弟子編・24『ストアニア王国』
その日の夜は街を上げての宴だった。
とある斥候兵の目撃により、北部に現れた氷の巨人ヨトゥンが謎の黒髪少女に倒されたという報告が。
Cランク冒険者ザムザにより、西部に群れていた狼の魔物たちがマルコシアスとともに謎の人物に倒されたという報告が、それぞれギルドに上がった。
すぐに双方に確認を出したところ北部には巨人の頭部が、西部には魔物がいなくなった平穏な渓谷のみという事実があり、それらの報告は裏付けられた。
謎の人物に救われた! と街の人々は大喜び。
街をあげての飲めや騒げの大宴が始まり、夜が明けるまで続いたという。
俺たちがフレイアの街を出発したのは、二日酔いで溢れる朝だった。もちろん俺たちは子どもらしく夜になれば大人しく就寝したので、一滴も飲んでいない。
街を出る前に冒険者ギルドに寄ってみたけど、残念ながら【魔除け本】の面々はまだいなかった。しこたま飲んで寝ているのだろう。頭痛にさいなまれている受付嬢に挨拶と、ザムザさんにお礼の伝言だけ残して出発した。
本来ならここから馬車で6日ほどで、目的地ストアニア王国王都に着くという。
もっともロズは寄り道する気もないようで、街を出て兵士の姿が見えなくなるとすぐに言った。
「ルルク、転移してみて」
「えっ」
出たよ無茶ぶり師匠。
「え、じゃないでしょ。昨日ルルクが転移さえ使えていれば、そもそもエルニネールは誘拐されなかったんじゃないの?」
「いやまあそうですけど」
「ならやりなさい。可愛い姉弟子がまた攫われてもいいって言うの?」
いや、それはあんたが防ぐって昨日豪語してただろうが。
そう言いたかったけど、口答えしたところでもっとスパルタな結果が見えてるだけだ。
俺は渋い顔をして気持ちを切り替える。
「『相対転移』は置換法の王級術式よ。情報強化に失敗したり場所を間違えたら体が千切れたり潰れたりするから、そこだけは強化してから発動するのよ。座標計算も間違わないように」
「怖いこと言わないでくださいよ」
「言っとかないと迂闊に転移して怪我するんだから当然でしょ」
それもそうですけどね。
強化に計算。置換法初級の転写術、その基本キのふたつだ。
ロズがいつもやってるのは『相対転移』と言って、自分の視線の先に点となる場所をつくり、いまいる場所とその点を結んでちょうど同じ距離の反対側に姿を現す置換法転移。
長距離ワープの『空間転移』と違って目視した範囲内での転移だから、術式構成としてはシンプルなものだ。
いわば平行状態のシーソーの端から端へ転移する、みたいなものだろう。
ただし手順が多いので、同時にいくつも霊素を操作しないと発動できない。それゆえの王級術式だ。
それと、きちんと距離感を把握できる場所の倍までしか一度で移動できない。だからいつもは何度も使用して長距離を稼ぐって寸法だった。
ん~。
面倒だけど、見知らぬ場所に転移するなんて危険を冒すのは論外だし、この方法に習おう。
あとは目視での距離――座標の計算か。
俺が正面の田舎道をじっと見つめて計算しているあいだ、ロズはエルニネールに話しかけていた。
「もちろん魔術にも転移はあるわよ。知ってるかしら?」
「んーん」
「まあそうよね。一応、王級魔術のそのうえ極級魔術になるわね。転移の魔術は禁術に制定されてるんだけどね」
「ん……きんじゅつ?」
「使える人が少ない代わりに、あまりの危険度のせいで『中央魔術学会』が他人に教えることを一律禁止にした門外不出の術式たちのことよ。転移魔術は禁術登録されてから500年以上経つから、いま使えるひとはいないでしょうけどね」
「ん、ロズは?」
「私は無理よ、転移は聖と光の複合魔術だもの。先代の魔王は使えたみたいだけど、あまり使うのは好きじゃなかったらしいし」
そんな雑談をしているあいだに、俺は距離の計算を終える。
あとは置換法の基礎と同じく、転移前後の環境の差異を計算して霊素でフラットになるよう構築し、転移者の体に影響が出ないように情報強化で調整して――
「『相対転移』」
視線がブレたと思ったら、いつのまにか移動していた。
ちょっと地面から足が離れていたが、これはきっと惑星が丸いせいだろう。地球でもそうだからな。決して俺がちょっと座標計算を間違えたわけじゃない。これは成功なのだ。こんな近距離で惑星の丸みを感じられるわけがないだろって? その通りですちょっと失敗しました。すみません。
まあでも、転移自体は成功したな。
体に違和感がないことを確認して振り返る。
目視できるギリギリのところにロズとエルネニールが見えた。
「おーい! できましたよー!」
そう叫ぶと、ロズがエルニネールを連れてすぐ隣に転移してきた。
「やるじゃない。コツを掴むまでに足の1本くらいは失うと思ってたけど」
「冗談でもやめてくださいよ」
でもよかった。シーソーのイメージが活きたみたいだ。
「じゃあどんどん練習して先に行くわよ」
「その前にひとつだけ確認させてください。もし相対転移した先に何か物があれば、それってどうなるんですか? 体にめり込んだりしないんですか?」
昔読んだ、名前を言ってはいけない悪者が出てくる世界的ベストセラーの物語に、そういう設定があったっけ。
「ああ、それね。初心者が最初に心配するやつ」
慣れた質問だったのか、笑って答えるロズ。
「そもそも何もない空間なんてないわよ。ここにだって空気や砂塵はあるし、もし人間ひとりぶんの空気が体のなかにめり込んでたら内臓が破裂するわよ?」
「あ、たしかに。血管なんかにも大量に空気が入ればそれだけで死ぬって言いますしね」
「そうなの?」
「そうなんですよ」
当然のように答えたけど、しまった。これは地球の現代医術レベルの知識だ。
こっちでは理術になるんだろうけど、さすがに理術は得意って設定じゃなかったな。
誤魔化そう。
「実家で主治医さんに聞いたんですよ。それより、転移先のものはどうなるんですか?」
「置換法だと、術式の発動より前に霊素で環境の変化を想定した数値を計算して固定化――情報強化するでしょ。だから転移先に現れたとき、霊素で固定化されてない物体は座標単位で弾け飛ぶわ。ようは物質としての存在力で押し負けるのよ。もちろん情報強化が不十分だったら、お互い弾けるけどね」
「ああ、だから師匠が転移してきたときにちょっと風が吹くんですね」
「さすが理解が早いわね。でも、たとえば木がある場所に突っ込んでもそれでは死なないけど、そのあと木に潰されたりして死ぬから、ちゃんと物がないところにしなさいよ」
「かしこまりました」
じゃあ、ちゃんと物にぶつからないようにすれば基本は転移先が同じように霊素で固められてない限りは安全だな。こういう見晴らしのいい場所なら使い放題だ。
……あれ、でも待てよ。
その考え方、もっと色々応用が効きそうじゃないか?
「ほら、心配してないで次いくわよ」
「あっはい」
とりあえず思いつきそうだったことは保留にしておいて、どんどん移動を重ねて進む。
俺の修行のためもあり、ひたすら連続で転移していったところ、本来馬車で6日かかる日程はわずか半日で移動が完了したのだった。
□ □ □ □ □
俺たちがたどり着いたのは、ストアニア王国の王都だった。
ストアニア王国はかなりの小国で、国民の総人口は40万人程度らしい。
しかしそのうちの9割がこの王都にいるというから、王都はかなり広く賑わっていた。
外壁は高く、見張りの兵士もやけに多い。王都は初めてだから比較対象を知らないからかもしれないけど、それにしたって門ひとつに10人はいる。何かあったのだろうか。
「ストアニアはこれが通常よ。街の中にダンジョンがあるし、そもそも3大国に囲まれてるわけだからね、警備はかなり厳重よ」
ロズの言葉通り、ストアニアは南をマタイサ王国、北と東を大陸二番手のマグー帝国、そして西を大陸最大の国バルギア竜公国に囲まれている。
それでもこの小国が成り立っているのは、ひとえにダンジョンのおかげらしい。
「ここのダンジョン、地下100階層以上あって陸地では世界最深のダンジョンって言われてるのよ。中の魔物の数もすごいことになっているわ。もしスタンピードが起こったら、それこそ一瞬にして王都が滅ぶくらいのね」
「スタンピード?」
聞きなれない単語だった。
「知らない? ダンジョンや魔物の住む地域でたまに起こるんだけど、爆発的に魔物が増えてダンジョンの外に溢れ返ってくることよ。この規模のダンジョンでそれが起こったら、周囲の三国にも甚大な被害が出るわね」
「よくそんな危険なトコロに王都をつくりますね」
「そこが、この国が3大国に攻められない理由なのよ」
ちっちっち、と指を振るロズだった。
「この国は珍しい理術大国なの。スタンピードが発生した時に、上層階ごとに隔壁が閉まるようにしててね、その隔壁を操作できるのが代々ストアニア王国の国王だけって話なのよ。だから3大国も身の安全のためにこのストアニアには攻め込めないってわけ。それに噂では、意図してスタンピードを起こせるって話なのよね」
おお、すごいな。
つまりこの国は他国を巻き込んで自爆できるとんでもない兵器を抱えてるってことか。
そりゃ手出しできんわな。
「だからストアニアは小国だけど、大陸有数の理術都市なのよ。中に入ったらびっくりするわよ」
そんな話をしてるあいだに、入都待ちの列はどんどん進んで俺たちの番になる。
いつもどおり冒険者カードを見せて、ロズに通行税を払ってもらって許可が出る。
大きな門を抜けて、街に足を踏み入れたら――
「うわ! 時代が違う!」
つい叫んでしまった。
それまでこの世界の文明は、イメージとしては近世ヨーロッパだった。よくあるファンタジーモノの世界観で、魔術による文化的発展は目覚ましいけど、蒸気機関や電力は存在しない時代。
しかし、ここは違った。
地面は合成石灰で覆われ、家は三階建て四階建てが当たり前、街路には左右に街灯が立ち並んでいる。大きな通りには線路のようなものが敷かれてあり、小さな汽車のような箱が線路に沿ってゆっくり走っていた。
街のいたるところには煌びやかな店が立ち並び、通行人たちの服や靴も他の街にくらべて綺麗だ。道には土も水路もなく、下水の匂いもほとんどしない。
視界いっぱいに広がる人工物。
まるで歴史の教科書で見たことのある景色だった。
産業革命後の近代ヨーロッパに近いかもしれない……いや、ファンタジー要素もあるからスチームパンクかな? 路面汽車が走ってるし。
都市に入ったところで立ちすくんだ俺の耳元で、ロズが言う。
「ふふふ……私があなたたちの修行にこの都市を選んだ理由、それがこれよ。理術の発展によって知力だけがものをいう国。それゆえ、種族間の差別を法律で禁止して誰もが平等に住むことを許された街。そしてなによりこの街の設備はほとんど、魔力も霊素も使わない理術器なのよ。つまりルルク、あなたがひとりでトイレの水を流すことができる街よ!」
「師匠! 一生ついていきます!」
このとき俺は思った。
いままでで一番師匠のことを尊敬できた瞬間だ、と。
~あとがきTips~
【ストアニア王国の歴史・簡易版】
〇約1200年前、マグー帝国の領地であったストアニア領が大規模な自然災害のためマグー帝国と物理的に途絶。そのためマタイサ王国の支援を受けて自治を開始。その後300年、マグー帝国からの干渉は途絶えたまま。
〇約1100年前、ダムーレン王国(現在のバルギア竜公国の東部に位置していた)がストアニア領に攻め入る。ストアニア自治領がマタイサ王国に支援要請し、マタイサが受諾。同年、ストアニア戦争が開始。
〇約1050年前、ダムーレン王国が敗北。調停によりダムーレン王国はマタイサ王国の属国となり、ストアニア自治領はストアニア王国として独立。同年、マタイサの食糧とストアニアのダンジョン資源の輸出入にかかる関税を完全撤廃する特別条例を制定。以後、内容を修正しつつ現在まで継続。
〇約950年前、ストアニア王国の地下ダンジョンが第一次スタンピードを起こす。ストアニア王都が魔物の手により陥落。マタイサ・ダムーレン・ストアニアの連合軍が奪還に当たり、これを成功。
〇約900年前、マグー帝国とストアニア王国の国境道路が復興。マグー帝国がストアニア王国へ領地返還を申請。ストアニア王国はこれを拒否。同年、マグー帝国がストアニア領奪還にむけて進行を開始するも、国境付近にて原因不明の災害(※『カテドラ山脈の変』と呼ばれている)に見舞われ、数万の軍が全滅。結果、戦争にはならずストアニアとの交渉も失敗。
〇約850年前、マグー帝国とマタイサ王国の争いにより経済戦争が勃発。ストアニアでもあらゆる資源が物価高となり、治安の悪化や失業率の増加による経済危機のタイミングで、第二次スタンピードが発生。またもや王都陥落の危機に対して、神秘王と思われる人物が数万の魔物を一晩で鎮圧(※童話『おうさまたちのおうさま』の起源)し、マグー帝国とマタイサ王国の過干渉を諫める。
〇約830年前、魔族領に先々代の魔王が誕生。魔族を率いて人間領へと攻め込み、マグー帝国・ダムーレン王国・ストアニア王国が領地侵犯を受ける。3国は連合軍を組織し、勇者とその仲間の力も借りて魔王を討伐する。
〇約800年前、3賢者が冒険者ギルドを創設。時期は不明だが、理術の賢者がストアニア王国へ技術提供してダンジョンへ防御隔壁を建設。100年計画として始動。
〇約600年前、第三次スタンピードが発生するも、完成していた防御隔壁により地上へ魔物が溢れることなく制御成功。
〇約400年前、竜種の王によりダムーレン王国が滅亡。バルギア竜公国が誕生し、ストアニア王国側の領土が1割程度広がる。それに伴い、元ダムーレン王国フレイア領がストアニア王国へ併合。
〇約150年前、大陸南部の小国群が統合してレスタミア王国が建国される。それに伴い、ストアニアとレスタミアの両国は相互技術提供条約を結ぶ。現在まで継続。
〇約70年前、SSランク冒険者パーティにより初のダンジョン100階層到達。101階層目が確認されたため、陸地では世界最深のダンジョンと認定される。




