第96話 ジャン・クランドルは劣ってなどいないはずだ
いつも、比べられてきた。
いつもいつも、イザベラが褒められた
いつもいつもいつも、俺が劣っていると叱られた。
イザベラさえいなければ!
そう思ったのは、一度や二度じゃなかった。
しかし親父に気に入られているイザベラをいじめることで、俺の評価がさらに下がることは容易に想像ができた。
俺にだって、そのくらいの頭はある。
だから…………親父に期待されていないもう一人の妹、クレアに目を付けた。
あいつを殴っても、きっと親父は怒らない。
親父はあいつのことを、見て見ぬ振りしているからだ。
実際に、お袋があいつに大量の仕事を押し付けても、何一つ苦情を言わない。
それにお袋は血の繋がりのないあいつのことを嫌っているから、俺があいつを殴ったら、怒らないどころかほくそ笑むだろう。
だから俺はむしゃくしゃするたびに、あいつを殴った。蹴った。髪を持って引き摺って遊んだ。
それらの行為は、俺をスカッとさせてくれた。
それなのに。
ある日、あいつは屋敷を抜け出した。
そのまま野垂れ死んでいたらよかったのに、あろうことか今日、町に現れた。
いつの間にかイザベラと組んで……。
そしてイザベラは、自分が聖女だと言い始めた。
そんなわけがあるかと思ったが、これまでのイザベラの評価を思うと、一概に戯言とも思えなかった。
イザベラが聖女であるなら、これまでの優れた能力にも説明が付く。
きっとイザベラは聖女なおかげで、俺よりも能力が高かったんだ。
聖女なおかげで、俺よりも父親から期待され、俺よりも優れていると言われていたんだ。
すべてはあいつが聖女だから。
なんだ。ただのズルじゃねえか。
イザベラは努力で認められたわけじゃなくて、生まれながらに持っている能力が高かっただけじゃねえか。
そしてクレアは、聖女であるイザベラにすり寄って、利益を得ようとしている。
俺に殴られるしか能の無かったあいつが、考えるようになったもんだ。
だが、そんなことは許さねえ。
あいつは常に俺よりも下にいなくちゃいけねえんだ。
「待て、この野郎!」
俺は逃げるクレアを走って追いかけた。
広場に集まった人が障害物になって、なかなか追いつけない。
水をバシャバシャと飛ばしながら走ると、障害物が俺のことを避けるから、そうやって走った。
傘が邪魔だからその辺に放り投げて、ひたすらクレアを追いかけた。
「いつまで逃げる気だ!?」
クレアは振り向きもせずに俺から逃げ続けた。
雨で水を含んでいるはずのあいつの服は濡れている様子が無く、身軽そうだ。
一方で濡れた重い服を着て走る俺は、クレアとの距離をなかなか縮められない。
「止まれ」
後ろから聞こえてきた威圧感のある声に、思わず振り返る。
一切の気配を感じなかったのに、俺の後ろには銀髪の男が立っていた。
「……お前、誰だよ」
「誰と説明するのがいいだろうか」
「はあ!?」
俺は意味の分からない男を無視して、再びクレアを追いかけようとした。
…………が、身体が動かなかった。
「なんだよ、これ!?」
「そうだ。彼女はこう言っていたな。『未来の恋人』と」
「何の話をしてんだよ、くそっ!」
「であれば、お前のことはこう呼ぶべきか? お義兄さん、と」
その瞬間、理解した。
こいつはクレアの関係者だ。
ということは、過去にクレアを殴って遊んでいた俺に、報復をするつもりに違いない。
俺は身体を動かそうと必死に足掻いた。
しかし身体は縄で締め付けられているかのように、ビクともしない。
「俺のことを殺す気なのか!?」
「お前など生きていようが死んでいようがどうでもいい。ただし、邪魔になるなら排除するだけだ」
「排除ってどういう……」
言い終わる前に、男は俺の持っていた剣を引き抜くと、俺に向かって振り下ろした。
そして男が剣を地面に捨てた瞬間、俺の着ていた服は意味を成さないものへと変化した。
「うおっ!?」
身体の拘束が解けたため服を何とかしようとする俺を置いて、男はこの場を去ろうとした。
…………そうはさせるか。
俺は全裸のまま地面に落ちていた剣を拾うと、後ろを向いている男に突進した。
俺の気配に気付いた男が振り向いて身体を逸らす。
「もらった!」
手応えがあったと思ったのに、俺の剣は男の胸元を掠めただけだった。
男は無傷で、水に浮かんだ人形らしきものを拾っている。
どうやら俺の感じた手応えは、あの人形を斬ったものだったらしい。
一体なぜ大の男が人形を胸元に入れているんだ!?
それさえなければ傷の一つでも負わせられたのに。
「…………よくも」
「あ?」
「よくも……クレアちゃん人形を……!」
男がおかしなことを言い出した。
言っていることはおかしいのに、殺気は本物で、そのちぐはぐさに俺は恐怖を感じた。
あのあと何が起こったのか、俺には分からない。
俺は倒れているところを町人に発見されて、クランドル家に運ばれた。
気を失っている間も、目を覚ましてからも、身体の震えが止まらない。
記憶することを脳が拒否するほどの悪夢を見た気がする。
しかし記憶していないので、自分が男に何をされたのかは全く分からない。
それが余計に、不気味で恐ろしい。
ただ一つだけ分かることは、今後一切クレアに手を出してはいけない。
二度と悪夢を見たくないのなら……。




