21:05 南棟・通路前
俺とトールは、男子寮を抜け、医務室を目指していた。
廊下は静まり返っていた。
いや、静かすぎた。
足音ひとつが異物のように響くたび、空間全体がぎこちなく軋む。
音が割り込むたびに、そこに“なにか”が眠っているような気配がする。
ロウソクの火は布で覆われ、漏れた揺らぎが足元を鈍く撫でる。
魔導灯はすべて落ち、壁も床も色を失い、沈黙していた。
まるで学院全体が呼吸を止め、息をひそめているかのようだった。
医務室は南棟の突き当たり。
通常なら、廊下を直進すればすぐだ。
──通常なら。
「……なんだ、これ」
廊下の先。
家具の山が行く手を塞いでいた。
机。椅子。折れた扉。ロッカー。
乱雑に積まれているが、明らかに意図があった。
“何か”を拒むための、退路なき防壁。
生徒の仕業か、それとも──
言葉は続かなかった。
なぜなら、音がなかった。
風もない。気配もない。マナの揺れすらない。
ただ──
不自然な“静けさ”だけが、そこにあった。
沈黙、それ自体が、何よりも雄弁な警告だった。
そして、動いた。
廊下の奥、曲がり角の先。
影が、ゆらりと現れた。
白いローブ。前屈みの姿勢。引きずるような足取り。
人の形をしているが、どこか不自然だった。
節の外れたような腕の動きが、壁に吐息のように響く。
それは、“向こう側”の存在だった。
俺たちは呼吸を止めた。
音ひとつが、引き金になる気がした。
影はふらつきながら歩み出て──
やがて廊下の中央で、ぴたりと止まった。
こちらを向いた。
目が合った。
全身が凍りつく。
冷たい刃で芯を貫かれたような錯覚。
声も意識も、奥へ奥へと押し込められていく。
けれど、影は動かない。
こちらを見ているのに、動こうとしない。
視線は泳ぎ、焦点は合っていない。
“何か”がいるとは、まだ理解していない。
……いや、本当に見えていないのか?
それとも“見えていないふり”をしているだけかもしれない──
俺は手元のロウソクを、わずかに傾けた。
揺れる炎の光が壁に揺らめき、影がまるで生きているかのように揺らぐ。
何が実在で何が幻なのか、境界が曖昧になる不安が襲う。
──そのときだった。
トールの靴が石床をほんのわずかに擦った。
その瞬間。
影の肩がぴくりと跳ねた。
身体がこちらを探るように揺れる。
……音だ。
気配の“ノイズ”。
聴覚に異常な鋭さが宿っている。
暴走すれば感覚は鈍ると思っていた。
だが違う。
何かを失った代わりに、別の感覚だけが異常に尖っていく。
その“偏り”が、彼らを──
読めない存在にしている。
「……このルートは使えない」
囁きながら背筋が冷たくなる。
通れば、確実に気づかれる。
「食堂の裏だ」
俺はすぐに方向を切り替える。
祭の準備で搬入口が開いていた。
そこから裏通路を通れば、医務室の近くに出られる。
トールが無言で頷く。
ロウソクの火を絞り、炎の揺れを最小限に抑える。
影はまだこちらを向いたままだ。
だが──動かない。
ただ、“そこにいる”。
一歩ずつ、踵を返す。
背を向ける一瞬一瞬が、呼吸の隙を許さない。
石の床が軋む音が、まるで命の重さを帯びているかのようだった。
──俺たちは、音を殺しながら、食堂裏の搬入口へと進路を変えた。
廊下の冷気が、肩をかすめる。
まるで、背後に“音なき刃”が浮かんでいるかのように。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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