心臓編・9『シュレーヌ子爵家のご令嬢』
匿って欲しい。
そう訴えかける少女に、俺は肩をすくめた。
「ちょっと待って下さいサーヤさん。とっさに助けはしましたけど、そのまま事情もわからないうちに子どもを匿うなんて、そんな無謀なことはできませんよ。こう見えても冒険者として生計を立ててますし、余計なトラブルに巻き込まれるのはゴメンですから」
「そ、それは……うん、そうだよね……」
「できれば話してください。サーヤさんは見たところ家名がありますね? それに関係してるんですか?」
家名がある。
それはこのマタイサ王国では、国が家柄を認めている家――貴族ということを意味する。
家名を背負った者は多くの特権の代わりに、同じだけの責任と義務が発生するのだ。国に認可され国を背負っていく家柄になる、ということはそれだけの制限もある。外聞や風評という、対外的な部分ももちろん含まれている。
それゆえ忌み子である俺は家名を隠しているのだ。
魔術が使えないのでは、貴族最大の義務――万が一の時、兵役招集に応えて国のために戦うという責任を果たせないと思われてしまうからだ。
貴族であることを指摘されたサーヤは、スカートをぎゅっと握りしめてからうなずいた。
「そうよ。私はサーヤ=シュレーヌ。シュレーヌ子爵家の世継ぎを命じられているわ」
「シュレーヌ……?」
どこかで聞いたような……と考えて、すぐに思い出した。
そうだ! 俺がむかし婿養子に出されようとしていた貴族だ!
ってことは彼女の家族が、あの男色家という噂のシュレーヌ子爵だろう。そして彼女こそ、俺が家を出てなければ今頃婚約相手になっていたシュレーヌ家のご令嬢か。
うわぁ。こりゃ変に縁のある相手に出会ったもんだな。
兎に角、俺は貴族の設定じゃないので普通の冒険者として振舞わなければ。
「世継ぎですか? ご令嬢のサーヤさんが?」
「知らない? 伯父様には実子がいないのよ。だから伯父様の姪の私が、世継ぎのために殿方と結婚するのがシュレーヌ子爵家としての義務だって言われてるのよ。本当は公爵家との縁談があったんだけど、事情があってなくなっちゃって……それで、少しでもいい家から婿が来るようにってどんどん私にも厳しくなって……」
悔しそうにスカートを握ってシワを重ねるサーヤ。
跡取りの問題ねぇ。シュレーヌ子爵が男色家なら子孫は生まれない……つまり婿養子を迎えるしかないのは当然だ。
そして俺が家を出たせいで公爵家との婚約はなかったことになった、と。
こりゃますます他人事じゃなくなってきた気がするぞ。ちょっと罪悪感が……。
「ええと、もしかしてサーヤさんは世継ぎが嫌で逃げてきたんですか?」
「イヤに決まってるでしょ! どうして好きでもない男と結婚しなきゃならないのよ! 貴族がなによ子爵家がなによ! 私には心に決めた人がいるんだから! それにやりたいことだってあるし、なりたい夢だってあるもん!」
おお、キレられた。
しかし珍しいな。この国の貴族はみんな、結婚相手を自分じゃ選べないのがふつうだ。その考え方に染まってない子が、こうして実力行使で逃げているとは珍しい。
しかもこの歳で、そこまで好きになれる相手がいるなんてな。羨ましい限りだ。
……うん、そうだな。
これも何かの縁だ。あとちょっと罪滅ぼし。
「わかりました。少しだけなら助力しましょう」
「ほ、ほんとっ?」
こっちも貴族の末席だけど、やっぱり恋愛は自由にするのが一番だしな。
お互いの立場のせいで愛し合えない男と女の物語は、どの世界でも応援されるべきだと思うんだ。
もちろんできる範囲で、だけど。
「それではもう一度偽装するので、手を握ってついてきてください」
「う、うん、わかったわ」
ひとまず他人の目を誤魔化しつつ大通りに出た俺たちは、そのまま中心街に向かって真っすぐ進んだ。
ロズとエルニが合流するにはまだしばらく時間もかかるだろう。そのあいだ偽装し続けるのも骨が折れるので、ひとまず勝手に宿をとって過ごすことにするか。
もちろん宿に連れ込むなんて真意を誤解されてはいけないので、サーヤには先に理解を得てもらう。
「そんなわけで仲間と合流するまで、このあたりで宿をとってみようと思うんですけど、よろしいでしょうか?」
「そうね、ありがとお兄さん」
「ルルクでいいですよ」
「わかった。ありがとルルク」
あっさり許可が下りた。
このあたりの貞操観念はまだまだ子どもみたいだな。穢れのないまま育っておくれ、と謎の保護者目線でひとりごちておく。
どうせ貴族令嬢を連れて行くならと、それなりにいい宿を選んでみた。
いつもはロズが勝手に決めてしまうから、サービスやセキュリティよりも立地条件を優先されるのだ。セキュリティは自分でどうにかできるけど、食事だけはどうにもならないからな。
宿のロビーでサーヤが声を震わせえた。
「こ、子どもだけでこんな上等な宿でいいの? お金あるの?」
「ええ。それなりに貯めてますよ」
ダンジョン富豪は凄いんだ。まあ、ほとんどエルニが無双してたおかげだけどね。
俺はベッドがふたつある部屋を借りて、サーヤと隠れるようにして部屋に籠った。
さすがに宿に泊まるのに偽装するわけにはいかなかったから、ちゃんと二人分の宿泊費は支払っている。子どもだけどBランク冒険者だから疑われなかったし、高級宿の従業員が客の個人情報を漏らすとは思えないしね。
部屋に入ったサーヤは、目を輝かせてベッドに飛び乗った。
「すごい! ベッドがふかふか!」
「ほんとですね。でもサーヤさんの自室もいい寝具を使ってたんじゃないですか?」
「まさか。うちはしがない子爵家よ。伯父様が養子をたくさん連れて帰ってくるせいで、ずぅっと節約生活なの。いわゆる貧乏貴族ってやつね」
「それにしては、お召し物はしっかりしてますね」
「そりゃそうよ。教会に行く予定だったから、さすがにいつものみすぼらしい普段着から着替えたわ」
で、その途中で逃げだしてきたと。
しかしこの子、10歳にしては相当理知的な頭脳を持ってるな。
さっき神秘術の家庭教師もいるって言ってたし、シュレーヌ子爵家は教育に力を入れてるんだろう。子どもと話してる感じがしないから、めちゃくちゃ話しやすい。
俺が感心していると、サーヤが首をかしげる。
「ルルクこそどうなの? 13歳にしてはすごく落ち着いてるし丁寧だし、どこかの国のいい身分のひとじゃないの?」
丁寧なのは猫を被ってるからだけどな。
まあわざわざ言わなくてもいいことは黙っておくに限る。男は見栄っ張りなのだ。
「ここだけの話、俺は遠くの国から来た王子なんですよ。武者修行のために冒険者として経験を積んでるんです」
「ウソね。それなら護衛の仲間が常に近くにいるはずだもの。それに言葉は丁寧で礼儀正しいけど、偉ぶってないし。よくて貴族……しかも冒険者になれるってことは三男より下の立場ね?」
「あはは、ご慧眼に感服しますよ。でも本当はただの冒険者です」
「ふうん。ま、そういうことにしておいてあげる。それでルルクはどこで神秘術を習ったの? さっきの術、私にも教えて!」
「ん~どこでっていうか、師匠と一緒に旅をしてるっていうか。この街にもさっき着いたばかりですしね」
「ほんと? じゃあその師匠ってひとに会わせて! 私も弟子になりたい!」
「どうでしょう。押しかけ弟子は募集してないと思うんですが」
まあ一般の子どもが神秘術を使えるってだけで珍しいから、簡単に無下にはしないと思う……いや、あの人はするな。興味が湧かなければ慈悲もなく断りそう。
あまり期待させても悪いので、やんわり断っておこう。
「うちの師匠は変わった人なので、死にそうな目に遭いたくなければ辞めといたほうがいいですよ」
「……もしかして厳しいの?」
「そりゃもう。週に一度は死にかけますね」
「うっ……私、戦うのは好きじゃないのよね」
そりゃよかった。
この世界の子どもは成熟が早いとはいえ、10歳の少女がもうバトルジャンキーだったらドン引きですよ。
「平和に教えてくれるとかはないの?」
「うちの師匠に限ってそれはないですよ。まず手本を一度だけ見せて、あとは敵に向かって使ってみろって実戦させるバリバリの脳筋ですから。苦労が絶えません」
「よくそれで生き残ったわね……」
「はい。気付いたらBランク冒険者ですからね。サーヤさんにはおススメできません」
「……そっか。うん、やめとこっかな」
ふぅ、なんとか考え直してくれたみたいだ。
「でも、弟子は無理でもお話くらいは聞きたいわ。うちの先生のことも知ってるかもしれないし」
「どうでしょう。師匠は外交的じゃないですから」
むしろかなりの人見知りだ。弟子には偉そうなのに。
「でも神秘術士ってみんな『秘術研究会』ってところに所属してて、研究者同士の繋がりはちゃんとあるんでしょ? 数が少ないからけっこう結束強いって聞いたわよ。集会とか報告会もたくさんあるって」
「えっ、そうなんですか?」
「ルルクたちは違うの?」
「ええ。師事して4年ですけど、エルフをのぞけば師匠以外の神秘術士には会ったことないです」
もちろん秘術研究会も名前しか知らない。
……もしかして業界でハブられてる?
ストアニアで神秘術士として公言して4年も活動してたのに、誰からも接触なんてなかったぞ?
あるいはロズが神秘王だから、知ってる人たちはむしろ近寄って来ないのか。君子危うきに近寄らずってやつか、触らぬ神に祟りなしってやつか?
そしたらこの先も希望薄だな。ちょっと凹むんだけど。
俺が落ち込んでいると、サーヤは苦笑いして話を逸らした。
「そ、そうだルルク。あなた冒険者なのよね? じゃあもしかして、私を遠くに連れてってって依頼を出したら引き受けてくれる?」
身を乗り出して聞いてくるお嬢様。
うーん。そりゃあ普通の冒険者なら、護衛任務も受けるだろうけど。
「残念ながら、この街に来たのは師匠の用事なんですよ。なにやら会いたい人がいるらしくて」
「じゃ、じゃあそれが終わったら?」
「絶対に無理だとは言い切れませんが……そもそも護衛任務の相場はご存じですか?」
「えっと……知らないわ」
「例えばここから王都まで、馬車で一か月くらいの旅路としましょう。一か月だと馬車代が御者含めて金貨15枚ほど、護衛が1人当たり20枚ほどが相場です。ただしギルド経由の遠方護衛依頼だと、パーティ単位の護衛なので依頼料は2人分は用意する必要があるので、護衛費用が金貨40枚。それから旅の間の食費や宿代の負担も交渉次第で決まりますが、少なくとも半分は負担しますね。おそらく個人で依頼するとなると、王都まで金貨60枚ほどになると思われます」
「そんなにかかるの!? シュレーヌ家の収入の三か月分じゃない!」
「はい。ですから乗合馬車など比較的安価に旅ができる方法をとるのが一般的なんです。個人で護衛をつけて旅するのは、稼ぎの良い商人か貴族家当主くらいですよ」
世間知らず、とは言わないがさすがに旅の事情は知らないようだ。もっとも貴族当主の外出に関しては、公式な用事であれば経費になるし助成金適用もあるから、実際の負担額はかなり減るんだけどな。
俺はダンジョンのおかげで懐に余裕があるけど、かといって相場より安く依頼を受けることはしない。他の冒険者のためにも、Bランク冒険者としての立ち振る舞いはしっかりと心がけている。
ハッキリと断られて、サーヤは肩を落としていた。
さすがにこの街から出られないとなると連れ戻されるのは時間の問題だろう。
と思っていたら、いきなりサーヤがぴくんと肩を跳ねさせた。
キョロキョロと周囲を見回している。
「どうかしましたか?」
「なんか、変な魔力を感じたの。誰かの魔力がすごい速さで波打って通り過ぎた感じ……たぶん、すごい大規模な魔術よ。こんなのいままで感じたことないわ」
おや?
魔素欠乏症の俺には当然感じられなかったが、魔素や魔力のゆらぎまで感じることができる魔術士はそこまで多くないと聞いている。他人の魔力まで感知できるほどの術士なら、誰が魔術を使ったのかも遠目でわかるらしいし。
この子、10歳にして魔術が卓越してるのか?
しかも神秘術の才能もある。
さらに知能も優れていてる。
……うん?
なんかこのチートな多才感、普通じゃあり得なくないか?
「え、まさか……」
イヤな予感が。
頭によぎった疑問を口にしようとすると、突然、部屋の扉が乱暴に開かれた。
そこにいたのは、見慣れた羊の幼女。
反射的に、サーヤがとびついてくる。俺を盾にして隠れた。
「だ、誰!?」
「落ち着いてくださいサーヤさん。彼女は俺の仲間です」
後ろにしがみつくお嬢様をなだめる。
それに目くじらを立てたのはエルニだった。
「ん! うわき!」
「エルニ、どうしてここが?」
問いかけて気づく。
サーヤが言った魔力のゆらぎは、エルニの『全探査』だったんだろう。
万能索敵の名に恥じないこの禁術、エルニの魔術練度なら周囲数キロは余裕で索敵できるので、この街すべてがエルニの探知範囲内だ。
集合場所の冒険者ギルドにいなかった俺を探したんだろう。
その直後にここまで瞬間移動したのは当然――
「いたいけな少女を連れ込むなんて、あなたもなかなかやるわね」
「誤解ですよ師匠。ちょっとやんごとない事情がありまして」
「ふうん。それにしては親密じゃないの」
ニヤニヤと笑うロズ。
しかしその笑みが、俺の背後にいる少女に向いた瞬間。
「……ルルク、やるわね」
「え? なにがですか?」
「その子が、目的の子よ」
まさか、とは思った。
魔術、神秘術、そしておそらく理術の才能もある理知的な10歳児。
どれだけの才能があるかはわからないが、すべての才能を持って生まれたとすれば、それは紛れもなく天才と呼ばれるだけの素質があるだろう。
その天才児はロズの言葉に目を見開いて、一瞬で後ろに飛びずさった。
速い。
その動きは、相当に鍛えられた動きだ。少なくともステータスの敏捷値は1000近く――俺の半分くらいはあるだろう。10歳の少女でそれなら、もはや神童と言ってもいい身体能力だ。
彼女は一度下がったものの、窓の小ささに逃げることができないと判断すると、すぐさま俺に飛びかかった。
その手には、いつの間にかミスリルの短剣。
さっき下がるときに抜かれていたのか。
手癖も悪い子だな。
「るるく!」
とっさにエルニが杖の先で、俺の襟首を引っ張った。
ぐぇっと潰れた声とともにサーヤの射程から逃れた俺は、そのままゴロゴロと無様に転がった。
エルニは杖を掲げて、俺を守るように短剣を構えたサーヤと対峙した。
「騙したわねルルク!」
「ん! ルルクはわたしがまもる!」
幼い少女同士の睨み合い。
なんでサーヤが激昂したのかわからないが、とにかく。
「『装備召喚』」
術式を発動すると、サーヤの手から短剣が消えて俺の手に現れた。残念だけど俺の所有物を盗ることはできないんだよ。
というか初めて実戦で使えたな、このスキル。
「なっ!」
「落ち着いてくださいサーヤさん。エルニも」
「ん……でも」
「心配してくれてありがとな。大丈夫だから」
エルニの頭をポンと撫でる。
かなり不満そうな顔をしていたが、ひとまず構えていた杖を下げてくれた。
「サーヤさんも、そんなに睨まないでください。誤解です」
「誤解って! そっちのひとが正直に…………あれ、師匠って言った?」
「痴話喧嘩は終わったかしら」
ロズは茶化すように言いつつローブを脱いだ。
黒髪黒目の美少女は、余裕の笑みを浮かべながら――しかしなぜか、その視線をいままで見たことないほど鋭く尖らせながら言った。
「そっちの事情はわからないけど、とりあえず自己紹介させてもらえるかしら。私はロズ……そこにいるルルクの師匠であり、神秘術の王よ。この街へはあなたを見極めに来たわ」




