心臓編・34『モンターク子爵』
ギルドに戻った俺たちを迎えたのは、ターメリク支部長だった。
「モンターク子爵の指名依頼はいかがでしたか?」
「問題なく終わりましたよ。ご依頼通り、胴体には傷ひとつつけていません」
「おお! さすがルルクさんですね。報酬は期待しててください」
俺たちがアイテムボックスを持っていることを知っているので、討伐した魔物の姿がなくても疑うことなく個室に案内された。
とはいえ今回は巨大なオピオタロスと、さらに巨大なスターグリズリーも持ち帰っている。ギルドじゃ出す場所がないはずだけど。
「解体はモンターク子爵のお屋敷で行いますので、そのままでお待ちください。先にクエスト報酬を持ってきますね」
ターメリク支部長は部屋に俺たちを残し、急いで出て行った。
ってことはこのあとモンターク子爵の屋敷に行かなければならないってことか。面倒だなぁ。
まあ、指名依頼してきた相手だし顔くらいは合わせておくか。パーティにも招待してくれているし、挨拶を済ませておこう。
「お待たせしました! こちらが指名依頼の報酬です」
ターメリク支部長が持ってきたのは、想像の倍くらい大きな金貨袋。
「今回は急ぎの依頼でしたので、時間制限依頼料として経費込みで金貨50枚。オピオタロスはBランク魔物ですので、条件付きBランク討伐依頼の報酬として金貨50枚。指名料として金貨20枚、肉の買い取り金がオピオタロス一体で金貨50枚、それと胴体に傷なしと高難度条件完全達成ということなので追加報酬で金貨25枚です。合わせて金貨195枚ですが、ギルドからお世話になっているお礼として特別手当金貨5枚を合わせて金貨200枚です。ご査収ください」
「え、いいんですか? オピオタロスくらいで」
さすがに貰いすぎな気がする。
金貨200枚なんて大金、Aランク魔物一体の報酬総額くらいの金額だ。
しかもまだ肉以外の素材買取の料金は含まれてないから、さらに増えるだろう。
「何をおっしゃいますか。歩いて半日の距離のBランクの魔物を、午前の間に要求通りに仕留めて戻ってくるなんてことルルクさんたち以外にできると思いますか? それに今回、モンターク子爵が求めているのは肉です。アイテムボックスという最高の保存方法を使って素材を新鮮なまま運んでくれる冒険者すら、この街には普段いないんですよ」
「でも、モンターク子爵はこの金額に納得してるんですか?」
「当然です。いいですかルルクさん、依頼主からクエストの依頼を受けているのは我々ギルド職員です。冒険者に適正な難易度、適正な報酬をもとにクエストを発注するのはギルド側の仕事なのです。そしてもちろん、所属している冒険者たちの価値を適正に判断するのも、我々の義務なのですよ」
瞳をギラつかせて熱く語る支部長。
「ルルクさんへの指名依頼にはそれくらいの価値があるということを、依頼主様にしっかりと説明して納得していただくことが、我々ギルド職員の責務なのです。金貨200枚で商談は成立しましたが、正直もう少し頂くべきだったと反省しているくらいなんですから。なのでルルクさん、遠慮なさらずお受け取り下さい」
熱血インテリっぽい人だとは思ってたけど、なんだかそれ以上に仕事熱心な人だった。
支部のトップがこれほど冒険者のことを考えてくれているなら、この街のギルドは安泰だろうな。
俺は金貨袋をエルニの銀行に預けておく。
「ありがとうございます、ターメリク支部長」
「いえいえ。早速ですが、このままモンターク子爵家へとご足労願います」
「ご案内よろしくお願いします」
さて、つぎはモンターク子爵とエンカウントか。
どんな人なんだろうな。
「ど、どどどうも。カシジャス=モンターク……です」
「冒険者のルルクと申します。こちらは仲間のエルニネール。それと従魔のスライムのプニスケです」
カシジャス=モンターク子爵。
このシャブームの街の北東に小さな土地を持っている子爵家の当主だ。
所有地は平野と沼地で特に手を付けておらず、収入源は代々経営している薬商家らしい。商家のほうが上手くいっているようで、屋敷も綺麗で整っていた。
薬草農園もいくつか保有しており、製薬業と商家を経営し安定した収入を持っている。堅実な経営で懐も温かく、薬を扱う者としての立場もあり人柄はよい。
家族構成は隠居している父と子爵本人、妻ふたりに息子がふたり、娘がひとり。屋敷には奴隷が数人使用人として奉公しているが、全員が経済奴隷で成人済みの女性だ。
ロズから教えてもらっていた情報はこれくらいだ。どうせ慰労会で直接会うから、あまり知識を詰め込んでおく必要はないだろうという判断で細かい裏は取っていない。
前評判のとおり、かなり人の良さそうな男だった。
歳は30代後半ってところだろう。少し挙動不審っぽい言動で、ずっと気弱そうな笑顔を浮かべている。とはいえ貴族の義務として体は常に鍛えているのか、線は細いが筋肉もバランスよくついていた。
良くも悪くも、それほど特徴のない貴族だな。
まあ特徴のありすぎる貴族(どこぞの覇王)が濃すぎるだけで、ふつうはこんなものかもしれないけど。
ターメリク支部長とともに通された応接室で軽く挨拶をかわし、そのあとは紅茶を一杯飲むあいだに街の復興状況の話と、俺の寄付や復興支援のことにも触れた。
歓談を終えると、モンターク子爵は本題に入った。
「そ、それではルルク殿。依頼のオピオタロスの納品をお願いしたいです」
「かしこまりました。解体はどちらで?」
「こ、こここちらへ」
子爵、なんか近くで見ると顔色悪いな。
体調でも悪いのだろうか。
オドオドしている子爵に案内されたのは、屋敷の裏手にある大きな倉庫のような場所だった。いつもは物を色々並べているんだろうが、いまは壁へすべて寄せてかなり広いスペースを開けていた。中央には巨大な鉄製のテーブル、床には排水穴、壁にはホースのついた水魔術器、壁の上部には換気のための風魔術器が設置されている。
貴族の家の倉庫にしては色々設備が整ってるなあ。
俺が観察していることに気づいたターメリク支部長が説明してくれる。
「子爵様はふだん、ここで薬学の実験もされてるんですよね。これだけ充実した設備だといろんなことができそうですね」
「そ、そうですね。きき、危険な薬剤もあります、ので」
「そうでしたか。つい感心してしまいました」
俺もある程度の世辞を述べたあと、中央のテーブルを見る。
テーブルのそばでは解体屋らしき男たちが、数人待機していた。
「あそこにオピオタロスを出してもよろしいですか?」
「はは、はい、よろしくお願いします」
子爵がうなずくと、エルニがアイテムボックスからオピオタロスを躊躇うことなく出した。
どん、とあまりの重量にテーブルが揺れて軋む。
上半身の牛は全部テーブルに乗っているが、下半身の大蛇はもちろんはみ出していた。改めてみるとデカいな。さすがにここじゃスターグリズリーは出せないか。
解体屋の男がひとり、嬉しそうな声を上げた。
「すげえぜ! こりゃバラし甲斐もあるってもんだ! しかも本当に体に傷ひとつねえな。よし、血抜き急げ!」
仲間たちに指示を出して、さっそく解体を始めた解体屋たち。
すかさずターメリク支部長が口を挟む。
「肉はモンターク子爵に所有権がありますが、その他の素材はすべてルルクさんに所有権がございます。解体した素材の保管と査定もよろしくお願いしますね」
「おうよ! 任せときな!」
太い腕で力こぶを作る解体屋の男。
彼の腕次第では、あとで個人的にスターグリズリーも頼もう。
「でで、では解体の間は客間をお貸ししますので、ど、どうぞごゆるりとおくつろぎください」
俺、エルニ、プニスケ、ターメリク支部長は子爵に連れられて母屋へ踵を返した。
歩いている途中、ターメリク支部長と子爵が色々と話をしているのが耳に入る。
「そういえば子爵様、上の奥様が体調を崩されていらっしゃるとか」
「えっ、ええ……すこし、調子がわるくて……」
「お見舞い申し上げます。何かご必要なことがございましたら微力ながらお手伝いしますが」
「なにもっ! コホン……な、なにもございません。ただ数日休めば戻るような流行り風邪です」
「そうでしたか。ご自愛くださいとお伝え願います」
「お、お気遣い感謝します……」
ふむ、第一夫人は風邪か。
それで子爵も体調が悪そうなのかな。
俺とエルニには優秀な治癒スキルがあるから感染症くらい平気なので気にする必要はないが、普通の人は病気が一番怖いだろうな。
もっともモンターク子爵自身が薬商家だし、気を付けてはいるだろうけど。
案内された客間は清潔で、ソファが三つもあるゆったりとした造りだった。
「で、では解体が終わりましたらお呼びします。使用人をひとりつかせておきますので、御用がありましたらなんなりとお申し付けください」
腰を落ち着かせると子爵が中座して、中年女性の使用人が残った。
使用人に紅茶をもらい、言われたとおりくつろいでおく。
でもまあ、何もしないのもヒマなので
「エルニ、プニスケ。いまのうちに理術の勉強でもしようか」
「ん」
『はいなの! おべんきょおべんきょ』
エルニに紙とペンを出してもらって、テーブルに置く。
横からターメリク支部長が興味深そうに眺めてくるけど、まあ気にしないでおこう。
「まずエルニからだな。さっき使った重力操作の魔術だけど、重力の方向は固定なのか?」
「ん、そう」
「なんでだ?」
「ん……なんで? じゅうりょく、したにいくもの」
首をかしげるエルニだった。
まあ、そりゃそうか。
俺は紙に大きな丸を書いて、その上に人間を立たせる絵を描いた。
「星が人間を引きつける力が重力。それは師匠に教わったと思う。でもエルニ、じつは重力という特別な力は存在しないんだ」
「ん……?」
「厳密にいうと重力は、質量のある物質すべてのものが持っている『他の物質を引きつける力』――引力と、星が自転する遠心力を組み合わせた計算の力なんだ。簡単にいうとだな、重力と同じ力はオレたちも持っている。あまりに小さすぎて、よくわからないけどな」
「ん、いんりょく」
「そうだ。オレたちの知覚限度じゃ星くらい巨大にならないと生み出す引力を観測できない。でも、引力自体は他のものもみんな持っている。だから魔術で操れる重力が、星の引力と同じ方向にしか作用できないっていうのは、おそらく思い込みなんだよ」
師匠いわく、重力の増加は中級魔術。重力の減少は上級魔術。重力の無効化は王級魔術。そして重力の自由操作は禁術――極級魔術以上だ。
浮遊や飛行の術式は、引力という概念を学ばねばたどり着けないはずだ。理術が進んでいるストアニアでも引力に関する研究は耳にしたことがない。
かつて禁術登録された『重力支配』の開発者は、もちろん辿り着いていただろうけど。
「引力は質量――重さが発生する物質には常に存在していて、その質量によって引力の強度が変わってくる。ということは、星の重力に従って同じベクトルに向ける必要はどこにもないんだ。リンゴは下に落ちるけど、それは単に星に引っ張られてるだけ。もし重力を操作するなら、落ちていくリンゴを横から引っ張って邪魔をするイメージで良いと思うんだ」
「ん、なるほど」
聞いたことを、自分なりにメモにとっていくエルニ。
まあ、こんなふうに偉そうに言ったけど、俺の魔術練度は当然ゼロだ。
辿り着くべき答えはわかるが、道筋は見当もつかない。何をどうすれば魔術の理解が深まるかはわからないので、あとは全部エルニに任せる。ポイっ。
まあそれはいつもどおりなので、エルニもそれ以上は聞いてこない。
「じゃあつぎはプニスケ。さっきたくさん魔物を刺したとき、スキルの具合はどうだった? うまく使えるようになってたか?」
『うん! 最初にくらべたら、からだがかるくなったの!』
お、ということはやっぱりレベルは上がってるな。
あとでロズに見てもらうことにして、と。
「それ以外はどうだった? 触手もけっこう硬くなってたけど」
『あのね! ご主人様にいわれたとおり、だんせいっていうのをがんばったの!』
「どうがんばったんだい?」
『てきにあたるときにね、かたくしてみたの! そしたらグサーってなったの!』
お、つまり変形と弾力操作を同時に使ったってことだな。
そりゃスターグリズリーにも刺さるな。
でも、レベルがあがったらいきなりできたってことか。
……魔物のスキル上達ってレベルに依存してくのか?
いや、それだと高レベルの魔物がもっとスキルを使ってきても不思議じゃないからな。
プニスケのセンスがいいだけなのかもしれない。
『ボクえらい? えらいなの?』
「うん、とってもえらいぞ。よしよし」
『えへへ~えへへなの~』
抱っこして撫でまくる。
嬉しそうに震えるプニスケめちゃかわゆし。
まあ、スキルとレベルの関係は保留だな。どっちにしても練習してて損はないだろうし、レベリングも継続しよう。
「ん……わたしもほめて」
「はいはい。エルニもえらいぞ」
「ん」
エルニがちょこんと隣に座ってきたので、プニスケと同じように撫でてやる。
するとそれまで傍観していたターメリク支部長が、震える声で聞いてきた。
「あ、あのルルクさん……さきほど重力操作と聞こえたのですが……」
「はい。それがどうかしましたか?」
「いえ……禁術を、まさかエルニネール嬢に憶えさせようと挑戦しているのですか? 一流の壁を越えた上級や王級では満足せず、専門の研究者でもほぼたどり着けない極級魔術を?」
「ええ、まあ」
というか、すでにいくつか使えるしね。
それを言う必要はないからもちろん黙ってるけど。
ターメリク支部長は乾いた笑い声をあげた。なんだか遠い目をしている。
「はは、冒険者で禁術取得ですか……ルルクさんたちはどこを目指すおつもりなんでしょう……しかもその若さでって……常識とは……なんでしょう……あれ、でももしかしてあの破壊跡……もうすでに……あれ、あれ……?」
「おーい、ターメリク支部長~」
呼んでも反応しなくなった。
ダメだこりゃ。
意識をトリップさせたターメリク支部長を放置して、俺たちは勉強会を再開するのだった。
2時間ほど後、解体が終わったと知らせがくるまで放心気味のターメリク支部長だった。