心臓編・4『国境を越えて』
「うは~4年ぶりの旅だぁ~」
ストアニア王国王都、その西門から出た俺たち。
綺麗に均された地面を歩きながら、息を吸い込んでは吐き出す。す~は~。
やはり街の外と中では、空気が違う。
とくにストアニアは蒸気機器や燃料式の理術器ばかりなので、空気は他の街に比べるとけっこう澱んでいた。現代日本の記憶がある俺にとっては気にならなかったけど、こうして久々に自然の空気を肺に入れると、心地よい気持ちになった。
ロズはそういう違いには無頓着だったけど、羊人族のエルニも新鮮な空気を味わうため何度も深呼吸していた。
「それで師匠、これからどこに向かうつもりですか? こっち側ってことはバルギア竜公国に向かうんですよね?」
曰く、目指すは新しい弟子。
じつはけっこう楽しみだったり。
「目的地はマタイサ王国よ。あなたの郷国。まあ南のほうだけどね」
「じゃあなんでこっちに?」
「ちょっと寄り道よ。バルギアを南に下がって、レスタミア経由でマタイサに入るつもりなの」
直線で行けば南下するだけなのに、けっこう遠回りだな。
「バルギアでもちょっと気になる情報が出回っていてね、それも含めて確認しに行きたいのよ。日暮れまでに国境の向こう側の街につくつもりだから、そのつもりでね」
「かしこまりました」
見晴らしのいい草原へ続く道を歩き出す。
王都の周囲にはクエスト中の冒険者や商人、巡回の兵士たちがそれなりにいる。『相対転移』を使ってショートカットをするのは、なるべく人目につかない位置まで進んでからだ。
ストアニアの国土はムーテル領ひとつより小さいので、国家としてはかなり狭い。国境まではどの方向へ向かっても馬車でゆっくり進んでも4日程度――転移をくりかえせば数時間で到着するので、そこまで急ぐ必要はなかった。
とはいえ途中には何もないみたいだから、寄り道もするつもりもなかった。
草原を越えたあたりから魔物が多く出没する荒れ地エリアになってきたので、俺たちはそこから転移を使ってどんどん先に進んだ。
国境付近に着いたのは、まだ日が傾き始める前だ。予想よりずっと早かったが、すれ違う商人がほとんどいなかったので人目を気にせず行動できたおかげだった。
それにしても馬車で五日の道のりにこれほど商人が少ないのはちょっと気になるな。ストアニア王国は小国で、食料自給率は低い。かなり多くのものを輸入で賄っている。当然、商人の出入りは激しいはずなのに。
その理由がわかったのは、国境についてからだった。
国境には大きな砦のような関所があった。その手前の林まで転移してから、歩いて砦に向かう。
異変に気付いたのは砦が見えてからすぐだった。
普段は開いているはずの関所が閉じている。
兵士もかなりの数がたむろしていた。
「そこの者たち! そこで止まれ!」
かなり近づいたら、砦の前の兵士から槍を向けられた。
物々しい雰囲気だな。
俺は一歩だけ前に出て尋ねる。
「どうしたんですか?」
「身分を証明したまえ! 話はそれからだ!」
うーん、こりゃトラブルがあったな。俺はどうみても未成年の見た目なのに、油断することなく職務をまっとうしている。お疲れ様です。
ここで事を荒立てる必要はまったくないので、冒険者カードを提示する。ついでに横の看板に書かれてあった通行税の銀貨を人数分渡す。
それらを確認した兵士が、踵を合わせて背筋を伸ばした。
「Bランク冒険者でありましたか! 大変失礼しました、どうぞお通り下さい!」
「あの、何かあったんですか? 関所門を封鎖するなんて大きな魔物でも出たんですか?」
「いえ、そういうわけでは。ただ……」
顔をしかめながら事情を説明する兵士。
兵士の話では、この国境からストアニア王国側の森に魔族の目撃情報があったんだという。
しかも昨日のことらしい。
魔族は本来、ここからずっと北にあるルネーラ大森林を越えた魔族領にしかいないはずなので、この大陸南部へ姿を現すことは滅多にない。実際、ルネーラ大森林に住んでいたエルフ族のメレスーロスも魔族は120年間見たことがないと言っていたから、かなり稀なことなんだろう。
魔族か。
羊人族以上に魔術に長けた種族だとは聞いているが、あまりいい噂は聞いていない。
実際に800年ほど前、魔族のなかに先々代の魔王が誕生したときは、ルネーラ大森林を無理やり越えて他種族の国々へ戦争をしかけていったらしい。
この世界のいろんな物語でも、魔族はたいてい悪者扱いだった。
「師匠、もしかしてこの件でこっち側に?」
「違うわ。偶然ね」
そりゃそうか、昨日の今日だしな。
門番の兵士が合図を送ると、門が少しだけ開いてゆく。
「現在は、魔族の目撃情報をもとに斥候を出して事実を確認中です。あちらの国境警備隊からは目撃情報が出ていないので、バルギア側には魔族はいないと予想されますが……道中くれぐれもお気を付けください」
「ありがとうございます。お仕事、がんばってください」
「はっ!」
子ども相手にも態度を崩さない真面目な兵士だった。
門を抜けた先のバルギア側の門の前に、何組かの寄り合い馬車と商人や護衛の馬車が野営を張っていた。いまも焚火を囲みながらのんびりしており、どうやら斥候が戻って安全が確認されるまでここで何日か待つつもりのようだ。
どうりでここまでの道のりでほとんど人を見なかったわけだ。
バルギア側もそれまでと同じく、森や林に挟まれた平坦な道がまっすぐ伸びているだけで特に複雑な地形じゃなさそうだ。転移も楽でいい。
「おーい君たち、徒歩で街に向かうのか? 馬車でも一日かかる道のりだぞ、ここで過ごしていったらどうだい? 道中には魔物も出るから危ないぞ」
俺たちが臨時野営地を抜けて歩いていこうとすると、護衛に雇われていた冒険者のひとりが声をかけてきた。
気を利かせてくれたんだろうけど、問題はない。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。俺たちも冒険者ですから」
そう言って遠目にギルドカードを掲げて挨拶を返す。
この距離ではランクは見えないだろうけど、冒険者が危険を承知で行くと言えばたとえ相手が子どもだろうが止めないのが暗黙のルールだ。彼らも「気をつけろよ」と言っただけで、それ以上は何も言わなかった。
彼らの視線が切れるまでゆっくり歩いて進む。
ああ、そういえば。
俺はふと思い出して鞄をあさる。
「そういえば師匠、さっきショゴスの討伐報酬で出た戦利品を見てもらってもいいですか? エルニに装備させるか検討したいんですけど」
「いいけど、何が出たの?」
「これです」
まず出したのは泥団子、黄金色の液体瓶、謎の金属のインゴット。
ロズはそれらを『虚構之瞳』で一瞥して、
「万能薬の素に、エリクサー、あとはヒヒイロカネのインゴットね。どれも売れば金貨1000枚以上するわよ。ヒヒイロカネに至っては3000枚くらいするわね」
「万能薬の素ってなんですか?」
この泥団子に万能薬って名前がつくなんてな。子どもが握ったって言われても納得するんだけど。
「ショゴスの基本ドロップアイテムのひとつね。その塊で万能薬100個くらい作れるわよ。万能薬といっても疾患性の病気や状態異常を治す薬だから、あなたたちふたりには必要ないでしょうけど」
そりゃそうだ。
俺には『自律調整』、エルニには『癒しの息吹』っていう状態異常にも効果がある高位の治癒スキルがある。エルニに至ってはキスすれば他人も治せる(ただし治すとは言ってない)ので、本当に必要なさそうなものだった。
これは売りだな。売れた金は山分けだ。うっほほい。
「で、エリクサーはあの幻の回復薬ってやつですかいアネキ」
「誰がアネキよ……ま、そうね。即死級のダメージじゃない限り体力や魔力、四肢欠損も治してしまう最高級ポーションよ。まあ、これもあなたたちにはあまり必要ないでしょうけどね。エルニネールは魔力ポーションさえあればいいわけだし」
「じゃあこれも売るかなぁ。でもエリクサー……う~ん」
ゲームじゃお馴染みのアイテムだ。
名前だけでもほかの物より思い入れがある分、手放したくない気持ちが……。
よし、エルニのアイテムボックスに入れて万が一のために保管しておこう。
「エルニ、持っててもらっていいか? いざというときは使っていいから」
「ん。わかった」
「あらいいのルルク? エリクサーは錬金術の触媒の材料にもなるのよ」
「えっ、本当ですか!?」
「ええ。エリクサーに真祖竜の血を混ぜたら固まるんだけど、それが賢者の石と呼ばれているわ」
「賢者の石キター!」
出た、伝説のアイテム!
俺はこの4年間のあいだに、理化秘術である『錬金術』の基礎スキル――『錬成術』を習得していた。『錬成術』は物質の構成そのものに作用する上級スキルだが、『錬金術』は『錬成術』と『賢者の石』をもちいて物質の元素そのものを変化させることができる王級神秘術だ。
その名の通り卑金属でも貴金属に変換してしまうほどの素晴らしい技術で、俺も現代日本人として『錬金術』は憧れの存在だったんだけど、触媒となる賢者の石の情報がどこにもなくて諦めていたところだった。
「エリクサーと真祖竜の血か……これまたとんでもないレア素材ふたつですね」
「『錬金術』は他にふたつとない完全置換術式よ。そもそも秘術でも魔術でも、物質を変化させる術式はたくさんあるけど、物体の構成や要素が外部の干渉で変化したとき変化後の状態が不安定になるのよ。変化させた物質がきちんと理術的要素に基づいて崩れてしまわないように構成できるのは、理術以外の方法だと本物の錬金術だけなのよ。だからこそ超高度な神秘術なの」
「ほほう! そうですよね! 『錬金術』はそれくらい難しい技術ですよね!」
「なんで難しいことに喜ぶのよ」
呆れた目をしたロズだった。
だって憧れの錬金術だもん。難しければ難しいほど、できたときが嬉しいじゃんか。
俺が目を輝かせたのをみて、エルニがつぶやく。
「ん、これつかわない?」
「いや必要があったら遠慮なく使ってくれよ。憧れより命が大事だ」
「ん」
「……そこは現実的なのね」
そりゃ死んだら元も子もないからな。
それに、もしまた必要になったらまたショゴスをぶち転がせばいいだけだしね。なんならショゴスも周回要素でいいよな。他の階層ボスみたいに。
エルニがアイテムボックスにエリクサーをしまったのをみて、俺はようやく次の質問に移った。
「それで師匠、ヒヒイロカネっていうのはあれですか。ミスリル以上オリハルコン以下の例のやつですか?」
「例のやつってなによ……ま、その認識で間違ってないけどね」
日本のゲームやマンガ事情はさすがにロズに通じなかった。
にしてもヒヒイロカネか。ストアニア王国で生活していたけど、ヒヒイロカネは文字すら見かけなかった。ミスリルでもたまにしか商店に並ばない高価なものだし、それ以上の価値になってくると当然かもしれないけどさ。
ま、最高級金属という噂のオリハルコンは逆によく聞いたけどな。
なんでも大国ですらおいそれと買えないような極めて貴重なものらしいから、そういう扱いでよく戯言に使われていたのだ。オリハルコンで入れ歯を作るのが夢だ、とかね。俺もオリハルコンのパンツが欲しい。最高級勝負パンツ。
「ちなみにヒヒイロカネは、魔力を弾く性質なのよ。魔術もほとんど効かないわ」
「そうですか。じゃあこれはいずれ武器か防具にでも加工してもらおっと。これもエルニ、お願い」
「ん」
ちなみに短剣は予想通りミスリル製だった。
装備品を変更したので、いまはこんな感じ↓だ。
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【ルルクの装備】
・武器:ミスリルの短剣(NEW)
・防具1:グリフォン皮の鎧
・防具2:ユニコーン皮のマント
・アクセサリ:羊人形
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【エルニネールの装備】
・武器:魔法杖(NEW)
・防具1:お嬢様風の服(守備力なし)
・防具2:ユニコーン皮のローブ
・アクセサリ1:アイテムボックス
・アクセサリ2:ルルク人形(ただの人形)
――――――――――
となっている。
グリフォンは80階層に出てきた階層ボスで、物理攻撃が通りづらい特性を持つ皮素材を落とした。
ユニコーンは77階層に出てきた超レア魔物で、魔術攻撃をほとんど通さない特性を持つ皮素材を落としてくれた。
そのため俺とエルニの防御力は装備のおかげでかなり高めだ。
ただしエルニの物理防御力は自前のものだけのままなんだけど。
ちゃんとエルニの分もグリフォンの皮鎧をつくったんだけど、可愛くないからって頑として着なかったんだよな。命を懸けてカワイイを求めるエルニは「オシャレはガマン」って言い切ってた。なんか違う気はするけど、ツッコんだら負けだと思ってる。
「あ、そうだ。この指輪も見てもらってもいいですか?」
最後の宝箱にぽつんと入っていた謎の指輪も見せてみる。
「あらいいもの拾ったわね、たぶんレアドロップよ。『闘神の指輪』っていって、近接物理攻撃の威力が常に倍の数値になるわ。伝説級装備ね」
「おお、そりゃすごい」
すごいけど、ただ惜しむらくは俺もエルニも普通の物理攻撃をしないってところか。
もし新しい弟子が剣とか槍をメインで使うなら、渡すのもいいかもしれないな。
ちなみに装備品(武器や防具、アクセサリ)には等級があり、貴重なものほど強力になっている。
珍しい順から、
・星誕級
・創世級
・神話級
・伝説級
・聖遺級
・英傑級
・一般級
の7段階だ。
このミスリルの短剣はただ素材が魔鉱石ってだけだから、英傑級装備らしい。副次効果がつけば聖遺級の等級に上がるみたいだ。
伝説級の指輪ってことなら本当に貴重なものなんだな。大事にとっておこう。
「エルニ、これもしまっておいて」
「ん」
見てもらうものはこれで全部だな。
そうこうしているあいだに、国境警備隊たちからも見えなくなった。
俺たちはまた転移をくり返して先の街を目指すのだった。




