帰郷編・15『七色と九条』
「この箱が聖典本体、のぉ」
パチパチと囲炉裏の炭が爆ぜる音をゆっくりと咀嚼するように、源三はニヤリと口角を上げた。
「なぜそう思うた?」
「綺麗すぎるからです。萌々香さんの話では、何百年も封印されていたんですよね? 布はみるからにボロボロなのに、箱にはくすみもなければ汚れもない。劣化を防ぐような術をかけてもそこまで綺麗なのは不自然ですが、その箱が神器そのものなら〝存在の格〟が違うので、ほとんど劣化しないはずです。俺がいままで見てきた神器もそうでしたから」
「カッカッカ!」
俺が率直な意見を言うと、源三は豪快に笑った。
自分の膝をペシリと叩いて、
「おんし、音無の坊主より良い慧眼を持っておるのぉ。あの坊主も今回の盗人も、書のほうだけ求めおった。じゃが、これがただの箱じゃと思っとるうちはまだまだじゃ」
「なら……」
「おおっと、ぬか喜びはまだじゃよ。正解は半分じゃ」
「半分?」
「うむ。実はの、書と箱合わせての『聖典』じゃ。どっちにも神通力が宿っておるが、二つ揃って初めて十全に効果がある代物じゃ」
そうだったのか。
盗まれたのが〝偽装品〟だったらと少しは期待したが、結局本のほうも見つける必要があるらしい。
俺は居住まいを正して言った。
「源三さん、その木箱を貸してもらえませんか? そうしたら零の占星術で本のほうも探し出せるみたいなんです」
「……ふむ」
「おじいちゃん、わたしからもお願いします」
萌々香も頭を下げる。
源三はやれやれと肩をすくめた。
「可愛い孫に頼まれちゃ仕方あるめぇな。じゃがその前に楽よ、おんし、クスノキの枝も必要じゃと言わんかったか?」
「はい。なるべく生きてる枝を取ってきて欲しいみたいです。ダメでしょうか?」
「無論本来は許されんことじゃが……ま、事情が事情じゃから見て見ぬフリをしてやるわい。じゃが、どうやって手折る? 一番低い枝でもゆうに十メートルほど上にあって脚立なぞ届かんぞ」
「それは考えてます。できれば丈夫な刃物を貸してもらえませんか?」
「刃物? 何に使うんじゃ」
「もちろん切るんですよ」
俺はニヤリと笑った。
「『刃転』」
地上で刀を振るうと、頭上から枝が一本落ちてきた。
表面は硬く乾いた枝だった。だが綺麗に斬られた断面を見てみると、中は芯が強くしなやかで、生命力にあふれている。
俺が枝を拾い上げたのを見て、源三は目を見開いた。
「おんし、いまのはなんじゃ?」
「刃物の斬線を任意の場所に出現させる神秘術です。武術の遠当てみたいなものですね」
「そんなことができるんか……おんし、何者じゃ?」
「ただの高校生ですよ。刀、お返ししますね」
俺は借りた刀を鞘に仕舞って、源三に返す。
とても軽くて握りやすい打刀だった。おそらく脇差の一種だろう。拝殿の奥で奉られてたし、さぞ銘ある刀に違いない。刀にまつわる物語もある程度は嗜んでいるので聞いたこともあるかもしれないが、いまは俺の好奇心を出すタイミングじゃないことくらいはわかっているので、グッと我慢しておいた。俺えらい。
源三は脇差を受け取ると、
「にしても、やけに刀の扱いに慣れとらんか? かまどのやつに教え込まれたかの?」
「じいちゃんはただの新聞記者ですよ。武芸に精通した友人がいまして、色々使い方を教わってるんです」
「ほぉ。おんしの学校の武芸者ゆうたら、鬼想院のとこのちぃこい娘っ子か?」
「そうです。その鬼塚さんとこの娘さんです」
「なるほどのぉ」
やけに納得顔の源三。
歴史ある神社の家だからか、同じく歴史ある武芸家とも知り合いなのかもしれない。
転生前は周りのことなんてまったく気にしなかったけど、こうして視野を広げてみると色々と繋がりがあるもんだな。
俺もいつの間にか、そのなかの一人になっているようだ。
「そんじゃあ楽よ、約束通り貸してやるわい」
源三は布に包まれた聖典の箱を差し出した。
俺が受け取ろうとすると、
「ただし条件がある。これを返すまでは、萌々香を監視役として隣においておくように。知られてはおらんが、本来は国宝級のモンじゃからのぅ」
「わかりました。なるべく早く――」
「いんや、ゆっくりでええ。おんしの手元が一番役に立つじゃろうて」
それから源三は俺と萌々香を見比べて、なぜか笑みを浮かべた。
「そうじゃ。どうせなら萌々香ごと死ぬまで預けとってもええんじゃぞ? そしたらこの神社も安泰――」
「お、おじいちゃんっ」
萌々香が顔を真っ赤にして遮った。
焦ってそれ以上言葉が出ないのか、手をバタバタさせて拒否の意思を示している。
そりゃよく知らない先輩に嫁入りさせられようとしているから、当然の反応だろう。
「なんじゃ萌々香。せっかくのチャンスじゃろ」
「い、いいもんっ」
「そうかい。そんなら楽、用が済んだらちゃーんと返しに来い。萌々香も連れてな」
「もちろんです。それで源三さん、俺からもひとつ聞きたいんですけど」
「なんじゃ?」
「源三さんは結界士なんですよね? 神社の結界って見せてもらってもいいですか?」
「おんしもできるんかいな?」
「いえ。でもできるようなら、重ねがけしてみます」
「お。そりゃ願ったりじゃわい」
状態保存の結界術はミレニアも得意分野だったが、実際にかける瞬間を見たことはない。
しかも現代日本の神秘術士。同じ神秘術士としては気になるところだった。
源三はすぐに境内の奥へと歩き出した。
しばらく進んで木々のあいま――道のない場所へと入っていき、とある場所で足を止める源三。
そこにぽつんと、膝くらいまでの石が埋められていた。少しだけ周囲と違う。
「こいつが要石じゃ。よおく見てみぃ」
「ん~……あ、霊素が固定されてますね。『情報強化』の応用ですか?」
「うむ。要所の霊素を固定して六芒星の形で繋ぐことで、地脈から漏れ出る霊素を固定化するのじゃ。よほど強い力で干渉されん限りこの境内で神秘術は使えん。ま、おんしほどの術士相手には意味がないようじゃがの」
情報強化を複雑にかけて、術式化しなくても長時間剥がれないように固定させている。一目見ただけじゃ自然すぎて気づけなかったが、これを上から無理やり剥がそうとすると練度の差がなければ不可能だろう。
こんな技術があったのか。ミレニアの結界とは違うだろうが、勉強になるな。
「日本古来から、重要な場所は結界術で守られとる。物理的なもんは防げんが、霊的なもんや神秘術はある程度防げるからのう」
「なるほど」
「おんしもやれるかの?」
「いえ、初見じゃさすがに難しそうです。干渉したら逆に邪魔になっちゃいそうですし」
「そうか……」
「すみません。役に立てなくて」
さっきの魔物は、この結界があってなお召喚されたはず。
だからこそ源三がまた強化して回ったんだろうが……おそらく俺が補強したところで、大規模な召喚は防げないだろう。
なら、
「その代わりと言ってはなんですけど、霊素がよく伝わる素材はありますか? 一番伝導率が高いのは純銀なんですけど……」
「んなモンあるかいな。けど似たモンはなくはない。おんしの術式を書き込むつもりか?」
「はい」
「ならコレを使え」
源三が懐から取り出したのは、短冊のような細長い紙だった。
アニメとかで見たことがある。陰陽師とかが使っている呪符みたいなやつだ。
「霊符じゃ。ここのクスノキから作った霊験あらたかな札じゃぞ? そこらの紙とは霊素の馴染みが段違いじゃ。いっちょ使ってみぃ」
「ありがとうございます」
数枚もらって、霊素を操作する。
確かに純銀ほどじゃないが、かなり効率が良い。
「『閾値編纂』……よし、出来た」
「ほぉ? いまのはなんじゃ」
「認識阻害の術式です。この紙を持っている相手を見ても意識を向けづらくなる効果があります。人間相手には効果は薄まりますけど、動物なんかにはけっこう有効です。もしまた魔物が現れても、これを手放さないで下さい」
かつてロズが使っていた認識阻害のローブ。それを同じ効果の術式を組み込んだ札をいくつか作り出し、源三に手渡した。
異世界ほどではないが、この百舌鳥神社は霊素が強い。俺がいないときにまた魔物が召喚される可能性もあるので一応保険だ。
とくに百舌姉はトラウマがあるだろうしな。
「ほぉう。おんし、ほんにすげぇの」
「それほどでも。家族分はこれで足りますか?」
「うむ。助かるわい」
これくらいで聖典の代わりとは言えないが、多少なりとも借りは返せただろうか。
聖典の箱に、古樹の枝。
ひとまず零のおつかいミッション達成だな。
「じゃ、学校に戻るか萌々香さん」
「はい」
俺たちは源三に挨拶を告げて、踵を返したのだった。
思ったより時間がかかったので、萌々香と商店街の喫茶店で遅めの昼食を済ませてから、学校に戻ってきた。
やや日も傾き始めていたので、生徒たちもかなりまばらになっている。
俺たちは校庭で活動する運動部の声を聞きながら図書室に戻った。
するとそこで待っていたのは、予想外の二人だった。
「ようやく戻ったか。遅かったね、七色」
「やあ七色くん。音無くんのおつかいはうまくいったかい?」
背の高いポニーテール美人に、小柄な美少年。
どっちもさっきはいなかったやつだ。人見知りの萌々香が、素早く俺の後ろに隠れていた。
美人のほうは九条愛花。
小柄な美少年のほうは、見たことがあるけど誰かは思い出せない。
「九条と……すまん誰だっけ?」
「四葉だよ。クラスメイトの」
ああ、名探偵という噂の四葉幸運か。
零の占い屋の常連だったやつだ。しかも、わりと切羽詰まった理由で。
「悪い。顔を憶えるのが苦手でな」
「気にしないで。誰だって苦手なことのひとつや二つあるもんさ」
「助かる。それでなんで二人がここに? 零や一神たちは?」
「一度家に帰ったよ。僕たちが留守番ってところさ」
「そうか……というか、おまえたちは何か聞いてるか?」
零と萌々香以外には、転生のことは伏せてたはず。別段絶対に内緒ってわけではないだろうが、普通は信じられるような話ではないし、ややこしくなるからな。
すると九条が肩をすくめながら、
「音無の占いで、あたしたちみんな明日死ぬって結果が出たんでしょ? まだ半信半疑ってとこなんだけど、あの音無の言うことだからね。あずさもつるぎも完全に信じて動いてたし、一応、親友としてはあの子たちの不安は取り除いてあげたいって思ってさ」
「僕もそう聞いたよ。だからぜひとも協力を申し出たのさ」
転生のことは伏せているらしいが、死の運命については伝えたようだ。まあ四葉はともかく、九条は一神と鬼塚の親友だし、黙っているのも変だろうからな。
それにただの占いなら説得力は低いが、他ならぬ零の言葉なら一概に否定できないだろう。この学校の生徒ならなおさらな。
「そうか。それでなんで他のみんなは家に帰ってるんだ?」
「これから長丁場になるらしいよ。音無くんの占いで重要なアイテムを探すんでしょ? それと、未来を変えるための儀式もやるんだって? その準備が夜通しかかるかもしれない、とも言ってたから、色々と準備しに帰ってるんだよ。でも卒業式前日にこんなことが起こるなんて、なんだか面白いね」
ワクワクした表情の四葉。
そういや謎解きゲームとかが好きだって言ってたっけ。自分が死ぬかもしれないって言うのに、現実味がないのか、あっても楽しめる性格なのか……たぶん後者だな。
「あたしたちは先に準備してきたけど、七色も準備してくるように連絡来てない?」
「あ~……連絡か」
スマホは年がら年中マナーモードなので、通知は来ないようになっている。
チェックしてみると、確かに零から音声メッセージがあった。俺と萌々香あてに、一度帰って身支度を整えてから夕方に図書室に再集合、とのことだった。
それと何人か追加で協力者が来るが、転生関連や世界線のことは念のため言わないように、とも。九条と四葉のことだろう。
「一時間前くらいに連絡来てた」
「そう。じゃあ帰る?」
「……いや、面倒だから良い」
俺の家までは歩いて二十分。往復と身支度で一時間はかかるだろう。
萌々香とは離れて行動できないので、俺の家まで付き合わせることになる。さすがに後輩を連れて歩き回るのもなんだし、とくに準備したいものはない。
動かずに待っていることに決めた俺は、遠慮なく近くの椅子に腰かけておいた。萌々香にも帰って準備をするか聞いたら、「大丈夫です」と俺の隣にチョコンと座った。
「ねえ七色、その子誰なの?」
「二年生の百舌萌々香。人見知りだからあんま見てやるな」
「ふうん。百舌ちゃん、一応自己紹介しとくね。あたしは九条愛花でこっちは四葉幸運。二人とも七色のクラスメイトだよ」
「も、百舌萌々香、です……」
やはりコミュ障。俺の陰に隠れようと必死だった。
その様子を見た九条は、目を細めた。
「ねえ七色。あんたあずさとつるぎとなんかあった?」
「なんかって?」
「いつの間に親密になってない? とくにつるぎ。あの子、あんたのことやたら気にしてたけど、なんかあった?」
「さあな。クラスメイトだから色々と心配してくれてるんじゃないか? 卒業間近だし、俺みたいな日陰者とも仲良くしておこうって気になったんじゃないか?」
「それだけじゃなさそうな気がするんだけどさ。なんか、こう……あずさに近い雰囲気もあったし」
睨んでくる九条。勘の鋭いやつだ。
とはいえ言う義務もないので、肩をすくめてスルーしておく。
九条は〝三女神〟のなかでも一番大人だから、話そうとしない俺に無理に質問攻めはしてこなかった。
と、会話が途切れたタイミングで、四葉が話しかけてきた。
「僕もちょっと意外だったよ。七色くん、こんなに話しやすかったんだね。失礼だけどさ、音無くんとしかまともに話してなかったし、会話のキャッチボールがすごい下手なんだろうなって思ってたんだよね」
「それあたしも。こんなに自然に話せるとは思わなかったよ」
まあ、元々は萌々香並みのコミュ障だったからな。異世界でけっこう鍛えられました。
というか、俺の感覚としても初会話の四葉はともかく九条は以前よりも話しやすくなっている。なんというか、そこまで久々じゃない気がするというか、呼吸や会話のリズムがわかるというか……なんでだろう?
「ねえ七色。せっかくだから頼みたいことがあるんだけどさ」
「なんだ?」
「大学、あずさと同じでしょ? あの子めちゃくちゃ美少女だし、真面目で頭も良いけど抜けてるところも多いからさ、悪い男に騙されたりしそうじゃない? 大学の先輩とか、誘われたら断れなさそうだし」
「そうだな」
「だから大学行ったらなるべく気にかけてやってくれない? しばらく一緒に行動してあげてよ」
なんかデジャブだ。転生する前にもこんな会話をした気がする。
そのときはなんて答えたっけな。
まったく思い出せないが……まあ、それくらいはかまわないだろう。
「わかった。いいぞ」
「え、いいの?」
なぜ驚く。おまえが言ったんだろうが。
「一神はお人好しだからな。完璧に見えて隙も多いから、親友として心配なんだろ?」
「そうそう。あずさのことわかってるじゃない」
「俺も一神には昔から世話になってるしな。あいつが望むなら、虫よけくらいにはなるように努力しておくよ」
「……そっか。じゃあ、これからもあずさのことよろしくね!」
九条は嬉しそうに笑うと、俺の肩をバンバン叩いてきた。痛い。
知らない他人に触れられるのは好きではないが、姉御肌な九条のコミュニケーションに対しては、なぜか嫌悪感はなかった。
一神のことはともかく。
なんとなく、いまの俺なら九条とは仲良くやれそうな気がした。




