心臓編・24『おとうさま』
大声で泣くサーヤを抱っこしながらなだめつつ、俺も動揺した心を鎮めていた。
サーヤが日本人だったというのも驚いたけど、まさかの一神だったとは……。
確かに、転生してきた頃は少し考えていた。
俺と一緒に死んだクラスメイトたちも、この世界に転生してるかもしれない。どこかにいるかもしれない。
とはいえなんの手がかりもなければ、軟禁状態だったから家族以外の知り合いなんて片手分も作れなかった。それきり気にしなくなっていたから、まるっきり忘れていた。
そう考えると、もしかしたら他のクラスメイトたちもどこかに転生してるかもしれないな。
「うぐっ、ひっう」
一神……いや、もうサーヤと呼ぶべきだな。俺がルルクなのと同じように。
サーヤはまだ俺のシャツを握りしめて震えている。
いろんな感情が一気に押し寄せてきたんだろう。転生者だから見た目より精神年齢が高いとはいえ、父親に殺されそうになったんだ。怖かったんだろうな。
俺の筋力ならサーヤの軽い体なんて負担にならないので、黙って抱っこしたままにしておく。
しかし、軽いな。10歳の女の子ってこんなに軽いのか。
見た目は10歳、中身は女子高生、そしてクラスメイト…………あれ? また実年齢不詳が仲間になったんじゃね? まともなやついないんだけど??
というか、そうか。これから仲間になるのか……。
なんか言葉にできないむずがゆさを感じる。
「サーヤ! なにがあった!」
その時、寝間着姿のシュレーヌ子爵が血相を変えて調理場に飛び込んできた。手には護身用の剣を握っていて物々しいが、頭にちょこんと乗ったナイトキャップが可愛い。
子爵は調理場にひっくりかえった水樽、割れた酒杯、俺に抱えられて号泣しているサーヤ、床で呆けているデブ父、そしてサーヤの首にくっきりとついた赤い手の跡を順番に見ると。
「……ついに、この時が来てしまったか」
手に持っていた剣の鞘を抜き放って、自失するデブ父へと殺気とともに歩みを進めた。
殺す気まんまんだな……さすがに止めるけど。
俺はサーヤを抱えたまま、逆の手で子爵の進路をふさいだ。
「どいてくれたまえ、ルルクくん」
「ダメですよ、子爵様」
「いいや、こうなってしまった以上、この愚か者は私の手で裁かねばならないのだ。シュレーヌ家はこれで終わりになってしまうだろうが、それも私の責任。弟を止められなかった報いとして、この身を賭してサーヤの憂いを断とう」
「違うんですよ。もう、終わったんです」
俺が告げると、シュレーヌ子爵は殺気を緩めてデブ父をじっと観察した。
ぼうっと虚空を見つめ続けるデブ父の様子に、ただ事ではないと気づいた子爵はようやく剣を下げた。
いつもの丁寧な口調に戻って言う。
「……たしかに、サーヤに危険はないようだね。何があったか詳しく聞いてもいいかいルルクくん」
「もちろんです。色々と腹を割って話さねばならないことがありますので、夜分遅くですがどうかお付き合い下さい」
「構わないよ。では、リビングで話そうか」
鞘を拾って剣をおさめた子爵は、部屋の外で待っていた使用人の少女にデブ父を連れてくるよう命じ、俺たちと一緒に応接室まで移動した。
「まずはルルクくん、サーヤを助けてくれて本当にありがとう」
ソファに座るなり深く頭を下げた子爵。
泣きはらしていたサーヤも、いまは涙目の状態で俺の隣に座っていた。
なぜか俺の腕を抱き込むようにして密着している。
「いえ、こちらも間に合ってよかったです。助けるのが遅くなってごめんなさいサーヤさん」
「ううん。嬉しかった」
にか、と強がって笑うサーヤ。
「ちなみにルルクくん、どうしてこんな夜更けに訪ねてきたのか伺っても?」
「虫の知らせといえばよろしいでしょうか。サーヤさんの身に危険が迫ったような気がしまして……心配して近くまで来てみたら、ただならぬ空気を感じたので無礼を承知で敷地に飛び込みました。勝手な真似をしてすみません」
「いやいや、感謝こそしても咎めるなんてあり得ないよ。サーヤ、よい仲間に巡り合えたようだね」
嬉しそうな子爵だった。
まあぶっちゃけ嘘なんだけどさ。
本当は、エルニが宿で『全探査』を使ったのだ。もちろん魔族の索敵を目的としたもので、サーヤが襲われていたタイミングだったのはただの偶然だ。
エルニの報告を聞いた俺は、全速力で転移をくりかえしてやってきたのだ。
あと数秒遅れていればどうなっていたかわからない。エルニにも感謝しないとだな。
「ええ、ルルクはいつだって助けてくれるのよ伯父様」
サーヤもエルニの禁術を知ってるので、追求せずに察してくれたようだ。
その割には大袈裟な言い方な気がするけどな。
「それで子爵様、サーヤの父君……子爵の弟さんのことですが、どこから話せばいいのかわかりませんが――」
「伯父様。パパは伯父様に毒を盛って、子どもを作れなくしてたのよ」
ストレートにぶっこんで来たサーヤだった。まだ怒ってるのが表情から見て取れる。
まあ、いままで息子ができないことを悩んでいた子爵だ。
さぞ怒るだろう――と思いきや。
「うん、知っていたよ」
「え? ほんとに?」
「ああ。一時期、弟が食事を作ってくれていたことがあってね。どうやらそれに薬を仕込んでいたらしいんだ。種が機能不全になる薬らしくてね……それを知ったときには、もう手遅れだったよ」
「知ってたの!? 知っててどうして黙ってたのよ!」
サーヤのほうがヒートアップし始めた。
落ち着くように頭を撫でると、とたんに顔を真っ赤にして静かになった。あらまあ可愛……いや待て、中身はクラスメイトだぞ、油断するな俺。
子爵は苦笑して答えた。
「問い詰めてもはぐらかされるだけだよ。それに、私としては優秀なサーヤに後を継いでもらうのも悪くないと思っていたからね。それに子どもがいたら、差別や虐待に苦しんでいる子どもたちの面倒を見られなくなるかもしれない……そう思ってたんだよ。だから、だね」
「そんな……伯父様、私何も知らないで……」
「いいのさ。それに強欲で愚かな弟だけど、たったひとつだけ私に宝物をくれたからね。そう考えたら、子どもができなくても許せる気がしていたから」
「宝物?」
「ああ。宝物だ……きみだよ、サーヤ」
子爵はいつもの穏やかな笑みで、サーヤを見つめる。
「きみには素晴らしい才能があり、理知的で、とても向上心が強い。そしてなにより弱者を差別しない優しさがある。バカな弟から生まれたとは思えないほどの、出来すぎた子だよ。私も妻たちも、きみを本当の子のように想っている」
「……でも、だって……」
「だからきみが気にする必要はないんだよ、サーヤ。むしろ私に子どもがいないせいで、いままで苦労をかけたね。これからは我慢することなく自由に育ちなさい。この家のことも気にする必要はないさ。3年と言わず、好きなだけルルクくんたちと一緒に旅をして、素敵な思い出をいっぱいつくってきなさい。それが私たちにできる、この家に生まれた不幸な娘にしてあげられる唯一の償いだからね」
「伯父様……」
サーヤは両手で口元を覆い、涙を浮かべる。
言葉を震わせながら、彼女は言った。
もはや子どもをつくることも叶わない、優しくも不憫な伯父に。
「ありがとう伯父様……いえ、お父様」
「――っ!」
子爵は目を見開いた。
かすかな動揺のあと、彼は顔を手で隠してうつむいてしまう。
肩を震わせ、小さなしずくが一粒足元へ落ちていくのが見えた。
俺は見なかったようにして、視線をサーヤに移す。
サーヤはとても幸せそうな顔をしていた。
綺麗な笑みだった。
しばらくして落ち着いたのか、子爵は顔を上げて恥ずかしそうに笑った。
「はは、すまない……私も歳かな。それでルルクくん、話は変わるけど弟のことを伺ってもいいかな?」
子爵は視線を後ろに向ける。
そこには廃人となったデブ父が、無感情に椅子に座っていた。その横に控える使用人の少女の表情はうつむいていて見えない。
「すみません子爵様。俺が直接手を下してしまいました」
「いや、それはいいんだよ。弟の自業自得だってことくらいは理解できる。それよりもどういう術を?」
「精神と肉体を分離する幻影を見せています。特定の欲望がある限り、自我を取り戻すことも自意識のみで肉体を動かすこともできません。ただ反射行動はとることができますので、介護さえあれば生活も可能です」
「それは神秘術かな?」
「はい。俺の独自の術式です。それゆえ解除方法はありません」
もとより解除するつもりもない。許す気がないからな。
もし解けることができるとすれば、それは彼が無償の愛でサーヤを受け入れる精神状態になったときだけだろう。それと権力への渇望も完全に無くなった時だ。
そんな日が来るかはわからないけど。
「そうか……介護は必要なんだね……」
「……旦那様。わたしはもう、もう……っ!」
使用人の少女が手を震わせていた。
その視線は動かない主人をじっと見つめている。瞳の中に宿っていたのは、明らかな憎しみと殺意。
子爵は大きくため息を吐いた。
「……そうだね。サーヤと同じくらいきみにも迷惑をかけた。ずっと我慢させていてごめんよ。明日、すぐに隷属契約の解除手続きをしに行こう……私たちのために十分働いてくれたからね」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
奴隷の少女は、泣きながら何度も頭を下げていた。
俺はやり取りが終わったのを確認してから口を挟む。
「介護費用についてですが、もちろん俺が負担します。明日の納付時、賠償金と介護費用合わせて金貨1000枚ほどを追加納付いたします」
「いいや、そこまでする必要はないよ」
「いえ、それでは俺の気が――」
「そもそも私は弟を生かしておく気はないからね」
鋭い視線で子爵は言った。
「ルルクくん、きみが断罪してくれたことには感謝するよ。そうでなければサーヤも納得できなかっただろうからね。だからそれについては何も言わないし、言う資格はないと思っているよ。でもね、私とて弟の性根を知りながら放置していた罪があるんだよ。ルルクくんがいなければ、娘同然……いや、娘のサーヤを失っていたんだろうからね。弟に対して許せない気持ちは、私のほうが大きいと自負してるんだよ」
「それは……そうですね。心中お察しします」
「それに弟の件――毒を盛っていた件はすでにケタール伯爵様にも伝わっているからね。というより、私が毒を盛られたことは、もとはといえば伯爵様が突き止めてくださったことなんだ。ただ私の願いでサーヤのためにも明るみにしないよう頼んでおいたから、罪を保留にしてもらっていたんだ。でも今回の件をそのままにしておくことは出来ないからね。伯爵様が知ればまず内密に貴族裁判にかけられて、間違くなく死罪になるだろうね」
そうだったのか。
バベル伯爵が子爵のことをお人好しって呼んでいたのは、たぶんこういうことがあったからなんだろうな。貴族社会も色々あるってことで納得しておこう。
「そうだったんですね。余計な真似をしてしまい、申し訳ございませんでした」
「とんでもない。さきほど私が感情のままに斬っていれば、私も同様に罪を問われたはずだからね」
兎に角、そういうことなら子爵に迷惑がかかることはないか。
とはいえ俺が手をかけたのは事実だ。賠償金だけでも追加で渡しておこう。
これから大事な娘を預かるんだし、そのお詫びとしてもな。
「子爵様、あとはサーヤさんのことですが……さすがに今夜はここに残しておくわけには行きませんよね」
「こちらからもお願いしたいかな。契約前ではあるけれど、サーヤの身を一番に守ってくださったのはルルクくんだ。ルルクくんになら安心して預けらるよ。サーヤもそれでいいね?」
「もちろん! ルルクと一緒に行くわ!」
「ではそういうことでお願いします」
「承りました」
快諾すると、サーヤが嬉しそうに腕を抱く力を強めた。
ただまあ、問題があるとすれば。
「……サーヤさん、さすがにこの時間に宿も受付しておりませんので、こっそり忍び込むことになりますがよろしいですか?」
「うん! っていうかルルク……まだ私に敬語なの?」
「いけませんか?」
「ダメ。だってほら……私たちってその、アレじゃない?」
元クラスメイト、か。
こっちでの生活が長かったから、あくまで前世の記憶って感じなんだけど。
まあどっちにしろ妹弟子として仲間になるんだ。エルニのときも、戦闘時に敬語が邪魔だったから省略してたら、いつのまにかタメ口になってたっけ。
いつかそうなるって考えたら、いまから慣れていたほうがいいか。それに何より猫を被り続けるのもそろそろ疲れてきたしな。
俺は肩をすくめてうなずいた。
「わかったよサーヤ」
「えへへへ」
めっちゃ嬉しそう。
腕と腕を絡めていたサーヤだったが、そのまま指先も絡めてきた。
……いやいやサーヤさん、それは恋人同士がすることじゃね?
さすがに俺もそんな経験はないからね。こういうときどういう顔をしていいのかわからない。笑えばいいと思う? 俺は思わないから困惑しておこう。
俺が手を離そうとすると、それを見て勘違いした子爵が勢いよくテーブルを叩いた。殺気モードに変心して口調を荒げる。
「待ちたまえルルクくん! うちの娘と仲間になることは認めたが、交際は断じて認めんぞ!」
「え、いや落ち着いて下さい子爵様。おたくのサーヤさんまだ10歳ですよ?」
「10歳がいいのか!? そうなのかルルクくん! そうなんだな!」
「いやだから違いますって」
「えっ……ルルク、私、魅力ない?」
「そういう意味でもないって」
「なにおう! じゃあうちのサーヤのどこが不満だ!」
「あんたは認めたいのか認めたくないのかどっちなんだよ!?」
なんで俺が責められてんの? 俺が何か悪いことした?
なぜか混沌と化す、シュレーヌ家の深夜だった。




