帰郷編・22『世界を越えたチカラ』
■ ■ ■ ■ ■
「ジャクリーン様、教皇猊下がお呼びです。聖女様について経過報告が欲しいとのことで」
「わかりました。すぐに伺います」
ハリーウッド聖教国、その聖地〝はじまりの丘〟の大聖堂。
執務室で仕事をしていた聖騎士団総団長のジャクリーン=モレーは、伝令係に呼ばれて手を止めた。
教皇の呼び出しはなにより優先される職務だ。ちょうど書類仕事ばかりで肩が凝っていたので、ありがたい。
ジャクリーンは息をつきながら、目の前の山積みの書類を眺めた。
処理しても処理してもなくならない湯水のように湧く書類。総団長の仕事は、かくも厳しいものだったのか。現場とは大違いだ。
「ん~」
背もたれに身を預けて伸びをしていると、夜の暗がりを浮かばせていた窓に、自分の顔が写った。
まだ二十代なのに、化粧っ気はなく髪はパサパサだ。昔は多少は男も寄ってきたのだが、騎士として働いているうちに異性として見られなくなってしまったのか、以前告白されたのは随分前だ。
しかも総団長となってからは、はじまりの丘からほとんど出ていない。教皇の身の周りの世話はすべて女性なので、ここ最近でまともに話した男と言えば同じ聖騎士団員か、枢機卿団の爺さんたちだけだった。
「……結婚したい……」
ボソッと本音が漏れる。
とはいえ好きな相手などいないし、立場が立場だから男も近寄りづらいのだろう。実績がすべてになりつつある聖教国では政略結婚すらもあまり意味はなくなったので、肩書目的で声をかけられることすら希望を持てない。
国としては喜ばしい変化なのだが、ジャクリーンにとっては婚期を逃す理由のひとつになってしまった。
これは……詰みというやつでは?
このまま一生独り身で過ごすしかないのだろうか……。
「……いえいえ、これは名誉なのですジャクリーン。聖騎士団を預かり、教皇様をお傍で護れることは騎士として何よりの誉れ。わかってますね、ジャクリーン。ええわかってますとも」
自分に言い聞かせるようにつぶやいて、席を立つ。
ジャクリーンは情報部からの報告書に目を通しつつ、騎士の正装に着替えて教皇の部屋に向かう。
正装とはいえ帯剣はしていない。していたとしても、『秩序』が支配するこの地で武器など振るえないのだ。
執務室から最上階まで上がり、一番奥の部屋の扉をノックした。
「教皇様、ジャクリーンです。ご報告に参りました」
「どうぞ」
「失礼いたします」
扉を開き、顔を伏せたまま三歩入ってひざまずいた。
車椅子と細い足が見えるが、視線を動かさずに報告する。
「聖女様ですが、変わらず獣王国にて【王の未来】の助力を継続しております。聖女様自身の意思ですので接触は控えていますが、呼び戻しますか?」
「いや良い。我が心配になっただけだ。それよりジャクリーン、ちゃんと顔を上げて話すのだ」
「いえ。猊下の御身を拝見するなど畏れ多いことです」
「かしこまらずともよい。我も長く続いていた慣習は捨て去り、ちゃんとみなの目を見て話したいのだ。いまは聖教会も生まれ変わっている最中……改革は上に立つ者からと、何度も言っておろう?」
「で、ですが……」
「そう距離を取られていては我も悲しい。頼む、目を見て話してくれぬか?」
か細い声で言われて、胸の奥がギュッとなったジャクリーン。
教皇は立場やその身こそ至高の存在だが、見た目は十五歳ほどの少女なのだ。
子ども好きのジャクリーンにとって、その言い方は一番効いた。
「か、かしこまりました」
顔を上げる。
バッチリ目が合った。何度見ても感嘆するほど、黒髪黒目の美しい少女だ。
小柄な体格に勝るくらい童顔に見えるが、それは鼻が高いジャクリーンたちと少し違って顔の造りが少し独特だからだろう。
神代晩期では、これが普通の顔だったのだろうか。守ってあげたくなる容姿だった。
「うむ。ありがとう」
「と、とんでもない」
礼を言われ、慌てて顔を下げようとして――なんとか思いとどまる。
国や組織を変えるのだ。よりよい変化のために、ジャクリーンの信仰心も別の形で表す必要があるだろう。
改めて覚悟を決めていたとき、ふと廊下の外が騒がしくなった。
「何者ですか、止まりなさい!」
侵入者など普段は出ない大聖堂。
武力や悪意が一切通じない場所なので、聖地の中には護衛はほとんどいない。使用人も一部の側近を除いて武器は身に着けていない。
当然、侵入しようと思えばできる場所ではあるのだが――
「教皇様、私の後ろに」
ジャクリーンはすぐに立ち上がって、教皇を背にして扉へ向き合った。教皇の側仕えの使用人も、すかさず教皇の前に移動していた。
扉の外にはまだ使用人の気配はある。だが、なぜか小さな悲鳴をあげてから何も言わなくなった。
剣を私室に置いてきたのはうかつだったか、いやしかし――と考え始めたとき、扉がゆっくりと開いた。
「失礼するよ、教皇」
入ってきたのは青年だった。
まるで特徴のない、無個性を極めたような青年。視線を外せばそれだけで顔を忘れてしまいそうな不思議な男だった。
ジャクリーンは間髪入れず叫んだ。
「誰だ貴様! ここをどこと心得ている!」
「やあ、君が新しい総団長のジャクリーンだね? ちょっとお邪魔するよ、教皇と話がしたくてさ」
悪意も敵意もまるでない様子で、ヒラヒラと手を振った青年。
何者かはわからないが、まったく威圧感や恐ろしさは感じない。だがそれがまったく男の言動とそぐわずに、ぞわりと背筋が冷えた。
「貴様のような侵入者に与える猊下のお言葉はない! 即刻立ち去れ!」
「ん~話にならなさそうだね。まあ、仕事だから当然だろうけどさ……でもあんまり邪魔するなら、外の子と同じようにしちゃうよ?」
「外の……ッ!?」
扉の外。
廊下でうずくまっていたのは、猫人族の女だった。
猫人族の女は、自分の手や体を見つめ、言葉を失って呆然としていた。
あり得ない。さっきまでそこにいたのは、人族の使用人だったはず。
どういうことだ――
「下がるのだジャクリーン。そなたでは敵わぬ相手だ」
教皇が淡々と言う。
ジャクリーンは反射的に首を振った。
「し、しかし――」
「わからぬか。この聖域内ではスキルや術は使えん。つまりこの者が使った力はひとつ」
「まさか権能……使徒ですか!?」
「左様。しかも見知らぬ相手に悪意や敵意なく権能を振るえる性格だ。ここは我に任せよ」
そう言われて逡巡したものの、使徒が相手なら、同じ使徒である教皇しか聖域内では太刀打ちできないだろう。
奥歯を噛みしめて後ろに退いたジャクリーン。万が一のときは身を盾にできるよう、使用人とともに最大限の警戒は維持しておく。
「やあ久しいね教皇。僕の顔、忘れてない?」
「忘れておったわ。だが我が顔を憶えられぬ相手はそなただけだ、ギルティゼア」
どうやら顔見知りのようだった。
「我に一体何の用だ。我が臣下――エークス卿が世話になった件か?」
「あれ? それバレちゃってるんだ?」
悪びれる様子もなく言うギルティゼア。
なるほど、こいつがミラナ=エークスを扇動していたという【悪逆者】の一員か。
神に愛された使徒でありながら、神座を手に入れるために色々と実験のようなことを繰り返しているイカレた組織だと聞いている。
ジャクリーンはつい声を漏らした。
「異端者が聖地に足を踏み入れるなど……!」
「逸るでないジャクリーン。少なくとも我らに害をなすために来たわけではない。そうであろう、ギルティゼアよ」
「その通りさ。ちょっとしたおつかいでね」
ギルティゼアは、壁にもたれかかりながら友達に話しかけるように言った。
「我らがリーダーからの伝言でね。ねぇ教皇、『創造の神器』を貸してくれない?」
何をバカな!
ジャクリーンはあやうく叫びそうになった。それを察した教皇が手を挙げて止めていなければ、とっさに掴みかかって聖域の制約で激痛に苛まれるところだった。
「ふむ……理由を聞こうか?」
「予言だよ。リーダーが多大な犠牲を伴ってまで乗り越えたはずの危機が、なぜか覆る可能性があってね。だから僕がおつかいでやってきたのさ」
「なんだ、そのようなことか……無論断る。そなたたちの目論見に手を貸す理由など教皇としても聖教会としてもまるでない」
「え~? 聖教会の発展に手を貸してきた僕たち【悪逆者】に、そんな冷たい態度とって心が痛まないの?」
「ふざけたことを。こちらが手を借りたのは、あくまで創設期――大聖堂が完成する以前のことだ。しかも、まだそなたたちが【悪逆者】と名乗り始める前のこと。しかもそなたはそのとき知り合ってすらいなかっただろう」
「あれ、そうだっけ? 一緒に苦難を乗り越えて大陸一の教会に発展させた仲じゃなかったっけ?」
「都合よく記憶を改編するな。そなたらに貸しはあっても借りはない。とくに神座を欲し始めたあやつには、教皇として微塵も賛同などできん」
ピシャリと言い放った教皇。
【悪逆者】を異端認定したのは教皇自身だったと聞いているが、異端者になる前からの知り合いだったのか。
ギルティゼアは肩をすくめた。
「手厳しいね~」
「そもそも前回も貸したのは例外中の例外だ。『別の世界から来る厄災を防ぎたいから、自らの権能を世界を渡らせるチカラが欲しい』など、神すら畏れぬ所業に手を貸すのはあれきりである。いまやこの大陸の秩序は安定しておるし、我も〝運命〟に対してこの二千年で思う所があったのだ。我が手を貸すことは二度とない」
遠い昔を思い出して、反省するように言う教皇だった。
ギルティゼアも理解したのか、やや諦めたように最後にもう一度だけ言った。
「その前回の神器を使って定めたはずの運命が、数時間後にはなぜか覆されるかもしれない……って言ってもダメ?」
「何度も言わせるな。そもそも、そなたたちの言葉はもはや信用に値せん。いまの〝厄災〟とは、おぬしらが神座を手に入れるために邪魔になる存在、という意味であろう?」
「さあ、どうかな~」
「いずれにしても、我はもうそなたたちに寄与するつもりはない。魂の底から信仰を改めるなら別だがな」
「そっか~……じゃ、こうしてもダメ?」
ギルティゼアが入り口に戻り、猫人族になった使用人の頭に触れた。
その直後、彼女がどんどん幼くなって子どもに戻ってしまった。そしてなんと、性別も男に変わってしまう。
「ひぇっ」
驚いて悲鳴を上げる使用人。ぶかぶかの服のなかで、震えている。
ジャクリーンは確信した。
この男、間違いなく『個性』の使徒だ。
教皇と同じ創造神の権能を身に宿した、最高位の使徒。
そんなやつが神に反旗を翻しているなんて……。
教皇はため息をついて、
「なんの悪意もなく脅せるとは、やはりそなたが一番厄介だな……だが甘い。『秩序回帰』」
教皇が手を広げた瞬間、権能が大聖堂内に広がった。
その直後、少年にされていた使用人がパッと元の姿に戻った。
年齢も、性別も、ギルティゼアの力を排除して元の成人女性に戻ったのだ。
これにはギルティゼアも目を瞬かせていた。
「わぁ、そんなことまでできたんだ?」
「前聖女のときは、その〝個性操作〟を見破れずしてやられたからな。無垢なる魂を二度と失わないために、我も日々精進しているのだ。今後聖域が支配するこの地でそなたの思い通りになるものは一切ないと思え」
ギルティゼアを睨みつけるように言った教皇。
ジャクリーンは胸中で拍手喝采だった。我らが教皇様がカッコ良すぎる……!
しばらく黙っていたギルティゼアは、ゆっくりと天を仰いで首を振った。
「あ~あ。一日二度も力比べで負けるなんて、僕もまだまだだなぁ」
「身の程を知ったなら帰りたまえ。そなたたちに与する者は、もはやこの聖教国にはおらん」
「わかったわかった。はぁ、また無駄足だったよ……ミナでも連れて慰安旅行にでも行こうかなぁ」
ぶつぶつつぶやきながら、ゆっくりと歩いて出て行くギルティゼア。
まるで散歩でもするように消えていったのだった。
ジャクリーンはすぐに元に戻った使用人に駆け寄って、無事を確認した。かなり驚いて腰が抜けているが、怪我や不調はなさそうだった。
手を貸して立たせ、振り返る。
「して教皇様、逃げたギルティゼアはいかがしましょう?」
「放っておけ。ヘスティアよ、いまのことを情報部に伝えるのだ。騎士団にも通達しておくように。ギルティゼアには決して手は出さぬようにな」
「はっ」
頭を下げて、すぐに教皇の部屋を出る側仕えの使用人。
ジャクリーンは詰まってきた息をついて部屋の中に戻ると、教皇に問いかける。
「ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか。彼ら【悪逆者】の頭首に『創造の神器』をお与えになったというのは……」
「本当のことだ」
頷く教皇。
ジャクリーンは唇を噛みしめた。
この世界で最も価値がある神器を使った者が、いまや異端者になっている。
その事実は、聖職者としてのジャクリーンの心をひどく傷つけた。
「すまぬな、そなたの気持ちはわかるジャクリーンよ。しかしかつてはあやつも敬虔なる信徒だった。我と共に、この世界をより良い形にしようとしていた……ただそれだけの真面目な男だったのだ」
「では、なぜ異端者に……」
「ある意味では不運だったのだ。だがそれを語るには、実はもともと〝異端者〟という呼称は別の者たちのことを指していたことを知らねばなるまい」
教皇は顔を曇らせながら言った。
「別の世界から来訪する異端なる知識を持つ者たち。大昔は、そやつらを異端者と呼んでいたのだ。そしてまだ聖教会――つまりキアヌス教が発展する以前の民たちの導き手だった旧教会は、そやつらのことを異端者と呼んで迫害していた」
「迫害ですか!? 教会が、先導してですか?」
「うむ。我が目覚めたばかりのあの頃は、〝異端者狩り〟というものが流行っていたのだ。謂れのない無辜の民に異端者の烙印を押し、理不尽な死を与えていた悪しき風習がな」
「そんな……」
「だがそんな世界を変えようと聖教会を発展させたのが、かつての我と、今では【悪逆者】となった元同胞だ。その甲斐もあって今の世では、彼ら異世界からやってきた者を〝転生者〟と呼ぶようになったのだ」
「転生者ですか……」
無論、ジャクリーンの耳にも入っている。
聖女が協力している帝王レンヤや、恩人である冒険者ルルクもその転生者の一人だと。
もちろんジャクリーンは転生者がこの世界に仇成す存在だとは思わない。むしろ助けられた身としては、救世主と言えるだろう。
教皇もそれは同じ意見のようだった。
「いまでは信じられんことだろうが、当時はみなそれが当たり前に思っていた。ゆえにあやつも予言を信じ、異端者の運命を捻じ曲げようとしたのかもしれん。『創造の神器』を使ってな」
「教皇様。【悪逆者】の頭首は、どうやって転生者の運命を変えたのですか? 神器の力で、二千年前に何を起こしたのでしょうか」
ジャクリーンは気になっていたことを口に出した。
世界を越えるためのチカラを『創造の神器』に願ってまで、彼が願ったこととは……。
教皇はしばらく沈黙を挟んでから、重くつぶやいた。
「あやつが持つ権能は、第4神レオリオの『事象』を司る力だ。神器を使ってその権能を異世界に及ぼし、とある集団が死ぬように事象を捻じ曲げたのだ」
「集団ですか? 予言は一人じゃなかったのですか?」
「無論一人だったが、その一人が誰か特定まではできんかったようだ。ゆえに、その対象者を所属している集団ごと死に追いやったのだ」
「そんな……いくら世界を守るためでも、無関係な者たちまでなんて……」
言葉を失うジャクリーン。
もし予言が本当だったとしても、それはいくらなんでもあまりに酷い……。
教皇も強く頷いたのだった。
「ああ。我とは大喧嘩になった。そしてそれがあやつにとって思わぬ因果を引き起こした。その瞬間から、あやつの人生は狂い始めたのだ……」
あとがきTips~『創造の神器』と、集団転生事件の真相~
〇『創造の神器』とは
初出は聖域編。教会に伝わる〝八つの神器〟のひとつ。星誕神トルーズの権能『存在』が込められた世界に3つしかない世界最高の神器のひとつ。
千年に一度だけ使用でき、『使用者の願ったことをひとつ存在させる』というとんでもない力を持っている。
世界樹による世界改編と似たような性能だが、こちらは「現在から先」「ひとつの対象」「ひとつの効果」しか発揮できない(過去にも干渉はできない)ので、例えば『神になりたい』や『別世界から〇〇を呼び寄せたい』など複数の世界改編が必要な願いは不可能。〝世界樹の扉〟の廉価版ようなものだと思ってOK。
ちなみに聖域編で譲渡されたため現在の所持者はサーヤ。もちろん教皇は、ギルティゼアにそのことを教えなかった。
〇集団転生事件の真相
今回本編にも出てきたように、使用されたのは約二千年前に一度だけ。
まだ世界の秩序を守ろうとしていた頃の【悪逆者】のリーダー(第4神の使徒)が、予言をもとに『事象』を司る権能を世界を越えて発動させ、七色楽たち三年二組に〝死〟という現象を押し付けることに成功した。(そして今回、76周目の零の計画によりその『死』から逃れつつある)
しかし1周目の世界線で、リーダーの目論見を超えた〝とある理由〟により、予言の対象者だけでなく楽たち全員が転生してしまった。それ以来、死と転生は世界線が分岐するたびに繰り返されている。
そしてこの時のことがきっかけで、リーダーの身にも予想外のことが多々起こってしまったらしいが……続きは、また本編にて。




