第2話 拡がる病
しん──と静まり返った講堂に、声が落ちた。
透き通る声音が、波紋のように降りてくる。
「──全校生徒へ、緊急通達です」
マナの震えを帯びたその声は、空気の輪郭を静かに歪ませていく。
「本来であれば学院祭の打ち上げはほどほどに、そんな連絡をするつもりでしたが──緊急事態です。現在、学院内にて“マナの暴走反応”が複数、確認されています。 生徒会はただちに対応を開始。全体状況は監視下にあります。皆さんは落ち着いて、現在地から最寄りの寮棟、あるいは指定の避難区画へ移動を開始してください」
──セリーヌ・グレイシア。
白銀の生徒会長にして氷の使い手。
その声は、迷いや混乱を一切許さない“絶対零度”の静謐をまとっていた。
「暴走体を発見した場合、単独での接近は禁じます。必ず複数名で行動し、“防御系魔法”を使用してください」
一拍。
その沈黙すら、命令の一部のように研ぎ澄まされていた。
「決して、“攻撃”しないでください。暴走した彼らは、今もこの学院の仲間です。 魔法は、誰かを傷つけるためでなく、“守るため”に使いなさい──以上」
通信が切れても、セリーヌの言葉だけが天井に残っていた。
誰もが固唾を飲んでいる。
──でも、俺は、違った。
「……ユフィ先輩」
すぐ隣にいるはずなのに、遠く感じた。
ついさっきまで、俺の腕の中にいたはずの人が──
「すみません。お名前……どこかでお会いしてましたっけ?」
穏やかな声でそう訊かれた。
でも、もうその声音に、俺のことは何ひとつ映っていない。
喉が詰まった。
何かを言おうとしたのに、心だけが空回りしていた。
そして──
突然だった。
「来るぞ!!」
講堂の裏口から、黒い影が飛び出す。
暴走体──
否、“それになってしまった”生徒だった。
「土守盾!」
上級生の詠唱が響いた。
地が脈打ち、土塊が盛り上がる。暴走体を包囲するように立ち上がり──閉じ込めた。
「拘束、完了──!」
そう、誰もが思った瞬間だった。
「待て──!」
叫びが届く前に、爆ぜるような衝撃。
土の壁が内側から砕かれる。
暴走体が異常な反射で跳ね起き、術者へ跳びかかる。
「っ──うわっ!」
鈍い音が講堂に響く。
術者が床に叩きつけられた瞬間──
詠唱に入った別の生徒へ、暴走体の目が向いた。
(……マナに、反応してる?)
詠唱に乗せたマナの“揺らぎ”に、まるで獣のように。
次の瞬間、暴走体の腕が閃く。
「う、ぐっ……!」
術者の身体が弾かれ、制服が破れ、肌が紫に染まり始める。指先からは濁ったマナがじわじわとにじみ出し、揺れるように空間を濁らせていく。
──目が、濁った。
その瞳は、もう何も映していなかった。
(なんだ……暴走って、“伝播”するのか?)
理解が追いつかない。
けれど、背筋を這うような冷たい悪寒が、すべてを物語っていた。
触れれば、うつる。
「今の人、さっきまで普通だったのに!」
悲鳴。
恐怖に染まった声が、空間の空気を一変させる。
講堂の隅。よろめきながら立ち上がる別の生徒。焦点の合わない目。マナの流れが皮膚の下で暴れ、全身から紫の気配が滲み出す。
それを見た誰かが、声を上げた。
「やばい……うつる、マジでうつるんだ……!」
別の方向で、またひとり、膝をつきながら呻く。今しがたまで無傷だったはずの友人が、顔を覆って震えていた。手の隙間から覗いた目は──もう、人のものではなかった。
感染していく。
拡がっていく。
講堂の空気が変質する。
まるで“病気”が、そこに棲みついたように。
マナが、毒になる。
言葉も、詠唱も、助けようと伸ばした手すらも。
それらすべてが、感染源に変わっていく。
空気が震え、息すら吸うのが怖くなった。
(これはもう……事故なんかじゃない)
教室にひとり風邪を引いた生徒がいた日を思い出す。
翌日には、三人が咳をしはじめる。
さらに次の日には、教室が半分、沈黙する──
それと同じだった。
目の前で、今、それが現実になっていた。
そのとき、再び天井からセリーヌの声が落ちる。
「前言を修正します。全生徒、魔法の使用は──
極力、控えてください」
その声は冷えきっていた。
けれど、決して折れていなかった。
恐怖を、伝えないように──
調律されていた。
「暴走体は、マナの揺らぎに強く反応しています。また、暴走したマナに長時間触れた場合──特に“肉体的な接触”が継続した際に、暴走の連鎖が発生する恐れがあります」
「……無理だろ、そんなの!」
叫び声が広がる。
「魔法学院で魔法使うなって──どうしろってんだよ!」
「詠唱すらアウトって、詰んでんじゃん……!」
ざわめきが混乱に変わる。
焦燥、不信、恐怖。空気の粒子が、ぴりぴりと軋む。
それはまるで、マナそのものが“怯えている”かのようだった。
そして。
その中心で。
ユフィ先輩は、まだ──
俺を、誰とも知らない目で、見ていた。
名前も、想いも、届かないまま。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
https://ncode.syosetu.com/n8980jo/
「続きを読みたい!」と思っていただけた際は、ぜひ【★★★★★】の評価やコメントをいただけると嬉しいです。Twitter(X)でのご感想も励みになります!皆さまからの応援が、「もっと続きを書こう!」という力になりますので、どうぞよろしくお願いいたします!
@chocola_carlyle