22:10 職員室
職員室の扉を開けた瞬間、空気が変わった。
湿気はぴたりと止み、
書架には音すら吸い込まれるような、無音の重みが満ちていた。
張り詰めた緊張が、刃のように肌を撫でる。
まるで、室内そのものが「他者を拒絶している」ような気配。
──その奥に、男がひとり。
黒のマントに金糸の肩章。
背筋を伸ばし、書類を棚に戻す仕草すら無駄がない。
ただの一挙手一投足で、この部屋の“支配者”が誰かを悟らせる男だった。
「……クラウス副会長」
ユフィ先輩が、ほとんど息のような声で名を呼ぶ。
クラウス=ラグレイン。
学院生徒会の副会長にして、戦術魔導の最高位に立つ生徒。
背を向けたまま、彼は応じる。
「鍵は俺が開けた。祭の期間中、生徒会は職員室の合鍵を預かる」
そのまま、振り返ることなく問う。
「──お前たちの目的は」
無駄のない、刃のような声音だった。
俺は一歩、前に出た。
「植物園に向かいます。霊草が必要です。医務室の備蓄は底をつきました。怪我人を救うには、それしか手がありません」
沈黙が一拍。
クラウスはようやく顔をこちらへ向け──そのまま、命じる。
「戻れ」
命令の語調に、感情はなかった。
それは“拒絶”ではなく、“規律”だった。
「学内での不要な移動は禁止されている。
今は、“正しさ”より“統制”が命を守る」
「……でも、負傷者が──」
トールが声を上げかけた瞬間、
クラウスの視線が、無音で彼の胸を撃ち抜いた。
「善意だけで命は守れない。その甘さが、一人を救い、十人を危険に晒すこともある」
冷たい。
けれど──
言っていることは、どこまでも正しかった。
「お前たちが暴走すれば、誰が責任を取る?
お前たちが倒れれば、誰が代わりに助ける?」
「“動くこと”が常に正しいとは限らない」
俺は、言葉を失いかける。
けれど、俯かずに踏みとどまり──声を絞り出す。
「……俺は、ユフィ先輩を共鳴で救いました。
もう一度、きっと……やれます」
クラウスが、ようやくユフィ先輩を正面から見据えた。
その瞳に、同情はない。希望もない。
ただ、冷静な天秤のように、事実だけを測っていた。
「共鳴は博打だ。理論こそあれど、日常運用の前例はない。成功率も、再現性も、不明。暴走体のマナに触れれば、お前自身が呑まれる可能性もある」
誰も、即答できなかった。
ユフィ先輩は唇を噛み、視線を落とす。
俺の拳も、静かに震えていた。
──その沈黙を、破ったのは。
「……でも、副会長は一人で動いてるわけですよね」
トールの声だった。
低く、鋭く。だが、確かな意志を宿していた。
「俺たちには“危ないからやめろ”って言っておいて、
自分はその“博打”以上のリスクを背負って動いてる。
それって、矛盾してませんか?」
皮肉でも、反抗でもない。
ただ、彼の中の“筋”が黙っていられなかった。
クラウスは背を向けたまま、再び棚の整理を続け──
静かに告げる。
「……“魔封鍵”を探している」
その声に、無駄な装飾はなかった。
「暴走現象は、学院内部のマナ循環の異常と見ている。
根本を絶つには、マナの塔に干渉するしかない」
「──でも、あそこは生徒立入禁止区域」
俺が呟くと、クラウスは言葉を重ねる。
「だからこそ、“鍵”が必要だ。
正規手段でしか、突破は許されない」
理屈と使命を背中に背負い、それでもなお進もうとする姿勢。
彼は、ただ命令していたのではなかった。
“自分で引き受ける者の重さ”を、背中で語っていた。
だからこそ──俺は引かなかった。
「……なら、俺たちが動くことも、無駄じゃないはずです」
その言葉に、クラウスはふっと目を細めた。
「……止めても、動くだろうな」
小さな吐息のように、それだけを残し──命じる。
「動くなら、“痕跡”を残せ」
「魔封鍵を見つけたら、掲示板か避難所に目印を置け。
俺たち生徒会が後から回収に向かう」
それだけを言い残し、クラウスは奥へと姿を消した。
否定ではなかった。
ただ、“覚悟”を見極めていただけだった。
職員室に再び静けさが戻る。
俺は、握っていた拳をそっと解いた。
「……誰も動かないなら、俺たちが動くしかない」
「なーにが“責任”だよ」
トールが肩をすくめ、つぶやく。
「責任なんざ、後からでいい。
今、シーナを救わなきゃ、意味がねえ」
ユフィ先輩は、一度深く息を吐いて、顔を上げた。
「──行きましょう」
俺たちは、リーヴェン先生の机へと向かう。
静かに、引き出しを開けた。
そこにあったのは──
葉の形を象った銀の鍵。
植物園の管理鍵。
小さな鍵が、次の扉を、確かに──
開こうとしていた。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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