アローン・ワールド』は、広大な自然をベースとしたファンタジックな西洋風世界観を舞台に、好きなことができるゲームだ。
戦い、何かの道具を集めたり、クエストと呼ばれるその日のノルマの参加など、すべてプレイヤーが選べる。
誰でも、何にでもなれるし、何にもならなくていい。
何でもできるし、何もしなくてもいい。
遊び方はその人次第。
そういう自由さから、老若男女問わず爆発的にヒットした。
ゲームを操作している人をプレイヤーと呼ぶが、プレイヤー同士自由に話すこともできるし、話しかけられるのが嫌なら設定で声掛けを自動で拒否することもできる。集中モードと呼ばれ、選んでいる人間も多い。
姿かたちも自由自在。プレイヤーはゲームで自分が操作するキャラクターを好きに選べる。名前もなにもかも。
私は『ヒナタ』という名前でプレイしている。遊び方は、一人遊びだ。
『オール・アローン・ワールド』はプレイヤー同士で戦ったり、モンスターと呼ばれる怪物を倒したり、採掘をしたり釣りをしたり、色んな遊び方がある。
私は景色のいい場所を探して歩き、モンスターを銃で撃っている。洋画で銃に憧れたのと、現実で人を撃っちゃいけないので、ストレス発散だ。
今日はオール・アローン・ワールドの世界でも、色彩が優しくのどかな草原でのんびりしていた。
この場所は、「たびだちの草原」と呼ばれる。
初めてゲームをプレイする人間が、出てくる説明に沿い歩き方や走り方、ゲーム内での会話、モンスターの倒し方、買い物の仕方を学んだあと、「それではあらためて、オール・アローン・ワールドの世界へようこそ、わたしたちはあなたをずっと待っていました。どうかあなたの冒険が、あなたにやさしいものでありますように」と祈られながら出発する場所だ。
オール・アローン・ワールドのプレイヤー全員の冒険は、ここから始める。そのスタートポイントの真後ろの岩で、私はボンヤリ空を眺めていた。
どこまでも広い空に、ゆらゆらと緑が茂る。
普通のユーザーはこちら側を見ない。普通に出発する。玄人ユーザーはここに近づかない。ここは初心者スタートポイントなので、モンスターが出ない。
誰かいるとしても、一人で何かの練習がしたいとかボーっとしたい人間しかいないので、たいてい「誰も話しかけるなモード」こと「集中モード」を利用している。
しかし、そんな平和で、争いや異常事態がない場所で、小さい何かがとんでもない速度で岩に直撃してきた。
二頭身くらいの──かろうじて歩けるようになった赤ちゃんみたいな見た目のプレイヤーが、岩に身体をこすりつけるようにして走り続けている。サイズ感もまさに2歳くらい。成人のかかとから膝のあたりの大きさだ。
怖。
そういう、性癖?
赤ちゃんを岩にこすりつけるのが性癖のヤバいプレイヤーが遊んでるとか?
スタートポイントから逆走してきたらしいちびっこプレイヤーは、えっほえっほと岩に向かって走っている。居た堪れなくなった私は、岩から降りて話しかけることにした。
「何してるんですか」
ちびっこプレイヤーは喋らない。会話は外国人だろうが自動で翻訳される。意図的に無視しているわけじゃないかぎり、待ってれば返事はするはず。
すると、ちびっこプレイヤーは走るのを止めた。そのまま岩に向かって微動だにせず、じっとしている。
走りながら喋れるはずだけど、走るのが止まったということは、走りながら喋れることを知らない初心者か、知識はあるけど操作に手間取ってる初心者か、奇行を目撃され停止した変質者の三択だ。
三分の一の確率で変態。
確率は低めだけど、こういう時私は死ぬほど間が悪いので嫌な予感がする。
「はじめましてふくやまだげんぞうともうしますがくせいじだいのあだなはげんちゃんです70さいですきょうはじめてげーむはじめましたよろしくおねがいします」
ちびっこプレイヤーの頭上に、平仮名が表示された。完全に初心者だ。
マイクがあれば通話機能を使っておしゃべりも出来るけど、こうしてチャットも出来る。耳が聞こえない誰かとも、目が見えない誰かとも、コミュニケーション可能だ。
そしてこのゲームはいわゆるゲーム機みたいなコントローラーでも遊べるし、パソコンとマウスで動かすこともできる。
チャットを使うベテランプレイヤーはコントローラーを操作しながら、キーボードで会話を入力するけど、このプレイヤーはコントローラーで入力しているか、マウスで入力しているか、そもそもキーボード入力が下手・苦手かの三択だ。
どちらにせよ初心者だ。
70歳。
オール・アローン・ワールドは課金要素はあるが、元々ゲーム開発者が「つらいとき、さみしくなくなれますように」「このゲームがだれかのくるしみにはなりませんように」との思いで作ったので、お金まわりの対策は非情なくらいしている。
課金の解禁は、半年以上ゲームをしている、すごく強いモンスターを5体を1人で倒している、課金の解禁の為の試練を5つ乗り越えているの三つが揃わないとできない。
RMT──リアルマネートレードと呼ばれる、アカウントそのものを売買する、現実でお金を払いゲーム内で装備の交換する商売は、アカウントを特定しだい出禁になる。
中古ゲームはいいのに? とバカなことを言う人間もいるけど、中古ゲーム屋は許可を取っているしフリマサイトはフリマサイトがザルなだけで、大抵のゲームは規約で禁止している。犯罪につながるからだ。
売る人間が一番悪いけど、買う人間も悪い。すべてのオンラインゲーマーが軽蔑しているような行為である。『オール・アローン・ワールド』は特に厳しく、売買を行ったプレイヤーと一度でも交流していたアカウントは洗いざらい調べられ、それらしい履歴が出ただけで永久出禁だ。
そういうところの厳しさからも、対象年齢の幅が広く、70歳が自由に闊歩していても詐欺に遭う確率は低い。
「お金を振り込んで」みたいなことを言えば一発で出禁だけどなんとなく、不安だ。
「初めまして ヒナタと 申します」
ボイスで喋りかけても良かったけど、オンラインゲームでの会話は、相手に合わせるようにしている。声出せないプレイヤーの場合もあるし。
「ひなたさんはじめまして」
しばらくして、ピコン、とちびっこプレイヤーの上にフキダシが表示された。私はしばし悩んだ後、一歩近づく。
「もしかしたら、本名ですか? ネットの世界では、本名ぜんぶ出すと、犯罪に巻き込まれたりするので
、お名前、全部じゃなくて、短く変えたほうがいいかもです。あと、年齢も、なるべくいわないほうがいいです」
お節介だったかな、と発してから反省した。
いつもこうだった。
最悪の想像をして、それを止めに入る。結果、その場の事態は解決するけど、その後死ぬほど避けられる。いつもその繰り返しだ。
パターン的にこれが起きそうと予測し、事前に伝えておくと心配し過ぎと言われる。
じゃあそうなのかなと引くと、私の伝えた通りのことが起きてしまう。大変だと思い私がフォローに入ろうとすると大丈夫だからと避けられる。
そういうのを繰り返して、自分は何も言わない、いないほうがいいんだなと分かって、色々やめた。
現実には求められる人と要らない人がいて、私は要らない人側、それを理解できてなかったなと、今になって思う。
「ありがとうございますそれはたいへんですどうしようぼくのおなまえはわすれてくださいいやよかったあぶないところでしたたすかったありがとうございますありがとうございます」
悩んでいるとチャットが表示された。
「あらためましてはじめましてぼくのなまえはげんぞといいますよろしくおねがいしますひなたさん」
げんぞでいいのだろうか。げんぞうの打ち間違いだろうか。
「げんぞさん?」
「HI」
突然英語になった。突然のグローバル化。よくある。
明らかに初心者だ。しかもオンラインゲーム自体不慣れなタイプだろう。ネット作法もよく分かって無さそうだ。高齢者あるあるだなと思う。
インターネット黎明期からネットをしていて、掲示板とかブログとか自作していた高齢者は色々分かってるけど、SNSが発達してから手軽さに惹かれて参入してきた高齢者層は、本名でアカウント登録していたりとか、顔出ししてたりとかそういうのが危うい。
芸能人も顔出ししてる、名前を出しているから大丈夫みたいな過信のあるタイプもいるし、こうしてマジで無垢のタイプがいる。多分後者だ。前者だと「なんで、みんなやってる」が飛び出してくるから。
そして、げんぞさんの今のスタイル。幼児体型だからこそのへそ出しランニングシャツに、半ズボンにはだし。うっすらとした、露出狂じみた感じ。
なんとなくだけど操作ミスな気がしてる。
この世界で、全裸は不可能だ。その代わり身体のラインがでるような全身タイツは存在していて、あらゆるカラーバリエーションが存在し、全裸風コーディネートは組める。
だから露出ファッションが好きとか、他のゲームでは全裸に武器を持つのが自分の正装ですみたいなタイプは全身タイツ一択だ。
げんぞさんはそんな感じしないし、服の着方も教わるはずだけど、そういうの飛ばせるから間違えて飛ばした可能性がある。
「げんぞさんは今困ってることはありますか」
一応、聞いてみる。これが本人のファッションの可能性もある。「その服で大丈夫ですか」という聞き方だと、傷つける可能性もある。それに、この世界はどんな服を着ていてもいい。それでも聞くのは、困っていた時に、何も出来ないのが苦しいだけ。
「さっきすごくこまってましたずっとはしってたのででもはなしかけてくださっておはなしのもーどにしたらとまったですありがとうございます」
岩に向かって走ってたのバグだったんだ。
「また同じこと起きたらお話モードにするかほかの操作するといいですよ」
困ってたのは岩場への無限ダッシュ。じゃあ服装は……これでいいのか?
「ありがとうございますもういっこきいてもいいですか」
悩んでいるとげんぞさんのフキダシがくるんと変わった。
「どうぞ」
「おふくずっとおしてたらこれになっちゃってさむそうでかわいそうだからかえてあげたいんですけどどうしたらいいですか」
「それなら今やり方教えますよ。慣れさえすればすぐできます。慣れさえすれば。はじめは難しいですけどね」
おふく。多分お洋服だろう。ふくやまだ──たぶん福山田だから一人称がおふくな可能性もあるけど文脈的に。そしてこういうゲームでは、キャラを自分としてプレイする人間と、キャラを自分が可愛がっている何かとしてプレイする人間がいるけど、げんぞさんは後者みたいだ。
私はなるべくわかりやすいよう、ゲーム用語を排除してげんぞさんに服の変え方を伝える。しばらくして、げんぞさんがくるんと回転し、服が変わった。
首から下がタイツスタイルだった。このゲームは身長も体重も自由に決められる。顔の形も何もかも。
多分げんぞさんは設定できる身長の最低値を選択し、体重も多分幼児程度の重さを入力してる。動くとぽてん、ぽちょん、ぺっちょり、へにゃみたいな効果音が聞こえてきそうというか……手足も短いし胴体がデンとしてるし。似合うな、と思う。よだれかけみたいなのつけてるし。かわいいな。じっと見ているとフキダシが表示された。
「まふらーがあくせんとですかっこいいですか」
「いいんじゃないですか」
すごい申し訳ない誤解してた。よだれかけだと思ってた。げんぞさんかっこよさを目指してたのか。
「ありがとうございますこれでさむくないです」
「良かったです。ほかになにかお困りごとはないですか? 聞きたいことは」
「だいじょぶですありがとうございます」
良かった。これから色々あるだろうけど、元々やってたプレイヤーが逐一初心者を指導みたいなのは窮屈だろうし、今回話しかけてしまったけど、『オール・アローン・ワールド』の世界はそこまで冷たくない。人がいるところにさえいれば、誰かしら助けてくれる世界だ。
「ではこれで」
旅立ちを邪魔しないように、別れよう。
ログアウトしようとすると、ちびっこプレイヤーの上からフキダシがピコンと出てくる。
「まってください」
「はい。ゆっくりで大丈夫ですよ。ひまなんで」
私は待っていることを示した。言ってから冷たすぎたかも、後悔する。でも追撃すると急かしているみたいなのでやめた。
ピコン、とフキダシが変わる。
「このせかいではじめてはなしをしたのがひなたさんでよかった」
ピコン。
「ありがとうございますぼくとあそんでくれて」
ピコン。
「すごくうれしかったですありがとうございますまたあそんでください」
げんぞさんはくるくる回る。多分お礼を言いたいのだろう。会釈や手を振る操作もできるけど、私はげんぞさんに合わせてくるくる回って、そのままログアウトする。
多分、もう会うことはない。
フレンド申請はしてないし、『オール・アローン・ワールド』の世界は広い。
いつも同じ場所にいてもいいし、いなくてもいいゲームだ。
これから先、げんぞさんは色んな人と出会うだろう。その旅路が、幸せなものであれと思う。他人だし、会ったばかりだけど。なるべく辛いことが無くて、楽しく遊べますように。そう思って、電源を落とす。
今日の眠りは少しだけ、マシになる気がした。