幼少編・6『兄と妹』
日の出とともに起きてトレーニング。
朝食後、二度寝してから夕方まで書斎に籠る。
陽が沈むとすぐに就寝。
そんな規則正しい生活を一週間ほど繰り返した。5歳の体はすぐに眠くなるから夜は起きていられない。もっとも照明の魔術器を使えないから、俺の部屋は日没後は真っ暗でなにもできないので不都合はなかった。
ヴェルガナブートキャンプのおかげでそれなりに体力もついてきた。運動場も20周くらい走れるようになったし、ステータスもすべて10ずつくらい伸びてる。成長期ってすごいね。
書斎は天国だ。まだまだ読みたい本はたくさんあるので、当分ここに通う毎日を過ごすだろう。
とはいえ、本を読んでるとちょくちょくリリスが覗きにくる。最初は気になっていたけど、声をかけたら逃げるので放っておくことにした。妹の視線を浴びながら読書することにも慣れてきたとき、扉がノックされる。
俺は手元の本から視線を動かさず応える。
「あいてますよ~」
「し、失礼しますっ」
おや、ドジっ子メイド少女だ。
我が家のメイドたちの顔もわりと憶えてきたけど、少女と呼べるメイドはこの子ひとりだけだ。
他のみんなは熟年メイドがほとんどで、この子だけが飛びぬけて若い。若いって言っても俺より10歳くらい年上の中学生って感じなんだけどな。
公爵家だから客も高位の貴族が多いのだろう。メイドランクの高いスペシャリストたちを集めてるって感じだった。この子以外。
「ルルク様、紅茶をお持ちしました」
そういえば廊下ですれ違うときに頼んでたっけ。他の家族が気軽に頼んでたから、俺も頼んでみたら意外とOKだった。忌み子でも一応は公爵家の一員ってワケか。
メイド少女は緊張した面持ちでお盆に載せたポットとカップと運んでくる。何かとドジしてるシーンを目撃してるから不安になるな。頼むから書斎でひっくり返さないでくれよ。ほんと頼むよ。フリじゃないからな? な?
「「……ふう」」
紅茶は無事に到着し、ポットとカップが目の前に置かれた。息をつく俺とメイド少女。
ハモったせいで目が合う。
「しっ、失礼しました!」
恥ずかしかったのか、真っ赤に染めた顔をお盆で隠すメイド少女だった。
うん、こっちこそありがとう。あとは自分でやるからもういいよ。きっといまので幸運値が下がっただろうから無理しないで。
俺が礼を言って紅茶を注ぎ始めると、メイド少女はそそくさと部屋から退出しようとして、足を止めた。
「あら? リリス様、どうされましたか?」
ずっと入り口から覗いていたリリスが、部屋に一歩入っていた。足をそっと部屋の床に乗せた、みたいな体勢だ。
メイド少女に声をかけられても微動だにしないリリス。じっと俺を凝視している。
「……。」
「……?」
「……?」
何を考えてるのかわからない女児だが……注意深く観察してみるとリリスの視線がとらえているのは俺が持っているティーポットっぽい。
試しに、ポットを上にあげてみる。
くいっ
すすすす。
視線がついてきた。
下げてみる。
くいっ
すすすす。
……うん、間違いなく紅茶に興味がおありなようです。
喉が渇いたんだろうか。ま、子どもが一人で飲むには多いからちょうどいい。
「リリスも一緒に飲む?」
「……うん」
「じゃあ、二度手間になるけどカップもうひとつ持ってきてもらえる?」
「は、はいっ!」
「悪いね」
メイド少女がすぐさま部屋を出ていった。
手招きすると、リリスはゆっくり近づいてきた。ポットをじっと見つめて首をかしげる。
「……お花?」
「花? ああ、ポットのデザインね。リリスはこの花の名前知ってる?」
「知らない」
「これはガーベラっていうんだよ。花言葉は希望」
「……ガーベラ、かわいー」
ソファによじ登ってくるリリス。俺の隣でポットに描かれた薄紅色の花をじっと見つめていた。やっぱり世界が変わっても女児は花が好きなんだな。ところで疑問なんだけど、花が好きと言いながら花占いで花弁を引っこ抜いていくやつ、どんな気持ちで花が好きって言ってるんだろう。でも、そういうやつが将来大物になるんだろうなぁ。
数分でメイド少女が戻ってきて、新しいカップをリリスの正面に置く。リリス専用なんだろう、果物の絵が描かれた小さなカップだ……いや待て。カップの縁を彩ってるのは金かな? え、これ塗装じゃなくて本物? なんか取手にブランドロゴみたいなのも描かれてるし、もしかしてブルジョワジー?
一方俺のカップは無地の陶器。どこにもブランドの気配はない。百均とかで売られてても違和感はないぞ。
「ではルルク様、リリス様、わたしは失礼いたします。また御用がおありでしたらお呼びください」
「あ、はい。ありがとう」
「ありがとー」
俺のマネしてリリスも礼を言う。なにこの子可愛い。
リリスのカップにも紅茶を注いでやると、すぐに口をつけていた。紅茶は子どもでも飲みやすい温度まで冷ましてくれてるから火傷の心配はない。保護者のような気持でリリスがカップをテーブルに戻すのを見届けてから、俺も一口。
うん、うまい。
「俺は本の続き読むけど、リリスはどうする?」
「……リリも読む」
「わかった。何が読みたい?」
「絵本」
「絵本か。どこあるかな~」
「あそこ」
リリスが本棚の一角を指さす。
リリスの目線の高さに絵本が集められていた。指示通り絵本をいくつか抜いてテーブルに置いてやる。リリスはひとしきり悩んでから選ぶと、座ったまま読み始めた。
さて、俺も続き続きっと。
……。
…………。
……………………。
「おいモヤシ!」
バン! と乱暴に扉が開いて飛びこんできたのは、ぽっちゃりな悪ガキ。
いい場面だったのに集中力を乱しやがって。
俺はムッとした顔を隠さなかった。
「今度はどうしたの」
「うわっ! ほんとにリリスもいる!」
無視しやがった。
俺の隣で絵本を熟読するリリスを見て、なぜか怒ったように声を荒げるガウイ。
「おいてめぇモヤシ! リリスを洗脳したな!」
「は?」
「しらばっくれるなよ! リリスは男嫌いなんだぞ! 父上にすら懐かないんだぞ! それなのに一緒に本読むなんてうらや……違う、どうやったんだよ!」
「ははーん」
リリスが男嫌いだという真偽はひとまず置いといて、ガウイが言いたいことはハッキリと分かった。
こいつアレだな? シスコンだな? 嫉妬してるんだな?
そうと分かればやることは決まっている。
まずはポーカーフェイスだ。
「さあ、俺は普通に過ごしてただけだけど。なあリリス」
「……なあに? ご本は?」
「いやな。ガウイがやってきて変なこと言うからさ」
「むぅ……」
あからさまに頬を膨らませてガウイを睨むリリス。きっといいところだったんだろう。そりゃ邪魔されたら怒るよな。
ガウイもリリスに睨まれてさっきの勢いを失くしていた。怒りをぶつける矛先を失って困ってらあ。
なら追加コンボだ。
「そういえばリリス、一人で本読めるんだな」
「うん。ママに教えてもらったもん。リリ、えらい?」
「偉いぞ」
「えへへ」
褒めて欲しそうだったので頭を撫でてやる。はにかんだリリス。
なにこの子天使か。
「ぐっ、ぬぬ……」
悔しそうなガウイの声が聞こえた。
俺? もちろんリリスに気づかれないようにガウイの方を向いて、ニヤリとしてやったぜ。ははは、拳握って何か言いたそうにしてやがる。
でもまあ俺も鬼じゃない。天使を愛でるおこぼれくらいは差し出してやろう。
「ほら、ガウイもリリスのこと褒めたそうにしてるぞ。褒めてもらいな」
「や! ガウイお兄ちゃん意地悪だからキライ!」
ぷいっと顔を背けるリリス。
白目を向いて失神一歩手前のガウイ。
爆笑を堪えて腹をよじる俺。
おそらく日頃の行いだろうな。いいかガウイよ、妹に好かれたかったらいい子になるんだ。誰もが認める無垢な子どもになるんだぞ……手始めにサンタさんを信じるところからだ。だからその俺に向けてる殺意と拳を抑えるんだ。暴力反対。
「そっかーガウイお兄ちゃんは意地悪なんだなー」
「そう! いっつもリリのお人形とるもん!」
「そりゃダメだな。嫌われても仕方ないなぁ」
ガウイは好きな子にイタズラしちゃうタイプの男子だな。わかりやすい。
でも残念ながら女子にはその純心は伝わらないんだ。六法全書にも書かれてあるくらいわかりきったことなんだぜ。
リリスは不安になったのか、心配そうな目で俺を見上げる。
「……ルルお兄ちゃんは、人形とる?」
「取らないよ。リリスの嫌がることはしません。俺は死ぬまでリリスの味方です」
「ほんと? 約束する?」
「いいぞ。指切りしよっか?」
「……指切るの?」
怖がって後ろに手を隠すリリス。
かわゆい。
「違うよ。約束のおまじない。小指と小指をくっつけて約束したら、絶対に守らないといけないんだ」
「おまじない! する!」
俺とリリスは小指を絡めて、指切げんまん。
噓ついたらハリセンボンくらい丸吞みしてやるぜ妹よ。
「指切った!」
「たっ! えへへっ」
離した小指を嬉しそうに抱えるリリスだった。
うむうむ。兄とはちょっとアレだけど、妹とはいい関係を結べそうでなによりだ。それに独りには慣れてるとはいえ、この屋敷でいつまでも一人きりじゃ寂しいもんな。まずは友達ゲットだぜ。
「で、ガウイくん……何で服噛んでんの?」
「ぐぐぐぐぐぐぐ」
自分の服をまくり上げて噛んでやがる。ふつうに絵面が怖い。
俺とリリスのイチャイチャに相当腹を据えかねたんだろうな。物を噛むことでストレス発散するのは悪い手段じゃないからそっとしておこう。でもあんまり噛んでると服がヨダレでびしゃびしゃだぞ。
「ガウイお兄ちゃんまだいるー! ここはご本読むところだから、はやく出てって!」
「グハッ!」
こうか は ばつぐん だ。
がうい は たおれた。
……マジで倒れてピクリともしないなこいつ。さてはストレス限界突破して気を失ったか。まあ面白いので放っておこう。
「む~出ていかない……」
「アレはガウイの形をした置物だと思えばいいよ。さ、続き読もう」
「うん!」
倒れたガウイは無視して、読書タイムに戻った。
それからは乱入もなく平和な時を過ごした。
ガウイの目が覚めたのは、そろそろ夕飯だからとメイドが呼びに来た時だった。床に倒れていたガウイはムクリと起き上がり、能面の表情で黙々と俺たちが読んでいた本を片付けてくれた。愛する妹に滅多打ちにされて、善なる心に目覚めたか?
ちなみに夕飯はポトフみたいな具沢山のスープだった。ごちそうさまでした。
「……あれ?」
翌日、書斎に訪れたら昨日読んでた本がなかった。
誰かが借りて行ったんだろうか。場所は憶えていたし、歯抜けになってるから間違いなく誰かが持って行ったんだろうけど。
まあいいか。
そう思って別の本を取りに動いたら、そっちもなかった。というより、昨日出していた三冊の本がすべて持ち去られていたのだ。
これはもしかしなくても、
「ガウイだな……」
俺の代わりに本を片付けてくれたのはタイトルを憶えるためだったか。
また手の込んだイタズラを。
ここで仕方ないと諦めて別の本を探すのも手だが、なんだかガウイに負けたみたいで癪に障るな。あまり興味のないものならどうでもいいけど、こと物語においては妥協したくない。
よし、そうと決まれば狩りの時間だ。ガウイと名の付くものはこの世から一匹残らず駆逐してやる!
「してやる~?」
「おっとリリス。来てたのか」
「うん! ルルお兄ちゃんどこかいくの? ご本は?」
「ああ、ちょっと読んでた本が盗られてな。悪ガキに問いただしてこようかと」
「意地悪されたの?」
「う~ん、どっちかっていうと嫉妬の八つ当たり」
「?」
さてさて、いまの時間ガウイは何をしてるかな。
部屋を出ると、リリスも後ろからついてくる。
「どこ行くの?」
「ガウイの部屋。どこか知ってる?」
「うん。こっち」
先導してくれるらしい。
廊下を進んで三回ほど角を曲がる。ほんとに広いなこの屋敷。リリスが止まって指さした扉には『俺様の部屋』と書かれた板が張り付けられていた。うわぁガウイっぽい。
とりあえずノックする。
「ガウイ~野球しようぜ~」
ガチャ。
「なんだよモヤシかよ。ヤキュウってなんだ?」
「そんなことよりガウイくん俺に言いたいこと、なーい?」
上目遣いでめんどくさい彼女みたいに言うと、すぐに察したのかニヤリと笑みを浮かべたガウイ。
「ああ、もう気づいたのかよ」
「そりゃ気づくよ。本のことなら特にね」
「思ったより早かったな。でも残念、俺様は持ってないぜ」
「……ニーナとアレキサンダー、どこにやった」
「誰だよそいつら」
「そこは『勘のいいガキはキライだよ』って返すところだよ? 常識知らないの?」
「意味わかんねぇ」
冗談はともかく、持ってないならどこかに置いたってことだな。
正直に答えるとは思わないけど、一応聞いてみよう。
「ではガウイくんに問題です。『近代魔術史』『黄金魔王の悲劇』『竜と騎士(下巻)』。この3つを足した合計が幸福になるとき、それぞれの解を答えよ」
「変な言い回ししてんじゃねぇよ。せいぜい自分で探せクソモヤシ」
「ファイナルアンサー?」
「あ? なんだって?」
「君の答えはそれでいいのか、と聞いている」
「ああ、もちろんだ」
ニヤニヤと笑う悪ガキ。
そうか……それなら仕方ない。これ以上苦しめるのは本意ではないが、サンタとマリアの名に懸けて、すべての不義に鉄槌を!
俺は扉の前から一歩後ろへ下がる。俺の陰にいたのはもちろん、
「ガウイお兄ちゃんの意地悪っ! キライ! だいきらいっ!」
「あばぁ」
ガウイが膝から崩れ落ちるのを見届けてから、俺は踵を返した。
あ~スッキリした。
こうして不可抗力で始まった宝探しだったが、意外にもリリスが乗り気で手伝ってくれた。壺の中、テーブルの下、ソファの後ろ……ガウイの行動範囲を考えて探したらわりと順調に見つかってくれたので、さほど時間はかからなかった。苦労しなかったのはリリスが「かくれんぼしてるみたい!」と楽しそうだったからなので、可愛い天使の笑みに免じてガウイへの仕返しはあれくらいでいいかと思ったのだった。
こうしてこの日、ガウイに対するリリスの好感度は下がりまくった。
ちなみに成長したリリスにこの話をすると「最初から最低値だったよ」と言い捨て、ガウイは泡を吹き、俺が爆笑するという流れはいずれ俺たち兄妹の鉄板ネタになるのだった。