心臓編・7『故郷』
「じゃあ私たちは行くわね。コーヒー豆ありがと」
「たいしたもてなしもできずに申し訳ありません。また気が向いたら会いに来て下さい先生」
プレナーレクの屋敷の玄関前。
200年ぶりの再会をした師弟は、一週間旅行に赴く親を見送るような気軽さで挨拶していた。何千年を生きる王と長寿のエルフ族では、別れはあまり寂しいものじゃないらしい。
その代わりとは言ってはなんだが、そのすぐ隣でものすごく寂しそうにしている少女がひとり。
長い前髪に三つ編みを下げた、将来有望な師匠の弟子の弟子ナビィ。
「ルルクくん、また、会えますか?」
「もちろんですよ。別れも惜しいですが、今度はゆっくり話せる時間をつくりましょう」
「は、はいっ!」
ナビィは頬を赤くしてうなずいた。
別れが惜しいのはなんの嘘も誤魔化しもない。本当に悲しいことだ……圧力鍋の設計図が出来上がるまでここにいたかった。いやそれだけじゃなくてミキサーとかミルとかもっと色々相談して設計してもらえれば今後の料理に役立つし、なにより下ごしらえに手間がかからなくなるってことは食材の鮮度が落ちないってことなんだ。肉はもちろんのこと、魚も鮮度で味がかなり変わってくる。この世界の人たちはあまり味にうるさくないし、多少腐っても気にしない衛生観念だから料理に関しては技術が発達しづらいんだろうけど――
「ん!」
「痛っ! ちょっとエルニ、なにするんだよ」
なぜか足を踏まれた。
無言で睨んでくる幼女。なぜだ。昨日の夜から不機嫌なんだけど……よくわからんから、そっとしておこう。
それを見ていたロズとプレナーレクは笑っていた。
見えなくなるまで手を振っていたナビィには時折手を振り返してやり、街道を曲がるとようやく前を見る。
「よしよし。いい子だったし将来が楽しみだ」
「ん……ルルクのえっち」
「ちがうってば。いいか、これはエルニのためでもあるんだぞ。だって圧力鍋だぞ圧力鍋。食材に短時間で熱が入るだけならまだしも、肉がトロトロになるようになるんだぞ。これは普通の煮込みとか焼きじゃできないんだ。トロトロだぞ、トロトロ」
「とろとろ……」
よだれをたらすエルニだった。
「そのためにナビィさんには頑張ってもらわないとなんだから、そりゃあいくらでも協力するさ。一晩二晩の徹夜だって苦じゃないね。場合によっちゃエリクサーやヒヒイロカネのインゴットより価値があるんだぞ。角煮やチャーシュー、無水シチューにトマトポタージュ……夢が広がるぅ!」
「ん、ならゆるす」
「ありがとうございます!」
食欲に負けたエルニ。
よくわからんけどノリでお辞儀しておいた。
「マンザイは終わった? そろそろ転移して国境に向かうわよ」
「はーい」
「ん」
ロズの合図で、また相対転移をくりかえして南にある国境まで進んでいく。
バルギア竜公国とレスタミア王国の国境では、とくにトラブルもなくすんなり通過することができた。
レスタミアかぁ。
また初めての国だけど、ここからマタイサ王国までは街には寄らないと聞いているからあまり期待しているわけでもなかった。
森や渓谷は住み着いてる魔物が違うくらいで、あまり変わり映えはしないしね。
だから、ロズが迷いなく森を進んでいくときは気付かなかった。
俺たちがいまどこに向かっているのかを。
途中、昼食を作って食べたのと手土産に貰ったコーヒー豆を使って素人コーヒーを淹れた(料理ができるからと師匠に淹れさせられた。やはり下手すぎた)あとは、休憩もなくずんずん森を進んでいった。
夕暮れになったころ、着いたのは開けた場所だった。
そこは廃村のようなところだった。
かつてあったであろう家屋は無秩序に壊されていた。村の中心にあった井戸もボロボロで、どこが道かもわからないほど雑草が生い茂っている。壊れた家屋には野生の動物が住み着いており、森の近くの廃屋にはツタが絡みついている。
「師匠、ここは?」
「……ぐすっ」
エルニが隣で泣いていた。
その視線の先には、たくさんの墓のような石碑。
ああ、そうか。
レスタミア王国の北の端ってことは――
「ん……わたしの、こきょう」
エルニが生まれ育った場所。
そして、魔物に襲われてすべてを失くした場所。
「エルニネール。間に合わなくて……みんなを守ってあげられなくて悪かったわね」
ロズがぶっきらぼうに言う。
エルニは首を振った。
「んーん。ロズ、たすけてくれた。ありがと」
最後の一人になっても抵抗を続け、魔力が切れて倒れたところにロズが間に合った。
駆けつけるのがあと数秒でも遅れていれば、エルニはここにいなかった。
そう聞いていている。
しかし礼を言われても、ロズは渋い顔をしたまま集落を眺めていた。
圧倒的な力があるのに、そこにいないという理由で守ることができない。それはロズにとってどうしようもない事実で、抗いようのない真実なのだろう。それはどれだけ長い間生きてこようが、覆しようのない真理だ。
沈痛な表情のロズに、俺が何か言えるようなことはなかった。
「ん……ルルク、きて」
エルニに手を引かれて、石碑まで連れていかれる。
たくさん並んだ石碑の一角で彼女は祈りを捧げた。
「おとうさん、おかあさん。ただいま」
親の墓か。
俺もエルニに倣って、黙祷を捧げる。
……ああ、そうか。
この世界に来てもう8年。
そこでようやく、思い当たった。
いまさらだ。本当にいまさらだけど、七色楽として、親より先に死んでしまったんだよな。両親もこうして失った息子を想って祈っているのだろうか。泣いているのだろうか。
俺はたったひとりになったエルニを見て、なんて自分は親不孝だったんだろうと思った。
できることなら、なんとしてでも生き残ってあげたかった。俺のためじゃなくて両親のために。
残される側のことを想うとやりきれない思いが溢れてくる。
……ああ、オレは弱いな。
鼻の奥がツンとして、じわりと涙が滲む。
「ルルク」
いつの間にかエルニが俺の腕を抱えていた。
父と母に報告するように。
「このひとが、ルルク。おいしいごはんをつくってくれる。いつもたすけてくれる。つよくてたよりになるけど、ちょっといじわるなの。でも、ほんとうにやさしくて、へんなひと」
紹介したかったんだろう。
一人残されて、その直後からずっと一緒に過ごしてきた弟弟子だもんな。
……俺にとっても、エルニはもう家族みたいな存在だからな。
俺も頭を下げて、彼らに届くように祈った。
「初めまして。ルルクです。エルニネールさんにはいつも助けられてます。同じ冒険者として、同じ師匠に師事する弟子として、一緒にいさせてもらってます。この4年間、不甲斐ないこともありました。力不足を実感することもありました。これからもきっと、彼女に頼ることもたくさんあると思います。でも、あなたたちが安心して天国から見守れるよう、お嬢さんをしっかり守り続けてみせます。喧嘩したり怒らせたりすることも多い未熟者ですが、これからもよろしくお願いします」
言葉がうまく出てこなかったけど、ちゃんと伝えられたと思う。
隣を見ると、いつも無表情なエルニがいままでで一番嬉しそうに――でも悲しそうに薄く微笑んでいた。
「……ん、ルルク」
「どうしたエルニ」
「ありがと。これからも、よろしく」
「ああ。こちらこそ」
飾る必要のないその言葉は、エルニの故郷にしんと響いた。




