第95話 走れ・走れ・走れ
「みなさーん、広場の中央に注目してくださーい!」
私は広場にいる人々に向かって、声を張り上げた。
すると『オトナリさん』を経由した声は、自分でもうるさく感じるほどに広場中に響き渡った。
広場に集まった人々が、何事かと私に視線を向ける。
「あの女に騙されてはいけません。彼女は聖女ではなく、承認欲求の化け物です。清らかな心の持ち主である本物の聖女は、ここにいます!」
言うなり近くで待機していたイザベラお姉様を踏み台の上に乗せると、『オトナリさん』を手渡し、私は踏み台から降りた。
そしてシリウス様に向かって投げキスを飛ばす。
「これでいいんですよね、シリウス様? どうでしたか、私の凛々しい姿は! 惚れました? 惚れましたよね!? ほら、今すぐ愛しい私の唇を奪っちゃってもいいんですよ……って、無視はやめてくださーい!」
案の定というか何というか。
シリウス様は他人の振りをして、イザベラお姉様を見つめている。
「……まあいっか。無視されているくらいの方が自由に動きやすいもんね」
役目を終えた私は、演説の邪魔にならないよう、イザベラお姉様から離れた。
「さて。役目も終わったことだし、私はここから個人的な行動を……」
と思ったところで。
ギラリと射抜くような視線を感じて振り返ると、広場の端から私をにらんでいる人間がいた。
兄である、ジャン・クランドルだ。
「待て、この野郎!」
思わず広場から逃げ出した私を、ジャンが追ってくる。
いろんなパターンのイレギュラーを想定していたが、ジャンがこの場にいるのは想定外だった。
考えてみれば、侯爵家の屋敷はこの町にある。
ジャンが広場にいてもおかしくはなかった。
「だからと言って、こんな決戦の日に現れなくてもいいのに!」
私は脇目もふらずに走った。
何だかこの状況には既視感がある。
四年前、クランドル家から逃げ出したときにも私はジャンに追われて走っていた。
あのときの私は屋敷から惑わしの森へと走っていたが、今は広場から……どこへ逃げればいいのだろう。
極力広場から離れたくはないのだが、そういうわけにもいかない。
私は目的地も無いままにとにかく走り続けた。
そもそも、ジャンはどうして私を追ってくるのだろう。
ジャンの凶暴性とあの目つきからして、私と穏便に話をする気は無さそうだ。
侯爵家の次期頭首のくせに、私に何を求めているのだろう。
屋敷から逃げた謝罪? それとも金銭?
「普通に暮らしていたら、これ以上のお金なんて必要無いはずなのに」
仮にもクランドル家は侯爵家だ。
平民よりもずっとお金を持っている。
見栄っ張りで、外からよく見られるためにドレスや調度品にお金を使いまくって、そのせいで住み込みの使用人を雇う金も無いような侯爵家だが、それでも日々を暮らしていくお金はあるはずだ。
あとはジャンの悪行の火消しにも大金を使っていたが、いまだにそういったことをしているのだろうか。
とにかく。
今だって食べるものには困らずに暮らしていると思うが、お父様が隠居したらジャンは侯爵家を手に入れる。
過度な見栄さえ張らなければ、ジャンはあの侯爵家で、権力を手にして何不自由なく生活できるはずだ。
それなのに、ジャンは一体何を求めているのだろう。
……ああ、違う。
ジャンが次期頭首では、クランドル家はおしまいだ。
きっとジャンでは、お父様のような仕事は出来ない。
イザベラお姉様が今回の作戦に乗った以上、お姉様も侯爵家には帰らない。
もちろん私も帰るつもりはない。
「財を食い尽くす後継者しかいない家は、すぐに終わる。金も権力も持っていたのに、何も成し遂げられないまま」
もしかすると、ジャンはすでに侯爵家を継がせてもらえないことが決定しているのかもしれない。
私と違ってジャンは何もかもを持っていたのに、自らの悪行のせいで、何も手に入れることが出来ない。
だからきっと、私からもすべてを奪ってやろうと考えているのだ。
「単なる八つ当たりじゃない」
そんなもののために捕まってやるつもりは毛頭ない。
私は、走って走って走りまくった。
相変わらず雨が降り続いているが、防水魔法のおかげで気にはならない。
走り続けるうちに、ジャンの声が聞こえなくなっていた。
恐る恐る振り返ると、私の後ろには誰もいなかった。
「ハァハァ、助かった……って、ずいぶん遠くまで来ちゃったじゃない。ジャンの馬鹿!」
悪態をつきながら肩で息をする。
しばらくは走れそうもない。
「またあそこに戻らないと……念のため、今とは違う道を使って……」
喉がゼエゼエと鳴る。
日々の運動量を増やした方が良いかもしれない。
「とんだタイムロスだ……時間は限られてるのに……」
私はうんざりしながら、広場に向かって歩き始めた。




