22:55 植物園
──パァァァァ……。
温室の奥、黒い花が一輪、静かに開いた。
花弁の縁から、金色の霧がふわりと立ち上がる。
マナを帯びた花粉が、ゆっくりと空気に溶けていく。
「……っ!」
ユフィ先輩が口元を押さえ、ぐらりと身体を揺らした。
視線が宙を彷徨う。焦点が合っていない。
「先輩、下がって!」
そう叫んだが──彼女は、俺を見ていなかった。
遠い過去をなぞるように、ぽつりと呟く。
「……あのとき……講堂で……あなたが……」
その声は、そこで途切れた。
まるで“その先”が、霧の中へ吸い込まれていくように──
──その瞬間だった。
シュッ。
黒い蔦が、鋭く空気を裂いて伸びる。
狙いは再びユフィ先輩──!
「ユフィ先輩っ!」
身体が先に動いた。
伸びてきた蔦を、俺は素手で掴んで引き止めた。
手のひらに、鋭いマナの痛みが突き刺さる。
視界が歪む。息が詰まる。それでも──
「……もし、これが“暴走”なら……!」
俺は叫んだ。
「──共鳴が、効くかもしれない!」
そうだ。ユフィ先輩のときのように。
なら、このルナメリアにも……!
俺は意識を集中させ、共鳴を仕掛けた。
マナの流れに意識を深く潜らせる。
植物のマナは複雑で、けれど──
触れられないものじゃない。
視えた。
雨の日、水をもらった午後。
「きれいだね」って声をかけられた夕暮れ。
夜、誰かがそっと語りかけてくれた時間。
この魔草はただの“暴走体”なんかじゃない。
記憶に寄り添い、人の想いを受け取ってきた、“存在”だ。
(……帰ってこい。お前は、まだ──大丈夫だ)
そう、心の底から念じた。祈るように。
──そのときだった。
蔦の動きが止まり、
奥の花が、ゆっくりと閉じていく。
金色の霧が、すう……っと、空気に溶けて消えていった。
「……おさまった……?」
トールが鍋蓋を構えたまま、警戒を解かずに呟く。
ユフィ先輩が、胸元を押さえたまま俺を見る。
その瞳には、わずかな迷いと──
かすかな光が宿っていた。
「……私、今……少しだけ、思い出しかけた気がして……」
震える声。
だが、確かに“戻ってこよう”としていた。
俺は一歩、彼女に近づいて言った。
「大丈夫です。もし先輩が思い出せなかったら──今度は、二度と忘れられないくらい、俺が右腕として活躍してみせますから」
ユフィ先輩はわずかに目を見開き、そして──小さく、頷いた。
「セ、セイルさん……どうして、そんなに……」
その問いかけに、ぴたりと割り込む声がある。
「はいはい、青春劇場はここまでな」
トールだった。
鍋蓋とトレーを軽く下ろし、鼻で笑うように言葉を続ける。
「霊草拾って、さっさと退散だ。喋ってる暇があったら耳すませ。今ので随分と騒いじまった。さっきまでは近くに暴走体の気配はなかったが……油断すんな。夜は、音に牙がある」
皮肉とも忠告ともつかないその一言に、俺とユフィ先輩は、ふっと肩の力を抜いた。
けれど──トールの目は、まったく笑っていなかった。
「……にしてもよ」
彼は足元の蔦の痕を見つめながら、ぼそりと呟いた。
「ルナメリアって、本来は“人を癒やす”草だったろ。野生種は確かに記憶を呼び起こしてマナを吸うけどさ……学院で育ててたのは、記憶障害の治療用。こんな、暴れるような凶暴性なんて……」
言葉を切り、唇を噛む。
悔しさとやるせなさがにじむその声音は、霧のなかへと静かに消えていった。
たぶん──
ルナメリアも、自分の意思じゃなかった。
夜の歪みに、ただ巻き込まれていただけだ。
俺たちは、静かにうつむく魔草の傍らを抜け、
再び、霊草を探し始めた。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
https://ncode.syosetu.com/n8980jo/
「続きを読みたい!」と思っていただけた際は、ぜひ【★★★★★】の評価やコメントをいただけると嬉しいです。Twitter(X)でのご感想も励みになります!皆さまからの応援が、「もっと続きを書こう!」という力になりますので、どうぞよろしくお願いいたします!
@chocola_carlyle




