心臓編・2『100階層の主』
ストアニア王国は理術主義国家だ。
魔術器はほとんど見かけない。あるのは俺でも使える理術器だけ。トイレの水洗もタンク式だし、水道も蛇口式だ。コンロも気体燃料を燃やしているし、部屋の灯りもオイル式だ。
4年間住んでみた感想はただひとつ。
この国は……最高だ!
幼少期から住んでいたムーテル家にあるのは魔術器だけだった。右も左もぜんぶ魔術器、魔術器、魔術器!
そのおかげでトイレには水桶を持っていかなければならないし、灯りだってつけずに生活していた。そんな暮らしに慣れていたから、この国は本当に住みやすい。
街も賑やかで色んな種族がいる。
食材も豊富で料理の甲斐がある。
上下水道も整っていて、清潔で秩序的。
街の中には路面汽車が走っているので移動もらくちん。金はかかるけど、稼ぎがいいからまったく問題なしだ。
「将来はここに定住してやる」
「ん、わたしも」
エルニも気に入ったようだ。
国全体が種族差別を禁止しているし、冒険者ギルドの人たちはみんないいひとばかりだ。ギルドマスターはもちろんのこと、仲良くなった【発泡酒】の三人組、酒場の女給アイソーさん、他の冒険者の人々もみんな楽しい人たちで、ここから出る必要ある? っていうくらい快適な生活で――
「あ、そうそう。100階層のボス倒したらまたすぐに旅に出るから。具体的には今日」
「えっ」
ロズがなんとなしに言った言葉に固まる。
この師匠の予定変更はいつも唐突だけど、それにしてもいきなりすぎるだろ。
この快適な街と離れるなんて……じょ、冗談だよね?
「な、なんでですか?」
「ちょっと気になる子の噂があってね。弟子にするか決めに見に行こうかなって」
新しい弟子!?
さすがに寝耳に水だった。
4年間、この理不尽師匠に付き合わされてきたせいで実力はかなり向上していた。
冒険者ランクはこの街の平均Bだけど、レベル平均はとっくに突破してるので一人前の冒険者と名乗ってもいいだろう。だからこそ言える。新しい弟子の目をまっすぐ見て言える。
この師匠はやめとけ。
もちろんエルニ並みの資質を持っているとか、特別な才能持ちならべつだけどさ。
ほんと、俺なんか何度死にかけたかわからないぞ。
じつは昨日も、俺とエルニそれぞれ単独で98階層のボスを倒すまで延々と挑む荒修行だったのだ。努力とか大嫌いの俺が徹夜したんだぞ徹夜。
そのおかげで何とか攻略できたので、今日は記念すべき100階層に挑戦なんだけどな。どんな魔物が相手だろう。噂によればSランク魔物が相手みたいだな。Sランクってフェンリルクラスだろ? そう考えたら相当強い気がする。
まあそれよりも、だ。
「新しい弟子だってエルニ。どんな人がいい?」
「ん、りょうりじょうず」
「だよな」
ブレない女エルニネール。
いっそ料理人雇ったほうがよくないか。
俺たちふたりともダンジョンでかなり稼げてるし、懐はかなり温かい。なんならすでに大金持ちって言えるくらいの貯蓄はある。俺たちみたいな人は、ダンジョン富豪って言うらしい。
「ん、しらないひとダメ」
「人見知りだなぁ」
「プリンもつくれない」
「それはしゃーない」
この世界のデザートじゃないからな。
そう無駄話をしているうちに、俺たちはダンジョン入り口に到着する。
ダンジョンは10階層ごとに転移できる仕組みになっていて、どこまで進んだか冒険者カードに記録することができる。俺たちはいつも通り受付をしてから転移装置がある部屋に入り、現在の到達点――100階層を選ぶ。
「あ、そうだエルニ。今日の晩ごはん考えててくれよ、100階層突破のお祝いにするから」
「ん。やさいとおにく」
「肉はどんなの?」
「すてーき」
「おっけー。奮発して高級なやつにしようぜ」
「……私が言うのもなんだけど、あなたたちってほんと緊張感ないわね」
そうこう言ってるあいだに、転移が完了する。
転移部屋から出て視界が開けた場所は、何もないがらんどうの空間だった。
めちゃくちゃ広い。
天井まではたぶん100メートルくらい。壁までは遠すぎてわからない。地面は土だけど、熱を持っている。見た目からは特徴は掴めない。
100階は区切りがいいし、この見晴らしのよさはおそらく雑魚のいないボス戦のみの部屋だろうな。このダンジョンは10階層ごとにそういう部屋が用意されてたから、ここも同じ構造だろう。
当然、ここからはロズの助言はナシだ。完全にふたりだけで攻略しなければならない。
俺が少し前に立って周囲を観察しているあいだに、エルニが長い詠唱を始めた。
「――我は命ず、空より怒れる使徒の祈りを届け、純然たる魔を従えし者よ、其の精錬なる御業を以てあまねく星の命を照らし、紡いだ魂の灯りを見つけん――」
魔術の天才児であろうとも、この術式にはまだ詠唱を必要とする。
それもそのはず、これは禁術と呼ばれている極級魔術だ。
禁術とは『中央魔術学会』が他者への継承を禁止した門外不出の術式で、現在、禁術目録に登録されている術式は11種。
禁術の効果概要は冒険者ギルドでも掲示されているので、無料で誰でも確認ができる。11種どれも破格の効果だけど、それを真似して術式開発をしようなんていうのは酔狂な研究者くらいだろう。
俺たちを除いて。
「――其の無垢なる魂を以て見通せるものはなくとも、見通せぬものはなし。我が歌の呼びかけに答えぬは黄昏よりも暗きもののみ。彼の髄より返りし声はその姿見えずとも我が眼、明瞭なる天啓を得る――」
もともとエルニには天賦の才能があった。そして生き字引みたいな不老不死の師匠。さらにそこに、俺の地球の現代知識が合わさったらどうなると思う?
答えは簡単。
真似出来ちゃったんだよな、禁術。
「――我が腕より逃れいずる者なく、其の導きにて逢瀬を招き、運命は無辜へと帰結する。太古なる魔よ全てを我が叡知に――『全探査』」
効果はシンプル。効果範囲内の全方位の万能索敵だ。
使用属性は雷と、属性なしの純然たる魔力のみ。
雷属性をつきつめれば電磁力に辿り着く。電磁力を操作できれば電磁波をつくることができる。その電磁波と魔力そのものを〝音波探知〟のように拡散し、その反応から周囲の物理構造を把握すればいいんじゃないか――そんな理論を冗談半分で提案したところ、エルニは本当に創り上げてしまった。
さすがエルニ。そこに痺れる憧れる。
理術と魔術、どちらにも精通していないと絶対に創ることができない魔術だが、その甲斐あって術式の範囲内でエルニの目を逃れられる存在はいない。
それが例えどんな場所に隠れていても、透明になっていたとしても。
エルニは弾けるように視線を足元に動かした。
「ん! した!」
「『相対転移』!」
俺はエルニを抱えて遠方の上空に転移する。
直後、さっきまで立っていた場所が巨大な口に溶けるように飲み込まれた。砂漠の魔物サンドワームが、似たような攻撃をしてくるんだっけな。
地下から土の地面を丸のみにしたのは、ミミズなどではなく真っ黒なスライムのような物体だった。
ずるり、と地上へ這い出してくる。
地面を喰ったはずの口はすでに見当たらず、いまはうねうねと動く粘度のある巨体のみになっていた。どこが顔かもわからないどころか、決まった形をとっているのかも疑わしい。
ふむ。大質量の泥のようなその存在で、あの巨体となると該当する魔物はこいつしかいないだろう。俺は図鑑で読んだ記憶を掘り起こす。
〝泥粘王〟ショゴス。
魔物ランクはもちろんSの、ボス級だ。
動きはそこまで素早くはないが、ただの泥の魔物と侮るなかれ。こいつは物理攻撃無効の特性と、いままでエサにした相手の身体的特徴を再現できるという自由自在の武器を持っている。さらに再生能力まで持っている。
倒すには再生が間に合わなくなる速度で魔術攻撃を繰り返すか、あるいはこいつの体より大きなマグマ溜まりにでもぶちこむしかないだろう。もちろん、そんなものここにはないので攻撃あるのみなんだけどな。
ふつうの冒険者なら、どうやって倒せばいいのかわらかない相手だろうな。Sランクとなると国の騎士団を何部隊も集めて制圧するべき相手で、ダンジョン外だと滅多にみることはできない。さすが100階層のボスといったところだ。
でもまあ、俺にとってはラッキーだった。
図鑑に載ってるような有名な魔物なら、攻略法を考える時間はいくらでもあった。それにこの4年間、あらゆる相手を想定してスパルタ特訓してきたからな。マジきつかったぜ。
俺はショゴスから離れた場所に転移して、
「エルニ、ちょっと時間稼いで」
「ん」
うなずいたエルニ。
さて、ショゴスと言えばクトゥルフ神話だな。
いろんな話にショゴスの存在はあるけど、どれも共通してるのは〝不死の再生能力〟だろう。それゆえ最終的に星を飲み込むほどの大きさまで成長する、という恐ろしい相手だ。地球の起源になったっていう説もあったくらいだ。
これを滅する伝承でもあればよかったけど、俺の記憶の限りショゴスは結局死なないまま物語を終えていた。ということは、残念ながら『伝承顕現』で概念武装は生み出せない。
けどまあこの世界のショゴスはそこまで圧倒的な相手じゃないだろう。あくまで魔物だ。
単純な話、殺せば死ぬ。
「『アイスブリザード』」
おお、ナイスだ。
相手が水分を多く含んでいるのを見越して、氷と風の複合魔術を選んでくれたみたいだ。
ショゴスは体をガチガチにかためてほとんど動かなくなった。
けっこう簡単に動きを止められたけど、これはエルニの魔術の効果範囲と威力が異常に広いおかげだ。ふつうならショゴスの体を包むほどの範囲にはならないし、凍らせるとこまでいかないだろう。
相棒がしっかりやってくれたんだ。こっちも失敗できないな。
俺はそう小さくつぶやいて、霊素を練った。
「ふぅ」
集中する。
神秘術は霊素を使った数式だ。正確無比な計算力がものをいう。
初期の展開術式は置換法の基礎を引用。
範囲は慣れ親しんだ拳サイズ。そこに環境情報を組み込んで霊素を着装。副次情報は組み込まず、空気の塊のままで置換後の座標情報を設定し、転移準備を確定後、保留状態で固定。
つぎに保留した術式そのものを転写。設定数は2の18乗――計262144個を『閾値編纂』で確定。実行――転写完了。
つぎに配列情報も『閾値編纂』で設定、すぐに実行――配列を変更。立方体に再構築完了。
こうして俺の目前にできあがったのは、情報強化された巨大な四角い空気の塊。
計算上、ちゃんとショゴスよりも一回り大きな状態になっている。
あとはこれを転移させるだけだ。
俺は指先で照準を定め、つぶやいた。
「『大裂弾』」
この技の着想を得たのは、ロズが昔言っていた「転移後の体が物体にめり込んでも、霊素で情報強化したこっち側の存在強度が勝っているから、転移先のものが壊れてこっちは無事」という言葉からだ。なにもないところに転移するとかすかに風が起きるのがその証拠で、もともとそこにあった空気が弾けて別の気流が生まれるというわけだ。
なら、その存在強度の差異を武器にできないかと考えたのがきっかけだ。
そうやって調整を重ねて作り上げたオリジナル座標攻撃術式――『裂弾』。
もし相手がクトゥルフ神話レベルのショゴスならこれでも通じないかもしれないが、目の前にいるのは、ただの凄まじい再生能力と擬態能力を持ったデカい粘魔の王だ。
ゆえに――
ズパァァァン!
空気の塊が転移した先にいた凍ったショゴスは、粉々に弾け飛んだ。
パラパラと砂のように氷の結晶が舞う。
さすがにこれなら再生もできないだろう。
「うわあ……さすがに生物相手にその技は同情するわね。絶対に人に向けるんじゃないわよ」
「わかってますよ。魔物相手だけです」
ショゴスが消滅したのを確認して、おつかれさまとロズが肩を叩いた。
「それに、そこまでしなくてもエルニネールの魔術でほとんど死にかけてたわよ」
「そうだったんですか。さすがエルニだ」
「んふ~」
いつもと変わらない緩い空気。
ちょうど100階層をクリアした報酬の宝箱が、ショゴスがいたところにドロップしたところだった。




