21:23 医務室・搬入口側
俺たちは、医務室の裏口にたどり着いた。
ドアは、わずかに開いていた。
そこから漏れ出る空気は、湿って、重かった。
血と薬品と、何かが腐ったような匂いが混ざり合い、喉の奥をざらつかせる。
「……開いてるのは、いい兆候じゃねぇな」
トールが低くつぶやく。
背中の鍋蓋をきしませながら、一歩、身をかがめた。
ロウソクの火を絞る。
ほの暗い橙の光が、空間をぎりぎりで照らす。
俺たちは、言葉を飲み込んだまま、そっと中に滑り込む──
──そして、目に飛び込んできた光景は、惨劇だった。
棚は倒れ、薬瓶が砕け、床にはポーション用の薬草が混ざった赤緑の液体が、まるで複数人分の血痕のように広がっている。壁には、乾いた飛沫の痕。何かがぶつかり、引きずられた跡もある。
「……これで強化された部屋かよ……」
トールが、呆れたように、それでいて押し殺した声で言った。
本来なら、医務室は暴動や事故に備えた補強構造のはずだった。
それがこの有様──
暴走体の力が、どれほどのものか、想像以上だった。
俺たちは、慎重に足を踏み入れ、瓦礫と薬瓶の間を縫って動き始めた。
「……こっち、初級ポーション。まだ使えるやつがあった」
棚の隅、奇跡的に落下を免れた一角。俺は、手を伸ばして赤いガラス瓶を一本、回収する。ヒビが入っていたが、中身は無事だ。
「消毒スプレー、こいつは生きてる」
トールが拾い上げた銀のスプレー缶を振ると、内部の液体がしゃば、と音を立てる。
「包帯、応急パッドもある。……最小限は揃ったな」
ロウソクの光が、砕けたガラス片に反射してきらめく。
その輝きは、不自然に明るく、まるで壊れた水面の残光のようだった。
「……よし、これで──」
俺が振り返ったその瞬間だった。
視界の端──
ベッドスペースの奥、仕切りのカーテンが。
ふわりと、動いた。
風は、ない。
窓は密閉されている。
俺たちは、いっさい触れていない。
けれど、カーテンは、まるで“誰か”がそこに立ち、吐息で揺らしたかのように──
ゆらり──と。
「……!」
呼吸が止まった。
空気が、急に重くなる。
トールも、すぐに気づいた。
鍋蓋を肩に構え、身を低くする。
無言で、俺と視線が合った。
互いに、何も言わない。
言葉なんていらなかった。
この先に──“それ”がいる。
そして、俺たちは、ここまで来た時点で、もう戻れない。
ロウソクの火が、カーテンの端をちらと照らす。
その奥に、何かがいる気配が、確かに──“ある”。
足音を殺しながら、俺は少し前に出る。
「……どうする?」
俺が囁くと、トールは、
あの無口なやつが珍しく、ゆっくり口角を上げた。
「……行くだろ。こういうときに逃げるヤツじゃないだろ、お前は」
俺は──
わずかに息を吐いた。
「お前もな」
次の瞬間。
カーテンの向こうから、“何か”が音を立てた。
──軋むような、湿った音。
──肉を引きずるような、ぬちり、という生の音。
俺たちは──
一歩を踏み出した。
この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。
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