第97話 あたしはもう逃げない
「あの女に騙されてはいけません。彼女は聖女ではなく、承認欲求の化け物です。清らかな心の持ち主である本物の聖女は、ここにいます! ……これでいいんですよね、シリウス様? どうでしたか、私の凛々しい姿は! 惚れました? 惚れましたよね!? ほら、今すぐ愛しい私の唇を奪っちゃってもいいんですよ……って、無視はやめてくださーい!」
そう言いながら、クレアはシリウスさんへと投げキスを飛ばしている。
あまりにも緊張感が無いため、肩の力が抜けるどころか呆れてしまった。
会場を沸かせると豪語していたのに、なんて適当な前フリなの……。
この状態から演説を始めろというのは、無茶振りもいいところよ!?
「ええと、あたしがご紹介に預かりました……聖女です」
広場に集まった人々に向かって名乗りながら、クレアをにらもうと思って探すと、クレアが広場から走り去って行くところだった。
ええーーーっ!? 無責任すぎない!?
しかしクレアは、無責任だから広場から去ったわけではなかった。
走るクレアを追う人影がある。
ジャン・クランドルだ。
なんで!?
どうしてよりにもよって、このタイミングでジャンが出てくるのよ!?
あたしは急いでシリウスさんに向かって口パクでクレアのピンチを知らせた。
クレア、あっち、ジャン、危険。
同じ言葉を繰り返しながら、クレアの逃げた方向を指差す。
やがて、あたしの言いたいことに気付いたのだろうシリウスさんが、あたしの指差す先を見た。
すでにクレアの姿はかなり小さくなっていたが、シリウスさんは事態を把握したようだ。
クレアを追って、シリウスさんも広場を飛び出した。
聖女を引きずり降ろす作戦を頼み込んできた二人が、まさかの脱落だ。
予定外の出来事が起こるような気はしていたが、予定外すぎる。
「あの女って誰? もしかしてシャーロット様のこと?」
「本物の聖女ってことは、シャーロット様が偽物だとでも言いたいのかしら」
「なんて不敬な!」
「頭がおかしいのではないかしら」
安心したのも束の間、聖女宣言で広場がざわつき始めた。
「あ、えっと、どこまで話しましたっけ……ああ、自己紹介しかしていませんでしたね」
クレアのことはシリウスさんに任せておけば大丈夫だろう。
どんな魔法でも使えるシリウスさん相手に、ジャンが敵うわけもないのだから。
それよりも、あたしが集中するべきは、演説だ。
この演説ですべてが決まると言っても過言ではないのだから。
「いきなり聖女を名乗られても、到底受け入れられないと思います。シャーロット様が聖女を名乗っていますから……ですが、この石をご覧ください」
タイミングよくアンディーが『聖女を見分ける原石』を運んで来た。
「これは『聖女を見分ける原石』です。とある店に置いてあったものをお借りしてきました。この石は、聖女が触ると発光します。百聞は一見に如かずだと思いますので、今からあたしがこの石に触ります」
言いながら石に手を触れると、石は眩しい程の光を放った。
「光った!? 聖女が触れると光る石があると聞いたことはあるが……あの石は本物なのか!?」
「あの石、私も触ったことがあるわ。もちろん光らなかったけど」
「じゃああの人が聖女様なの?」
「分からない。魔法で石を光らせているだけかもしれない」
人々は様々な意見を口に出し、この状況をどう解釈すればいいのか迷っている。
予想通りの反応だ。
「これだけで聖女だとは信じられないと思います。ですので、これから誰かの怪我を、聖力で回復させてみせます。この広場に、怪我をしている方はいらっしゃいませんか?」
誰も手を上げなかった。
こんな怪しい人間に近付きたくはないということだろう。
仕込みを用意しておいてよかった。
「あのー、もし良ければ、オイラの怪我を治してくれないッスか? 昨日、全力で殴られたッス」
シリウスさんの使用人だろう頬を真っ赤に腫らした男が前に出た。
回復具合が分かりやすい方が良いとはいえ、今日のためにここまでの怪我をしてくるとは思わなかった。
すべてが終わったら、彼には大目にご褒美をあげてほしい。
「分かりました。では動かないでくださいね」
あたしが彼の頬に手をかざすと、みるみるうちに頬の腫れが引いていった。
彼の周辺で、怪我の回復を見ていた人たちがざわつく。
「治った!? 今のが聖力なのか!?」
「すごいわ。あの男の人の怪我、完全に治っているみたいよ」
「じゃあやっぱり聖女様なの?」
「分からない。回復薬や回復魔法でも傷を治すことは出来る」
「あたしが回復薬を持っていないことは、近くから見ていただけたかと思います。そして回復魔法を使うためには、寿命を消費させるか、自身に怪我を移動させる必要があります。ですがあたしには怪我が移動していないことも分かるかと思います」
あたしは自身の頬を見せると同時に、腕まくりもしてみせた。
「じゃああの男の人の寿命が縮んでしまったのかしら」
「いいえ。聖力なら寿命を消費させずに傷を治すことが出来ます」
心配そうな顔で使用人の彼を見ていた婦人に、彼の寿命は安全だと伝える。
するとすぐに野次が飛んできた。
「あの男の寿命が縮んだか縮んでいないかは、誰にも分からないじゃないか!」
「そうですね。寿命は目には見えませんから。ですが、寿命が縮んでいない証拠も無いはずです」
「そんなもの、言った者勝ちじゃないか!?」
「『聖女を見分ける原石』が光ったことを思い出してください。あの石を光らせ、聖力で回復も出来ることをあわせて考えると、あたしが聖女だという証拠になりませんか?」
野次に負けず、あたしは微笑みを崩さずに答えた。
こういった野次が飛んでくることは想定内だ。
「確かに。一つならまだしも、二つも聖女の特徴がある」
「やっぱり聖女様なのかも?」
「いや、そうはならな……むぐっ」
誰かの否定的な言葉が途中で途切れた。
まるで喋っている途中で口にパンでも詰め込まれたような不自然さで。
……そんなはずはないか!




