第二章:疑心暗鬼
### 2日目 朝
朝食の席で、黒川の姿がなかった。
「黒川さんはまだですか?」椎名が桜井教授に尋ねた。
「ああ、彼なら少し遅れると言っていた。何か考え事があるようでね」
朝食が終わっても黒川は現れなかった。
「様子を見てきましょうか」柏木医師が言った。
桜井教授と柏木医師が黒川の部屋に向かった。数分後、二人は青ざめた顔で戻ってきた。
「黒川さんが…」
全員が黒川の部屋へ駆けつけた。ドアは内側から鍵がかかっていた。
「また鍵を…」桜井教授は村上にマスターキーを求めた。
しかし、ドアを開けようとしても開かない。内側から何かでブロックされているようだった。
「これは…」
「窓から入るしかありません」西園寺が言った。
村上が2階の窓に梯子をかけ、椎名と桜井教授が窓から部屋に入った。
中に入ると、ドアは重い本棚で完全にブロックされていた。そして部屋の中央には、黒川の遺体が横たわっていた。彼の胸には深く刺された傷があった。
「完全な密室だ…」桜井教授がつぶやいた。「ドアは内側からブロックされ、窓は施錠されていた。いったいどうやって…」
柏木医師が遺体を調べた。「死亡推定時刻は、昨夜の11時から深夜1時の間でしょう」
「でも、その時間、黒川さんは私と同じ部屋にいたはずですよ!」桜井教授が言った。「私は確かに彼と話をし、それから眠りについた。朝、彼がいなかったので、少し遅れると言っていたのだと思ったんです」
「もし桜井先生の言う通りなら…」椎名は考え込んだ。「黒川さんは別の場所で殺され、その後ここに運ばれたということになります」
「しかし、ドアも窓も内側から閉められているんだぞ。どうやって?」西園寺が言った。
椎名は部屋を隅々まで調べ始めた。天井、床下、壁…何か手がかりはないか。
「これは…」椎名が天井の一角に気づいた。「天井の点検口が少しずれています」
そこには人がようやく通れるほどの点検口があり、わずかにずれていた。
「犯人はここから侵入したのか?」
「でも、この部屋の真上は…」村上が言いかけて止まった。
「3階の倉庫だ」椎名が言った。「村上さん、さっき言ってましたよね。隠し通路があるって」
村上は青ざめた。「だが、倉庫の鍵は私しか持っていない。それに…」
「確認しましょう」
一行は3階の倉庫へ向かった。倉庫の床には確かに点検口があり、そこから黒川の部屋へ侵入できることが分かった。
「しかし、この倉庫に入れるのは村上さんだけじゃないのか?」西園寺が疑わしげに村上を見た。
「いや、鍵は私が持っているが…」村上は焦った様子だった。「昨夜の停電の時、ブレーカーを直すために倉庫に来た。その時、鍵をドアに差したままにしていた可能性がある」
「つまり、誰でも倉庫に入れる状態だったということですね」椎名が言った。
全員の疑惑の目が互いに向けられた。
### 2日目 午後
リビングに集まった一行は、これまでの状況を整理していた。
「三つの殺人、すべて方法が異なりますね」柏木医師が言った。「深山さんは直接的な刺殺、立花さんは密室のバスルームで殺害、そして黒川さんは別の場所で殺されてから密室に運ばれた」
「なんのために?」水城が震える声で尋ねた。「なぜこんな…」
その時、椎名が気づいた。「ちょっと待ってください。深山さんの部屋にあった木箱…あれが気になります」
「どんな木箱だ?」西園寺が尋ねた。
「大きな木箱で、中には梱包材が入っていました。何か大きなものを運び込んだ跡のようでした」
「そういえば」村上が言った。「事件の前日、深山さんは特別便で大きな荷物を届けさせていましたよ」
「その荷物、見ましたか?」
「いいえ。深山さんは自分で受け取って、自室に運び込みました」
椎名は考え込んだ。「荷物の送り状は残っていますか?」
村上は事務所から送り状を持ってきた。送り主は「シアタープロップス社」という会社だった。
「シアタープロップス…」桜井教授がつぶやいた。「これは舞台道具の専門会社だ。特に精巧な人形や小道具を作ることで有名だ」
椎名と美咲が顔を見合わせた。
「人形…?」
「まさか…」椎名は目を見開いた。「深山さんの死体…いや、あれは本当に死体だったのか?」
「何を言っているんだ?」西園寺が声を荒げた。「柏木先生が確認したじゃないか」
「柏木先生」椎名が振り返った。「深山さんの死体、どのように確認しましたか?」
柏木医師は眉をひそめた。「脈拍と呼吸を確認し、体温も下がっていました。それに頸動脈からの出血も…」
「でも、よく見ましたか?触れましたか?」
「…そういえば、あの混乱の中で、詳しく調べはしなかったかもしれません」柏木医師は困惑した表情で言った。「顔は血で汚れ、識別が難しい状態でした」
「そして、その後すぐに立花さんが『社長の指示で、遺体は別室に移して安置します』と言って、村上さんと西園寺さんが遺体を運び出した」美咲が思い出した。
「そうだ…」村上が言った。「確かに、運んでいる時、体が妙に…」
「人形だったんだ!」椎名が叫んだ。「深山さんは自分の死を偽装した。精巧な人形を使って!」
「なぜそんなことを?」水城が尋ねた。
「完璧なアリバイのためです。『死んだ人間』が新たな殺人を犯すとは誰も思わない」
「しかし、彼はどこに隠れていたんだ?」桜井教授が尋ねた。
「村上さんの言った隠し通路…それに、昨夜の停電の時に感じた深山さんの香水の匂い。彼は生きている。そして…彼が犯人だ!」
「しかし、なぜ立花さんと黒川さんを?」
「立花さんは、深山さんの犯罪の証拠を持っていた。それを公表しようとしていた。黒川さんは…もしかして、深山さんが生きていることに気づいたのかもしれません」
「でも、どうやって確かめるんだ?」西園寺が言った。「彼が本当に生きているとしても」
「死体…いや、人形はどこに?」椎名が村上に尋ねた。
「冷蔵庫の中です。山を降りられるまで保存するため…」
「見せてください」
全員で冷蔵庫へ向かった。しかし、そこには何もなかった。
「消えた…?」村上は驚いた。「確かにここに…」
「深山が処分したんだ」椎名は言った。「証拠隠滅のために」
「しかし、まだ証拠が足りない」桜井教授が言った。「これだけでは…」
その時、激しいノックの音がした。全員が玄関へ駆けつけると、そこには二人の警察官が立っていた。
「警察だ!ドアを開けなさい!」
村上が驚いてドアを開けると、警官たちは雪まみれの状態で入ってきた。
「除雪車で何とかたどり着きました」年配の刑事が言った。「連絡が取れないため、確認に来たんです」
「殺人事件が起きました!」水城が叫んだ。「すでに三人が…」
「落ち着いてください」若い刑事が言った。「順番に説明を」
事態を把握した刑事たちは、即座に現場検証を始めた。
「深山一彦の遺体がないと?」年配の刑事が尋ねた。
「はい、おそらく彼は生きていて、自分の死を偽装したのではないかと考えています」椎名が説明した。
「なるほど…それは大胆な推理だな」刑事は考え込んだ。「では、館内を徹底的に捜索するとしよう」
### 2日目 夕方
警察の指示で、全員がリビングに集められた。
「捜索の結果、3階の倉庫と壁の間に隠れ家のような空間が見つかりました」若い刑事が報告した。「そこに生活の痕跡があります」
「深山が隠れていた場所か!」
「そして、これを見つけました」刑事はビニール袋に入った血のついたナイフを見せた。「立花さんを殺害した凶器と思われます」
「指紋は?」桜井教授が尋ねた。
「調査中です。しかし…」
突然、停電が起きた。
「また停電だ!」
「全員、動かないで!」年配の刑事が叫んだ。
しかし、混乱の中で何かが倒れる音がした。そして、誰かが悲鳴を上げた。
「明かりを!」
村上が懐中電灯を取り出し、辺りを照らした。その光の中、年配の刑事が床に倒れていた。背中にナイフが刺さっていた。
「刑事さん!」
柏木医師が駆け寄ったが、すでに手遅れだった。
「彼は死んでいる…」
若い刑事が銃を構えた。「誰も動くな!全員、壁際に並べ!」
全員が壁に並ばされ、若い刑事は一人一人を調べた。
「誰も武器は持っていないようだ…」
その時、村上の懐中電灯が3階の階段の方を照らした。そこに、一瞬だけ影が見えた。
「あそこだ!」椎名が叫んだ。
若い刑事がその方向に駆け出した。しかし、暗闇の中、追跡は難しかった。
5分後、電気が復旧した。若い刑事は戻ってきた。
「逃げられました…」
「やはり深山が生きているんだ」椎名は言った。
「だが、まだ証拠が足りない」若い刑事は言った。「彼が犯人だと決めつけるには…」
「もう一度、館内を徹底的に捜索しましょう」桜井教授が提案した。
### 2日目 夜
捜索は続けられたが、深山の姿は見つからなかった。
「こんなに大きな屋敷の中では、見つけるのは至難の業です」若い刑事は言った。「しかし、明日の朝には応援が来ます」
「今夜は特に警戒が必要ですね」椎名が言った。
「ええ。今夜は全員、この大広間で過ごしましょう。一人になることは危険です」
全員がリビングに布団を敷き、交代で見張りをすることになった。
椎名と美咲は小声で話していた。
「本当に深山が犯人なのかな」美咲が心配そうに言った。
「ほぼ間違いないよ」椎名は言った。「でも、まだいくつか解明できていない点がある。特に立花さんの密室殺人のトリックと、黒川さんの死体の移動方法…」
「立花さんは、バスルームで殺されたんだよね。窓は内側から鍵がかかっていた」
「そう。それに彼女が死んだ後に、彼女の声が聞こえたという証言もある」
「録音された声…でも、どうやって再生したんだろう?」
「それに、黒川さんは別の場所で殺されて、密室に運ばれた。その後、内側から施錠されたドアをブロックした…」
その時、美咲が何かに気づいた。「零、思い出して。深山さんの部屋にあった香水…」
「ああ、特注品の香水だったね」
「それから、立花さんのことだけど…」美咲が何かを言いかけたとき、突然、全館の電気が消えた。
完全な暗闇が訪れた。
「また停電だ!」
「明かりを!」
村上が懐中電灯を取り出そうとしたが、見つからなかった。「懐中電灯がない!」
その時、誰かが悲鳴を上げた。
「何が起きた!?」
若い刑事が叫んだ。「皆、動かないで!」
数分後、非常用発電機が起動し、薄暗い明かりが灯った。
全員が無事だった。しかし…
「あれ?」美咲が指さした。「壁に何か…」
壁には赤い文字で次のように書かれていた。
「城崎の復讐は終わらない」
「これは…血文字?」西園寺が震えながら言った。
若い刑事が確認した。「いや、赤いペンキのようです」
「深山の挑発か…」桜井教授がつぶやいた。
「しかし、なぜ彼は我々を殺さなかったんだ?」西園寺が尋ねた。「チャンスはあったはずだ」
「おそらく…誰か特定の人物を狙っているのでしょう」椎名が言った。「城崎さんの件に関わった人物を」
「それは我々全員じゃないのか?」村上が言った。
「いいえ、直接的に関わった人と、間接的に関わった人がいるはずです」椎名は言った。「私には、深山さんには特定の標的がいるように思えます」
その夜、誰も眠れなかった。