弟子編・25『エルニ』
理術力がものをいう国、ストアニア。
街を探検したい気持ちをぐっと抑えて(正確には抑えられ)、ひとまず宿を確保しに向かった。
ロズの予定ではこの街を拠点にしばらく滞在するということで、宿よりも一軒家を借りたほうがいいんじゃないかと思ったが、どうやらこの国はダンジョン深くまで潜れば一か月以上戻れないこともザラにあるということだった。
ちなみに、ロズの資金がどこから出てくるのは謎だ。金に困ってる様子はないので、弟子の俺たちも甘んじて恩恵を受けておく。
兎に角、俺たちはそれなりにセキュリティの高そうな宿を確保した。
いままでどおりツインルームがひとつ、シングルルームがひとつ。
当然ロズがシングルルームだ。
来年には俺も10歳になるんだし、女の子と一緒の部屋というのは……と控えめにおねだりしてみたところ返ってきたのはにべもない言葉だった。
「まだ精通もしてない子どものくせに生意気言わないの」
「ん、わたしはいっしょでいい」
くそっ、エルニネールには甘いくせに!
たしかに性欲とかはそもそもまだないし、あったとしても見た目幼女相手にムラムラなんかしないけどさ。
そういう問題じゃないんだよ。
とにかく交渉は失敗して、また姉弟子と同部屋で過ごすことになってしまった。
「じゃあ、あなたたちの今後の予定よ。まずはしばらく冒険者として活動しながらランク昇格を目指して生活してもらうわ。これはルルクとの約束だからね。それと並行して、ダンジョンに潜りながらレベルアップを目指す。レベルをあげるのには魔物を倒すのが手っ取り早いからね」
「かしこまりました」
「ん」
「理想のペースとしては、半年でEランク冒険者、1年でDランク冒険者、2年でCランク冒険者、4年でBランク冒険者ってところね。レベルのほうはダンジョン次第だけど、あなたたちなら4年あれば50くらいまでは上げられるんじゃないかしら」
「え、4年?」
思ったより育成スパンが長くてびっくりした。
「ええ。それくらいは見てるわよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。ここに4年いるんですか?」
「そのつもりよ。何か問題ある?」
問題というか、ちょっとした帰巣本能というか……。
1年に一度くらいは地元に帰りたいんだよな。特に何か用事があるわけじゃないけど、年末年始とか夏休みとかそういう期間に休みを取りたいっていうのは日本人の性なんだろうか。
「せめて年に一度くらい里帰りとかは?」
「ふうん。あなた、エルニネールを放って帰りたいの?」
「うっ」
「弟子になる条件にそんなこと言ってなかったわよね。つまりそれってルルクのワガママでしょ? それを承知でパーティメンバーで姉弟子で大事な相棒を放り出して、故郷に遊びに帰りたい……と?」
「うぐっ」
ぐぅの音も出なかった。
「ねえエルニネール。ルルクはこう言ってるけど?」
「ん……わたしのこと、きらい?」
泣きそうな顔になってしまったエルニネール。
俺の心がポッキリ折れた瞬間だった。
「負けました! 俺の負けです!」
「ふっ、身の程を知ったわねバカ弟子」
「くっ……師匠、いつか泣かす!」
「なんとでも吠えなさい負け犬」
悔し涙を呑むしかなかった。憶えてろ、いつか俺の心のなかの悪ガキ魂が火を噴くぜ!
「さ、まずは冒険者ギルドに顔を出してきなさい。あと半日あるから、いいものがあればクエストひとつくらいやってもいいわよ」
「はい……行ってきます……」
「ん。がんばる」
俺とエルニネールは、宿屋の主人に冒険者ギルドの場所を聞いて出発するのだった。
さすが理術の街。
冒険者ギルドに着くまでにも数えきれないほどの誘惑があった。
雑貨屋には懐中時計があるし、ゼンマイ仕掛けの玩具があるし、でっかい自転車に乗っている人がいるし、ステンドグラスがそこら中にあるし、新聞が発行されてるし、路面汽車は安く乗れるし、なにより上下水道完備の公衆トイレがところどころにあった!
フラフラと誘惑に負けて寄り道する俺の襟首を、エルニネールがしっかりと掴んで戻す、を何度も繰り返してようやく冒険者ギルドに到着した。
冒険者ギルドはかなり大きかった。
レンガ造りの5階建てで看板の三人の賢者のデザインは他の場所と同じだが、その賢者たちを描いているのがステンドグラスだった。理術の賢者は赤、魔術の賢者は緑、神秘術の賢者は青のガラス。
看板だけでもオシャレだ。
「ん、ルルクはいって」
背中を押されて中へ。
ギルド内もかなり広く、併設する酒場は百人くらいなら余裕で座れそうだった。
受付も窓口が十か所ほどあり、どれも混雑しているがやはり美人な受付嬢のところから混んでいる。
それと、他の冒険者ギルドと明らかに違うところは、冒険者たちの色合いだった。
犬人族、猫人族、ドワーフ、エルフ……パッと見ただけでも異種族がたくさんいる。女性も多いし、他のギルドではいままで一人も見なかった俺たちのような子ども冒険者もいる。
これがストアニア王都の冒険者ギルドか。
がぜんテンションが上がってきた。
「よしエルニネール、クエストボードに行きましょう!」
そのクエストボードもランクごとに三ヵ所に分けられていた。
G~Eが入り口奥、D~Bが酒場のそば、AとSは二階だ。
もちろんGランクの俺たちは入り口のボードに張りつく。同じような子どもたちに混ざりながら、依頼書を吟味していく。
チラチラと子どもたちから目線を感じたが、やはり視線の先はエルニネールだな。聞いていた通り羊人族はかなり珍しいらしく、好奇の視線が絶え間なく注がれる。
近くにいる子たちの純粋な好奇心は仕方ないので何も言えないが、エルニネールもあまり見られて嬉しいわけじゃなさそうだ。
ちょっと不安そうなので、また誘拐されるのが怖いだろうし手でも握っててあげよう。気分は立派な保護者だぜ。
そっと握ると、強く握り返された。
「これでいいですか?」
「ん」
相変わらず言葉は少ないが、安心したように頬を緩めた幼女だった。
ショッピングモールで迷子になった子を案内所まで連れてったときを思い出すなぁ。
前世の記憶を懐かしみながらクエストボードを眺めている時だった。
「羊だ! 羊がいるぞ兄貴!」
明らかに毛色の違う言葉が聞こえてきた。
振り返ると、そこにいたのは頭のハゲた冒険者。
その後ろに、同じようなスキンヘッドの冒険者たちがいる。
そのうちのひとり――体格のいい男がエルニネールを見て、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「おお、本当だ。さすがストアニアまで来た甲斐があったな」
「……何か用ですか?」
俺はすかさず男とエルニネールのあいだに体を滑り込ませる。
「なんだガキ! 気安く兄貴に話しかけるんじゃねえ!」
手下なのか、いかにもっぽいハゲが威圧してきた。
兄貴と呼ばれた男は、手下を後ろに退がらせる。
「すまねえな、うちのモンが失礼した。その羊の嬢ちゃんはオメェの仲間か? 二人パーティか?」
「ええそうですが、俺の仲間に何か御用ですか?」
「ああ。ちょっとした誘いだ」
と、男は懐から袋を取り出した。
形と音で、中に金が入ってるのがわかる。
「その嬢ちゃん、俺の仲間にさせてくれねえか?」
「……羊人族の売買はどんな理由でも世界共通で禁止されてるはずですが、ギルド内でおおっぴらに法令違反をしようなんて随分度胸がありますね」
「なに、売買じゃねえさ。これは手切れ金ってやつよ」
口が回るのか、男はあっけらかんとして言う。
「お嬢ちゃんも、そんなガキと組んでるより俺たちのパーティのほうが強くなれるぜ? こっちはCランクだ。ダンジョンもクエストもいまよりずっと良い」
「言語道断ですね。他を当たってください」
こんなに粗野な冒険者は久しぶりだった。
ムーテランで最初に絡んできたやつら以来だなぁ。やはり人数が多いと、こういうタイプの冒険者もいるんだろう。
拒絶した俺を無視して、男はエルニネールに直接話しかける。
「なあ嬢ちゃん。嬢ちゃんだってイヤだろ? オトモダチが怪我したりすんのは……さ?」
「エルニネール、答えなくていいですからね」
安い脅しや挑発に乗ることはない。
冒険者に多少の揉め事は日常茶飯事だというが、それにしたって目撃者だって多いし、こいつらも荒事にはできないはずだ。
エルニネールもそれを理解したのか、黙ってうなずいた。
男は少し苛立ったのか、言葉を荒げる。
「なあおい、獣人だからって遠慮しなくていいんだぜ? 俺たちゃ優しいからよ。飯だって食わせてやるし、寝るところだって用意してやる。いまよりいい暮らしができるぜ?」
「……。」
「無視すんなよ悲しいじゃねえか。おい、その耳は飾りじゃねえんだろ? それともそのゴワゴワの毛で、耳が遠くなってんのか?」
びくっ。
と、エルニネールの体が震える。
「……おい、いまなんつった」
俺はつい、拳を握りしめていた。
――――――――――
>『冷静沈着』が発動しました。
――――――――――
「あん? その毛、手入れが大変そうだなって言ったんだよ」
「……種族差別は禁止だろ?」
――――――――――
>『冷静沈着』が発動しました。
――――――――――
「差別じゃねえさ。心配してやってんのさ、その獣人のな」
「……ほんと、よく口が回るな」
――――――――――
>『冷静沈着』が発動しました。
――――――――――
「風呂にだってろくに入ってねぇんだろ? あ~臭いがするな。なんか獣臭いな」
「…………。」
――――――――――
>『冷静沈着』が発動しました。
――――――――――
「俺たちと来たら風呂にだって入れてやるよ。毛だってちゃんと手入れしてやる。ちょっとくらい臭くても面倒見てやるからさ、こっちこいよケモノ女――」
>『冷静沈着』が――
プツンッ
「黙れこのハゲっ!」
俺は耐え切れなくなって殴りかかった。
安い挑発だった。
あきらかに俺たちから手を出させるためのものだ。
ここは冒険者ギルド。先に手を出したほうが罰を受けるのは暗黙のルールだ。
だけど、それがどうした。
仲間を侮辱されて黙ってるほど俺は大人じゃない。まだ9歳のガキだ。
狙い通りの展開になった男は、笑みを浮かべながら突っ込んできた俺を叩き潰そうと拳を振り上げる。
相手は子ども。
速度でもパワーでも圧倒している――はずだった。
だが俺はブチギレてなお、冷静沈着だった。
二歩目で突っ込む姿勢になったのはフェイント。迎撃のために右腕を振り上げた男の、胴体の右側――死角に向きを変えて横に飛ぶ。
一瞬俺を見失った男は、すぐに視線を下げる。
そのときにはすでに、俺は頭を下げて体をひねっていた。
体格でもパワーでも勝てないなら、精確な一撃を急所に叩き込むだけだ。
その場で側転しながら足を振り、回し蹴りの要領で男のアゴに踵を叩き込む。
カコンッ
軽い音を立てて脳を揺らされた男は、白目を剥いて仰向けに倒れた。
というか俺は意識してなかったが、子どもとは言えレベル19。加算ステータスのおかげですでに敏捷も筋力も低レベルの大人以上にまで数値が上がっていたのだ。
「て、てめぇ兄貴を!」
そこからは大乱闘だった。
男の仲間たちが殺到し、殴る蹴るの大喧嘩。
それまで見守っていた冒険者たちは俺たちの味方についたのか、男の仲間たちに殴りかかっていく。事情もわからずにただ暴れたい者たちも意外に多く、誰彼構わずお祭り騒ぎで大乱闘が始まった。
もちろん、ギルドの隅に避難した子どもたちに手を出すようなバカはいなかったが。
途中からは酒場で賭けも始まり、やれ誰が勝っただの誰が何人倒しただの、酔っ払いたちのどんちゃん騒ぎも相まってなかなか事態の収拾がつかなくなっていた。
それを止めたのは、たったひとつの声だった。
「『鎮まれえぇぇぇい!』」
キィィン……
という耳鳴りとともに、天井付近から爆音で声が流れていた。
それが理術の国ならではの拡声器という最先端理術器だと知っている者は、すぐにいそいそとこの場を離れていく。
まるで天から降る神の声を聞いたと驚いていた冒険者たちは、暴れるのをやめて周囲を見渡していた。
静寂を呼んだ声の主は、二階から階段をゆっくり降りながら一階の様子を見回して言った。
「さて……誰か、状況を説明してくれるかのぉ」
真っ白で長い髭の生えた、筋肉ムキムキの老人だった。
それがこの国の冒険者ギルドをまとめるギルドマスターだと、俺たち以外に知らない者はいなかった。
「るるく、るるくっ!」
何人かギルドマスターに連れられて二階に上がっていった。
乱闘でエルニネールの姿を見失ってしまったが、騒ぎがおさまるとすぐに駆けてきた。かすり傷ひとつないようで、巻き込まれなくて安心した。
むしろ中心地にいた俺のほうが重傷だった。
額からは出血しており、顔はボコボコに殴られて腫れている。右腕がポッキリ折れていて、左足首の関節が外れてる。内出血はいたるところにあって、口の中も血だらけだ。
それでも数秘術スキルが発動して全身の復元――治癒を始めていたから、この怪我も数十秒で治るだろう。
そんな外傷に対してチート性能な俺のスキルのことを、エルニネールは忘れていたようだった。
駆け寄ってくると、寝ころんだ俺を抱き上げてそのまま唇を塞いだ。
いわゆるキスだ。しかも、唇をこじ開けてくる強いやつ。
「っ!?」
「んー!」
息が流れ込んでくる。それと同時に、体の中を温かい快感が駆け巡っていく。
そういえば、エルニネールのスキルに『癒しの息吹』というものがあったっけ。たしかヴェルガナいわく、魔術系の治癒スキルで最上級だったか。
羊人族の種族スキルが治癒系統らしく、エルニネールが生まれ持っていたスキルらしい。もちろん効果も高い。
それを直接体の中に送ったら……なるほど、超チートの出来上がりだな。
俺のスキルとエルニネールのスキルが重なり、一瞬で怪我が治ってしまった。
必死なエルニネールは気付いていないようだったので、肩を押して顔を離す。
「もう大丈夫ですよ。ありがとうエルニネール」
「っ! るるく!」
おっと。
こんどは抱き着かれた。
さすがに心配……いや、迷惑をかけてしまったな。
せっかくエルニネールが耐えていたのに、それを俺が台無しにしてしまった。
もしかしたら冒険者ギルドから罰則があるかもしれない。
俺は小さな背中をぽんぽんと撫でる。
「すみません、俺のせいで」
「ち、ちがう。わたしのせい……」
ぎゅっと腕に力を籠めるエルニネール。
「わたしが羊人族だから」
「エルニネールが謝らないでください」
そんな言葉は聞きたくない。
俺は諭すように言う。
「エルニネールはエルニネールです。たしかに羊人族ですけど、それには何の罪もありません。悪いのはあいつらです。それに俺はエルニネールの種族とかじゃなくて、たったひとりのパーティメンバーで、姉弟子で、大事な仲間だから守りたかっただけです。さすがにちょっと短気過ぎたと思いますし、むしろ俺が謝らなきゃならないことですけど……」
「で、でも……」
「それに俺が手を出したのは、エルニネールを悲しませたかったからじゃないんです。エルニネールの笑顔を守るためにやったことです。だからどうか、俺のことは笑って叱ってください」
ただの言葉の問題かもしれない。
欺瞞かもしれない。
でも、大切なことはちゃんと伝えられたと思う。
エルニネールが小さくうなずいたから。
彼女は体を離して、涙を拭いてつぶやいた。
「……エルニ」
「はい?」
「エルニって、よんで」
どこか恥ずかしそうなエルニネール。
ようやく愛称を許されたのだと、俺は理解して微笑んだ。
「わかりました。エルニ」
そう返すと、エルニは嬉しそうに笑ったのだった。




