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魔法学院の七共鳴  作者: チョコレ
序章 災厄の檻
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第1話 名前を、忘れた夜

 彼女は、笑って──

 俺を忘れた。


 それが、すべての始まりだった。


 魔法学院の秋の祭。最終日の夜、光が舞う講堂の片隅で、俺は彼女を抱きしめていた。けれどその直後、彼女は俺の名前を思い出せなかった。まるで最初から──

 俺なんて、存在していなかったかのように。


 ──


 音楽と歓声は遠ざかり、講堂には、舞台の幕が下りたあとの静けさが漂っていた。天井の魔法灯が、微かに揺れている。浮かんだ光の粒は、空へと溶けていく。残っていたのは、演舞の余熱と、かすかなマナの残響だけ。


 時刻は、二十時過ぎ。


 五日間にわたって、生徒たちだけで作り上げた学院祭が、ほんの数分前に終わりを迎えた。教員さえ姿を見せず、自主と自律を掲げて進められた祭典。その名残が、まだ講堂の隅に漂っている。


 ──それでも俺は、照明器具を抱えたまま、舞台袖から動けずにいた。


 壇上には、ひとりだけ。

 演目が終わってもなお、そこに立ち尽くしている影があった。


「……ユフィ先輩?」


 ユフィリア・カレンツィア。

 学院祭の実行委員長──

 通称、ユフィ先輩。

 誰よりも忙しくて、誰よりも笑っていた人。


 俺の、憧れの人。

 いや、“憧れ”なんて、軽すぎる。

 たぶん俺はもう、どうしようもなく、彼女のことが好きだった。


 月明かりに照らされて揺れる黒髪が、夜空みたいだと思った。ふとした仕草だけで、何度でも恋をしてしまうような人。自然体で、誰にでも分け隔てなく優しくて、それを「頑張ってる」なんて顔では絶対に見せない。


 そんな人が、俺みたいな地味なやつにも、普通に接してくれる。だから、ずるいと思った。たった一度、目が合って微笑んでくれただけで、「今日、生きててよかった」と思わせてくる。なのに、その次の瞬間にはもう、別の誰かの手伝いに向かっている。


 ──だから俺は、照明係に立候補した。

 少しでも、彼女のそばにいられるように。


「まだ残ってるんですか?もう全部、終わりましたよ」


 声をかけると、彼女はゆっくりと振り返り、照れたように笑った。


「うん。でも……ちょっとだけ、名残惜しくて」


 静かに舞台を見つめるその横顔には、達成感と、ほんの微かな寂しさがにじんでいた。


「成功でしたよ。後片付け班の俺が保証します」


 冗談のつもりだった。けれど返ってきた言葉は、思ったよりも真っ直ぐだった。


「ありがとう、セイル君。……あなたが裏で動いてくれてたの、ちゃんと知ってるよ」


 心臓が跳ねた。

 ただ、それだけの言葉なのに──

 胸の奥が、熱くなる。


「……なんか、変なの」


「え?」


 ユフィ先輩はふと視線を落とし、自分の指先を見つめていた。


「視界が揺れてる。頭もぼんやりしてて……それに」


 そう言って、彼女はそっと手を差し出す。


「見て。指先、変じゃない?」


 その手は、かすかに震えていた。

 指先に、ほの白い光が灯っている。

 淡いマナの粒が、空気の中でゆらめいている。


 ──マナの、乱れ。


 授業で見た「マナ暴走」の初期症状──

 局所的な活性化、体温上昇、意識の揺れ。


「……まさか、マナ暴走の初期反応……?学院祭でマナを使いすぎて、疲労が重なったから……?」


「わからない……でも……体が熱くて、脈が速くて……怖いの」


 その言葉に、かぶさるように──


 講堂の外から、甲高く引き裂かれるような悲鳴が響いた。


「きゃあああああっ!」


 背筋が凍った。


 反射的に、講堂の裏手へと駆け出す。

 視界が揺れるほどの緊張の中──


 そこに、倒れていたのは男子生徒だった。


 だらりと力の抜けた四肢。

 口元から、どす黒いマナが泡のように漏れ出している。

 肌はまだらに紫に染まり、焼け焦げたようにただれていた。


「……たす、け……て……」


 その声は、人間のものとは思えなかった。焦点の合わない瞳が、こちらをゆっくりと向く。口元がひきつるように開き、マナが──

 嗤うように、漏れ出した。


 マナの粒が空気をざらつかせ、呼吸のたびに空間が軋む。何かが、確実に壊れかけていた。


「う、わあああっ! 離れろ、暴走だ!」


 誰かが叫ぶ。


 ──暴走。


 授業では「マナの制御を誤った状態」と教わった。

 けれど、今目の前にあるのは──

 病に喰われた、“何か別のもの”だった。


「マナが暴れてる!」

「誰か、医療班を呼べ!」

「動きを止める魔法を!」


 怒号と足音が交錯し、講堂の空気が震える。


 俺は、舞台へと駆け戻った。


「ユフィ先輩、危ないです!すぐに離れて──!」


 舞台の中央。

 ユフィ先輩は、俯いたまま、小さくつぶやいた。


「……私も、暴走して……ああなっちゃうのかな」


 その声に、もう冗談の気配はなかった。指先に絡むマナはさっきより濃く、ゆらゆらと不安定に揺れている。涙が目に滲み、肩がこわばっていた。


(くそっ……何か、何か方法は──)


 焦る思考の隙間で、ふと授業の記憶がよみがえる。


「……最近、習いました。“共鳴”で、暴走の初期なら抑えられるって……」


「共鳴……?」


 ユフィ先輩が、かすかに俺を見る。


「……たしか、二年生のときに習った気がする。マナを重ねて、意識を交差させて……流れを整えるんだったよね……?」


 どこか、自分に言い聞かせるような口調だった。

 先輩らしさの裏に、不安がにじんでいた。


「理論上は、それで沈静化できるって言ってました。成功例は少ないけど──」


 俺がうなずくと、ユフィ先輩はわずかに息を吐いた。


「……今は、それしか思いつかなくて」


 その声が、かすかに震えていた。


「……どうすればいいの?」


 頼られた言葉に、胸の奥が跳ねる。

 喉が渇くのをこらえて、俺は答える。


「意識を合わせて、呼吸を整えて──

 マナの流れを、ゆっくり重ねていきます。

 感情を乱さず……互いのリズムを、感じるように」


 ぎこちなく、けれど覚悟を込めて──

 俺は、そっと手を差し出した。


 ──しかし、何も感じなかった。


(……反応が、ない?)


 掌に、マナの気配が届かない。


「……セイル君」


「まだ……大丈夫です。もう少し、続ければ──」


「違うの……」


 その声には、震えがあった。


「……ダメみたい。頭がざわざわして……視界も揺れて……私、自分が自分じゃなくなっていく気がするの。このまま、壊れちゃいそうで……」


「先輩……」


 俺の声も、震えていた。


「お願い……抱きしめて。こわいの、セイル君。私、自分がどうなっちゃうのか、分からなくて……」


 その震えは、声だけじゃなかった。


 俺は、喉の奥で息を飲んだ。


(逃げたい)


 正直、そう思った。

 この現実から目をそらして、見なかったふりをしたくなった。


 けれど──

 それはきっと、もっと怖い未来に繋がる。


 一歩、踏み出す。

 そっと、彼女に腕を伸ばした。


「……い、いきます」


 言った瞬間──

 ユフィ先輩が、俺の胸に飛び込んできた。


 小さな体が、ぴたりと俺に触れる。

 思わず、強く抱きしめた。


 制服越しに伝わる体温。頬に触れる、ふわりとした髪。花の香水と、汗の匂いが混ざった──“彼女の匂い”。


(……信じられない。憧れのユフィ先輩が、今、俺の腕の中に──)


 一瞬、思考が遠のく。

 けれどすぐに、呼吸を整える。

 今は、それどころじゃない。


 彼女の手が、俺の背中をぎゅっと掴んだ。


「……あったかい」


 その言葉が、耳元に落ちる。


 ──マナが、流れた。


 荒れていた流れが、静かに沈んでいく。

 まるで、荒波が引いていくように──

 穏やかに。


 講堂の空間が、わずかに変わった。


 光が、ふわりと広がる。

 そこだけが、時間の止まった別世界のようだった。


 ──これが、共鳴。


 俺たちは、しばらく動けなかった。


 けれど、やがて彼女がそっと身を離す。


「……ありがとうございます。助けてくれたんですね」


 そう微笑んだユフィ先輩。


 けれど──

 その視線は、俺をすり抜けるように、どこか遠くを見ていた。


「……ユフィ先輩?」


 彼女は、きょとんと首をかしげた。


「え……?あれ……?」


 戸惑いを浮かべながら、俺を見つめる。

 おそるおそる、言葉を探すように口を開いた。


「えっと……その、すみません。わたし……どうして、あなたに抱きしめられてたんですか?」


 静かに、胸の奥がざわついた。


「もしかして……私、倒れかけてたんですよね?それで、支えてくれた……?」


 その目に浮かぶのは、不安でも警戒でもなく──

 ただ純粋な、“理解できていない”という困惑だった。


 心臓が、きゅう、と軋む。


「……ユフィ先輩。俺のこと、わかりますか?」


「え……?」


 彼女は、小さく笑った。

 けれど──

 その笑みに、俺への“色”はなかった。


「……ごめんなさい。どなたでしたっけ?」


 その瞬間。

 胸の奥に、氷の針が突き刺さった。


 彼女は──

 俺を知らない。


「どうして……私の名前を知ってるんですか?」


 声が、出なかった。


 ついさっきまで、あんなにも近くにいたのに。

 俺の名前を呼んでくれた──

 その声が、もう消えていた。


 そのとき。


 講堂全体が、かすかに震えた。

 天井の魔法灯が明滅し、赤い非常灯が点滅を始める。


 外から鳴り響く、鋭い警報音。

 誰かが叫ぶ声が、かすかに聞こえてきた。


「上空に……魔法陣だ!」

「結界が、封鎖される──!」


 けれど、俺はそれを聞いていなかった。


 目の前のユフィ先輩が──

 “俺の名前を知らない”という現実のほうが、ずっと怖かった。

  ……どうして、こんなことに。


 こうして。

 名前を呼ばれない夜が、幕を開けた。

この物語の本編は、異世界ファンタジー『愚痴聞きのカーライル 〜女神に捧ぐ誓い〜』です。ぜひご覧いただき、お楽しみいただければ幸いです。


https://ncode.syosetu.com/n8980jo/


「続きを読みたい!」と思っていただけた際は、ぜひ【★★★★★】の評価やコメントをいただけると嬉しいです。Twitter(X)でのご感想も励みになります!皆さまからの応援が、「もっと続きを書こう!」という力になりますので、どうぞよろしくお願いいたします!


@chocola_carlyle

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