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神秘の子 ~数秘術からはじまる冒険奇譚~【書籍発売中!】  作者: 裏山おもて
第Ⅰ幕 【無貌の心臓】

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心臓編・22『その手を離せクソ野郎』

■ ■ ■ ■ ■



「ふふふ、やった、やったよ~」


 人形を抱きながらベッドの上でゴロゴロと転がる。

 サーヤは昼過ぎからずっと上機嫌で、いまもまだ笑みを浮かべていた。


 閉じ込められた生活。貴族として決められるはずだった人生。叶うはずのない夢。

 そんな不自由で苦しかった鎖をぶち壊してくれたのはルルクだ。ルルクと一緒に伝説の神秘王の弟子として修業し、冒険者になる。

 危険かもしれないけど、想像しただけでワクワクが止まらなかった。


「えへへ。えへへへ」

 

 一応、期限は三年。

 ルルクは「その間に冒険者として一人前以上にしてみせます」と約束してくれた。伯父様に聞こえないように「一人前になれたら家を出るって選択肢も取れますから。そしたら自由に結婚できますよ」と耳打ちしてくれたのだ。

 そこまで考えてくれたなんて、本当に嬉しかった。


 ちょっと不安なのは、サーヤのために支払ってくれたお金をちゃんと返せるか心配なんだけど……。

 何があっても借りはちゃんと返したい。一生かけてでも返すつもりだ。それくらいのことをして当然の恩ができた。欲をいえば、返すだけじゃなくてお礼をしたいんだけど。


「ふんふふ~ん♪」


 まあとにかく、それもすべてこの家を出てからだ。

 明日になれば正式に迎えに来てくれる。


 サーヤは鼻歌まじりに部屋を出て、キッチンへ向かった。

 ちょっと喉が渇いたから水を飲もうと思ったのだ。ただそれだけのことだった。

 しかし、キッチンには先客がいた。


「ふざけるな! 平民の分際で! あいつを、あいつを奪いやがって!」


 父だった。

 見るからに酔っぱらった父親が、キッチンの椅子から立ち上がるところだった。

 父は感情を昂らせ、酒杯を片手に調理場の水樽を蹴り飛ばした。中の水が派手に溢れ返るが、それを気に留める様子はない。


「なにが伯爵家だ! あいつはなあ! 俺が育てたんだぞ! それを横からかっさらいやがって、あの、忌々しいガキめ!」


 サーヤはこっそりとキッチンを覗きながら、ため息を吐いた。

 もの凄く荒れてる。

 顔を合わせたくないタイミング、歴代一位だった。


「くそ……もしあいつがシュレーヌ家を継げなかったらどうしてくれる……俺がなんのためにここまでやってきたと思ってやがる。シュレーヌ家は俺のものだ……くそ、くそくそくそくそ!」


 父は酒を一気に煽った。

 空になった酒杯を床に叩きつけ、歯をギリギリと嚙み締める。

 すでに使用人の子は怖がって部屋に戻っているみたいで、キッチンには父の荒い息だけが響いている。


 水は後で飲みに来よう。

 そう思って踵を返そうとしたときだった。


「くそが。なんのために……わざわざ兄貴に毒まで盛って子どもができねぇようにしたと思ってやがる……俺がここまでくるのに、どれだけ耐えたと思ってやがる……」


 ……え?

 サーヤは耳を疑った。

 いま、なんて?


「くそっ! 双子で、生まれ落ちた順番が違うってだけで、なんで俺が弟なんだよ! 俺のほうが優秀だろうが! あんなただ甘いだけのやつより、他人をコントロールできる俺のほうがよっぽど優れてるだろうが! くそ! くそくそくそくそくそっ!」


 椅子も蹴り飛ばして、悪態を延々とつく父親。

 サーヤは血の気が引くような思いだった。

 信じられない。

 

 たしかに最悪な父親だと思っていた。

 口は悪いし、自分のことしか考えてない。母親が亡くなってからそれはさらに顕著になった。娘のことなんて道具にしか思ってないし、暴力だって振るう。

 でも、実の兄に毒を盛るような真似なんて……。


「いまの……ウソよね?」

「あ?」


 サーヤはとっさに、声に出していた。

 父はサーヤがキッチンに入ってきたことに気づいて、真っ赤になった顔をこっちに向けた。


「あんたが、伯父様に毒を盛ったって……ウソよね?」

「ちっ。どうでもいいだろうが」

「何がどうでもいいよ! さっきの話は本当なの!? あんたが、伯父様に毒を盛ったって!」

「んなことどうだっていいんだよ! お前が家を継げば! 俺が、お前の父親の俺が一番偉くなるんだからよォ! お前は黙って俺の言うことを聞いとけ!」

「最っっっっ低!」


 パン!

 とっさに叩いていた。

 抑えられない。

 サーヤも感情が爆発した。


「やっぱりあんたなんか父親じゃないわ! 私、伯父様の子がよかった! あんたなんかと同じ血が流れてるだけでもおぞましい!」

「んだとてめぇ! 娘のくせに口答えすんじゃねぇ!」

「キャッ」


 結んだ髪を掴まれて、引きずり倒された。

 腕力はステータスの差でさほど変わらないのに、圧倒的な体格差のせいで引きはがせない。


 背中を打ち付けたサーヤの上に、馬乗りになる父親。


 わずか10歳。

 その小さな体を押しつぶすように、武骨な両手でサーヤの細い首を絞めつける。


「ぐっ」

「だいたいいつも! てめぇは生意気なんだよ! 娘は黙って俺の言うとおりにしていればいいんだ! 何が外の世界だ、何が元の世界(・・・・)だ! いつもいつも夢見がちなことばっか口走りやがって! 何が運命の相手だ何が自由が欲しいだ! てめぇは生まれたときから俺の一部だろうが! 女のくせに威張りやがって! てめぇは黙って着飾ってればいいんだよ、このクソガキがぁ!」

「……ゥぁ、ぁ……」


 苦しい。

 首を圧迫され、口の端から唾液が流れ落ちる。


 こんなやつに。

 こんな最低なクズから生まれたことが恥ずかしい。


 悔しい。

 こんなやつに好き勝手されてる自分が、悔しい。


 サーヤの両目から、涙が溢れ出した。


「てめぇは人形でいいんだよ! 俺の物だろうが! ああん!? 言うことも聞かねぇ不良品なんざ、俺にはいらねぇんだよ! 死ねクソガキ! 死んじまえ! 死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」


 怖い。

 生まれて初めて、心の底から怖いと思った。

 目の前の見慣れたはずの父親が、知らない生き物に見えた。


 でも、サーヤにはどうしようもできなかった。

 絞めつけられる力をほどくことはできず、ただ窒息と圧迫のなかでもがき続けた。


 苦しい。

 死んでしまう。

 いやだ。

 死にたくない。

 

 涙がとめどなく流れていた。

 せっかく希望が見えたのに。

 新しい人生が、ようやく始まると思ったのに。


 苦痛のなか、視界が薄れていく。


 助けて。

 誰か助けて。

 お願い。


「……ぁぁぃぉ……ぅぅ……」


 サーヤは無意識に呼んだ。


 声にならない声で、心の奥底に仕舞った想いの相手の名前を。

 もう二度と会えない、彼の名前を。


 そして少女の両目から、光が失われてゆき――――






「〝その手を離せクソ野郎〟」






 声は、突然降ってきた。


 その言葉と同時に、喉の圧迫感が消えた。

 体が勝手に息を欲してビクンと跳ね、咳き込んでしまう。


 肺が空気を求めて痛いくらいに動いた。


 視界に電気が走ったようにチカチカする。

 まるで消えかけの蛍光灯(・・・・・・・・)の下にいるような心地だと、サーヤはぼんやりと思った。死にそうになっていたことが他人事のような、妙な感覚だった。


 呼吸が整っていくと、ようやく自分の意識がハッキリとしてくる。

 気づけば、誰かに抱きかかえられていた。

 

「……ルルク?」


 顔を見なくても、なんとなくわかった。

 この世界で自分を助けてくれるのは、彼以外にいない――そんな気さえした。


「はい。俺ですよサーヤさん」


 ほら、やっぱり彼だ。

 彼の隣には、なぜかうずくまったまま動かない父の姿。何か恐ろしいものを見ているかのように、脂汗を浮かべて恐怖に震える父の姿だった。


「体は平気ですか? どこか、痛いところはありますか?」

「ううん……大丈夫。でもちょっとだるいかな」


 正直に言うと、ルルクはサーヤを抱きかかえたまま微笑んだ。

 綺麗な笑みだ。どことなく惹きこまれる。

 あのひとみたい。


「……あれ? さっきルルク以外に誰かいなかった?」

 

 ふと、そんな気がして問いかける。

 ルルクは首を傾げた。


「俺以外ですか? 見てませんよ」

「そう……気のせいか」


 サーヤはなぜそんなことを思ったのか、自分でも疑問に思って。

 そして思い出した。


 日本語(・・・)だ。


 さっき意識を失う直前、日本語が聞こえてきたのだ。

 10年以上も聞いていなかった懐かしい言葉で、手を離せクソ野郎、と言っていた。

 夢じゃない。それは確信できる。


 ……あれ?

 でも、さっきの声は――


「ルルク……?」

「ちょっと待っててくださいね。このクソ野郎(・・・・)を、どうにかしないといけません」


 ルルクはそう言って、サーヤを抱えたまま父を――否、この男を見下ろした。

 そこでようやく、サーヤは現状にハッとする。


 さっき自分を殺そうとしたこの男が、いままで何をしていたかを。それだけは伝えないとと思った。何よりも、この男が許せなかった。


「ルルク……こいつね、伯父様に毒を盛ってたらしいわ。子どもができないようにって」

「……そうでしたか。つくづく救えませんね」

「どうしよう。捕まえたほうがいいのかな」

「そうするのが正しいんでしょうけど……でも証拠もないので裁かれるか怪しいですし、子爵本人に絶対子どもができないとなると、その噂だけでシュレーヌ家を破滅させかねませんね」


 確かにその通りだ。

 伯父様が男色だと言う噂は、あまりいいものではなかったけど貴族として義務を果たせない隠れ蓑にはなっていた。そのままにしておいたほうがいいのは間違いない。


 でも、それじゃあこの最低な男を誰が裁くの?

 どうやって裁けばいいの?


 サーヤは泣きそうな顔で、自分を殺そうとした男を睨む。

 この世界の法律は優しくない。子どもを殺そうとした親を裁くことは難しい。それが貴族ならなおさらだ。

 ルルクは静かに目を閉じて、意を決したように開いた。


「わかりました。俺が背負います」

「……え?」

「正直、こんなクソ野郎のために罪なんか背負いたくありません。ハッキリ言えば捕まえて魔物の巣にでも放り込んでおいたほうが世のためにもなると思います。でも、それじゃあ気が収まらない。俺の大事な仲間(・・・・・)をこんな目に遭わせたこの野郎を……娘を殺そうとしたクソ野郎を娘の前で許すなんてできやしない。だからサーヤさん。俺が、背負います。サーヤさんのためじゃなく、俺のために」

「ルルク……」


 ぎゅっとルルクの胸元を握りしめる。

 彼がなにをしようとしているのか、わからない。

 でもそれが本当はサーヤのためだってことくらい、理解できていた。

 だから。


「私も背負うわ。だからやって。私が命令する」

「……でも、」

「いいからやって」


 サーヤはルルクをじっと見つめた。

 その瞳に、覚悟を灯して。


「一緒に罪を背負って、私と生きてルルク」

「……かしこまりました」


 ルルクは小さく息を吸った。

 永遠とも思える時間、静寂が訪れる。

 サーヤを抱きかかえたまま、ルルクはその言葉を落とした。


「『伝承顕現』」


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[気になる点] ・ストアニア王国に行ったことすらないであろう箱入り娘が「蛍光灯」を知っている ・日本語を知っている ・呟いた言葉は「ああいお」、主人公の前世の名前の母音は... まさかこのタイミング…
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