心臓編・10『親子喧嘩』
「黒髪黒目で神秘術の王って。あなたまさか、伝説の……?」
息を呑むサーヤ。
ロズは厳しい視線を据えたまま頷いた。
「神秘王ロズ。神秘術士たちと一部の人間には、それで名が通っているわ」
「実在してたんだ……どおりでルルクもすごいわけね……」
力が抜けたのか、ぺたんと床に座ったサーヤ。
肩も落として力のない表情で俺に笑いかけた。
「なによ、もう。私を連れ戻しにきた人だと思ったじゃない。違うなら違うって言ってよ」
「早合点したのはサーヤさんですよ」
「ま、そうね。ごめんルルク。……それでロズさん、私を見極めに来たってどういうこと?」
「そのままの意味よ。あなたの素質を、あなたの才能を」
「どういうこと? 私になにをさせる気なの?」
「何も。もう終わったわ」
「え?」
当然だろう。
ロズは一瞥するだけであらゆる能力を見抜く目を持っている。
「サーヤ=シュレーヌ。情報通り、凄まじい才能を持ってるわね。ルルクやエルニネールに比肩する器……でも、まだまだ未熟」
なんだろう、ちょっと違和感だった。
ロズが誰かに睨みつけるような視線を向けることなんていままでなかった。ロズは悪意や敵意なんて持たないものだと思っていた。だけどいままさにそういった悪感情を、幼いサーヤに向けている気がした。
神秘王に睨まれて、サーヤは猫に追い込まれたネズミのように縮こまる。だがすぐにしっかりと睨み返した。
「それで、私は神秘王サマのお眼鏡に適ったの?」
「弟子にするかは保留ね。かといって放置するのも考え物だし……」
珍しく悩んでいる。
弟子、という単語を聞いたサーヤはハッとしてすぐに立ち上がった。
「ねえロズさん! 私、あなたの弟子になりたいわ。それでね、シュレーヌ家を出たいの!」
「なぜかしら?」
「それは――」
サーヤはさっき語った事情をもう一度説明した。
貴族として縛られた立場がイヤだと、自分には心を捧げた相手がいるのだと。なによりルルクの神秘術に感動したから自分も教えて欲しい、と。
「それにね、叶えたい夢があるの。それだけは絶対に絶対にぜ~ったいに譲れない夢」
「ふうん。どんな夢なのかしら」
「有名になることよ! どんな形でもいいからすっごく有名になって、語り継がれるような偉人になりたいのよ! そのために魔術だって神秘術だって練習してるし、誰よりも凄い人間になりたいの!」
「へぇ」
ロズはあまり興味なさそうに聞いていたが、神秘術のくだりで少し目の色を変えた。
「サーヤ、あなた霊素のコントロールはどれくらいできるかしら」
「えっと……いまは置換法を習ってて、物質の存在強度を上げるとこまでは完璧に。転写はまだ成功してないけど」
「霊脈は感知できる? あと召喚法の位置補正は?」
「うん。どっちもそれは簡単にできるわ」
「そう。ならあなたを弟子にしてあげる。ただし条件がふたつあるけどね」
「ほんと? やったーっ!」
飛び上がるサーヤだった。
そのまま俺の両手を握ってブンブンと振る。
さっきとは打って変わって子どもらしい反応だ。
ロズがコホンと咳払いしてサーヤを落ち着かせる。
「その前に、あなたに一番必要なのは感情のコントロールよ。それを肝に銘じておいて」
「感情? 神秘術に感情が関係あるの?」
「あなたの場合は、むしろそれが大問題になるかもしれないのよ」
意味ありげに言ったロズだったが、それを理解できたのはサーヤ本人含め誰もいなかった。
とにかく神秘王の弟子になれるという言葉を聞いて、サーヤは嬉しそうだった。
しかしロズがまた水をさす……というか現実をつきつけた。
「それと条件だけど、弟子になるからにはステータスは全員の間で共有するわ。レベル、能力値、できることできないこと、持っているスキル。隠したいものがあれば共有する前に言いなさい。隠す必要があると判断したら隠しててあげる」
「もちろんいいわ。でも、私自分のステータスなんて知らないわよ?」
キョトン、とした表情になるサーヤ。
「昔に一度だけ鑑定したみたいで、そのスキルとかを見てパパと伯父様に色々習い事させられてるんだけど……それなりに時間も経ったし、本当なら今日また鑑定しにいく予定だったの。その前に逃げ出してきちゃったけど」
「そうだったの。じゃ、弟子になれば私が教えてあげるわ。それで条件ふたつめは、私の弟子になるには保護者の同意が必要よ。私たちはこの街に留まることはないし、かといって誘拐犯じゃないのだから、勝手に連れてれていくわけにもいかないわ。まずはあなたの両親に事情を説明して同意を貰うことが条件ね」
「うっ」
それが難題だとわかっているサーヤは頭を抱えた。
俺の場合はそもそもムーテル家自体がロズの関係者だったから、ここはすんなりとクリアできた。でもそうじゃない相手は神秘王と名乗っても信じるかどうかってところだな。
サーヤは唯一の世継ぎだというから、貴族として許しが出るのはかなり難しいだろう。
俺としてはサーヤが弟子になるのは歓迎だ。ちょっと思い込みが激しそうだけど、話してて楽しい相手だしなにより可愛いし……あ、いや俺はロリコンじゃないぞ。目の保養にいいってだけだから。嘘じゃないぞ俺は年上好きなんだ。信じて下さいメレスーロスさん!
「そういうことだから、さっさと許可取りに行くわよ」
「う、うん……がんばってみる……」
あきらかにテンションがダダ下がりだな。
できることなら援護してやりたいが……ううむ。
貴族社会の問題はどうにもなぁ。
とりあえず親の反応を見てからだな。
□ □ □ □ □
シュレーヌ家子爵家の屋敷は街の隅にあった。
家の大きさはそれなりの規模に見えた。中規模商家の屋敷くらいの大きさだろう。子爵にしては大きいだろうとは思うが、お世辞にも綺麗な屋敷だとは言えなかった。庭もあまり手入れされておらず、ところどころに雑草が茂っている。
「伯父様! 私よ! サーヤよ!」
無人の門の前で声を張るサーヤ。
家の中から慌ただしく出てきたのは、でっぷりと太った男。
「げっ、パパが先に出てきちゃった」
あからさまに顔をしかめたサーヤだった。
どうやら肥満男はシュレーヌ子爵ではなく、その弟――サーヤの父らしい。サーヤとは似ても似つかない贅肉まみれの男は、顔を真っ赤にして走ってきた。
「サーヤ! お前、どこ行ってた!」
「どこだっていいでしょ! それより伯父様呼んで! 話があるの!」
「お前! 父に向かってなんだその口の利きかたは!」
門を開けるなり、サーヤに向かって手を上げた父親。
身をすくめたサーヤに手が振り下ろされる前に、
「失礼。ここ、シュレーヌ子爵の自宅でいいわね?」
ロズが口を挟んだ。
父親はそこでようやくサーヤの背後にいるのがサーヤを連れ戻すために雇った私兵ではなく、まったく見も知らぬ他人だということに気づいたようで、振り上げた手を慌てて後ろに隠した。
取り繕った笑顔で返事をする。
「え、ええ。そうですよ。お宅様はどちらで?」
「子爵に話があるのよ。取り次いで貰えないかしら」
相手が貴族でも変わらない、いつもの横柄な態度だ。
ただ見た目が18歳程度の少女なので、さすがの父親も愛想笑いがひくついていたけど。
とはいえさすがに子爵の縁者。
相手の見てくれだけで態度は崩さなかった。
「そ、そうですか。ではそちらのお名前をうかがっても?」
「ロズよ」
「……家名はどちら様で?」
「ないわ」
ぴしゃりと言う。
そりゃ貴族じゃないしな。貴族より凄いけど……政治的な立場は高くない。
するとサーヤの父は厚顔を崩して、ロズを睨みつけた。
「なんだ平民! 紹介状もなしに子爵様に会おうなどと片腹痛いわ! さっさと去れ!」
「ち、ちがうわ! 私が呼んだのよ! だから伯父様に――」
「知るか! お前のワガママに振り回されるのはたくさんだ!」
そう言って、サーヤの腕をつかんで引きずるようにして家に向かっていく。
しかしサーヤもただの少女じゃない。ステータスの高さを活かして抵抗する。
「放して! このわからず屋!」
「いたたたっ! 父に向かってなんてことする!」
「何が父よ! あんたなんか父だって思ったこと一度もないわ!」
「ふざけるな! お前は俺の娘で、シュレーヌ家の跡取りだ!」
「知らない! あんたの娘もイヤだしシュレーヌ家を継ぐのもイヤ!」
めっちゃ親子喧嘩しとる……。
とはいえこのまま放置されるのもなぁ。
なんとか話をつけたいけど、さすがに今日は無理そうな雰囲気だな。どんなにまともなことを言っても聞いてくれそうにない。
そう思ってロズを見ると、ロズは小さく「3日ね」と答えた。
それなら。
「サーヤ!」
俺が叫ぶと、サーヤは髪を掴まれながら振り向いた。
悔しそうな顔で、ちょっと泣いてた。
さすがに可哀想だけど、今日はここまでだ。
「3日後にまた来る! それまでに説得できたら連れてくって!」
「わ、わかったわルルク! がんばる!」
うなずいて、ずるずると家に引きずり込まれていくサーヤ。
「私、がんばるから!」
最後にそう叫んで、扉のむこうに消えていった。
屋敷の前に静寂が戻る。
「……さて」
ちょっと予想外の展開になったけど、これで3日間はこの街に滞在することが決まったな。
サーヤがあの頑固そうな父親を説得できるとは正直思えないけど、かといってロズがわざわざ口添えをするとも考えられない。何の名残も感じさせないサッパリとした態度で、すでに屋敷に背を向けて歩き出してるくらいだ。
エルニはいつもどおり受け身だし、さっきのサーヤとの衝突を考えたらまず積極的に動くことはなさそうだし。
こりゃ、ちょっと手助けしないとなぁ。
俺はアイデアをひねりつつ、ロズについて宿までの道を戻るのだった。




