弟子編・21『智慧ある獣』
本日2話更新。2/2
フレイアの街から急いで馬を走らせること2時間と少し。
一本道の街道を突き進んでいると、道の先に長い橋が見えた。
ここから見てもかなり長い橋。
思ったより大きな渓谷だった。
「あそこ! 馬がいます!」
渓谷のそばに、木にくくりつけられた馬がいる。こんなところに他に何かがあるわけでもないだろうに、わざわざ馬を降りたのか。馬が逃げないようにしているから、ちゃんと自分の意思で降りたんだろうけど。
イヤな予感が増した。まさか渓谷を降りて行ったのか?
「おいおい、こっから下はグレイウルフの群生地だぞ?」
ザムザも顔をしかめている。
とはいえ追わない選択肢はない。馬を止めて、すぐに森へ入る。
誘拐犯の足取りはすぐにわかった。森にはハッキリと獣道があって、そこを歩いて行ったようだ。
その道もまず間違いなく、グレイウルフなどの狼の足跡でつくられたものだった。
エルニネールを魔物の巣に届けに行くつもりなのかと疑うほど、それ以外に考えられる要素がなかった。
「ご丁寧に枝まで切り落として整備してやがる……こりゃ、ここ通ったのも一度や二度じゃねえな」
「そうですね。靴の跡も何重にも草に刻まれてますし」
お互い冒険者たるもの、森の歩き方や分析方法はお手の物だ。
観察しつつ先を急いでいた俺たちの耳に、川のせせらぎが聞こえてきた。
それと同時に、獣の臭いも漂い始めていた。
「ボウズ、足音に気をつけろ」
「はい」
小声で腰を落とし、気配を消しながら進む。
俺は斥候系のスキルなんて持ってないので下手くそだったが、ザムザは気配遮断のスキルも持っていたのか見事に気配を消していた。
木々が途切れ、河原が広がる場所まできたとき、その声を聴いた。
「そんな! この娘を連れてくれば、妻は助けると言ったじゃないですか!」
『そうだな、貴様のつがいは助けてやると言った。だが貴様を助けるとは一言もいっておらん』
「そ、それは……!」
『クハハハ! そして貴様が死ねば、貴様との約束も当然無効だ。人間はウマいからな。ひとりでも多く欲しかったところだ』
「ひ、卑劣すぎる!」
男が声を荒げて対峙していたのは魔物だった。
巨大な体躯で、背中に翼をもつ黒い狼。
あれは――
「て、〝天狼〟マルコシアス……」
ザムザが喉を震わせてつぶやいた。
Aランク魔物マルコシアス。二つ名を持つほどの存在だった。
その足元にはエルニネールが転がっている。気を失っているだけのようで、ケガはなさそうだ。そのそばで腰を抜かして泣きわめいているのは誘拐犯の男。
会話を聞いた限り、その誘拐犯に指示を出してエルニネールを攫ったのは、マルコシアスのようだった。
人の言葉が話せる獣か。
力だけでなく知恵もある相手。
そして彼らの周囲を囲むように、グレイウルフの大群がいる。さらにそのなかに何匹か、グレイウルフよりひとまわり大きい狼――あれはたしか上位種のガルムウルフか。
グレイウルフ単体だけでもDランクの魔物だ。ガルムウルフはCランク。そんな集団のなかで正気を保っていられるというほうがおかしい。
誘拐犯の男は、泣きながら狂ったように笑いだした。
『あまり水分を流すな人間。肉がマズくなる』
そう言って、マルコシアスはパクリと誘拐犯をひと呑みにしてしまった。
一瞬の出来事に、俺たちは動けなかった。
もっとも、彼を助けようなんてこの状況では思わなかったけど。
しかしあまり悠長にはしていられない。
俺はあまりの敵戦力に委縮してしまったザムザをちらりと見る。
彼にはここまで連れてきてくれただけで、返しきれない感謝の想いがあった。ガルムウルフだけならまだしもマルコシアスまでいる状況だ。ここで命を賭けろとは口が裂けても言えない。
剣の柄を握りしめ、覚悟を決めようとしているザムザに提案する。
「ザムザさん、馬をすぐに出せるよう、準備して待っていてもらえますか?」
「……ボウズはどうするんだ?」
「俺はエルニネールを助けて急いで逃げます」
「逃げるって、この状況から手を出して逃げ切れるとでも?」
「大丈夫です。俺のスキルに、相手の動きを止めるものがあります。グレイウルフだと数分間、ガルムでも数十秒はいけるでしょう。マルコシアスにも数秒くらいなら時間が稼げます。それを何度か使えば、きっと逃げられるでしょう」
俺は神秘術士だ。
魔術しか知らないザムザにとって、それが本当かどうかは判断ができないだろう。しかも子どもの俺にまだ余裕がある様子なので、それが説得力を増す材料にもなるはずだ。
まあ、俺が目に見えて慌てていないのは『冷静沈着』のおかげなんだけど。
「わ、わかった。しかし嬢ちゃんを連れてくる役目は俺がやったほうがいいのではないか」
「いえ、俺は馬を制御できません。おそらく一秒の差が生死を分ける状況になるでしょう。だから逃げるための馬の準備はザムザさんに頼みたいんです。全員で生きて帰るためにも、どうかお願いします」
ザムザはしばらく悩んだ結果、首を縦にうなずいた。
気配を消したまま来た道を戻っていったザムザ。
俺はなるべく河原に近づいた状態で、マルコシアスの様子を盗み見る。
『クハハハ……眷属たちよ喜ぶがよい。愚かな巨人をそそのかしてあの忌々しい女をおびき出し、虫けらを使って策を練った甲斐があった。〝最高の贄〟をこうして手元に迎え入れることができたのだからな』
マルコシアスがそう言うと、狼たちは遠吠えを始めた。群れの長を祝福しているみたいだ。
それが収まるのを待ってからマルコシアスが言葉を続ける。
『魔王の種さえ手に入れれば、我はようやっと進化し〝狼王〟となれるだろう。そうすれば眷属のおぬしらもさらに強くなる。これまで煮え湯を飲まされ続けてきた傲慢な竜種たちにも、我が牙も届くというもの』
状況から考えるに、魔王の種ってのはエルニネールのことだろうな。
ならマルコシアスはエルニネールを食べることで、Sランクの魔物、フェンリルに進化できるってことなのか。
どうやら竜種に恨みがあるようだが、その恨みを晴らすために大事な姉弟子を犠牲になんてさせるつもりはない。
俺は短剣を抜き放ち、息を大きく吸った。
『今宵は宴だ。まずは愚かな竜種どもを崇める虫けらの集落をひとつ滅ぼしてやろう。虫けらの命など我が軍勢の前では――ぬ、何奴!?』
「〝動くな〟!」
マルコシアスに勘付かれたが、その瞬間には『言霊』が狼たちの動きを止めていた。
俺はすでに駆け出していた。
まずはエルニネールの確保だ。河原で倒れているエルニネールに手を伸ばす。
『小癪な虫けらがッ!』
マルコシアスがほんの一瞬で言霊を破り、吠えた。
ただ吠えるだけで吹き飛ばされそうになる。
姿勢を低くして耐えると、マルコシアスは即座に噛みつこうと口を開けて迫った。
「『刃転』!」
その口内――ハグキに向けて剣を振るう。
さすがに強靭な肉体でも、歯肉はそこまで強くないだろう。
それはどうやら正解だったようで、わずかにマルコシアスをひるませることができた。
その隙に、エルニネールを抱き上げる。
「ルルクっ」
「よかった! 逃げますよ!」
マルコシアスの前だから意識を失ったふりをして隙を窺ってたんだろう。
エルニネールはうなずいて一緒に走り出す。
俺たちに躊躇なくマルコシアスがとびかかろうとしていたので、俺はとっておきの術のひとつを発動させた。
「『夢幻――〝ガガーリン〟』!」
『ぬ……なんだこれは!?』
『夢幻』は、世界樹から映像記憶を呼び出す神秘術だ。
俺が見たものはかなりハッキリと呼び出せるし、それ以外でも集団意識の強い映像ほどしっかりと映るので、こういうときは地球の有名な映像に頼る。
マルコシアスが絶対に見たことのない風景なら混乱するはずだ。
それは暗い宇宙に浮かぶ青い星。
そう、地球は青かった――
「いまのうちに!」
エルニネールも愕然としてしまったので、とっさに手を引く。
『夢幻』の効果範囲は発動地点から数メートルだけだ。その外に出てしまえば幻は見えなくなる。
もしマルコシアスがずっとひるんでてくれればいいんだけど。
『鬱陶しいわァ!』
マルコシアスがすさまじい声量で吠えた。
その瞬間、『夢幻』どころかグレイウルフやガルムウルフを縛っていた『言霊』も無効化されて弾け飛んでしまった。体が動くと分かった瞬間、動き始める魔物たち。
「『ファイヤーウォール』!」
エルニネールがすかさず炎の壁を作成する。
これで退路が確保できた――と思った瞬間、森への入り口へマルコシアスが跳躍し、俺たちの退路を塞いでしまった。
正面にマルコシアス。周囲に眷属の魔物たち。背後には川。
完全に囲まれてしまった。
「猛り狂え――『ファイヤーストーム』っ!」
エルニネールが全力で中級魔術を放った。
「『ファイヤーストーム』! 『ファイヤーストーム』!」
連続で放った炎の渦がうねりを上げ、まるで災害となってマルコシアスに襲いかかる。
しかし。
『贄如きが図に乗るでないわ!』
マルコシアスが翼を一振りさせただけで、炎はかき消えてしまった。
「ん、そんなっ……」
エルニネールの最大火力の魔術だったはずだ。
やはりロズの言ったとおり、いまの力ではAランク魔物相手では実力差がありすぎる。
魔術を連発しすぎて魔力が底をついたエルニネールは、崩れ落ちるように倒れてしまった。
『フン、所詮贄よ。いくら魔王の種を持っていようが幼体は幼体、育つ前に刈り取ることができて僥倖というものよ』
「わ、わたしは……まだ……」
『強がるな下郎。あの時、かの理不尽な女が助けに来なければ貴様はすでにわが身の一部となっていた運命だ。それが多少遅くなったにすぎんのだ』
鼻を鳴らしたマルコシアス。
……あの時?
その言葉に、俺はつい問いかけてしまった。
「まさか、エルニネールの故郷を滅ぼしたのはおまえだったのか?」
『愚問よ。そもそも羊人族とは我々狼種のエサにすぎん。そやつら非力な羊人族の村が育つまで、長年をかけて誰が貴様らを外敵から守っていたと思うのだ? 我が辛抱強くそやつの村に手を出さなかったのも、魔王の種が生まれるまで待っていたからよ。我が眷属たちに収穫を命じたあの日、忌々しくもあの女が出張ってきよったのだ』
「なっ」
さすがに予想外だった。
羊人族は体が成長せず、力も弱く、魔術だけが優れているという種族だ。
しかし魔術が優れているというなら、それは人族にも多い。エルニネールほど特別な才能は羊人族にも少ないのだろう。それでなければグレイウルフの集団になんて負けはしない。
それでもいままで羊人族が集落を維持できていたのは、狼種が守っていたからなのか。
それも、たくさん育てて食べるために。
『クハハハ、しかし最後に笑うのは我よ。こうして魔王の種が手元にあるのも運命。喜べ贄よ、貴様の家族と同じように我らの一部としてやろう』
「う、うう、ううううっ」
エルニネールが泣いていた。
故郷を滅ぼした元凶が目の前にいることに、まったく力が届かなかったその事実に。
涙を流して顔を歪め、マルコシアスを睨んだ。
「ゆる、さない……っ!」
『ふん、エサの分際で身をわきまえよ。そして虫けら、貴様も同様だ。そのような微力で我に敵うとでも思ったか』
マルコシアスの目には、俺たちはただの家畜としか、食料としか映っていなかった。
その言葉通り実力差は明白。
頼みのロズはいない。
エルニネールは魔力切れ。
周囲には無数の眷属。
正面には圧倒的強者。
それでも俺は、拳を握った。
「ルルク……にげて……」
マルコシアスが口から魔術を放とうと力を溜める。
目の前の敵がエルニネールの仇というならば。
その牙に、わずかでも届く可能性があるならば。
「『伝承――」
俺は世界樹からたぐりよせる。
起死回生の、逆転の一手。
それがあるとするなら、この世界じゃない。
俺の奥の手は、世界を繋ぐ。
「――顕現』!」
頼んだぜ。
幼い頃から愛してきた、物語たちよ。




