心臓編・0『とある少女の苦悩』
2話同時更新です。1/2
その少女は10年前、とある子爵家に生まれた。
裕福ではないが、特権階級の一員。いわゆる貧乏貴族と呼ばれる中間層の収入世帯だったが、平均的な国民よりは安全で快適な暮らしをしていた。
街の隅にこぢんまりとした屋敷を構え、貧しいながらも安定した生活で日に三度の食事は約束されている。自分の部屋もあれば風呂にも入れるし、贅沢はできないとしても恵まれた生活だと自覚している。
それでも少女はいつも窓辺で空を見て、ため息ばかりついていた。
「はぁ」
子爵本人には、息子や娘はいなかった。
自分は子爵の弟の娘――姪っ子だ。
この国の貴族社会は男尊女卑が基本だ。本来なら子爵の実子でもなく女の自分が家の継承問題に絡むことなんてなかったはずなのに、子爵自身に子どもが生まれないため、いまのところ継承位としては第一位なのである。
ただしこの国では女性の長期的な世襲爵位の保持は認められていない。一時的あるいは名誉爵位であれば拝命も可能だが、少女の現状のように継承者に女性しかいない場合は他の貴族から婿入りを募り、結婚相手をこの家の跡継ぎにする方法が取られる。
少女の場合は、それが単なる計画ではなく婚約する予定の相手がすでに決まっていた。
ただしそう知ったのは3年前。しかも婚約が内定していた相手方から、婿になる予定だった少年が病に伏せたため婚約は白紙にする、という連絡があったからだった。
少女は自分の知らないうちに結婚相手を決められていたことに怒りを覚えたが、同時にそれがなくなったと聞いてほっとしていた。病になった少年には同情するけど、知らないうちに自分の人生が確定しなくてよかったと安堵する気持ちのほうが大きかった。
その時の父の荒れようは、本当に大変だった。
父は子爵の弟で長年子爵家を支えていて、せっかく高位の貴族との縁談が予定されていたのに、一世一代のチャンスだったのに、と恨み言を何度も聞かされた。実際、婚約の破棄はたとえ内定の内輪事であっても両家にとって醜聞が立つ。
少なからず我が子爵家も、多少の悪評が流れたみたいだった。
それからというもの、父はあからさまに少女のことを管理したがるようになった。
成長するにつれて少女は見るからに美しくなっていた。それも並大抵の美しさではなく、王宮が召し抱えてもおかしくないほどの器量だった。
父は少女のことを王族の誰よりも美しい娘だと思っていた。それが単なる親のひいき目ではなく客観的な事実でもあったので、子爵本人も姪っ子が貴族社会の不当な視線に晒されることは避けたいと思っていたようだった。
それゆえ、少女はほとんど監禁生活のような立場を強いられてしまった。
「あと5年……お前が12歳になる頃には、婚約を破棄されたという噂も消えるだろう。そしたら例の公爵家に頼んで王族のいる社交場に招待してもらおう。それくらいの償いはしてもらわねばな。いいか、なんとしても王家の男に気に入られるんだぞ」
そう言った時の父の目は、かすかに血走っていた。
それから3年が経ち、少女は10歳になっていた。
相変わらず家から出られない生活。どこに出しても恥ずかしくないよう、厳しい家庭教師に指導されるだけの日々。あと2年で望まぬ結婚を強いられることが分かっている。少女にとって、それだけはイヤだった。
「……家出、しようかなぁ」
目先のやりたいことは特にない。
でも少女にはずっと夢があった。
恥ずかしくて誰にも言えないけど、心の底からなりたい自分がいる。遠くても叶えたい未来がある。
「決めた。私、がんばる」
彼女は空を眺めて、強くうなずいた。
それが彼女――この世界にとって〝主人公〟とでもいうべき神に愛された少女の、小さな決意だった。




