心臓編・13『魔族との戦い』
■ ■ ■ ■ ■
その日、シャブームの街を突如魔族が襲った。
街の中央に住んでいるこの街一番の貴族――ケタール伯爵家の屋敷に、褐色肌で両腕だけが真っ白な魔族が侵入。
ケタール伯爵の第一夫人を人質にとり、ただ一言だけ要求した。
「〝破滅因子〟はどこだ」
何のことか見当もつかない伯爵たちの反応を見て、白腕の魔族は第一夫人を放り出して屋敷から去って行った。
そのまま別の貴族の屋敷に降り立ち、同じことを繰り返した。
一方で、瞳が真っ赤な魔族が街の主要施設に火を放っていた。衛兵の詰め所、病院、冒険者ギルド、商会ギルド、教会……いたるところから火の手があがり、街は大混乱に陥っていた。
魔族が出た。
魔族が襲ってきた。
そんな話が飛ぶように広がり、各所で燃える炎も相まって人々は我先にと逃げ場所を求めていた。
そして人々の影に潜む者が、ひとつ……。
□ □ □ □ □
「クフフ~! 魔王の種、どうしましょ~ね~クフフフフ~!」
不気味に笑う赤眼の魔族。
どんな力を持っているのかわからないが、こいつは危険だ。
認識阻害が効いていないことに焦りを憶えつつ、俺は魔族とエルニの間に体を動かした。
「街を襲ってるのはお前らか?」
「クフ? あれ~キミ、魔力のニオイを感じませ~んね~?」
……そうか。魔素や魔力か!
俺の認識阻害は、視覚効果を中心に組み立てている。見た目ではエルニの角や羊毛を認識できないようにして人族だと錯覚させるように閾値を設定した。
逆に言うと、俺には感知できない魔素情報や嗅覚情報はそのままだ。
魔族はそれらの気配から見破れるのか。
「クフ! 魔王の種と欠陥品が一緒にいるですって~おもしろいで~すね~! でも~足手まと~いがいてワタクシは楽で~すね~」
欠陥品、か。
やはり魔族でも忌み子は同じ扱いみたいだな。
俺は赤眼の魔族の蔑みを冷静に聞き流していたが、後ろにいるエルニはそうはいかなかったようだ。
「ん、ゆるさない。『ファイヤーランス』!」
怒りとともに放った炎の槍は、赤眼の魔族の腹を貫いた。
そのまま赤眼は土くれのようにボロボロと崩れ去って、地面に溶けていく。
「やったか?」
……あ、フラグ立てちゃった。
「クフフ! さすがの威力! 魔王の種はだてじゃありませ~んね~」
今度はいきなりエルニの後ろに現れた魔族。
転移か!?
俺はとっさにエルニを引き寄せて、腕の中にかばう。
しかし赤眼はなにもせずに、興味深そうにエルニを見たままだった。
さっきのセリフだと、エルニのことをどう扱っていいか悩んでいるようだった。殺しにくる場合は全力で迎撃しなければならないが……。
俺はエルニを片腕で抱いたまま、じっと赤眼を観察する。
しかしさっきの移動法、転移で避けたにしては後ろに現れるまでタイムラグがあったな。なんらかのスキルか、あるいは幻術か……?
「さ~てどうしましょ~かね~。サトゥルヌ様には連絡できませ~んし、ワタクシの仕事は終わりましたから~あとは好きにしていいってことで~すよね~?」
ニタリ、と笑みを浮かべた赤眼。
来る。
「では、イタダキマス!」
赤眼の姿が土砂に変化し、一瞬で何倍にも膨れ上がった。
まるで土の津波のような体積に変わった魔族は、そのまま押しつぶすかのように俺とエルニの体を包み――
「『相対転移』」
当然、避ける。
後方に転移しておいた。
赤眼は肥大化した体をボロボロ崩れさせながら人型にもどると、転移した俺たちを見て目を細めた。
「ほ~お? 欠陥品がや~るじゃありませ~んか」
「やる気まんまんだな。俺たちを殺すってんなら、殺されても文句は言うなよ」
明確な殺意を感じて、俺はそのまま相手にも同じものを返した。
さすがにこの世界にも慣れた。相手が魔族だろうが人間だろうが、殺されそうになってまで殺さないように立ち回るほど俺は優しくない。大事なものは明確に優先順位をつけている。
赤眼は口元に笑みを浮かべたままゆっくりと手を掲げて、
「『アースバインド』」
「『相対転移』」
俺の足元の土が幾本もの鞭のような形状に変化し、伸びてきた。さっきまでいた場所は一瞬で鞭の山に埋め尽くされており、後方に転移した俺たちにもその鞭は迫ってくる。
「エルニ」
「ん。『ダウンバースト』」
エルニが唱えると、上空から高圧力の風が叩き落ちてきた。
土の鞭ごと赤眼の魔族を圧し潰す。
ボロボロに崩して形を失った赤眼の魔族は、
「『アーススネイク』」
さっき俺たちがいた場所に現れ、今度は周囲に土の蛇を生み出した。
その数おおよそ――100匹ほど。
しかも直接襲ってこずに、まずはこっちを囲むように配置していく。
「クフフ!逃げられま~すかね~!」
「舐めんな。『裂弾』」
土で生み出した蛇が全部同じ大きさなら、同時攻撃は簡単だ。100か所の座標計算ごときで失敗することはない。
俺の術式はすべて寸分の狂いなく蛇に命中し、破裂させた。
「クッ、クフフ……やり~ますね~!」
「『相対転移』」
悔しがる赤眼をよそに、さらに後退。
一定の距離を保ちながら下がっていく俺たちに対して、赤眼はニヤリと笑った。
「ど~うやら近接戦闘はにが~てなようですね~? ならばこれ~はどうですか~!」
赤眼の姿がまた崩れて地面に溶けた。
その数秒後、大地が振動する。
足元の地面が大きく盛り上がったと思ったら、その周辺の土くれを巻き込んで土のゴーレムに変化した。Aランクの巨人よりもさらに大きい。拳ひとつが家の一軒すら凌駕するほどの巨大ゴーレムだ。
その額の部分に、赤眼の魔族がめり込んでいた。
「……やっぱり、土と同化する能力があんのか」
攻撃した時に崩れ、背後に現れたのは土の中を移動していたんだろう。
転移じゃなくて一安心だが、倒しにくい相手なのは間違いない。
……だが。
「死にな~さい!」
振ってくる巨大な拳を、今度は前方に転移することで避ける。
これで狙い通りだ。
何も、無意味に後方に転移し続けていたわけじゃない。
赤眼の魔族を街から引き離すために退いていただけだ。
かなり街の外へおびき出せたので、今度は射線上に街が来ないよう、位置を入れ替わったのだ。
じゃあ、仕上げだな。
「エルニ、たのむ」
「ん」
いつもの短い返事のあと、エルニが唱えたのはまだ慣れておらず長い詠唱だった。
「――我は命ず、星々の熱き血潮は集い、彼方より呼びかける魂の声に従いて、命の輝きゆえに其の破滅へと誘う囁きとならん。我が怒りは夢より速く、我が翼は現より遅く、されとて夢幻の狭間にて邂逅す。始まりは母なる祖、重ねし声は空の激情、追憶の囁きに耳を傾けば全ての煌めきが我を解き放つ。其に抗えるものなく、其に従えるものなく、我が無慈悲なる破壊の舞と踊るるは、ただ血の流れより赤きもののみ。さあ、天が堕ちるほどの純白を――」
この4年間の修行のすえ、手に入れていたまた別の禁術――極級魔術。
原理としてはシンプルだ。
大気中の水分を集めて電気分解させることにより、膨大な水素と酸素を発生させる。水素を内側に閉じ込め、酸素を外側に集めて圧縮することにより二層の気体の高圧状態をつくりだし、そこに着火させて爆発を引き起こす。
水、雷、風、火属性を合わせた、最強の火力を誇る四属性複合理化魔術。
「『爆裂』!」
その破壊力、体長100メートル超の魔物すら余波でも消し飛ばせるほどの戦略級魔術だ。
もちろん土で作られたゴーレムなど塵ひとつ残るはずもなく。
暴風と轟音が過ぎ去った後、平野に残っていたのは隕石が落ちたような跡のような巨大なクレーターだった。地形すら変わっている。
……うん。確実にオーバーキルだな。そりゃ禁術にもなるわ。
■ ■ ■ ■ ■
「くっ、謀ったかサトゥルヌ!」
その時、彼は焦燥していた。
魔族として生まれて100年弱。幼い頃から体を鍛え、術を磨き、過酷な環境で生き長らえてきた。数々の敵を屠った彼は、気づけば中位魔族としての力を手にしていた。
しかしそんな彼も、己が唯一の肉親を守るために上位魔族サトゥルヌに隷属を誓わされ、手足となって働いてきた。
故郷から遠く離れたこの国にやってきたのもその命令のためだ。
もともと魔素が薄い人間領は、魔族たちの活動には向いていない環境だ。
例えるなら平地に住んでいるひとががいきなり標高の高い山に登った時、と言えば分かるだろう。すぐに息切れを起こしてしまうので激しい運動は制限されてしまう。
それに異種族は魔族を嫌悪する。好き好んで足を運びたい場所ではない。
それでも命令だから、と彼は従った。
この街にいる破滅因子を探し出して攫ってこい。それが命令だった。
情報によると、破滅因子は人族の高貴な身分だという。それゆえ彼は立派な屋敷を手当たり探っていた。
しかし一向に見つからないまま、そのうちアレに見つかったのだ。
彼は息も絶え絶えになりながらも、逃亡の足を止めない。
「聞いてないぞ、聞いてないぞサトゥルヌ!」
この街に、あんなものがいるなんて。
主であるサトゥルヌすら手も足も出ないだろう。
「だから逃げないでって言ってるの。別に、問答無用に殺そうとか考えてないから。事情を話してくれればいいのよ」
「くそ!」
もう追いつかれた。
彼は狭い路地を駆けまわりながら、またもや分身体を生みだした。
「『アースマイン』」
「だから無駄だってば」
数十体の分身――しかもスキル効果により中位魔族としての強度すら複製した分身体を、指先ひとつ弾くだけで一度に灰燼に帰してしまう恐ろしい相手。
しかもその相手は、どれだけ観察しても顔も、種族も、年齢も、性別も、何も理解できない。明らかに認識阻害の術式を組まれているのは分かるのに、それ以外、まったく情報が探れない。
駆けてきた路地は行き止まりだった。命令で破滅因子だけは確保するつもりだったが、無関係の者たちを傷つけることは彼の矜持に反している。無理やり壁や家屋を突破すれば、中にいる罪のない人族をむやみに傷つけてしまう。
その選択肢は取れなかった。
「ねえ、あなたたちは何が目的なの? どうしてわざわざ、こんな何もない街を襲いにきたのかしら?」
ゆっくりと、恐怖が歩いてくる。
彼は自分の魔術の腕は上位魔族にも引けをとらないほどの練度だという自負はある。それなのに、この体たらく。もはや敵う相手じゃないことは明白だった。
このままむざむざ殺されたとしても、せめて一矢報いてやることができれば、戦いの中で育った誇りが傷つかなくて済むかもしれない。
そう判断して、回避や防御を捨てることを決意した彼。
対面したまま地を蹴り、特攻する。
「うがああ! 『ライトニングジャッジ』!」
「はぁ」
自らの体に強力な紫電を纏わせ、敵に突撃する諸刃の剣。自身の肉を焼きながらも高電圧の塊となるその脅威に、あろうことかそいつはため息を吐いただけだった。
体と体がぶつかる。
だが、手ごたえはなかった。
相手は回避も防御も、何もしなかったはずなのに。
プスプスと煙をあげながら膝をついた彼は、平然と立っているそいつを振り返った。
絶望が顔を覗かせる。これで無傷だなんて、あり得ない。
「……なにを、した……」
「別に何も」
「ぐっ……くそが! 『オキシダウン』!」
彼がやむなく発動したのは、対象の周囲の空気を消してしまうという、彼があまり好んで使わない姑息な魔術だ。
範囲も狭く動けばすぐに逃げられるが、捉えてしまえば相手が生物なら確実に意識を奪える術式だ。死に物狂いで放ったその術は、間違いなくそいつを覆った。
……だが。
「だから、意味はないわよ」
「っ!?」
そこでは空気がないはずなのに、そいつの声が届いた。
彼はその異常さをまったく理解できないまま、真空状態のなかでも何も変わらないそいつに戦慄する。
「バケモノめ……貴様、一体何者だ……」
「そうね。答えてあげるから、私の質問にも答えてくれる?」
「……わかった。こちらの敗けだ。隷属契約に反しない限りで答えよう」
もう、手は尽くした。
自らの魔術で傷を負い、魔力も底が見えてしまった彼は、覚悟を決めてそいつに向き合った。
「じゃ、ちょっとだけ教えてあげるわ。私はね、何でもないの。ゆえに、何でもある」
「……謎かけは求めてない」
「違うわよ、ただの事実。そうね……いいわ教えてあげる。私の体は決まった形を持たないのよ。だから傷を負わないし、歳もとらないし、外見だって自由自在。ま、普段は一番しっくりくるこの見た目にしてるけどね」
なんだ、それは。
そんな冗談みたいな存在がいるはずが――と、彼は否定しようとして、思い当たる。
大陸の有史以前から唯一生き残っているという、不老不死の存在。
神にも届くと言われた、圧倒的な伝説。
「……つまり、貴様はしんぴッ」
衝撃が、後ろから彼の体を貫いた。
油断していた。
目の前の神秘の王は殺気の欠片もなかった。相手がそれほどの存在なら、彼のことだって歯牙にもかけずに殺すことができていた。その力も立場もある。
つまりそれほどの存在が対話を望んでいるということは、彼にも生存の機会がまだあるということだった。その希望を、心の隙をつかれてしまった。
味方であるはずの魔族に。
「ぐ、ぞ……カゲ……め」
血だまりに沈む彼は意識を失う直前、自分の影に溶けてあざ笑うそいつの顔を見た。
ああ……すまない、先に逝くことを許してくれ妹よ。
彼は生命とともに隷属の契約が消えてゆくのを感じながら、わずかな心残りと、これでようやく理不尽な悪魔から解放される安堵の中で息を引き取ったのだった。




