リコリス健康診断編
健康とは即ち健全なる心である。
抑圧は毒。禁欲は病。
人はいつか死ぬ。
であればどう死ぬかより、どう生きてきたか。
健康診断では診られない心を、君たちは大切にしているかい?
良い子のみんなは心身共に健康であれ。
リコリス、アンタのことだよ。(激おこ!)
人物紹介
・リコリス
→中卒労働者。日々の生活費を稼ぐべく身を切る思いで働いている。業績はあまりよくないが労働時間はぶっちぎりで一位。でも勤め先では賃金に残業代が一銭も当てられてないことを彼は知らない。残業、するだけ無駄なんよ……。それはそうと何もしてないのにパソコンを壊す名手なので、同じ課の人間からはモンスターと呼ばれている。何もしてないわけないじゃーん。
・医者
→多分ヤブ医者。年功序列でしか偉さを語れない悲しき病院の負の遺産。看護婦に鼻の下を伸ばす年頃の爺ちゃん。
・上司(2代目)
→リコリスの上司。1代目は行方不明になった。2代目は苦労人気質。中間管理職はつらいね。
***
この日は職場の定期健康診断だった。
消毒液の独特な匂いがこもる診察室。
リコリスは丸椅子に座り、カルテを読む医者の一挙一動に固唾を飲んでその時を待っていた。
緊張が張り詰める中、医者の老人は険しい顔つきで通達した。
「リコリスさん。こりゃもうダメですね。」
「先生、俺はどこか悪いんですか!?」
「うぅん………。頭かな?」
看護師の張り手が医者の頬を軽快に打った。
「お爺ちゃん、老人ホームは向かい側ですよ。」
「まあ待ちたまえ。違うんだ。馬鹿にしたわけじゃ無いんだよ。脳に悪性の腫瘍があってね。広義的な意味では頭が悪いとも言えるだろう?」
「頭が、悪い……ッ!?」
リコリスは衝撃を受けた。
「まさか俺の学歴が低いのも……!?」
「それは普通に学力の差だね。」
「じゃあ賃金が低いのも……!!」
「学歴じゃね?」
「そうか……俺、ガンにやられてたんだ………!!」
「もう話進めていい?」
「はい。」
医者はカルテをめくり、データを取り込んだパソコンを見せた。
「これエコーの結果ね。」
「誰の頭がエコノミーだって!?」
「ハハ。………で、この黒い影が腫瘍。」
「ガンですか!?」
「そう。」
「ステージは……!?」
「アラフォーだね。高齢化の波が来てる。」
「そんな………」
リコリスは膝から崩れ落ちた。
彼は生まれてこの方、がむしゃらに生きてきた。
時にゲームに励み、時に親孝行し、時に蟻の巣をほじくって遊ぶ純粋無垢な大人だった。
仁義を重んじ、いついかなる時も悪事に手を染めず真っ当に送る人生。
ちょっと上司をコンクリ詰めにしたり東京湾に沈めたりはしたが、人道に悖る行いは神に誓ってやってない。
ちなみに神は第3話で殺した。
リコリスはハッと我に返って医者に詰め寄った。
「先生、このガンは治るんですか!?」
「無理だね。終活しよっか。」
「今から入れる保険は……?」
「ないよ。」
「がびーん!!!」
リコリスはショックで泡を噴き倒れた。
医者と看護師は顔を見合わせると、それぞれ腕と足を持って表に捨てるのだった。
それから翌日のことである。
職場に出勤したリコリスは無敵だった。
デスクに足を乗せ、偉そうに足を組んでリクライニングシートに背を預けている。
パソコンは上司のデスクにどけてきたのでいい見晴らしだ。
そんなリコリスのあまりの豹変ぶりに上司は恐れ慄くが、それはそれとして業務は遂行しなければならない。
とりあえず簡単なタスクを振ってみた。
「おいリコリス。先方に打ち合わせのデータ送っといてくれ。」
言われるや否や、リコリスはひっくり返るように顔だけ上司へと振り返った。
すると何を思ったのか徐に指を鳴らし、フッとニヒルに笑った。
見つめ合う二人。
痛々しい沈黙が永遠のように続く。
それから特に何かが起こるでも無く、リコリスは天井のシミを指差し、素数で数え始めた。
「…………??????」
上司の脳は一瞬にして処理の限界を迎えた。
「………リコリス?」
「あは。あのシミとあのシミを結ぶと夏の大三角形が現れるんだ。かわいいね。」
「すまなかった。お前、働きすぎたんだな。ゆっくり休んでくれ。」
上司はげっそりと老けたような顔でその場を去っていった。
その背中はどこか煤けていた。
その日リコリスは持ち込んでいた七輪でししゃもを焼いて食い、そのまま帰った。
定時退社最高。
社内は煙臭くなったとかならなかったとか。
翌朝である。
熟練社畜リコリスの朝は早い。
知らず知らずのうちに止めた3度目のアラームのスヌーズによって目覚めた午前10時。
清々しい寝覚めには大いなるリポビタンが必要であった。
リコリスは冷蔵庫から牛乳を取り出すとリポビタンで叩き割って特製カクテルを作り、そのまま嚥下。
訪れる至福の時間はまるでスーパーでトイレだけ借りて去るような快感だった。
こうしてカフェインがリコリスの脳内で跳ね回る頃、時計の針は12時を知らせていた。
「やべ。トリップしてた。」
リコリスは時計に指を突っ込んで針を7時に戻す。
「これでよし。出社するか。」
リコリスは仕事が楽しみすぎてパジャマにネクタイだけ巻いて手ぶらで家を飛び出したのだった。
それから電車に揺られて30分。
気がつくとリコリスは病院に着いていた。
「ありゃ?道間違えた。まあいいや。今日は医者になろっと。」
仕事に貴賎無し。
リコリスは熟練の社畜なのでその日その日で勤め先が変わるのである。
あらゆる仕事で培ってきた技術を駆使すれば医師免許なんてなんぼのもんじゃい。
誰よりも職業を平等に扱う。
これがリコリスなのだ。
一先ずリコリスは近くの診察室に入っていった。
「へい大将。やってるぅ?」
声をかけつつ中に入ると、そこには見覚えのある顔があった。
なんの偶然か、健康診断の時の医者が居たのだ。
彼は突然のリコリス襲来にこれ以上ない嫌な顔をした。
「げ。末期ガンの。」
「おー!この前の先生じゃーん!おひさっち〜!」
「今日予約入ってないけどどうしたのかね。」
「健康診断しにきたよ!」
「もうしたじゃん。君は死ぬの。いい?」
「いやいやセンセー。俺は健康診断されたいんじゃなくて、したいの!」
「いかん。脳が酸欠起こして錯乱しておる!!誰か!!!!」
リコリスはムッとして医者の襟首を掴んだ。
「俺は正気だ!!」
「1+1は?」
「log 8πhv ³あへぇ」
「緊急外来!!」
医者は迷いなくナースコールを押した。
現れた黒服によってリコリスは取り押さえられ、ストレッチャーに繋がれる。
あれよあれよという間にリコリスは手術室に運ばれ、医者はメスを取っていた。
「それでは手術を開始します。」
「いたくしないで………」
「麻酔したから大丈夫。」
「ほな大丈夫かぁ〜!」
「で、助手くん。麻酔入れたのに何でこの社畜おじさんバチバチに目が覚めてるの?」
「不眠症じゃないですか?知らんけど。」
医者は無言で麻酔3000倍にした。
そして114,514時間に及ぶ大手術によりリコリスは一命を取り留めたのだった。
人物紹介
リコリス
→術後、リコリスは起業した。末期ガンを治してくれた医者への感謝の意から医療系従事者への支援機構を作り、日本の医療を10年進めたと後世で語り継がれている。あれから100年。リコリスは今、渋谷の商業廃墟ビルに身を潜めていた。
「先生………あの時の手術、一体俺になにをしたんですか。」
リコリスは己の肉体を見下ろした。皮膚は経年劣化でハゲ落ち、その隙間から青黒い筋繊維が見え隠れしている。ふと落ちていた手鏡に目を向ければ、悍ましい朽ちかけの怪物が写っていた。その時、物陰から小さな光が溢れた。マズルフラッシュだ。遅れて炸裂音が鳴り響き、リコリスの背を徹甲弾が撃ち抜いた。リコリスは痛みに歯を食いしばりつつ、転がるように振り返り、腰のホルスターから拳銃をクイックドロウ。立て続けに4発撃ち込み、路地裏に逃げ込んだ。
「くそ、公安め。もう居場所を突き止めたか。」
リコリスは振り返らない。敵の影はもう後ろに来ているのだから。残弾5発。最早これまでか。刹那、かつての記憶がリコリスの脳裏に蘇る。社畜時代の暗黒期。術後のリハビリ。そして謎多き主治医。
「先生………恨みますよ。」
リコリスは安寧のため、そして今は亡きドクターの名誉のため、夜の街を駆けて行くのだった。
リコリスはリアルでも社畜サイボーグなんでこれはノンフィクションです。