心臓編・15『地下室の少女』
「帰れ! ここはお前ら平民の来るようなところではない!」
訪問一蹴、サーヤの父はそう言って俺たちを怒鳴りつけた。
「子爵様にご迷惑はかけません。せめてサーヤさんと話をさせてください」
「ここに来ている時点ですでに迷惑だ! それにサーヤは誰とも会わん! うちの娘はお前らとは立場が違うんだ立場が! わかったらさっさと行け!」
「……無理やり通ってもいいかしら」
「ん、ちからづく」
「いやいや、やめてくださいよ二人とも?」
同行者たちがちょっと物騒な雰囲気をかもし出してきたので、俺もそれ以上粘らずに諦めることにした。
口が悪いから腹は立つけど、サーヤの父の言っていることは間違ってはない。紹介状もなしに子爵家の人間に会おうとしてもふつうは門前払いだ。
俺たちが門から離れるとサーヤの父も家の中に戻っていった。
離れた場所からその姿を眺めたまま、ため息を吐く。
「この感じじゃ、サーヤさんも苦労してるだろうなぁ」
「こういうときこそあなたの悪知恵が働くべきときじゃないかしら?」
「悪知恵って言わないでくださいよ。アイデアですよ、アイデア」
とは言ったものの、あまり良い案は思い浮かばない。
ロズが神秘王だと明かす、俺の実家パワーを使う、などの手段を用いれば話は聞いてもらえるようになるだろうけど、現状だとどう考えても悪手にしかならない気がする。
それに話ができたとして、根本的な問題はサーヤの父の性格などではなく、サーヤがシュレーヌ子爵家の後継者ということなのだ。それが解決できなければ、無駄にこちらの立場を明かしてしまうだけだ。デメリットしかない。
まずはあの偏屈なサーヤの父を懐柔しなければならない。それからシュレーヌ子爵の説得。こっちの立場と正体を明かすのはちゃんと信頼を築けてからだ。その順番でいこう。
「う~ん魔族より強敵だぜ」
「ん。たおせないのめんどくさい」
「……エルニ、師匠に似てきましたね」
やばい、うちの子が脳筋になっていく。
とはいえ手段が限られているので、正攻法じゃたしかに無理そうだ。
搦め手といえば〝越後屋作戦〟だが、サーヤの父が袖の下を喜ぶかは賭けになってしまう。イメージとは違うが潔癖な性格だとしたら、完全に逆効果だろう。
せめてどういう人か知れればいいんだけど。
「どっちにしても、やっぱりサーヤに話が聞きたいよなぁ」
「ん、まかせて。『全探査』」
エルニが杖を地面にトンとついて、魔術を発動した。
自信満々な表情で胸を張って言う。
「あのおんな、ちかしつ」
「いやエルニさんや、忍び込めって言うんじゃ……」
と、疑問が。
貴族の令嬢がどこにいるって?
「地下室?」
「ん。つかまってる」
「……どういうことだ?」
もしや家出したことで折檻されているのか。
でも魔族襲撃の大事件はまだ解決していない。シュレーヌ家も情報は集めているだろうから、そんな状況のなかでサーヤを閉じ込めておくなんて普通じゃない。まずは家族の安全を考えるはずだ。
「なんかきな臭いな」
「きなこ、おいしい」
「きなこ臭いじゃないから」
ストアニアでチャレンジしてみた手作りきなこモドキは好評だったっけ。
大豆が手に入ったらまた作ってやろう。
じゃなくて。
「やっぱ一度サーヤと話をしよう」
「ん、どうする」
「忍び込む。もちろん夜にだけど」
まだ夕方前だ。
街も至るところに騒然とした空気が漂っていて、兵士たちの見回りも多い。
今夜は警戒態勢だろうけど、なんとかその隙を縫って屋敷に侵入しよう。どっちにしろ準備も必要だしな。
そう決めた俺は、ひとまず宿に戻って夜を待つことにしたのだった。
■ ■ ■ ■ ■
屈辱だった。
記憶にある限り、サーヤはここまで屈辱な想いをしたことがなかった。
家出を企てたことを謝り、凄腕の神秘術の先生を見つけたことを報告した。その人に師事することがシュレーヌ家のためにも絶対になるということ。
必死にそう話したサーヤを、父が力づくで連れて行ったのは地下室だった。
「お前の役目は、王族か公爵家に取り入ることだ。神秘術を学ばせたのはそのためだけだ。自分の役目も果たさず、そんなふざけたことを抜かすならそれ相応の覚悟をしろ」
父はそう言って、サーヤを地下に閉じ込めた。
湿気の籠った地下室に、足かせを嵌められ監禁されていた。
ジメジメしたニオイに、床の隙間から這い出てくる気持ち悪い虫たち。泣き叫んでも誰も助けに来てくれない。トイレもなく、おぞましい環境に我慢できず失禁してしまった。下半身が濡れてもそれを拭くことすらできない。
人間としての尊厳を踏みにじられていた。
あんなやつを、父親だと思ったことは一度もない。
遺伝的にどれだけ正真正銘の父親だろうと、サーヤの本当の父親は他にいる。
決して、もう会えないけれど。
「うぅ……パパ、ママ……たすけて……」
足元に這い回る虫。汚物の臭い。そんななかで本当に愛しい人たちの名前を呼ぶ。
そして、彼の名前も。
決して届くはずのない想いを、叶うはずのない願いが胸に疼く。
本当は分かっている。
この国の貴族の令嬢には自由なんてない。貧乏だとしても、命が軽い世界で安全に生きていられる立場を約束されているのだ。結婚相手も日常も、自分で決められないだけで恵まれているほうだ。
でも、それでもサーヤは希う。
この地獄から、救い出してくれる相手を。
つらく苦しいだけの呪縛のようなこの恋を、終わらせてくれる相手を。
膝を抱えて顔をうずめ、彼女はつぶやいた。
「……たす、けて……」
「かしこまりました」
「ふぇっ!?」
すぐそばから返事が来るなんて思っておらず、ビクッとしてから顔を上げる。
部屋のなかに、いつのまにかルルクが立っていた。
扉は開かなかったはずだ。鍵もかかってるし開けばさすがに音でわかる。
混乱するサーヤに、彼はこの前助けてくれたときと同じ、世間話をするかのような表情で微笑んだ。
「こんばんはサーヤさん。助けが必要かと思って参りました」
「え、え……ルルク、あなた、どうやって?」
「じつはサーヤさん、神秘術にはいろんな置換法がありましてね。そのうちのひとつに『相対転移』という置換法があるんです」
「転移……?」
まさか。
魔術でいうと転移は禁術――極級術式だと聞いたことがある。
神秘術はそもそも使用者――情報源が少ないから、家庭教師の先生すら転移術式のことを知らなかったとしても、極級なんて伝説的な術式と同じような神秘術を、そうそう簡単なことで憶えたりなんてできるわけが――
「あ……ロズさん」
「そういうわけです」
かの伝説の不老不死、神秘王にとっては当然の技術なのか。
あらためて、目の前の少年がどれほど規格外の存在に師事しているのかを実感した。
「でもどうやってここが? 見たことない場所に転移なんてできるの?」
「じつはエルニ……あの小さな姉弟子が、魔術方面での師匠の弟子でして。彼女の魔術に『全探査』という便利なものがあってですね」
「知ってる! それも禁術よね、使えるの!?」
「はい。なので座標も割り出せました」
あっさりと言うルルクに、開いた口が塞がらないサーヤだった。
転移を当たり前に使う少年に、禁術を当たり前に使う幼女。
なんという、常識外れの人たちなんだろう。
なんとしてでも、一緒に学びたい。
一緒に旅をしたい。
それはサーヤの中で、サーヤとして生まれて初めての渇望だった。
「それで少しサーヤさんと話ができないかと思いまして、来てしまいました。いまお時間よろしいですか?」
「う、うん。パパが来なければ――ちょっと待って! お願いこっち来ないで!」
サーヤは近づいて来ようとしたルルクから少しでも遠ざかろうとした。
失禁したままだったのだ。さすがにルルクがまだ未成年とはいえ、男に近づかれるのはイヤだった。恥ずかしいのもそうだし、なにより恥辱にまみれた汚い状態を見られる自分が許せない。
そう言うと、ルルクもサーヤの状態に気付いたのか、一歩下がって術式を発動。
「『装備召喚』」
タオルとシャツとズボンが、ルルクの手に現れる。
「宿から呼び寄せました。後ろを向いてるので、着替え終わったら教えてください。ああ、それとその足枷も邪魔ですよね。『裂弾』」
パキ、と軽い音を立てて鉄製の枷が外れた。
よく見ると、枷を繋いでいたボルトの部分だけがまるで消えたように空洞になっていた。
「えっ……うん、ありがと」
さらっとまた凄いことをしてのけたのに、たいしたこともないと背を向けたそのルルク。
サーヤはのろのろと着替えると、汚れた服を畳んで部屋の端に置いておく。声をかける前に、きちんと背を向けたままのその後ろ姿を眺める。
私は10歳の子どもなのに、淑女相手に立ち回っているような丁寧な性格。
そんな彼の13歳という小柄な背中には似合わない、大人びた雰囲気。
……素敵な子だな。
ほんの少しだけ、心の隙間にそんな感情が生まれたことに気づいて、頭を振って胸に手を当てる。
たとえ叶わなくても、呪縛のような恋だったとしても、その想いを胸にここまで生きてこれたんだ。
たった一度や二度助けてくれたくらいで揺らぐような、そんなヤワな想いじゃない。
つらいだけの恋心から解放されたい想いと、手放したくない執着のような想いが、サーヤの中でせめぎ合っていた。
息を吐いて、その葛藤を心の隅に仕舞っておく。
「いいわよルルク。待たせたわね」
声をかけるとそのまま振り向くルルク。
向けられた柔らかな視線に、自然と顔が赤くなってしまう。
ダメダメ。心をしっかり持つのよサーヤ。
「そ、それで話って?」
「サーヤさん、今日この街が魔族に襲撃されたことは知ってますか?」
「……は?」
令嬢らしからぬ声が漏れてしまった。
魔族? 襲撃? なんだそれは。
たしかに半日ほど前、なにか地震のような揺れを感じた気はするけど。
「聞いてませんか。では結構です」
「ちょちょ、ちょっとまって! 結構じゃないわよ! どういうこと!?」
「そのままですよ。魔族の襲撃に遭って一部街は崩壊、死傷者も出ました」
「なんでそんなことになってんの! 魔族は? 大丈夫なの?」
「はい。一体は俺とエルニが討伐。もう一体は師匠が追い詰めたところ、仲間に裏切られて殺されたみたいです。裏切った魔族の一体はこの街から逃げ出したようです。いまのところは復興作業中なので、街としては警戒体制を強めています」
「そ……そんなことが……」
淡々としたルルクの言葉に、現実味がわかなかった。
でもそんな大事件があったのに、この地下室には一日中誰も来なかった。
「それで質問なんですが、そもそもサーヤさんはなぜここで拘束されてたんですか?」
「それは――」
サーヤはルルクに正直に話した。
説得してやると息巻いて父に話をしたら、ここに連れられて閉じ込められたこと。父の目的はサーヤに確実にシュレーヌ家を継がせることで、ロズがどんな優秀な人材だろうと関係がないこと。父は昔から自分がシュレーヌ家を継ぎたかったと愚痴を言っており、いまはサーヤの立場だけが必要なんだろう、という予測まで含めてすべてを話した。
娘すら道具にしか思っていないあの男を、父親だとは思っていないことも正直に。
「なるほど。説得は思ったより厳しそうですね」
「というよりムリよ……この部屋見たらわかるでしょ。こんなの、ふつう娘にあてがうような環境じゃないわよ」
部屋にはワラワラと虫が湧き、糞尿を垂れ流させ、食事すら運んでこない。
折檻のためとはいえ、一人娘にそんなことをする人間がまともなわけがない。
ルルクはしばらく思案した結果、小さくうなずいた。
「……わかりました。サーヤさんの父については俺にも案があります。あとはシュレーヌ子爵ですね。俺はまだシュレーヌ子爵とは会ったことがないので、どんな人か教えてもらってもいいですか?」
「伯父様はとても善良な人よ」
サーヤは即答する。
「この国のひとはみんな多少なりとも獣人を差別するでしょ? でも、伯父様は種族の違いなんかで他人を差別しない。それどころか奴隷になりそうな獣人の子どもたちを見つけては、養子として招いてくるのよ。それで旅ができるようになるまで育てて、彼らの故郷まで帰しているの。そのせいで万年貧乏だけどね」
「そうでしたか。立派な人なんですね」
「そうよ。それと伯父様には優しい奥様が2人いるんだけど、どっちにも子どもはできていないの。聞いたことある? シュレーヌ子爵は男色で、獣人の幼い子にしか色目を向けられないって。あれはウソよ。伯父様は奥様方を愛してるし、そういう行為もちゃんとしてる。……でも、きっと病気なんだと思う。結局子どもはできなくてそういう噂が立っちゃったから。伯父様はあまり気にしてないけどね」
「そうだったんですか……俺も、まだまだ未熟ですね」
なぜか傷ついたような顔で自分を責めたルルク。
彼もその噂を本気にしていたのだろう。
でもそれは仕方ないことだと思う。爵位家として子どもを生むのは、義務のひとつだ。そのせいでふたりの奥方様もかなり気に病んでいるみたいだし。
「そんなだから、伯父様はあまり世継ぎの問題には口を挟まないの。パパが私を世継ぎにするからといったら、二つ返事でわかったって答えたくらいよ。伯父様は子爵だけど、この問題に関してはなんの興味もないみたい。私が笑って逃げても、泣いて留まっても、どちらでもいいんだと思う」
「そうだったんですか……わかりました。それなら問題なさそうです。サーヤさんを弟子にするために説得しなければならないのがお父上だけなら、そう難しくはないでしょう」
「ほんと? 私、弟子になれるの?」
「確実とは言えませんが、道筋は見えました。ひとまず準備にとりかかりたいと思いますが……サーヤさんはどうします? ここから一緒に出ますか?」
「出るわ! こんな陰気臭いところに一秒だっていたくないもの!」
あとで父に怒られても、どうでもいい。
希望が芽生えたおかげで力だって湧いてくる。
そう考えた途端、お腹がくぅ~と鳴った。
とっさに手で抑えたけど、ルルクにはバッチリ聞かれてしまったようだ。
「かしこまりましたお嬢様。外に出たら美味しい物をご馳走しましょう」
「べ、べつに頼んでないわ! でも、ルルクがそういうならご馳走になってあげる!」
「では俺からもお願いします」
つい漏れた強がりも、そっと受け止められて包み込まれてしまう。
……ほんと、なんて子だろう。
「それではお手をどうぞ」
「ええ、頼んだわ」
転移する気だろう。
サーヤはルルクの手を握り、ぎゅっと目を閉じた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。一瞬ですから」
「わ、わかったわ。じゃあどうぞ!」
「『相対転移』」
景色が塗り替わった。
それまでの暗い地下室から、見渡す限りの星空へ。
……星空?
「えっ――きゃあああああ!」
空中だった。
足元に地面はなく、自由落下が始まる。
とっさに悲鳴を上げたサーヤだったが、
「『相対転移』」
すぐにまた景色が飛び、今度は無事に地面の上へ。
どこかの路地裏だった。
バクバク鳴った心臓を押さえて息を震わせるサーヤに、ルルクは笑った。
今度は無邪気な笑い方で。
「あははは。サーヤさんも高いところ怖いんですか。仲間ですね」
「ふつうそうでしょ! てか、一度空に出るなら先に言ってよ!」
「いやぁ驚かそうと思いまして」
「驚いたわよ! バカッ!」
ぽかぽか殴る。
体格差はあるけど、ステータス差はあまりないらしい。
かなり痛そうにするルルクだったが、サーヤは気がすむまで殴り続けるのだった。
その顔には、自分でも知らないうちに笑みが浮かんでいた。




