心臓編・43『再び、死す』
巨体の魔族が倒れ、形勢は有利に傾いた。
ただ油断はしていない。いまのところ戦いでスカトが見せているのは魔術だけだ。神秘術も多少使えるだろうし、スキルもまだ完全に把握できていない。影を移動するのはスキルだろうが……前兆も法則もわからないのだ。
「『フレアパージ』」
「しゃらくさいわい」
空から降ってくる熱線を影に沈んで避けるスカト。
なかなか便利だな、影に溶ける能力。 他人の影から出てきたのも見ているから自由度はかなり高いはずだ。
その能力がスカトの種族スキル〝闇属性付与〟だとしたら、一応は説明もつけられるが……それにしても俺たちの影から出てきて不意打ちしないのは、単に接近戦が苦手だからか?
いや、老いた見た目が本当かどうかもわからない。断定は危険だな。
「『刃転』」
「ひょっ! 油断も隙もないわぃ」
また避けられた。
かすかな霊素のゆらぎを察知して先読みするとは、なかなか眼も良い。さすが上位魔族といったところだな。
でもまあ、手を緩める理由にはならない。
「ガンガン押していくぞエルニ」
「ん。『フレアウェーブ』」
「『ダークショック』」
炎の波と黒い衝撃が激突して霧散する。
その隙に『刃転』を叩き込むが、やはり隙はなく回避されてしまう。
ダメだ。
座標攻撃が効かないうえ、俺の攻撃が直線的になってしまうのが展開をこまねいている原因になってる。
ここじゃエルニの上級魔術も範囲が大きすぎて使えないから、中級以下の火力で戦うしかないのもなかなか面倒だ。
……よし、ここはちょっとリスクを背負ってでも行くしかないか。
師匠には止められているけど、俺の最大の強みは『自律調整』のぶっ壊れ治癒性能ありきの戦い方ができるってところだからな。
接近戦が見せ場ってね。
「エルニ、サーヤは任せた!」
俺が前衛として飛び出したことで、スカトが警戒して魔術を詠唱する。どんな術式かわからないが、接近戦を防ぐためのものなら範囲攻撃か足止めだろう。
もちろん、わざわざ数歩動いたのはブラフだ。
「『相対転移』」
俺はスカトの真後ろに転移した。
「なんとっ!」
「うらぁ!」
魔術を中断して振り返ったスカトにむけて、短剣を振り抜く。
しかしスカトが手をかざすと、影から鋼鉄の盾のようなものが飛び出してきて短剣にぶつかった。ミスリルのほうが硬いとはいえ、一発で切断できるほどのものじゃない。半分ほど切り込みが入るが、そこで止まる。
「『アシッドポンド』」
足元が沼になったようにずぶりと沈んだ。靴が酸に触れてジュゥジュゥと煙をあげる。
とっさに『相対転移』で数歩分下がって抜け出した。
スカトは俺の転移に苛立ちを隠しきれず舌打ちする。
「エルニ!」
「『ライトニングパージ』!」
「甘いわ!」
スカトは空からの雷熱を影に沈んで避け、今度こそ俺の影から飛び出してきた。
背後を取られるが、予想済みだ。
とっさに横に跳んで躱す。
スカトは追撃するため魔術を唱えながら一歩踏み出して――
「ぬおっ」
足元の地面が槍に変化して、スカトのふくらはぎに突き刺さった。
スカトが影移動した瞬間にさりげなく仕込んでいた『地雷』だ。設置型とはいえ、霊素の動きは設置時と発動時にしか起こらない。準備さえ見えなければ気づくのは困難だ。
スカトは土の槍から足を無理やり引き抜いて、また影に沈んだ。
……どこいった。
影に潜ったまま姿が見えない。
「『全探査』――ルルク、うえ!」
エルニの声に視線を上げると、屋敷の外壁に写り込んだ木の影から姿を現していたスカト。魔術も唱え終わって、ちょうど撃ちだすところだった。
「『アシッドバレル』」
「っぶねぇ!」
反射で転がって避ける。
酸弾は俺が立っていた地面に着弾し、大穴を開けた。
地面も溶かすってどんだけ強力なんだよ。
一撃必殺級の魔術に冷や汗をかきながらエルニとサーヤのところまで戻ってきて、ひと息ついた。
「助かったよエルニ」
「ん」
戦いは平面ばかりじゃないってことを忘れてた。影は上にも下にもあるんだよな。
スカトは足から血を流しながら、また庭に降り立った。
「やりおうのぅ。やはりおぬしが一番危険じゃわぃ」
「こっちもギリギリだ」
二対一でコレだ。
たぶん一対一なら勝てないだろう。
魔術の腕も霊素の動きの見破りもさることながら、影移動が厄介すぎる。月や街の灯りがある限り、常に不意打ちを警戒しなければならないのが精神をすり減らしている。
「儂のほうこそ愚痴りたいわぃ。得意の影潜みを見破られるとは思ってもみんかったわぃ。さすが魔王の種よのぅ」
「うちの自慢の子だからな」
軽口をたたいて、もう一度作戦を練り直す。
片足の機動力を封じたのはいいが、どっちにしろ影移動には意味がない。与えたダメージのことはあまり意識しなくていいだろう。
「ちなみにスカトさん、サーヤから手を引くって選択肢は?」
「無論ないわぃ。連れて帰れぬなら殺すまでじゃ。それが命令じゃからのぅ」
「だよな」
聞くまでもなかったか。
呼吸を整えて集中し直す。
老練な相手だ。さっきの戦法はもう通じないと思った方がいい。
ならば次は、本気の本気だ。
「『夢幻――ナイヤガラ』」
「ぬっ」
俺が呼び出したのは、世界遺産ナイヤガラの滝の幻想だ。
突然滝の下に景色が変わり、水しぶきの幻影で視界が一気に悪くなる。
もちろんスカトは神秘術による幻ってことに気づいているだろうが、思わぬ視界悪化にともなってとっさに影に潜った気配がした。
俺はその瞬間、夢幻を解除して叫ぶ。
「〝空まで吹き飛べ魔族〟!」
『言霊』が霊素的衝撃とともに周囲に迸る。
俺もレベル50オーバーだ。上位魔族相手でも十分通用するだろう。
その瞬間、エルニたちの後ろの植え込みの影から、スカトの体が打ち上げられるように飛び出した。
無論レベル差があるせいで空までとは言わなかったが、数メートル程度は浮き上がる。
「なん――っ」
「『刃転』ッ!」
空中じゃ影には潜れまい。
俺の振るった斬撃を身をよじって躱そうとしたスカトだったが、避け切れずに肩に裂傷が走る。
「『ウィンドアッパー』」
更にエルニの魔術の突風が、スカトの体を下から上に突き上げる。
さらに高い場所に打ち上げられたスカトめがけて、
「『刃転』! 『裂弾』!」
俺の放った連撃は、スカトの背中を一文字に裂いてさらに座標弾を破裂させた。
声すら上げられないまま弾かれたように落ちるスカトは、受け身もとれずに地面に落ちた。
さすがにこれで死にはしないと思うが、かなりのダメージにはなったはずだ。
「ぐ、ぬぬ……おぬし、なにを……」
「エルニ、影を」
「ん。『シャインレイン』」
エルニが唱えた光魔術は、数多の光源を空に浮かべた。
不規則に降り注ぐ光の雨が、この一帯の影を不安定にしてしまう。これで影に潜ることは不可能になったはずだ。もしスカトが闇魔術を発動したら、その瞬間斬って捨てるつもりだった。
スカトは負けたことを悟り、力を抜いて自嘲するような笑みを浮かべた。
「ぬう、やられたわぃ」
「……言い残すことは?」
「慈悲はいらん。思い切ってやれぃ」
目を閉じて仰向けになった。
こうして寝転がると、ただの老父にしか見えない。
でも、情けをかける気はさらさらなかった。
魔族たちの目的がサーヤの身である以上、殺し合いの決着に優しさを挟むことはできない。俺はなにより、仲間の安全を優先すると決めている。自分の罪の意識や後悔よりも。
斬る覚悟も、斬られる覚悟も最初からできていた。
「『刃転』」
首筋を斬った。
あっという間にスカトの命が零れ落ちていき、やがてその体から完全に生気が失われた。
眠るような穏やかな顔で息絶えた上位魔族。
息がないことを確認し、冥福を祈りながら短剣を鞘に納めた。
「ルルク!」
決着がついたことを確信して振り返ると、サーヤが駆け寄ってきた。
泣きそうな顔になっていた。
「ごめんねルルク。私のせいで、また……」
「いいんだ、これは俺の役目だしな」
自分で選んだ道だ。
この世界で生きる冒険者として、なによりサーヤの仲間として。
「それよりサーヤは怪我はないか? こっそり攻撃とかされなかったか?」
「それは大丈夫。何回か不意打ちされそうになったけど、エルニネールが防いでくれたから」
「そうだったのか。気付かなくてすまん」
「ううん、しょうがないよ。ルルクは魔術の前兆とかわかんないんだし」
そうなんだよな。
面と向かって撃たれるなら反応できるが、不意打ちの魔術には対応できないのが俺の課題だ。
そうなると、すぐにでもサーヤにもユニコーン装備を用意してやらないとな。
「ひとまずこの街で暗躍してたっぽい影の魔族は倒したし、あとは師匠のとこに行ったっていうもう1体の魔族だけかな。炎髪の魔族の言葉じゃ、さすがにサトゥルヌもこれ以上は送り込んできてないみたいだし」
「そうね。ロズさんなら大丈夫なんじゃない? あの人が負けるなんて思えないし」
「たしかに。チートの権化みたいなもんだからなあ」
ちょうどそのころ、師匠が隕石を降らしていたことは知るよしもない俺たちだった。
「でもルルク、魔族の目的が私だとしたらこの街にいるのはよくないわよね」
「……そうだな、おおまかな場所は把握されてたみたいだし。スカトだけが使える探知術だっていうんなら安心できるんだけど」
楽観視はできない。つぎの刺客が送られてくるかもしれないから、なるべく早くこの街から離れてやりたいところなんだけど……。
ただ問題は、どうやって探知の術を防ぐか、だな。
向かった先々で魔族に襲われるなんて展開は想像もしたくない。
「まあ、今後のことは師匠と相談だな。その前に、恐慌状態になってた人たちの様子を見てこないと」
「そうだ! お父様も大丈夫かし――」
その時だった。
死んだはずのスカトから、魔素の揺らぎが生まれた。
察知したのはエルニだけだった。
俺とサーヤは気付いていなかった。ほんの微かな魔素のさざ波。
エルニは俺たちに知らせる間もなく、とっさに詠唱を紡ぐ。
だが、魔術の発動は僅差でソイツのほうが早かった。
「『重力支配』」
俺たちの体が、不意に浮き上がった。
重力の自由操作は、闇属性の極級魔術。
いうまでもなく禁術登録されている、超高等魔術だ。
奥の手を使ったのは、ニヤリと笑みを浮かべていたスカト。
俺たちは知らなかった。
スカトのスキルに『影武者』という、一度だけ死から復活できるスキルがあったことを。
「『フレアパージ』!」
「『デュアルアシッドバレル』」
エルニの熱線がスカトを焼き払ったのは、二発の酸弾が放たれたとほとんど同時だった。
一発はエルニに向かって。
そしてもう一発は、サーヤに向かって。
一撃必殺級の酸弾に俺が気づいたのは、エルニの攻撃によってスカトが再び死んだその時だった。
すでに三人とも空中に浮きあがっており、身動きが取れない。さっき俺がスカトに取った戦法と同じことをされたのだ。
エルニが魔術を発動しようとするも、間に合わない。
間に合うのは詠唱の必要がない神秘術だけだった。
ダメだ。
サーヤはまだとっさには転移を使えない。
俺も、使えたとしても間に合うのは一度だけ。
手を伸ばせば届く距離にサーヤ。
少し離れたところにエルニ。
迷っているヒマはなかった。
「『相対転移』ッ!」
神秘術で極限まで強化したユニコーンのマントだけを、転移でエルニの正面に飛ばす。
そして片方の手で、サーヤを引き寄せた。
「ルルク!」
無重力のなかサーヤを引き寄せるということは、その反動でそのまま俺と位置が入れ替わるということで。
とっさに叫んだサーヤに言葉を返す時間もなく。
また、走馬灯を見るヒマもなかった。
酸弾は、俺の胸をあっけなく撃ち抜いた。
■ ■ ■ ■ ■
地面に転がっていたのは、エルニを守ったルルクのマント。
そして胸に穴をあけた、ルルクの体だった。
「……ルルク?」
サーヤが震える声で問いかける。
心臓が溶けてしまった、大切な人に。
返事がない。
返事が……。
「るるくっ!」
エルニが駆け寄ってきて、アイテムボックスからエリクサーを取り出した。
それを胸の穴に振りまきながら、エルニはルルクの口から直接体内へ『癒しの息吹』を流し込む。
でも治らない。
四肢の欠損はともかく、心臓までは元に戻る様子はなかった。
エルニはぴくりとも動かないルルクの体を必死に抱いて治癒をかけ続ける。涙をボロボロと零しながら、絶望に抗うように。
でも傷は塞がらなかった。心臓は戻らない。
やがて瞳から少しずつ光が失われていく。
「やだ……」
どうして。
サーヤは動かなくなったルルクを見つめて、自問する。
また彼が死んでしまう。
ずっと、たったひとつの希望だった。
一神あずさだったときから、七色楽は彼女の希望だった。
サーヤになってからも彼はルルクとして現れてくれた。
なにより大事な存在だった。
でも、どうして……?
どうしてまた失わなきゃいけないの?
「……いやだ」
いやだ。認めたくない。絶対に認めたくなかった。
また彼を失うなんて。
「いやだ」
どうしてだ。
世界はどうして、こうまでして彼を奪い去ろうとするのだろう。
どこかにいるという、神々のせい?
それとも、サーヤ自身の?
「いやだ」
わからない。
わからないけど、いやだ。
ルルクが死ぬ世界なんて。
一緒に生きていけない世界なんて。
「いやだ」
いやだ。
いやだ。
いやだ。
……こんな理不尽なんていやだ。
ああ。
もう、いやだ。
「うう、ああ、ああああああああああ!」
泣き叫ぶことに意味なんてないってわかっていたのに。
サーヤはそうすることでしか、この結末を――世界を呪うことができなかった。
もういやだ。
こんな世界、もういやだ。
ルルクがいなくなるような世界なんて。
……ああ。
そんな世界なんて、なくなってしまえばいいんだ。
サーヤの数秘術は、この瞬間、変貌した。
『不定存在』という使われることのなかった上級スキルが――確率と存在を司るそのスキルが、サーヤの絶望とともに〝負化〟してしまった。
『数秘術〝負1〟:無喰世界』
ロズが危惧していた、すべてを滅ぼす〝神域級スキル〟が発動する。
世界の終わりが、始まったのだ。