弟子編・20『人攫い』
本日2話更新です。1/2
2話目は昼15時ごろの予定
違和感に気づいたのは、勝手に借りたギルドの厨房で野菜をウサギの形に切っている時だった。
酒場のほうからエルニネールの声が聞こえたような気がしたのだ。あの幼女が大声を出すなんて滅多にないから、たぶん空耳だとは思うけど。
それでも念のため、酒場に顔を出してみる。
「あれ? いない」
エルニネールがいなくなっていた。
食事を待っているエルニネールが勝手にどこかにいなくなることなんて考えられないので、少し不安になった俺は急いでギルドの外に出る。
ギルドの周囲には誰もいない。
――いや、いた。
ちらっと背の高い大人が道の角を曲がっていくのが見えた。
何か黒い袋のようなものを肩にかついで、走っていく背中が一瞬視界の端に映った。
まさか。
猛烈にイヤな予感がして、即座に駆け出す。
大人の足に追いつけるか不安だったけど、これでもロズの特訓のおかげでレベルも15くらいまで上がっている。ステータスのなかでは敏捷性が一番上昇幅が大きく、数値も高い。子どもとは思えないくらいの足の速さはあるから、荷物をかついだ大人相手なら……。
そう思った俺が曲がり角で目にしたのは、さっき見た大人が馬に乗って走り出したところだった。
ただでさえ少ない住民が避難しているから、街の中でも馬を走らせ放題だ。
くそっ、さすがに馬には勝てないぞ。
舌打ちした瞬間、男が馬に乗せた袋の口が少し緩んで、そこから一瞬中が見えた。
ちらりと視界に入ったのは小さな手。その手首には、モコモコした毛があった。
間違いない。エルニネールだ。
魔術で脱出しようとしないのは気を失ってるか、口を塞がれているのか。
どっちにしてもエルニネールが攫われようとしている手前、手をこまねていている場合じゃない。
「〝止まれっ〟!」
とっさに言霊を使ったが、馬は声の届かない範囲まですでに駆けていた。
くそ、追うしかない。
馬は西門へ向かっている。そのまま素直に追おうとして、ふと気づく。
そもそもまっすぐ走って追いつけるわけはない。それに西門と北門、南門はいま封鎖されているはずだ。
なら、街を出るためには――
「東門だけか!」
街の反対側だからちょっと遠いが、先回りすればワンチャンある。
踵を返して東門を目指す。
それにしても、ローブを取ったとたんにこれかよ。
獣人差別が禁止されている国で、しかも羊人族自体が法律で守られているとはいえ、やはり金目に目がくらむやつは大勢いるんだろう。目撃者が多い場所なら話は別だろうからタイミングが悪かったっていうのもある。
くそ、腹立たしい。
でもそれ以上に、エルニネールをひとりにしてしまった俺自身に苛立っていた。
とにかく反省は後だ。みすみす連れ去られるわけにはいかない。
全力で走り続けて東門に到着したのは、それから10分ほど後。
息も絶え絶えになりながら東門についたとき、門がゆっくりと閉じられようとしていた。北側のAランク魔物の影響で、ここも閉めてしまうことにしたのだろう。
「あ、あの! ここに馬に乗って袋をかついだ男がきませんでしたか!」
見張りの門兵に尋ねると、彼はうなずいた。
「ああ。ついさっき急いで通っていったよ。知り合いかい?」
「くそっ!」
「あ、ちょっとキミ! 外は危ないぞ!」
間に合わなかったか。
閉じられる門から抜け出るようにして街の外へ。
東からまっすぐに街道が伸びているが、そっちには誰もいない。見通しがいいからとっくに去っていったわけじゃないだろう。
そう考えたら、北か南か。
北は魔物がいるし、防衛のために兵士たちも多く出ているだろうから選択肢にはならない。ならば南か。
外壁に沿って南へ向かって走り出す。
正直、馬に走って追いつけるとは思えないけど、あきらめるなんてことはもっとあり得ない。幸いヴェルガナの特訓のおかげで持久力には自信がある。
どこかで止まっていてくれ――そう祈りながら走っていたときだった。
「おーい、おまえ、神秘術士のボウズじゃねえか? なにしてんだ、トレーニングか?」
後ろから馬に乗ってきたのは、【魔除け本】の中年剣士だった。
たしか緊急クエストのために呼び出しがかかっていたな。ここにいるってことは巡回でも命じられたのだろうか。
兎に角、顔見知りでよかった。すぐに説明する。
「エルニネールが、男に攫われてしまって」
「なに、あのお嬢ちゃんが? とっとと乗れ! どっちに行きゃあいい!?」
中年剣士は俺が頼むまでもなく、一大事だとばかりに馬の後ろを指さした。
渡りに船だった。
すぐに剣士の後ろに飛び乗って、
「南門に向かってください! そこで兵士に聞けば、きっとどっちに行ったかわかるはずです!」
ここから伸びる街道は南門正面に伸びるマタイサ王国方面か、西門手前を経由するバルギア竜公国方面のどっちかだ。
どっちにしても南門の門兵が目撃してるだろう。してなければ森へ入ったってことだが、近くに馬が見当たらない以上は森へ入ったってことはないはずだ。
「おう、任せとけ!」
中年剣士は馬を蹴って急がせる。
すぐに南門に辿り着いて、馬から降りることなく尋ねてみた。予想していたのは南の街道だったのだが、返ってきた答えは西側。バルギア竜公国への街道へ向かったということだった。
よりにもよって西か。
いまは狼の魔物たちがバルギア竜公国手前にある渓谷に巣を作っていて、街道は通行止めになっているはずだ。そうギルドで聞いたんだけど、もしや誘拐犯はそれを知らないのか。
いくら逃亡するためだとはいえ、知っててそっちに行くのは自殺行為だろう。
もちろんその脅威は追う側にとっても同じだから、尚更厄介だった。
「あ、あの……」
「心配すんな! 最後まで面倒みてやるよ!」
中年剣士は迷うことなくそう言って、
「すまんそこの門兵! 俺は【魔除け本】のザムザだ! 緊急クエスト中だが、すまん、知り合いの子どもが誘拐された! これから誘拐犯を追って渓谷に向かう! 俺の仲間と冒険者ギルドの支部長にそう伝えててくれ! 罰則なら後でいくらでも受ける!」
馬に鞭を入れて先を急いだ。
危険だとわかっててなお、顔見知り程度の子どもひとりのために付き合ってくれるのか。
「飛ばすぞ! 口閉じてしっかり掴まっとけ!」
「はい!」
俺は感謝の念を込めながら、ザムザの腰にしっかりとしがみつくのだった。




