アメリア・ノイザスは極めて優秀な生徒である。
アメリア・ノイザスは極めて優秀な生徒である。
イーダ国内随一の名門校であるイザナイア学園に通い、その筆記テストにおける成績は常に学年首席。
男爵令嬢という貴族の中でも低い位に生まれながらもその身に宿す魔力量は高位貴族と肩を並べ、魔法実技の試験においても緻密なコントロールで高成績を叩き出す。
授業態度、生活態度は『優良』をキープし、さらに幻の魔法とまで言われている魔物特攻の魔法、光魔法の使い手である。
緩くウェーブがかかる肩までのストロベリーブロンドは柔らかにきらめき、透けるような白い肌に口紅要らずの艶やかな唇、少し幼げな顔立ちに大きな丸い翠玉の瞳は絶妙なバランスで整っている。誰もが可愛らしいと評するその少女は気さくで親しみがあり、美しい所作に加えて他人を思いやれる優しい心の持ち主である、と学園の他生徒は彼女のことをそう表すだろう。
いや、少なくとも1週間前までは誰もがそう評していた。
「殿下っ、おはようございます!今日も素敵ですね、好きです顔と声と性格ドンピシャです。ああ、動悸息切れ目眩が。今日の香りはウーバイヤーですか?昨日のキーラインもよくお似合いでしたけど殿下の凛々しくも優しいお人柄が良く表現されていますね。結婚しませんか?」
「責任者を呼べ」
アメリア・ノイザスは極めて優秀な生徒である。────そう、極めて優秀な、はずだった。
**
事の始まりは数ヶ月前。
学園の1年生であるアメリアは初めての魔法実技大会に参加していた。
魔法実技大会とは、学年ごとに選ばれた生徒がトーナメント形式で相手と戦い勝ち上がっていくイベントの事である。年に1度行われるこの大会は、将来有望な子供たちを視察する為に毎年国中から様々な立場の人間が訪れていた。
しかし準決勝戦で、飛行型魔法生物、通称ドラゴンが試合会場に乱入してきたのだ。すぐに試合中の生徒が対応し追い返すことが出来たため事なきを得たのだが、国の要人が集まる中での騒ぎはしばらく収まらず、結果的に大会は中止となった。
そしてその時にドラゴンを追い返した生徒こそが今アメリアが猛アタックしている隣国ラフタリアから留学中の第三王子、ベイリーだったのである。
「───そう、そしてあなたがドラゴンをこちらに来させまいと膨大な魔力で風を操り、ついに追い返しました。無事その場は落ち着きましたが、追い返す際競技場の足場や柵などが風によって少し破壊され、宙を舞ったのを覚えていらっしゃいますか?その時、客席の前の方にいた私にもあなたが良く見えました。そして、瓦礫が私の頬をスレスレで飛んでいったのです。ええ、その時のことは今でも鮮明に思い出せます」
学園のサロンで優雅にお茶を飲みながら話すアメリアに、その正面に座るベイリーは絶賛混乱中であった。
あれ、おかしい。
この話し合いは1週間前から「一目惚れ」とかいう訳の分からない理由で突然自分に結婚を申し込に始めた男爵令嬢に、どんな目的で近づいて来たのかという情聴取的なアレだったのに。
いくら留学が許可されるような友好国であっても、なんの接点もない相手がいきなり訳の分からない言い分で近付いて来たら警戒するのは当たり前である。普段であれば男爵令嬢に対して自ら対処することなど有り得ないが、今回は少々相手が特殊なこともあって放課後にこの話し合いという名の尋問の時間を設けたのだ。
しかし蓋を開けてみればただ目の前のご令嬢の思い出話を聞くだけの会になっている。今の所家の確執も策略も無ければ政略という文字も見当たらない。ていうか微塵もない。さらに言うなら俺に対する好感度がマイナスになる要素しか出てきていないんだが。
そんな若干パニックを起こしているベイリーに構うことなく、アメリアは次に話を進めた。
「生徒や教師たちの悲鳴が飛び交い、試合会場はまさに狂瀾怒濤の阿鼻叫喚。ですが私はドラゴンに恐れることなく立ち向かうあなたの勇姿から目が離せませんでした。そして風圧や瓦礫が崩れる音とともに飛んできた破片が私の頬をかすった時に感じた、心臓を激しく波打つ鼓動。この身を焦がすような衝動。その時、私は気が付いたのです」
ほうっと手を胸に当てながら息を吐く仕草は美しい。
「そうか、これが──恋なのだと」
ベイリーはもうどうしていいか分からなくなった。
「恐怖では?物理的な恐怖による心拍数の増加と圧倒的魔力量による本能的な筋肉の緊張では?」
「あんな胸の高鳴りは生まれて初めてでした。その時私は思ったのです。ああ、この人のお嫁さんになりたい、と」
「思考回路がおかしい」
「幸い私は優等生であり学園での信頼は厚い。教師を唆して私に殿下の学園でのサポートを申し付けさせることなど赤子の手をひねるより容易い事でした。きっとその為に私は今まで努力していたんだわ」
「唆す言うな」
「そして殿下のおそばにいると愛おしさが留まることを知りません。ふとした瞬間や動作にときめくのです。そして思いました。この人と結婚したい、と」
ベイリーはもうどうしていいか分からなくなった。
求む常識。急募良識。
まさかの恋バナだった。しかも結構押しの強い。
「…………………分かった。いや分からんがとりあえず分かった」
「そうやってとりあえず先に進めようとするのも流石です」
「この際お前の情緒も狂った思考回路もどうでもい………どうでもいい」
「1回飲み込もうとして飲み込めなかったけれど、そのまま押し切るその意志の強さ素敵ですっ」
「まず自分の立場を理解しているか?仮にも俺は他国の王族だぞ」
「愛に立場は関係ありません──と言いたいところですが、確かに私たちの愛を阻む最大の壁は身分差です。貴族とはいえ私は男爵位の娘。王族と男爵位の結婚は前例がありません。きっと議会もそう簡単に許可は出さないでしょう。────けれど私にはそれを補って有り余る能力と実績、将来性があります」
「そしてそれを上回る問題が性格と倫理観だな」
「まあ殿下ったら、そんなものいくらでも取り繕えますよ。なんの問題もありません」
問題しかないだろ。むしろ致命的だ。
ベイリーはそんなセリフを飲み込んだ。
「問題しかないだろ。むしろ致命的だ」
「あら、飲み込めていない殿下も素敵。この世の大抵の事は猫を被っておけば何とかなりますよ。というか貴族社会なんて本音を見せた所からやられていく一種のゲームのようなものでしょう。その辺は殿下の方がよくお分かりかと思いますけど」
ぐうの音も出なかった。
「ぐう」
「素直なところもお可愛らしいです」
指で眉間のしわを解しながらベイリーは考える。どうすればこのぶっ飛んだご令嬢にお引き取り願えるのか。
「………イザナイア校を留学先に選ぶにあたって事前に法や内情を調べたが、この国のシステムはしっかり機能している。いくらあなたが特殊な立場にいるとはいえ、そう簡単に一人の人間が覆せるような体制ではない。むしろ俺はアメリア嬢がこの歳まで国に囲われず学園に通っていることを不思議に感じている」
ここまで利用価値の高い人間はそう居ない。優秀さは学園に入るまで露呈しなかったとしても、光魔法の使い手であることは早い段階から分かっていたはずだ。光魔法は他の魔法に比べ圧倒的に魔物に強く、もはや魔物特効の魔法と言っても差し支えない。加えて顔の造形が整っていることも使いようによっては良い駒となる。国としてはすぐさま保護もとい囲い込みに踏み切るのが最善で一般的であるが、見る限りアメリアはそういった制限を受けていない。歳の近い王子がいるのにも関わらずだ。
自国であれば早々に男爵家から取り上げ、高位貴族の養子としたのち皇族と婚約を結ばせるだろう。それが一番手っ取り早い。
「そうですね、ご存知ですか殿下。私は顔が良いんです」
「見ればわかる」
「ほんとうに可愛いんです」
「知っている」
「可愛ければ大抵の事は許されるんですよ」
「それがまかり通る国など滅んでしまえ」
「まあ辛辣っ」
冗談ですよ冗談、ちょっとしたジョークです。
語尾にハートマークを付けててへっ、と笑うアメリアにベイリーは己の額に青筋が浮かんだのが分かった。
「……アメリア嬢」
「失礼しました。正直、お国柄というのが1番大きいと思います。うちはなんというか緩いのか厳しいのかよく分からない国でして。政略結婚なんて今時流行らないと考える貴族が大半ですし、そうやって結婚させたとして婚後万が一揉めたらそちらの方が面倒だと考える方が多いですね。もちろんどこか高位貴族の養子にという話もあったんですが、ちょうどその時期にうちの第二王子が婚約破棄されたりその婚約破棄したご令嬢が魔王に嫁いだりとバタバタしてたので流れました」
「は?」
「または全力で流したともいいます」
「は?」
「代わりにこの国から出ていかないことを条件に、ある程度の自由を得ました。結婚相手しかり、学園に通うことしかり。もともと私が優秀であることはわかっていましたから、このイーダから出ることは無い以上学園でさらに光魔法の精度を高めるか、高位貴族のどなたかと恋に落ちてくれれば万々歳と言ったところでしょうか。何故か今年は要職のご子息が多数在籍していますし。まあ私はあなたに落ちてしまいましたけどね!」
うふふふと何が楽しいのか頬を紅潮させて笑うアメリアにいよいよ頭痛が酷くなってきた。
いや笑い事じゃないんだわ。
切実に誰か助けて欲しい。こんなに逃げてえと思ったのは自国の騎士団長の不倫現場を目撃してしまった時以来である。あれは濃厚なキッスだったな。
現実逃避しても目の前の脅威が去る訳でもなし、ベイリーはこの理解不能な生物と対峙すべく目頭に力を込めた。
「……1度状況を整理させて頂こう。誤りがあれば教えて欲しいが、それ以外は悪いが黙っていて貰えるか」
「かしこまりました殿下。押しに流されずしっかり対応なさるそのお姿に胸がときめきますね」
「ステイだアメリア嬢」
「わんっ」
ポチは元気だろうか。
城の庭師が飼っている犬のポチはそろそろ高齢だから、うんと可愛がってやらなければ。定期検診に引っかかっていなければいいが。
今は遠いポチに思いを馳せるほど全てを投げ出したいと思ったのは騎士団長が奥方に頭を踏まれているのを目撃した時以来である。
恐らく不倫がバレたのだろう、彼の頬には真っ赤な紅葉が咲いていたな。
「とりあえずあなたの要求は俺との婚や」
「いえ一生涯を支え合う結婚です」
「ステイ。……結婚をすること。ただし俺は隣国ラフタリアの王族であり、あなたはこの国の男爵令嬢だ。あなたはこの身分差をその能力と実績で補うと言うが、いくら光魔法の使い手であり学園で優秀な成績を収めていたとしても身分の差は埋まらない。加えてこの国から出る事もできないのだろう?であればなおさら結婚などもっての外だ。俺にはあなたがなぜこんなに堂々としていられるのか全く理解できない」
そう、アメリアは割と無茶な要求を突きつけているにも関わらず一切悪びれた様子がない。なんなら謙虚さもない。あと常識もない。
「殿下の疑問は最もです。あなたは聡明な方ですから、愛のパワーだの私の顔が可愛いからだの言っても納得なさらないでしょう。ですので一つ一つ殿下の懸念点にお答えします」
「いや誰でも納得しないと思うが。あと別に懸念してる訳じゃない。なんならこのまま話を流してもらってもなんの問題もない。むしろ歓迎しよう」
「ご遠慮なさらないで。あなたのお悩みが晴れるまでしっかりお付き合いさせて頂きます。ではまずこちらをお手に取ってご覧下さい」
そう言ってどこからかアメリアが差し出したのは30ページはあろうかという書類の束である。長辺とじ両面刷りである。
ベイリーは一瞬授業用の資料かな、と思ったが、冊子の表面にデカデカと書かれたタイトル『ベイリー・ラフタリアとアメリア・ノイザスの婚姻における障害とその解決法』を見てなんかやべえ物が出てきたな、と思った。ぶっちゃけ処理落ちした。未知との遭遇である。
「ちょっ……………………と待てアメリア嬢」
「わんっ」
「いやステイじゃなくて」
恐る恐るもう一度差し出された書類を見る。『ベイリー・ラフタリアとアメリア・ノイザスの婚姻における障害とその解決法』と書かれている。しかもやたらと綺麗なレタリングである。なんかすごい無駄な技術だと思った。
「まあ殿下ったら、そんな怯えた顔をなさらないで。まるで魔物を見るような目だわ」
「いや魔物より怖いが?」
「ご冗談がお上手ですね!」
「いや冗談とかではなくて」
「ではこちらの資料3ページをご覧下さい」
「聞きもしない」
少しはこちらにに耳を傾けて欲しい。曲がりなりにもお前が求婚している相手だぞ。
再々度『ベイリー・ラフタリアとアメリア・ノイザスの婚姻における障害とその解決法』に目を向ける。
全力で突き返したい衝動を抑えて恐る恐る手を伸ばした。放っておくともっととんでもねえ何かが出てきそうだったので。
ベイリーは必死に恐怖心から目を逸らし『ベイリー・ラフタリアとアメリア・ノイザスの婚姻における障害とその解決法』の3ページ目を開く。
開いた瞬間、無駄に綺麗なレタリングの『身分差について』というタイトルが目に飛び込んできた。
「まずご覧のトピックについてですが、これに関しては至極簡単なことです。殿下も仰っていたではありませんか、利用価値の高い子供が高位貴族の養子に迎え入れられることは珍しくない。今までは硬っ苦しいことなぞしたくないがために男爵家から出ることはありませんでしたが、そんな制限あなたを手に入れるためには些事なこと。幸い私は可愛くて光魔法が使えて優秀ですから、新しい家名などよりどりみどりです」
アメリアは資料を指しながらすらすらプレゼンを始めた。
その流暢な喋りと見やすく要点をまとめられた資料に、ベイリーはそういえばこいつ首席だったなと思い出した。
馬鹿と天才は紙一重というが、なるほど言い得て妙である。アメリアが馬鹿と言えるかは置いておいて、変人であることに変わりはないので。
「さらに左下のリストをご覧下さい。こちらがそのよりどりみどりのおうちリストです。私としてはこちらの公爵家が1番の候補ですが、もし殿下が否と仰るなら別の家でも構いません」
促されページの左下を見ると、そこには隣国の王族がよく知っている名がずらりと並んでいた。要するにものすごい名家である。そしてそのリストの1番上には太字でアメリアの一押しらしい公爵家の名前があった。ラフタリア含む諸外国との外交を担う家で、知っているどころか挨拶をしたこともある。顔合わせも安心ですよってか。ベイリーはアメリアの考えがわかって来たことが心底嫌だなと思った。
「……優秀であり特異な能力を持つ人物を迎え入れることは確かに利益を生むが、それは同時に問題事を抱えるという事に他ならない。あなたはよりどりみどりだと言うが、果たしてこのリストの方々はあなたを快く受け入れてくれるだろうか。あなたも自分が原因で仲が擦れるなどあれば心苦しいだろう」
「まあ、私の心配もして下さるなんてお優しい。ありがとうございます。けれどなんの問題もございません、殿下」
スパッと断言してアメリアは笑った。
「………そういう訳にはいくまい」
「なんの問題もございません」
にっこり、花が綻ぶように笑った。
ベイリーはなんだか嫌な予感がした。
そのままアメリアは歌うように言葉を紡ぐ。
「愛しい殿下。そもそもあの魔法実技大会が開催され恋に落ちたのは二ヶ月前だったにも関わらず、私があなたに結婚を申し込み始めたのは一週間前です。さて私はこの間、一体何をしていたと思いますか?」
ベイリーに一目惚れしたのは二ヶ月前。接触してきたのは一週間前。ではこの1ヶ月と3週間の空白はなんだ。ここまで推しが強くて人の話を聞かなくて自分の意見を貫き通すアメリアが1ヶ月と3週間もの間表立って動かなかったのは何故だ。
ドッ、とベイリーの心臓が音を立て鳴った。
ついでに汗もドッと噴き出した。
「まさか…………」
にっこり輝かしい笑顔のままアメリアが促す。
「次のページをご覧下さい」
ベイリーは震える手でページをめくった。
そこにはこの国の最高爵位を賜わる公爵家の判。
その判が押された書類にはアメリアが望む場合、彼女を養子として迎え入れるという旨が記されていた。
次のページをめくる。
そこにはアメリアの実父、ノイザス男爵の判。内容はアメリアを公爵家へと養子へ出すことの了承。
次のページをめくる。
そこにはこの国を象徴する金の印璽が────
「いやもう十分!!というか印璽!?!?」
印璽って国王陛下が使う国を象徴する印では。
「おまっ、国王陛下まで巻き込んだのか!!」
「まあ、人聞きの悪いこと仰らないで!そもそも私の立場上陛下の許可が必要です。むしろ無断で進めることのほうが問題だわ!」
そうだけども。そうかもしれないけどね!
「まあぶっちゃけますとこの1ヶ月と3週間、根回しに勤しんでました!」
ペカーといい笑顔。
じゃねーんだわ。
「順序が逆ッ!!」
普通互いの合意が先だろ普通。
殿下は少し真面目すぎるかもしれませんね、素晴らしいことではありますが時には型に囚われない考え方も大切ですよと仰っていた教育係もまさかこんな型破りなご令嬢がいるなんて思ってもみなかっただろうな。型破りにも程がある。
「先に陛下に了承を得てしまえばこちらのものかと思いまして。まあ公爵家の養子にしてしまえばよりこの国に縛り付けられますからね、時間はかかりましたがそう難しいことではありませんでした。そしてここからもう1つの懸念点、わたしがこの国から出られないことについてですが」
「ああ、そういえばそれもあったな……色々衝撃的で頭から抜けていた……」
「まあっ、私のことで頭がいっぱいだなんてそんな!殿下ったらお上手ですね!」
「……ステイ」
「疲れきった殿下も素敵。さて私がこの国から出られないことについてですが、こちらに関しては私が継ぐ領がありますので、」
またもやペカーと眩しい笑顔でアメリアは言った。
「婿入り可です!」
「あ俺の方が!?」
疲れも忘れて叫んでしまった。まさかの婿入り逆転の発想。出られないなら呼んでしまえってか、なるほど合理的。じゃなくて。
「詳しくは16ページをご覧下さい。ノイザスには子が私しかいないため、養子に出されれば家を継ぐ者がいなくなります。そこで父はノイザス領を公爵家に献上することで、将来は公爵領として私が跡を継ぐという話で纏まっています。第三王子を婿に迎えるのになんの問題もない」
問題しかねえ気がするが、多分言っても無駄なんだろうな。どうせ次のページをめくったら解決法が書かれているんだろう。さすが『ベイリー・ラフタリアとアメリア・ノイザスの婚姻における障害と解決法』。何でもかんでも解決しやがる。
ベイリーはなんかもう驚きと疲れと恐怖が一周まわって感嘆しか出てこなくなった。すげえなこいつ。
このまま流されたら楽なんだろうなという気持ちにならざるを得ないが、ベイリーにはここで抗わなければ多分一生流され続けるんだろうな、という予感があったのでそう簡単に頷く訳には行かなかった。あと一応王族なので、そう簡単に自分を売るわけにもいかなかった。
「……いやまて、そもそもそ俺の気持ちは?あなたとは出会ってまだ数週間だ、あなたの方は恋だの愛だの仰るが、そんな僅かな時間で俺はまだあなたをそういう対象として見れない」
「まあっ、どうせラフタリアへお帰りになったら釣り書の写真しか見たことない方と政略結婚なさるでしょう。この場しのぎの為に情に訴えられても困ります。それにどちらにせよ相手をお選びになれないのであれば、そんじょそこらの女性よりあなたを幸せにできる私と結婚するのが1番だと思いませんか?」
「そう……か?ほんとうにそうか??すでに凄い疲れているがほんとうにそうか??」
「結婚後に育まれる愛だってあります。というか私があなたを好きで他の方と一緒になるあなたを見たくないのでとりあえず結婚したらいいと思います。後のことはそれから考えましょう」
「雑!」
「あと正直私以外の女性と結婚する可能性を聞くのも嫌なので今後は控えて下さい」
「すでに婚約者面の上に要望がとても傲慢!」
ベイリーは徹頭徹尾一切引かずに堂々と自分の要求を押し通そうとするアメリアを一瞬尊敬した。が、すぐにその対象が自分である現実に頭を抱えた。
片手で額を覆い、深いため息を吐くベイリーを見て、アメリアも呆れを多分に含む息を吐いた。彼女としてはここまでお膳立てしているのに首を縦に振らないベイリーが甚だ疑問だったのである。なにせ彼女は理解不能な生物なので。
「もう、わがまま仰らないてください」
「わが、まま……?」
「別に私は運命の出会いを演出したって良かったんですよ」
「斬新な脅し」
「監視を付けておいてあなたが落ち込んだ瞬間を狙い、偶然を装って甘い言葉を囁く。ああ、ちょうどこの学園では年がら年中花が咲いている訳ですし、花びらなんかくっつけて登場しても良かったかも知れませんね。なんてロマンチック、あなたはお優しいから女性の髪に花弁が付いていたらそのままにはしないでしょう。あとはハンカチを拾って頂いて、その後お礼と称してあなたとお近づきになったりね。小細工なんていくらでも出来たというのに、あなたに誠実であるために正面からぶつかったこの心意気を評価して頂きたいです」
心意気、というその言葉の通り、アメリアはまっすぐな眼差しで正面からベイリーを見据えた。
ここまで散々やらかしておきながらなお純粋な目で自分を見つめられるアメリアをベイリーは心からすごいと思った。
「まずあなたは好意の示し方に問題があると自覚して頂きたい」
「お堅いですねえ」
「どこが??」
「好意の示し方なんて十人十色、人それぞれですよ。たまたま私の愛し方がこうだったと言うだけで」
「随分アグレッシブ……」
そのせいで衰弱しているんだがこれ如何に。
「さあ殿下、あなたの懸念は全て取り除きました。これでもう私とあなたを阻むものなどありません。改めてあなたが好きです。全身全霊をもって幸せにします。私と結婚して下さい」
衰弱したベイリーを横目に、そう言いながらスッとアメリアが取り出したのは1枚の書類。
それはなんかやけにキラキラ輝く婚姻届である。
ベイリーは背もたれに深く寄りかかり天を仰いだ。
「どこまでも法的に質をとる気だ………」
「殿下、この世に口約束ほど信用出来ないものは無いんですよ」
何があったのか気になる言い回しである。
徹頭徹尾アメリアはただベイリーを手に入れるためだけに奔走している。
その熱量は凄いと思うし、それほど夢中になれるものがあるということには羨望すら覚える。自分がその対象なのは少し、いやかなりいただけないが。
ただ本当に、彼女をすごいと感じた事は確かなのだ。
だからこそ。
「持ち帰って検討させて頂く」
今はそれで勘弁して欲しい。
そう言って深々と頭を下げた。交渉事の基本である。
その体制のまま数秒沈黙が流れた。普段であれば仮にも王族が頭を下げるなどありえないが、ベイリーは一刻も早くこの話を誰かに相談してしまいたかったし、一刻も早くこのご令嬢にお引き取り願いたかった。そのためには自分の体裁など安いものである。
それにベイリーは「持ち帰る」と言った。今までの返事……一貫しての「否」とは違い、検討する余地がある、と伝えたのだ。
今はこれでどうか引いてくれと願うベイリーに、アメリアは。
「………………………………………まあ、いいでしょう」
「仮にもレディがそんな渋い顔を」
「ここで引くのも一興。微塵も諦める気はありませんので早くあなたが了承してくだされば手っ取り早く事が進むのにわざわざ無駄な抵抗を、とは思いますが」
「ここまで無礼な物言いができるのもはやは一種の才能だな」
「私は殿下のお心に寄り添える女ですからね、あなたの意思が固まるのを待ちますとも。早々に固めて頂かないと何をしでかすかわかりませんので速やかに頷くことを推奨しますけれど」
「待つとは」
不承不承ながらもカタ、とアメリアは席を立った。
その瞬間ベイリーはやっとこの訳の分からない空間から脱出できる、解放されるという喜びに胸がいっぱいになった。
そうだ、カモミールティーを淹れよう。たしか疲労回復の効果があったはずだ。あとナールの実も取り寄せよう。食べれば一晩で完全回復と名高いあの実が必要だ。
「まあっ、なんだか嬉しそうですね殿下。顔色も良くなったみたい」
「顔色を悪くさせていた自覚があるならもう少し自重して欲しい」
「大丈夫です、殿下はどんな顔色でもお可愛らしいですから。それにほら、殿下は人気者ですから他の方に取られてしまうかもしれないと思うと、つい気が早ってしまって。では」
っっしゃ。
こうして一旦理解できない生物もといアメリア・ノイザス男爵令嬢とラフタリア第三王子ベイリー・ラフタリアの戦いは幕を閉じたと、ベイリーはそう思ったのだ。
ベイリー「は」そう思ったのだ。
突如、ドォン、と空が揺れるような轟音が学園中に鳴り響いた。
「なんだ!?」
続けざまにおぞましい咆哮が肌を刺す。生徒たちの悲鳴と轟音、そして窓ガラスが割れる甲高い音が学園を揺らした。
この感覚はそう、2ヶ月前の急襲の時ような──
ハッと気がついたベイリーはアメリアに向かって叫ぶ。
「まさかこの咆哮はっ………アメリア嬢!ここは危険だ、あなたも避難を────」
「殿下、ドラゴンの生態をご存知ですか」
ガタッと椅子から立ち上がり避難を促そうとしたベイリーの動きを止めたのは、いつの間にか窓際に移動し、その傍に佇むアメリアの静かな問いかけだった。
アメリアは一切音や揺れに動じることなく柔らかな笑みを浮かべ、ただただじっとベイリーだけを見つめていた。
この時点でベイリーはなんだかものすごく嫌な予感がしていたし、アメリアの平常と何も変わらないその態度にゾッとしてもいたけれど、この問いがきっと何か重要な鍵となっている気がした。記憶の扉を探り、ドラゴンに関する情報を震える唇で紡ぐ。
「………飛行型魔法生物、通称ドラゴン。高い知能と強靭な肉体を持ち、性格は極めて凶暴。死に際に魔物特有の負の魔力を多量に放出するため、周囲に人がいる場合は追い返すのみに留めるべきである。他にも特徴は多々あるが、総じて厄介な魔物」
「さすがですね」
ドラゴンはイーダ、ラフタリア両国の建国にも関わる魔物の1匹である。
その鱗は鉄より強靭。
その牙は剣より鋭い。
その魔力は膨大で、散り際には呪いを振り撒くだろう。
ここで言う呪いとは魔物が持つ負の魔力のことである。負の魔力を大量に浴びれば人間の体に害を及ぼすため、昔は呪いとされていたらしい。
「ドラゴンはその生態から別名道連れの魔物とも呼ばれ、多くの犠牲を出してきた。そのため、ドラゴンを討伐したものには貴賎を問わず、報酬、を………」
ベイリーはザッと顔から血の気が引くのがわかった。
そう、その厄介さ故にドラゴンを倒した者には国王より何でもひとつ、褒賞が与えられる。
貴賎を問わず。年齢を問わず。性別を問わず。
国を、問わず。
何でもひとつ、褒賞が。
「ね、殿下。あそこで速やかに頷いていれば、陛下の前で婚姻届を書くことにはなりませんでしたのにね」
「まッ……!」
ベイリーが止める間もなく、アメリアは身を翻してサロンの大窓からそのまま身を乗り出しなんと勢いよく飛び降りた。
「アメリア嬢!!」
ベイリーは椅子を蹴飛ばして直ぐにアメリアが飛び降りた窓に駆け寄った。何かがぶつかるような激しい音は今でも続いている。
窓から身を乗り出して周囲を探るも、アメリアやドラゴンの姿は見つけられない。
自分で飛び降りた以上着地に失敗したということは無いと信じたいが、何分見た目は華奢な令嬢である。
そう、首席で、魔法実技でも高得点をたたき出し、高位貴族と肩を並べる魔力量を保持していても見た目は華奢な令嬢である。
降りて探しに行くべきか、と扉へ向かおうとしたとき───ひときわ大きな咆哮が空を震わせた。
まさかアメリア嬢がと、ざっと血の気が引く。
…………いや、でもなんか、いやまさかとは思うが、どちらかと言えば咆哮というより悲鳴に聞こえるような。
いやいやそんなわけ。だって相手はドラゴン、厄介で強大な魔物なわけで、悲鳴なんぞもってのほか。
………でもドォンと轟音が響く度に聞こえる「ギャッ」とか「プギョッ」とか「グエエェ」とか、どう考えてもやられている側のそれである。
そして悲鳴(仮)のスパンが徐々にに短くなると同時にその声も細くなっていき、やがて途切れた。そして一瞬の静寂ののち、わっ!と歓声が学園中を包み込んだのである。
………ベイリーは思った。
え早すぎない?と。まだ緊迫した状態から、なんならドラゴンが現れてから数分も経ってないが?
そしてまた思った。
そういえばアメリア嬢は魔物特効の光魔法持ちだったな………と。
もう何から考えたらいいのか分からないまま固まるベイリーは、なんかの式典かというくらい盛り上がる歓声を聞くことしか出来なかった。なんなら国王陛下の生誕パレードの時より盛り上がっていた。
「かっこいいぞアメリア嬢!」
「さすが秀才!優等生!」
「ハッピーモンスター万歳!」
………ああ、アメリア嬢、殺ったんだな。
この国はいささかアメリアに慣れすぎではないだろうか。いや、変な奴らが集まる国だからこそ理解不能な生物が生まれたのかもしれない。
歓声はまだまだ途切れることはなさそうだ。
「ドラコンの素材だ!貴重だぞ皮を剥げ!」
「爪も牙も剥がせ剥がせ!」
「頼むアメリア嬢言い値で譲ってくれ!」
ああなんて可哀想なドラゴン。
さしもの魔物も、まさか報酬のためだけにハッピーモンスターに狩られることになろうとは想像もしていなかったことだろう。
先程自身が蹴飛ばした椅子にズルズルと座り込んで天を仰いだ。
今日は天を仰いでばっかりだし、血の気が引いてばっかりだ。もう貧血になるんじゃないかってレベルで引いてばっかり。
ベイリーは今から同じように血を抜かれ皮を剥がれるだろうドラゴンに哀悼の意を捧げ、遠い目をしながら結婚式の招待客について思いを馳せた。
きっとそう遠くない内にタキシードを着る自分の姿がみえたので。
コツン、とベイリーの靴が何かに触れた。
緩慢な動作でそれを拾い上げたそれは、数刻前にアメリアが提出してきた冊子『ベイリー・ラフタリアとアメリア・ノイザスの婚姻における障害とその解決法』であった。きっと先程の騒ぎで机から転がって行ったのだろうそれは表紙が汚れ、紙の端が何枚も縒れている。
ベイリーはその無惨な姿になった冊子のページを、なんとなしにパラ、パラとめくってみた。ページを捲り、文字を追う度に増えるヤバい情報。信じ難いほど細かい詳細。一体これだけのものを集めるためにどのくらいの労力を、と顔が引き攣ると同時に─────
フ、と小さな笑いが漏れた。
ああそうだな、悪くないかもしれない。
上に立つものとして清く正しく生きてきたつもりであるが、同時に真面目すぎるとも言われてきたのだ。しかしこれだけ破天荒な存在を知ってしまった今、どうやらもうただの真面目ちゃんには戻れそうにない。だってそれでは理解不能な生物に喰われるだけだと分かってしまったので。
きっとアメリアといれば退屈なんて縁遠い言葉となるだろう。彼女のようになりたいとは一切これっぽっちも本当に微塵も全く思わないが、自分の生きたいように生きて欲しいものを全力で毟りとるアメリアのなんと楽しそうなことか!
未だ鳴り止まない歓声の中、もう一度だけ笑みを零したベイリーは1人腹を括った。
人はこれを諦めともいう。
いいじゃないか、もういっそ人生楽しまなきゃ損だ。
それにどうやら全身全霊をもって幸せにしてくれるそうなので。
パタパタと恐らく破天荒なご令嬢が戻ってくる足音を聞きながら、ベイリーは丁寧に冊子を閉じた。
「殿下っ、見てくださいこの鋭い爪!鎧なんて簡単に貫通するらしいですよ、もしもの場合はこれで陛下を脅しましょうね!」
………嘘、やっぱりお引き取り願いたいかもしれない。