22:24 医務室・奥のカーテン前
トールが左腕に鍋蓋を構え、もう一方の手でロウソクの火を絞った。
カーテンが、ゆっくりと揺れる。
その向こうから──
“それ”が、現れた。
白いローブ。
裂けた片袖から、赤黒く染まった血がにじむ。
腕は力なく垂れ、うなだれた首の奥で、濁った目だけが宙を彷徨っていた。
完全な暴走体ではない。
まだ、境界にいる。
だからこそ──
その声は、届いた。
「……オレ、が……守るって……言ったのに……」
乾いた音が、喉の奥から漏れる。
怒りでも悲しみでもなく、ただ──
未練だけが、声に染みついていた。
足元が、にじむように一歩踏み出す。
「来るぞ!」
トールが先に飛び出した。
両手に構えたトレーと鍋蓋をクロスさせ、突進してくる男の動線を、斜めから逸らす。
ガンッ──!
金属がぶつかる鈍い音。
振り下ろされかけた腕が逸れ、力の流れがずれた。
「セイル、足元だッ!」
「任せた!」
俺はすぐさま床のシーツをつかみ、滑るように放つ。
布が絡み、足元を奪われた男が前のめりに崩れ落ちた。
「今だッ!」
トールがカーテンを引き裂き、上半身に絡めて押さえ込む。
俺は棚から包帯を引き抜き、足をぐるぐると巻いて動きを封じた。
最後にトールが、鍋蓋を“楔”のように胸元へ押し当て、全身を床に抑え込む。
「行くぞ!」
「おう!」
俺たちは、残りの時間が尽きる前に──
医務室を飛び出した。
背後で、布が引き裂かれる音が響く。
拘束はまだ保たれている。だが、時間の問題だった。
そして──
問題はもう一つあった。
今の騒ぎで、別の“それ”を呼んでしまった。
「……まずい。このままだと……」
言い終える前に、わかった。
廊下の奥。
何かが、こちらへ近づいてくる。
足音はない。
ただ──ずりっ……しゃり……
濡れた床を何かが引きずるような音。
空気を撫でるような、粘つく衣擦れ。
重い吐息が、ほのかに混じっていた。
(……走れば、また寄ってくる……!)
「バリケードの……向こう……!」
トールが指した先、崩れた机やロッカーの隙間。
人ひとり──
いや、ふたりでも──ぎ
りぎり、滑り込める。
「滑り込むぞ。音、立てんなよ……!」
「了解……!」
ロウソクの火を手で覆い、呼吸を浅くする。
鼓動がうるさく聞こえるほど、張り詰めた静寂の中──
俺たちは、音もなく動いた。
家具の隙間に身体を滑り込ませ、膝を抱え、背を縮め、息を潜める。
──その直後だった。
ずっ、ずり……しゃっ……
音が、近づいてくる。
靴を引きずる音。
何かが粘るように床を這い、こちらへ迫ってくる。
来ている。確実に。
“魔法”は使えない。
使えば、マナの気配で一発アウトだ。
(……頼む……気づくな……!)
目を閉じ、音に全てを委ねる。
トールも一言も発さず、固く凍りついている。
──しゃりっ……。
指先をかすめるような空気のゆらぎ。
ほんの少し、動けば、終わる。
けれど──通り過ぎた。
音は、やがて遠ざかっていった。
「……ふぅ……マジで肝が冷えた……」
トールの息が、かすかに震える。
「……でも、まだ終わってない。急ごう」
崩れた木材と石材の隙間から、俺たちは這い出るように立ち上がる。
動作はゆっくりと、慎重に──
──そのときだった。
足に、冷たい感触が触れた。
まさか──!
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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