帰郷編・8『三年二組・七色楽』
ふと、視界が明るくなった。
まどろみから醒めたときのように、ぼんやりしていた思考がクリアになっていく。
目を開く前に、聞き憶えのある声が聞こえた。
「――それと桜木、今日中に机の中の怪しい薬品は全部回収しておけよ~」
「はーい」
……眩しい。
窓から差し込む太陽の光に照らされていた。
薄く開いた視界の前で、窓の隙間から吹き込んだ風が、ベージュのカーテンをゆらゆらと揺らしている。
「明日の最後のホームルームは朝九時から始めるからな、遅刻はするなよ。それじゃあ解散」
懐かしい匂いだ。
そんなことを思っていると、膨らんでいたカーテンが目の前で萎んでいった。
教室だった。
俺は高校の教室にいた。
黒板には大きな文字で『卒業まであと1日!』と書かれてあり、ちょうど、担任の先生が教室から出て行くところだった。
……えっと、なんだっけ?
確か、そう、ついさっきまでインワンダー獣王国の闘技場にいたはずだった。
夢でも見てるんだろうか……。いや、違う。
「夢じゃない」
現実だ。
そう自覚してつぶやいた瞬間、俺は自分の声に驚いてしまった。
低かった。
声が、低いのだ。
つい自分の喉を触る。
ごつごつした男の喉だった。手も大きく、腕も長い。とても懐かしい感覚が、体に戻っていた。
俺はまじまじと手を見つめる。
制服の長袖が、少しだけ短かかった。親が入学時に成長を見越して買ってくれたものだったけど、予想より背が伸びて最後の半年くらいはブレザーが窮屈だったっけ。
懐かしい思い出だった。
……なんにせよ。
「俺は戻って――」
「戻ってきた! 戻ってきたぞぉおおおお!」
絶叫が、教室の前方から聞こえた。
立ち上がってガッツポーズを浮かべていたのは、長身の優等生――五百尾憐弥だった。
成績優秀で性格も良好、いつもクラスをまとめていたリーダー的存在の男だ。
その憐弥は涙すら浮かべ、斜め後ろの席にいた小柄な少女に駆け寄った。
「寧音! 俺たち、俺たちやったんだ……やったぞっ!」
「ど、どうしたの?」
対して少女――綿部寧音は困惑していた。
そう。
まるで何も憶えていないようで……。
「え? おい寧音……?」
「どうしたの憐弥くん? 何かあったの?」
「何かって……まさか、憶えてないのか……?」
「なにを?」
キョトンとして首をかしげる綿部寧音。
みんなが帰ろうとしているところだった。教室に残っていた面々は、いきなり叫んだ憐弥に視線を注ぐ。不思議そうな顔をして。
憐弥はひとりで困惑していた。
……この状況、つまり……。
周囲の分析をしていると、俺の背中を後ろの席からツンツンとつついてくるやつがいた。
「七色くん」
サーヤ――いや、違う。
一神あずさだった。
文武両道の優等生。見た目から中身まで正統派の美少女であり、特に非の打ち所がないと言われていた〝三女神〟のひとりだ。
かつては、まるでクラスメイトに関わろうとしない俺のことでも面倒を見ようとする変わったやつだと思っていたが……いまとなっては、その理由も知ってしまっている。
そんな一神はじっと俺の目を見つめて言った。
「あっちのこと、憶えてる?」
「ああ」
俺は迷わずうなずいた。
一神は少しほっとしたような表情になり、俺の隣の席の小柄で不愛想な美少女――鬼塚つるぎにも目配せをする。
鬼塚もコクリとうなずいてから、
「そういえば、地味男はこんな顔だったです」
「地味男言うな」
相変わらず口の悪いやつだ。いや、こっちの鬼塚とは喋った記憶はないけどな。
とにかく、俺たち三人は憐弥と同じく記憶を保ったまま、前世に戻ってきてしまったようだ。
本来、俺とサーヤとナギは逆転生するつもりはなかったが、どうやら何かの理由で巻き込まれてしまったらしい。
ナギ――鬼塚は俺の肩に触れるくらいに椅子を寄せてきて、ジト目で睨んでくる。
「で、何があったです? どうしてナギたちまで日本に?」
「俺にもわからん」
発動の直前、儀式陣がいきなり巨大化したところまでは記憶にある。
とっさに『領域調停』で全員を守ったつもりだったが、俺たち三人も巻き込まれてしまったんだろう。
とはいえ俺たちというイレギュラーが生まれたが、逆転生の儀式自体は成功したようだ。もちろん綿部寧音などに記憶の欠落があり、完璧とは言えないようだが。
「い、いやなんでもないよ寧音。徳間たちも何か憶えて……いや、なんでもない。ちょっと寝ぼけてたみたいだ。気にしないでくれ……」
憐弥の様子を見るに、マグー帝国で匿っていた仲間たちは全員記憶をまるっと失っているらしい。
嬉しいようで、寂しいような表情の憐弥だった。
なんだか可哀相だな。あとで声をかけておこう。
鬼塚も憐弥の様子を見て俺の耳元に口を近づけ、
「ナギたちはルルクのおかげで記憶も保ててる感じです?」
「どうだろうな。俺のスキルは『女神の涙泉』であいつら全員にもかけてたはずだけど」
「そのあたりは他にも記憶がある人がいるか探ってみましょ。それとつるぎ、いまは七色くんでしょ。ちゃんとこっちの名前で呼ばなきゃ……そ、それか私たちは『楽くん』って呼んだ方がいい?」
一神が少し恥ずかしそうに言った。
確かに、この平々凡々な容姿で〝ルルク〟は似合わなさすぎる。
鬼塚は種族が変わっただけで背も愛嬌もナギそのまんまだけど、俺と一神は年齢も顔もかなり違うから違和感だし、何より記憶がない他のクラスメイトに説明ができない。
「俺はなんでもいい。一神に鬼塚」
「ならつるぎは地味男に統一しておくです」
「わ、私はやっぱり七色くんにしとこうかな……それでつるぎ、いつまで七色くんにくっついてるの?」
一神がまだ俺の肩に手を置いてる鬼塚を睨んだ。
鬼塚は一瞬きょとんとしてから、ニヤリと笑みを浮かべた。
「そういえばそうだったです。あずさは地味男が初恋の相手だったです」
「ち、ちがうもん! 七色くんも聞いちゃダメ!」
「いい加減認めたらどうです? 授業中も後ろの席からずっと見つめてたです」
「見てないから! 七色くんの背が高いのが悪いの! もうちょっと縮んで七色くん!」
いや無理だから。
そんな風に冗談を言い合っていると、近くの席を立って近づいてくるイケメンがひとり。
「おい七色。お前、なんか今日調子ノッてね?」
元サッカー部のキャプテンこと雰囲気チャラ男だった。
俺は片手を上げて挨拶しておく。
「よう山伏」
「山柿だ!」
あ~そうそう、コレだよコレ。
山柿でしか得られない栄養がある。
「いつまで名前憶えねえ気だよ!」
「冗談だって山柿。それより山柿……」
「言えんじゃねぇかよ。で、なんだ?」
「……いや。元気そうで何よりだよ」
あっちの世界の記憶はなさそうだが、懐かしい顔を見て少しだけ安心した。
山柿が抱える事情も知ってしまったいまは、二度と顔も名前も忘れられない相手だろう。どんな思惑があったとしても、高校生活の間、俺のことをずっと気にかけてくれていた相手のひとりなのだから。
あ、そういえば無事に戻れたらニチカにアクセサリーを買って帰らないとな。
「んだよ気持ち悪い……で、なんで鬼塚とそんなに仲良さそうなんだよ」
「は? 別に地味男と仲良くなんてないですが? おまえの目は節穴です?」
「あ? べったりくっついて説得力ねぇよ。せめて離れてから言えよ」
「そ、そうだよつるぎ。高校生なんだからもっと適切な距離感が……」
「はぁ……嫉妬と嫉妬でめんどくさいです。地味男、今度からモテ男って呼ぶべきです?」
「やめてくれ」
そんなことよりも。
「一神、鬼塚、なるべく早く話がしたい。憐弥も呼んで四人が良いと思う」
「そうね。そうしましょ」
「ってことで山柿、俺たちはちょっと野暮用があるからまた明日な。気をつけて帰るんだぞ」
「お、おう……?」
どことなく面食らった顔の山柿だった。
俺が憶えている限り、俺はこんなに誰かと喋るようなキャラじゃなかったから違和感があるのかもしれないし、物語のこと以外で自分から要求を伝えることもしなかった。
山柿は首をかしげながらも、気圧されたのか大人しく鞄をかついで教室を出て行った。
あとは――
「ねえあずさ、つるぎ。さっきから七色どうしたの?」
ポニーテールを揺らして歩いてくる、九条愛花だった。
三女神で一番背が高く、クールな美人で人気も高かった姉御キャラだ。
ときどきポンコツになる一神と違い、常にテンションが一定。取り乱すことも顔を赤らめるところも見たことがない。
……あれ? なんか不思議と久々に会った感じがしないな。まあ気のせいだろうけど。
そんな九条は俺の顔を覗き込みながら、
「なんか変わったよね? 昨日までは他人に興味ありませんって顔してたのに」
「ねえ愛花。そんなことより、何か憶えてる?」
「何が? あたし、なんか忘れ物した?」
「……ううん、なんでもない」
にっこり笑った一神。
心なしか、その笑顔の奥に一抹の寂しさがある気がした。
「それでね愛花、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「何?」
「卒業式の後の打ち上げのために、お店の内装とか飾り付けていいか確認して来てもらってもいい?」
「そんなのみんなで聞きに行けばいいじゃん。隣でしょ」
「えっと……ちょっと私は七色くんとお話があるから……」
「……ふーん。そういうことならがんばって」
何を勘違いしたのか、ニヤニヤして一神の肩をぽんと叩いた九条。
「じゃあつるぎ、行くよ」
「先に行ってるです。つるぎも五百尾に話があるです」
「え? あそこは寧音の独占物件でしょ? やめときなって」
「何バカなこと言ってるです。ほら、さっさと先に行くです」
あからさまに不機嫌な顔で九条を教室の外に押しやった鬼塚。不承不承、先に出て行った九条だった。
気づけば教室に残っているクラスメイトも少なくなっていた。
九条がいなくなると、一神と鬼塚は頷き合って、
「五百尾くん。ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「悪い、いまそれどころじゃ――」
と言いかけた憐弥は、教室の隅に残っている俺に気が付いてハッとした。
「……悪い寧音。ちょっとここで待っててもらっても良いか?」
「え、うん」
まさか、という表情を浮かべてこっちに近づいてくる。
「七色……それに一神に、鬼塚。お前たち、まさか……」
「ああ。俺たちは憶えてる」
「っ!?」
息を呑む憐弥。
俺は立ち上がり、
「詳しいことは静かなところで話そう。ちょうどいい場所を知ってるから」
クラスメイトで唯一記憶がある逆転生者――俺たち四人は、教室を後にしたのだった。




