心臓編・6『師匠の弟子の弟子』
翌朝。
宿を出発した俺たちはまっすぐ南へ延びている街道を進んでいた。
普通の国境は、各国が支配権を確保するために河川などの攻めづらい土地を利用して築いていくものだ。
しかしバルギア竜公国の国境は竜王のナワバリそのままなので、地形には左右されない。それもそのはず、どんな国の大軍を以ってしても竜王ひとりにすら勝てないという、非常に偏ったパワーバランスがあるからだ。
にわかには信じられないが、実際に、数万の軍隊が竜王のたった一撃で全滅した史実があるから大袈裟ではないだろう。
バルギア竜公国が400年間、大陸中央部に君臨し続けている理由がその竜王の過剰なまでの強さだ。誰もが口を揃えて、竜王が他国に興味がなくて良かったと言っているほどだ。
兎に角、自身のナワバリ内にしか興味がない竜王。
彼を崇める国民たちは、無知な外敵が竜王の怒りに触れないようにするため、平地や森を通る国境にナワバリを示すために巨大な壁を建てた。
それほどわかりやすい壁があって、なおかつ竜種の気配がほんのわずかに感じ取れるのが竜公国という領土だ。竜種を恐れる獣は、決してバルギア竜公国へは近づかない。
森や草原の生態系にもその影響があって、知能が高い魔物ほど、バルギア竜公国の方面に近づこうとしない。脅威に晒されない国境の壁は、途切れることなくまるで万里の長城のようにずうっと続いている。
俺たちが進んでいる街道からも、その壁をときおり見ることができる。
「圧巻だなぁ」
前世では万里の長城は見たことがなかった。一度でいいから見てみたかったなぁと思っていたので、似たような景色を見ることができて感動していたのだ。
もちろん壁が近くにあるわけではないので、遠くから眺めながら進んでいるだけだけど。
それにしてもバルギア竜公国は豊富な資源を持っているようだ。こんなに長い壁をつくるなんてどれだけ時間がかかったんだろう。ピラミッド建設みたいに、国民総動員する一大事業だったのだろうか。
「すげえなあ。なあエルニ、壁作るのにいくらかかってんだろうな?」
「ん、土魔術」
「……それがあったか」
自分が使えないから忘れてた。
この世界の建設工事は魔術士の職業だったっけ。
なにも戦うばかりが魔術士じゃないもんな。人件費がかかるとはいえ、現地の土や岩で素材を造れるってことは材料費とか運搬費なんかほとんどかからなさそうだし。
「あ~なんか感動が薄れてきた気がする」
やっぱピラミッドとか万里の長城のほうがいいな、うん。
そんなことを考えていると、ロズが視線の先を指さした。
「そろそろ着くわよ」
ずうっと伸びている国境の壁の近くの林に、ここからでもわかるほどの大きな屋敷が建っていた。
あれが今回ロズがわざわざこっちに来た理由のひとつ――かつての弟子が住んでいる屋敷なのだった。
□ □ □ □ □
「ようこそおいで下さいました先生!」
俺たちを出迎えたのは、眼鏡をかけた優男だった。
見た目はまだ30歳くらいだろうか。線が細くて頼りない、あまり戦いとは無縁な人生を送ってそうな壮年の男だった。しかも年齢を感じさせるとはいえかなりの美形だ。
ロズの弟子といえば高齢のイメージがあったが、この人はそうでもなさそうだ。
「久しいわねプレナーレク」
「ええ、200年ぶりでしょうか」
違ったわ。
よく見ればこの人、エルフだ。やっぱエルフは男でも美形なんだな。
プレナーレクというエルフの男性は、話によると280歳くらいらしい。エルフらしく細かい年齢は憶えていないようだが、とにかく彼が子ども時代に師事していたのがロズなんだとか。
「ささ、どうぞどうぞ! 我が屋敷でおくつろぎください」
「そうさせてもらうわ。今夜は泊ってもいいかしら」
「ぜひに! いくらでも滞在していってください」
おお、珍しい。
他人の家に泊まるなんて初めてだ。
プレナーレクの屋敷は俺が育ったムーテル家の屋敷にも劣らない大きさなので、部屋は有り余っているのだろう。二つ返事で許可をもらったのだった。
まず案内されたのは一階の応接室。
俺たちがソファに座るとプレナーレクも着座し、若い男性の使用人が香り高い飲み物をテーブルに置いた。
なんか嗅ぎ憶えのある匂いがする黒い飲み物だな……。いやいや、まさかな。
「ぜひお飲みください。我が家自慢の一品です」
「いただくわ」
「いただきます」
「ん」
カップに口をつける。
熱めの液体が口に入った途端、香ばしい苦みと砂糖の甘みが口の中に広がった。鼻に抜けるような酸味もあり、全体的にはパンチの強い味わいのあとにはさっぱりとした苦みが舌に残った。
こ、これは紛れもなく……コーヒーだ!
「うん、さすがね」
「美味しいです」
「ん……にがい」
さすがにエルニの口には合わなかったみたいだな。
しかしコーヒーか。この世界で初めて飲んだけど、存在していたのか。
俺が感動していると、プレナーレクがにっこりと笑って言った。
「改めまして先生、ようこそ我が家へ。そちらのお二人は今代のお弟子さんですか?」
「ええそうよ。ふたりとも、挨拶」
「初めまして、ルルクと申します。人族の13歳です」
「ん。エルニネール。羊人族、22さい」
頭を下げると、プレナーレクも応じてくれた。
「初めまして。僕はエルフで植物学者のプレナーレク、ジュマンの森のケルクーレの息子、プレナーレクだよ」
おお、久しぶりに聞いたエルフ式の挨拶だ。
プレナーレクは無難に挨拶したあと、エルニのローブをまじまじと見つめて、
「しかしお嬢さんは羊人族でしたか。僕からは角も羊毛も見えませんが、そのローブはやはり先生の認識阻害術式ですか?」
「違うわ。ルルクの術よ」
「なんと! 人族の子どもが、このレベルの神秘術を!?」
こんどはまじまじと俺を見てくる。
壮年男性とはいえ美形のエルフに熱のある視線で見つめられるのは照れるけど、欲を言えば美少女がいいな。包容力のありそうなお姉さんだと最高だね。
「いやぁ感服しました。長年人族の国で生きてきましたが、神秘術士すら珍しいのにまだ子どもだとは。さすが先生、良い弟子を見つけましたね」
「私の手にあまるくらいの問題児だけどね」
呆れたように言うロズ。それは聞き逃せないね。
「何を言ってるんですか師匠。俺のどこが問題児なんですか?」
「あなたのおかげで実力と性格は比例しないってことを再認識できたわ」
「俺は性格も素直ですよ! きゅるん!」
キラキラした目で見つめたら、ため息をつかれてしまった。なんでだよ。
それを見ていたプレナーレクが苦笑する。
「ははは、ルルク君は個性的ですね。そうだ! せっかくならうちの弟子ともお会いになりませんか?」
「弟子? あなたの?」
「ええ。ちょっと人見知りですが才能には見込みがあって、ここで住まわせながら教えているんですよ。いかがでしょう」
「いいわ、会ってあげる」
ロズがうなずくと、プレナーレクは部屋を出て行った。
ものの数分で戻ってきたとき、その隣には俺と同じ年頃の女の子を連れていた。
「ほら、挨拶なさい」
「な、ナビィ……です」
消え入るような小さな声だった。
薄青色の髪を三つ編みにした少女だった。
前髪は目元までかかっていて、いかにも人見知りっていう雰囲気だ。エプロンをつけた質素なスカート姿で、おそらく使用人見習いでもあるのだろう。掃除道具を手に持っているままだった。
うつむいているため顔はハッキリと見えないが、わりと綺麗な感じだ。これは将来化けるだろう。
「私はロズよ。あなたの師匠の師匠ってとこね」
「ルルクです」
「ん、エルニネール」
簡単に挨拶する。
おどおどしたナビィは、俺が名乗ったら飛び上がってプレナーレクの後ろに隠れてしまった。なんだろう、俺の名前になにかあるのか?
とはいえオドオドした様子は、昔のリリスを思い出す。
こういうタイプも正直嫌いじゃない。
「……なにニヤけてるのよ」
「ニヤけてませんよ(キリッ」
いかんいかん。初対面の少女に引かれてしまう。
将来いい感じの美人になったときのためにも、ここで嫌われるわけにはいかないよね。クールな俺でいこう。
でもクールってどうすればいいんだろう、いつも通りだよな?
「それでプレナーレク。その子はどんな見込みがあるのかしら」
一目見て才能やスキルがわかるはずのロズがわざわざ口に出して聞く。
プレナーレクもその意味がわかっているのか、即答した。
「理術の才能です。ナビィ、この前考えていた理術式をロズ先生にも教えてあげていいかい?」
「は、はいっ」
プレナーレクは緊張した様子のナビィと共にソファに座った。
使用人に指示をして紙束を一つ持ってこさせると、それをテーブルの上に一枚ずつ広げていく。そこには図形、数式、文字がびっしりと書き込まれていた。
プレナーレクは楽しそうな表情で、ロズに問いかける。
「先生は神秘術の体現者として、そして魔術の超一流の使い手として名を馳せております。しかし理術に関しては専門家とは言い難い。そうですね?」
「あら、それでもあなたを一流の植物学者に育てた実績はあるわよ?」
「もちろん、それには深い感謝と敬意を表します。なればこそ挑戦します。この理術式が――14歳のナビィの考え出した術式が、いったい何を表しているのか。先生には理解できますか?」
面白い。
弟子が、その弟子とともに師匠に挑戦するか。
なかなかエンターテイメントな人だな。
ロズはその挑戦受けたとばかりに、じっと図面に目を落とす。
しっかりと時間を使って、すべての紙に目を通したロズは息を吐きながら言った。
「……降参よ。熱伝導率を含んだ出力器だということはわかったわ。けど、それ以外はさっぱり」
「そうでしたか。やはり先生の唯一の弱点は理術ですね」
「なんで嬉しそうなのよ」
「ふふふ、そりゃあ愛する人の新しい一面を見れたのですから当然でしょう?」
「あなたも変わらないわね」
「そりゃあエルフですから。変わりづらいのが特性ですよ」
プレナーレクは甘ったるい言葉を紡ぎながら笑った。
それが恋愛という意味で言ったわけではないことくらい、本人同士にもそれを聞いていた俺にもわかっている。長く付き合いのある二人に築かれている、この上のない親愛の言葉だった。
いい関係だな。
そんな二人の雑談をよそに、俺は図面の数式を見ながら正面に座る少女に言った。
「ナビィさん。ちょっと聞いてもいいですか?」
「えっ……う、うん……あ、はいっ」
うーんコミュ障。
だがそこがいい。
じゃなくて、そんなことよりも!
「この二枚目の図面、減圧の仕組みについて書かれたものだと思うんですけど、この計算式だとここの部分に負担がかかりすぎませんか? 素材をミスリル並みにしないと壊れてしまうと思うんですが」
「えっ、これ、わかるんですか?」
驚いて大声をあげたナビィ。
ロズとプレナーレクも話を止めてこっちを見た。
「はい。これは密閉することで内部を高圧状態にして沸点を高める圧力調理器の図面で間違いないですよね?」
「そ……そう、です」
コクコクとうなずいたナビィ。
やっぱりか。
ということは、俺にとってもこれは宝物になる。
なんせ理術器最先端のストアニアでも圧力鍋は研究されていないからな。
ストアニアは理術大国だけど、料理に最先端技術を向けるという発想があまりなかった。ダンジョンがあるせいで食料が豊富だからもっと発展しててもいい物だと思ったんだけど、残念ながら調理器具は良い物が見つからなかったのだ。
しかし、ここにいるのは使用人見習いの理術の才能持ち!
ここで協力すれば、圧力鍋がなるべく早く手に入る予感がする。
俺も身を乗り出しながら早口にまくしたてる。
「無調圧で排出される蒸気にも関係すると思うんですが、この数式でナビィさんが想定しているのは通常沸点である百度でしょうけど、調理機側の内部温度はそれ以上になりますよ。もちろん熱に弱い素材を使えば壊れますし、熱に強くても硬度が低い金属だとしても使用回数がかなり低くなると思うんです。減圧装置は段階を踏んで行わないと厳しいと思いますし、かつ一定値を超えれば自動で調整されるような機構をつけるべきだと思うんです」
「そ、それって、どんな……?」
「そうですね。例えば球体の重りをつけた穴を用意するだけでも可能だと思います。圧力が高まれば重りが持ち上がって空気が抜け、それとともにまた重りが下がって蓋をする……いわゆる調圧弁ですね」
「な、なるほど……たしかにそれなら、いい、かも……」
「でしょう? そうすれば排出時の負荷のために設計してるこの部分、まるっといらなくなって軽量化もできると思うんですよ。コストも減りますし、なにより軽くなればそれだけ使用者の負担も減るんで――」
そんな風に俺とナビィが熱中して話しているのを見た大人ふたりは。
「せ、先生……この子、理術士ですか?」
「ううん、理術練度はまだ1000もないわ。でも、ときどきこうして発想力で練度を上回った案を出してくるのよね。まるで途中の術式を知らないのに、正解だけを最初から知ってるみたいな、そんな近道をね。神秘術も同じで、そうやって新しい術式をどんどん生み出していくのよ。それも危険性なんかをまったく考えずにね……だから問題児なの」
「ははあ。なんとも難しい子のようですね」
「ほんと気苦労が耐えないわ」
顔を合わせて話す師弟だったが、それでも楽しそうにする俺たちを止める気はないようだった。
俺とナビィは陽が沈んでからも、圧力鍋の設計図を睨みながら案を出し合っていた。
ちなみに、なぜかエルニの機嫌が悪くて寝る前に八つ当たりされた。




