心臓編・38『襲来』
油断があった。
俺が魔族を倒した噂。
ロズが神秘王だという噂。
そのふたつが同時に流れたことに、もっと危機感を抱くべきだったのだ。
前者を知っているのは身内以外にも何人かいる。どこからか情報が漏れただけだと、あまり気にしてなかった。
しかし後者は違う。
この街でロズが神秘王だと知っているのは弟子の俺たち3人だけだ。それなのに噂が流れたということを、もう少し深く考えておくべきだったのだ。
じつは認識阻害のローブを羽織った者が神秘王だと気づいた者がもうひとりいた。
白腕の魔族だ。
彼は死ぬ間際、ロズの正体を見破って言葉にしたのだ。
そしてそれを聞いていた仲間――彼を殺した影に潜んでいた魔族もまた、その言葉で察していたのだ。
神秘王がこの街にいること。それと同時に『全探査』の魔術を感知したことで、魔王の種を持つ者もいることを把握した。
もっと考えていれば、俺たちは噂を流したのが魔族だと予測できたはずだった。
目的がなんであれ、魔族が噂を流してロズの行動に影響を与えた。それが事実なら魔族はまだこの街を狙っていたということだった。
そしてエルニの『全探査』の範囲外から、人間を使うことで気づかれずに裏工作をしているということも、気づけるはずだった。
魔族は破滅因子を狙ってる。破滅因子は貴族の誰かだという情報も得ていた。
そしてそのタイミングで貴族を集めたパーティを企画したモンターク子爵。最近、彼の妻は体調が悪いという話だが、誰もその姿を見ていない。
ここまでヒントがあったのに、俺は気付けなかった。
魔族が一枚上手だったのだ。
「サーヤ!」
焦る気持ちを抑えながら走る。
俺はすぐに、灯りの消えたパーティ会場へ飛び込んだ。月明かりが照らす会場内では、ほぼ全員がまるで理性を失ったように怯えてうずくまり、時には口の端から泡を吹く者もいた。
恐慌状態だ。
精神状態異常のひとつ。レベル差があればあるほど状態異常の術にかかりやすいのは、冒険者では常識だ。
俺は、会場内で唯一無事だった彼女に叫ぶ。
「エルニ!」
「ん、キュアポーション」
もちろん状態異常無効のスキルを持つエルニは平然としていた。混乱する客たちから遠ざかって、窓際まで退避して俺を待っていた。
エルニは俺の呼ぶ声と同時に『全探査』を放ちながらアイテムボックスから状態異常回復のポーションを投げてよこした。
俺は受け取ると、近くで恐慌状態に陥っていたサーヤの口の中に流し込んだ。
「っぷあ! なに? なにがあったの?」
「たぶん魔術で襲われて、みんな恐慌状態になってる。襲撃者は――」
「ん、あそこ」
『全探査』でエルニが検知した相手は一番奥のテーブルの陰に隠れていた。
見つかったことを悟ったそいつは、笑いながら姿を見せた。
「クハハハハ! 本当に魔王の種がいやがったぜ! 見つけたら喰っていいんだっけなァ」
炎のような赤い髪をした、鋭い目と歯の魔族だった。
そいつはエルニを見て舌なめずりをすると、興味深そうに言う。
「魔王の種に……それとお前は欠陥品かァ? 破滅因子を探しにきたってーのに、とんだイベントが発生してるじゃねぇか。なあおいカゲ! この場合は本当に勝手にやってもいいんだよなァ!」
どこかに話しかける炎髪の魔族。
しかし返事はない。
「チッ、まだ来てねぇか。魔王の種はともかく破滅因子の気配なんて俺じゃァ全然わかんねぇしよ……ったく、本当にいいんだな、いいんだよなァ?」
ソワソワし始めた炎髪の魔族。
どうやら破滅因子は感知できないらしいが、やはりエルニが魔王の種だということは感じられるらしい。言葉と敵意からも、このままだと敵対するのは避けられなさそうだ。
しゃーない。
「おい、魔族」
「あン? なんだ欠陥品」
「一応聞く。目的はなんだ?」
さりげなくサーヤを炎髪の魔族の視線から遮り、対話を試みる。
こいつが白腕の魔族みたいな騎士道精神にあふれたやつならいいんだが……。
「目的? ンなもん決まってるだろ。破滅因子を探して連れて帰る。それが無理なら殺す」
「そうか。そのなんとか因子はここにいるのか?」
「さァな。いる可能性が高いってのは聞いてるが……なんだオメェ、カゲが言ってた協力者かァ?」
ふむ。
やはりモンターク子爵は魔族に協力してたのか。あの感じだと、脅されてたって言ってほうがいいだろうけどな。
協力者っぽく振舞えばもうちょっと情報を喋ってくれるかもしれない。
「カゲってのは、影に潜む魔族のことだろ。あいつに名前があったのか」
「なんだ知ってんのか。やっぱオメェが協力者――なわけねェよなァ! 『ファイヤーランス』!」
騙そうとしてたわけじゃないが、バレバレだったらしい。
炎髪の魔族が撃った炎の魔術は、俺のマントに触れるとあっさり霧消する。そんなもんじゃユニコーンの皮は傷ひとつつかないぞ。
「ンだテメェいいモン持ってんじゃねェか!」
「ん、やっていい?」
「待て待て。貴族たちを巻き込んだらどうする」
俺が攻撃されたことで、殺意をたぎらせるエルニだった。
恐慌中は防御姿勢も取れないから、エルニが戦ったらその余波だけでも大怪我してしまう。
あまり気は進まないが、向こうがやる気満々なので戦いは避けられないだろう。まともな情報ももう聞き出せなさそうだしな。
「魔族、やり合うのはいいけど外でやらないか。他人も巻き込むことになる」
「あン? なんでテメェの言うこと聞かなきゃならねェんだ欠陥品」
「そうか。お前はハンデが欲しいんだな」
「……ァ?」
軽く挑発すると、炎髪の魔族のこめかみに血管が浮いた。
「ここには俺たちの知り合いが大勢いるんだ。ここで戦うってことは、お前にはまともにやって俺たちに勝てる自信がないってことだろ?」
「テメェふざけたことぬかしてんじゃねェ!」
「どっちがだ。腕に自信があるなら、正々堂々戦えばいいだろ」
「上等だコラ! 外でやってやンよ!」
苛立ち紛れに炎髪の魔族は、壁に向かって魔術を放った。
壁の一部が崩れて穴があいた。
「来やがれ欠陥野郎! テメェはぐちゃぐちゃに潰す!」
ふう、単純なやつで助かったな。
ここにはシュレーヌ子爵もいるからな。最悪の展開になっても、彼だけは被害に遭って欲しくないからな。
俺も炎髪の魔族の後に続いて庭へ出た。
距離を置いて対峙する。
よし、ここならそれなりに安心かな。さすがにエルニの範囲攻撃は街中じゃ使えないけど。
「魔王の種の前にオメェを嬲って殺してやるよ欠陥品。魔術も使えないくせに粋がったこと、死ぬまで後悔させてやるからよォ!」
「そうか。なら欠陥品は欠陥品らしく努力してみるよ」
「死ねクソ欠陥品――『フレアパージ』!」
炎髪の魔族が唱えたのは、熱線を上から落とす高威力の魔術だ。
俺の体を包み込んだ単体攻撃魔術だが、チート性能マントの前では温風器みたいなもんだ。それに、同じ魔術でもエルニなら超巨大グレイトボアすら一撃で焼き尽くすぞ。
これも無傷なのは予想外だったのか、牙を剥きだしにした炎髪の魔族。
「ンじゃこれはどうだァ――『アースイーター』!」
地面が魔物のように口を開いて、俺に喰らいついてくる。
魔族の種族スキルは属性付与だ。自分、あるいは周囲に属性を付与して特殊な状況を作り出すことを得意としているらしい。土と同化していた赤眼の魔族は土属性付与だった。むやみに攻撃してもダメージを与えるのは難しかったが……こいつはどうだろう。
魔族との戦いに慣れるためにも、しばらく観察しておきたいけど……ま、いいか。ダメージがないとはいえ、何もせず攻撃を受けるのも癪だしな。
「『刃転』」
「ぐァっ!?」
炎髪の魔族の足首に斬撃を飛ばした。切断とまではいかないが、アキレス腱側を斬ったので、膝を折って倒れた魔族。
痛みで魔術が中断され、発動していた土魔術も土砂のように崩れた。
赤眼の魔族みたいに自身に属性付与してるわけじゃなさそうだな。そもそも種族スキルが誰にも使えるのか知らないけど。
「て、テメェなにしやがったァ」
「それを考えるのも、神秘術との戦いの醍醐味だろ――『刃転』」
「がァッ!」
もう片方の足と、両手の手首の腱も切っておく。容赦ないかもしれないが、俺やエルニはともかくサーヤはまだ低レベル。デバフひとつで致命的になりかねない。
それに四肢を封じたけど、まだ魔術は撃てる。とはいえさすがにこの状況で撃ってくるほど誇り高い戦士なら、きっちり介錯してやらないといけないけどな。
俺が冷たい目で見下ろすと、炎髪の魔族は歯をカチカチと鳴らした。
「ま、参った! テメェには敵わねェ……クソ、腐っても神秘王の仲間ってことかよォ」
吐き捨てる炎髪の魔族。
やはりロズのことを知ってたか。影に潜む魔族が共有してるんだろうけど、こいつがどこまで知ってるかは微妙なところだな。
俺は倒れた魔族のそばで屈んで、淡々と話す。
「それで魔族。知ってること全部話してもらおうか。話したうえでこの街と仲間に手を出さないって約束してくれたら、命だけは助けてやる」
「わ、わかった! 話してやる! ここに来たのはサトゥルヌ様の命令でよォ、破滅因子を回収するって任務だ。前に来てたやつらが死んだから、俺たちが後続で送り込まれたのよォ。カゲのやつの作戦で、邪魔してくるだろうっつう神秘王と魔王の種をなるべく離して破滅因子を探すってことだったンだが……まあ、結果はこの通りだぜ」
「そうか。神秘王の居場所はずっと把握してたのか?」
「そりゃカゲのやつがあの手この手で見張ってっからなァ。万が一のとき、こっちに来させないように相性のいいやつを待機させてるっつう話だしよォ」
「今回この街に来たのはお前とカゲってやつと、その神秘王にあてがった一体だけか?」
「いや、あとひとりいるぜェ。そいつは――ァガァ?」
と、炎髪の魔族の口から大量の血が漏れた。
音もなく、気配もなかった。
気づけば炎髪の魔族の腹に穴が開いていた。
ドボドボと血と臓物が落ちる。
俺は弾けるように飛んで距離を開け、気配を探る。
「ん、かげ!」
エルニがすかさず索敵し、すでにこと切れた炎髪の魔族の影を指さした。
影からずるりと這い出るように姿を現したのは、老父の姿の魔族だった。
間違いなく、カゲと呼ばれていたやつだろう。
「魔王の種、神樹の使徒、それに破滅因子の三拍子か……こりゃ儂でも骨が折れそうじゃのぅ」
カゲの魔族はしわがれた声でつぶやいて、殺した仲間をなんの躊躇もなく踏みつけながらニヤリと笑った。
「バカの相手はつまらんかったじゃろう? 次はこの儂――上位魔族スカトがお相手しようぞ」
~あとがきTips・状態異常編~
病気やケガなど理術的要素だけでなく、魔素や霊素が要因になっている継続ダメージや肉体・精神干渉を〝状態異常〟と総称。
ちなみに魂への直接的干渉は大きく分けて〝呪い〟か〝加護〟のどちらかで呼ばれており、状態異常やスキルとは別枠である。
●各状態異常と、治療可能な薬一覧
例:魅了 → 気付け薬・キュアポーション
〇ダメージ系
・毒 → 毒消し・キュアポーション
・猛毒 → 毒消し・キュアポーション
・腐食 → 活力剤・聖水
・溶血 → 活力剤・聖水
・熱傷 → 鎮静剤・キュアポーション
・凍傷 → 鎮静剤・キュアポーション
・感電 → 鎮静剤・キュアポーション
〇行動阻害系(身体)
・麻痺 → 痺れ消し・キュアポーション
・石化 → 活力剤・キュアポーション
・睡眠 → 気付け薬・キュアポーション
・盲目 → 採光薬・聖水
・沈黙 → 咽喉薬・聖水
・鈍化 → 気付け薬・聖水
・魔封じ → 鎮静剤・キュアポーション
・金属化 → 万能薬のみ
〇行動阻害系(精神)
・魅了 → 気付け薬・キュアポーション
・混乱 → 気付け薬・キュアポーション
・恐慌 → 気付け薬・キュアポーション
・狂化 → 鎮静剤・キュアポーション
・淫化 → 鎮静剤
・虚無 → 万能薬のみ
※万能薬・エリクサーはすべての状態異常に作用するため省略。
※ちなみに冒険者はほとんどの状態異常を網羅できるため、キュアポーションと聖水をセットで持ち歩いている。金属化・虚無は報告例が800年間で数回程度なので知らない者が多く、淫化はアップルラウネなどの果実でも簡単に受けるが、精神的に満足すれば自然治癒するため対処しない者も多い。
※なお呪いに対しては万能薬・エリクサーでも効果はない。専用の対処法が必須(本編でいずれ記載予定)




