第四話 息を殺す夜
憧れの、いや、大好きなユフィ先輩に忘れられ──魔法学院が封鎖され、外に出られず、魔法は使えず、暴走は伝播する。怒涛の情報が飛び交う中、再び冷たい声が降りてきた。
「──全校生徒へ。すでにお伝えしている通達に加え、現在の状況と対応方針を、改めて共有します。生徒会長、セリーヌ・グレイシアです」
その瞬間、講堂の空気が変わった。
風もなく、マナの揺れもないのに──
背筋に、氷の指先が触れるような感覚が走る。
透き通った声だった。
冷たく、けれど確実に届く、絶対零度の静謐をまとった声音。
「学院内で確認された“マナの暴走”について、生徒会は引き続き監視と対応を行っています。繰り返しになりますが、暴走体──暴走状態にある生徒は、マナの残響や詠唱の波動に極めて敏感です」
その言葉のたびに、講堂のざわめきが静かに後退していく。
息遣い、小声、足音──
すべてが、ひとつの緊張に収束していく。
「よって、魔法の使用は原則として禁止します。特に攻撃魔法、召喚系、広域魔法は連鎖的暴走の誘因となり得ます。極力、マナの使用を控え、自衛にとどめてください」
声の温度は変わらない。
叫びも、怒りも、希望もない。
ただ、事実と命令だけがそこにある。
「本日は学院祭の最終日でした。本来であれば、この時間は打ち上げが続いていたことでしょう。しかし──それが叶わなかったことを、深く残念に思います」
もう終わったのだと、告げられた気がした。
誰も拍手していない。誰も、笑っていない。
けれどそれでも、彼女は語った。
「本学院の祭典は、生徒主体で運営される五日間限定の“教員不在期間”でもありました。明朝には教員団が予定通り帰還し、封鎖状況への対処と外部との連携が再開される見込みです。」
それまで耐えろ、ということだ。
この夜を。
「全生徒は寮、または指定された避難区画へと移動してください。可能な限り、マナの流れを沈め、存在の気配を抑え、暴走体への刺激を最小限に。これが、今できる最善です」
その声が、ふっと揺れた。
わずかに──
ほんのわずかに、祈りのような色が混じった。
「どうか、自身を守り、隣人を思い、この夜を──静かに、乗り越えてください」
通信が、ぷつりと切れた。
音も光も、すべてが止んだ。
張り詰めた空気が、そのまま凍りついたようだった。
生徒会長の言葉は、命令ではなかった。
ただ、現実の“輪郭”を淡々と語っただけだった。
それでも、全員がその輪郭の中に“自分”を見出した。
──そして俺は、ユフィ先輩の手を取った。
「えっ……あの、どちらへ?」
不安げに見上げるその瞳は、やはり何も覚えていない。
名前も、過ごした時間も、すべて──
どこかへ置いてきたようだった。
「避難です。男子寮が近いので。そこなら、きっと安全です」
「そ、そうなんですね……すみません、頭がぼんやりしてて……」
彼女の声はかすかに震えていた。
手を握る力は弱い。
でも、確かに“何か”を求める温度があった。
「大丈夫です。ユフィ先輩は、俺が連れて行きます」
「……ありがとう、ございます……でも、あなたは……?」
言いかけて、彼女は言葉を濁した。
記憶の中に“俺”を探して──
見つけられなかった顔だった。
「……いえ、なんでもありません。今は、言われた通りにしますね」
小さく笑うその表情が、胸に刺さるほど痛かった。
忘れられても──
彼女は、彼女のままだった。
裏手の物資搬入口から、人気のない通路を選んで歩く。夜の冷気が、まるで息を潜めた生き物のように、足元をすり抜けていく。
そして男子寮に辿り着き、重たい扉をそっと押し開けた。
中にあったのは、“音”ではなかった。
“重さ”だった。
空気そのものが、壁のように立ちはだかっていた。
数人の生徒が、床に座り込んでいた。
知った顔もいた。けれど、誰も目を合わせようとしなかった。
互いに“知ること”が、もう恐怖に近づいていた。
誰かが、黙って震えていた。
誰かが、膝を抱えていた。
誰かが、毛布の中で息を殺していた。
「……マナ、揺れてないよな」
「さっき、誰かに触れた……?」
その先の言葉は出なかった。
空気が、それを許さなかった。
誰もが、自分の中にある“揺らぎ”を疑っていた。
次に暴走するのは、自分かもしれない。
あるいは、隣の誰かかもしれない。
否定する根拠なんて、もうどこにもなかった。
ふいに、ひとりの男子生徒が小さなロウソクを灯した。
その微かな火が、ぼんやりと広間を照らす。
けれど──
誰も近づかなかった。
その灯りすら、マナの“誘い”に見えてしまう夜だった。
魔法は、もう安らぎではなかった。
静寂こそが、ただ一つの“安全”だった。
俺はユフィ先輩と、部屋の片隅に腰を下ろす。
言葉も、息も、交わさず。
ただ、彼女の体温だけが、確かな現実だった。
外で、誰かの足音が駆け抜ける。
けれどその音も、すぐに沈黙へと飲み込まれていった。
──学院祭の終わり。
拍手も、歓声も、光も、笑顔もない。
ただ、
“誰の息も許されなかった夜”が、そこにあるだけだった。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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