22:01 職員室前
植物園から職員室へ向かう廊下は、異様なまでに静まり返っていた。
足元の絨毯はところどころ裂け、壁際の照明結晶はヒビの入ったまま、不規則にチカチカと点滅している。その明滅が、まるで「ここから先は戻れない」と告げているようだった。
──そして、曲がり角の先。
“それ”が、いた。
白衣のようなものをまとい、頭を垂れたまま、壁際をふらつき歩く影。足の運びは不自然。濡れたような呼吸音だけが、廊下にぼそりぼそりと響いていた。
「……暴走体……」
ユフィ先輩が、小さく息を呑む。
俺たちは即座にしゃがみ込み、壁際の暗がりへと身を寄せた。息を潜め、足音を断ち──ただ、やり過ごすことに全神経を注ぐ。
暴走体は、こちらに気づかない。
マナの波も音もなければ、奴らは「存在そのもの」を感じ取れない。
ゆらり、ゆらり。
影は数歩だけ進むと、やがて廊下の角へと消えていった。
──沈黙。
「……わたしも、あんなふうになってたのかもしれない……」
ユフィ先輩が、ぽつりと呟く。
その声には微かな震えと──自己嫌悪に似た翳りがにじんでいた。
俺は、それを否定しなかった。
ただ、まっすぐに言葉を届けた。
「……何度忘れられても構いません。
そのたびに俺が“共鳴”します。
先輩を、必ず取り戻しますから」
ユフィ先輩の目が、わずかに揺れる。
何かを言いかけ──けれど、黙って小さく頷いた。
「──へいへい、ラブコメしてる場合かよ」
トールが、抑えた声で苦笑を漏らした。
「空気がピリついてんのに、砂糖ぶちまけんなって」
俺とユフィ先輩は、気恥ずかしさにそろって視線を逸らす。
でも、確かに──その軽口で、空気はほんの少し緩んでいた。
そして──俺たちは、職員室の前にたどり着いた。
「……あれ、鍵……開いてる?」
ユフィ先輩の声が、かすかに震えた。
鉄製のドアは、わずかに隙間を開けていた。
その隙間から、冷えきった空気がじわりと漏れている。
「まさか……誰かが戻ってきてた……?」
トールが警戒するように呟く。
俺は、廊下の奥と背後を確かめ、小さく息を吐いた。
「……入るしかない。ここで止まっても、鍵は手に入らない」
そのとき──
コン。
中から、何かが倒れるような音がした。
ピクリと全員の肩が揺れる。
──それきり、沈黙。
「……準備はいいか?」
俺は、ふたりに目を向ける。
「お前なぁ……さっきの影で、もう心臓三回止まったってのに」
トールはぼやきながら盾を軽く構えた。
その顔には笑みがあったが、瞳の奥は真剣そのものだった。
ユフィ先輩は、懐から小型ランタンを取り出し、静かに結晶灯を点す。
その指先が、ほんのわずかに震えているのを──俺は見逃さなかった。
「……この扉を開けたら、もう戻れないかもしれない」
それは、ふたりに向けてではなく──自分自身への言葉だった。
「でも……進まなきゃ、朝は来ない」
返事はなかった。
けれど、ふたりとも──確かに頷いた。
俺は、ドアノブに手をかける。
──カチャリ。
鉄の音が、やけに大きく響いた。
職員室の扉が、ゆっくりと開く。
──空気が、変わった。
焦げたような魔力の匂い。
術式の残滓が、まだ空間に漂っている。
引き出しは半端に開き、床には砕けた魔導具の破片が散乱していた。
まるで、ついさっきまで──
誰かがここで、何か“異常な実験”でもしていたかのように。
俺たちは、無言で目配せを交わしながら、
そっと、職員室の中へと足を踏み入れた。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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