帰郷編・3『残魂の少年』
ネラーの家は、ごく普通の一軒家だった。
だが俺は家の中に入って、しばらく言葉が出なかった。
この世界の普通の家ではない。
現代日本の家だったのだ。
広々としたカウンターキッチンを備えたリビングに、シアターラックに液晶テレビ。壁にはデジタル時計、床には高級そうな絨毯。
木製のテーブルや椅子は再現できるとしても、機械や文芸品はあきらかにおかしい。
俺は戸惑いながら、先にソファに腰かけたネラーに声をかける。
「すごいな……どうやってこんな家建てた? テレビはどこから持ってきたんだ?」
「なんてことはないよ。ただここに建っていることにしただけだよ。恥ずかしながら四葉幸運の実家そのものだけどね」
あっけらかんとしたネラーだった。
建っていたことにした、か。
俺はその言葉でようやく確信を得た。
「それがおまえの力……〝真実〟を司る権能か?」
「さすが〝神秘の子〟だ。鋭いね」
やはり。
原理はさっぱりだが、こんな芸当ができるのは神の権能以外に考えられないからな。
「つまりこの家も幻ってことか?」
「少し違うけど、まあ似たようなものだね。世界がこの家を真実として認識しているあいだは本物と同じように触れられるってだけさ。まあ僕の権能が生み出している以上、テレビは僕が知ってる番組しか映らないけどね。レパートリーが少なくてつまらないから最近は観てないけど、君も観てみる? 懐かしい番組も流せるよ」
「いや、テレビは興味ない」
「だと思った。相変わらず本ばっかり読んでるの? 少しは他の娯楽にも目を向けた方が良いよ」
ケラケラと笑うネラーだった。
霞王。
情報屋ギルド総帥。
そして、第4神の使徒か。
いままで出会った転生者のなかでも圧倒的に多い肩書を持っている。俺の『神秘之瞳』でも鑑定できないから、騙されてるってことはないだろう。
とはいえネラーはその力を必要以上にひけらかすことなく、正面のソファを指した。
「君も座りなよ。コーラでも飲む?」
「コーラも偽物だろ?」
「味は本物さ。まあ僕の権能だし、飲んでも消えるから水分補給には向いてないけどね」
「なら遠慮しておく」
なんかちょっと怖いし。
「他にはどう? 前世で懐かしみたいものとかあれば出してあげるよ。僕が知ってる範囲でだけどね」
「いらん。それより本題に入っていいか?」
「もう? せっかちだね」
唇を尖らせるネラー。
元クラスメイトだけど、昔話ができるほど知り合いってわけでもないし、何よりネラーが俺の味方とはまだ判断できないのだ。特にいままで出会った使徒はみんな曲者揃い。
それに転生者といえど、【悪逆者】の可能性もあるのだ。
これまでの経験上、警戒は必要だった。
「ま、いっか。それで君が僕を訪ねた理由はなに?」
「クラスメイトかの確認と、伝言だな」
「伝言って誰から?」
「レンヤ」
「ああ……五百尾君か。こっちじゃ帝王レンヤだっけ? 彼がなんて?」
当然知っているらしい。
俺は躊躇わずに言った。
「『一緒に日本に帰る気はないか?』だってさ。レンヤが数日内に逆転生の儀式を執り行うから、希望者がいれば前世に連れて帰るんだって張り切ってるんだ」
「あ~なるほどね。それでわざわざ来てくれたんだね」
うんうんと頷いたネラー。
しかし、回答はシンプルだった。
「僕は日本に帰れないからパスするよ。悪いねルルク君、わざわざスゴイ額払って訪ねて来てくれたのに、あっさり即答しちゃってさ」
「いや、俺は別に構わな……」
ん?
待て、いまなんて言った?
「帰れない? 帰らないんじゃなくて?」
「うん。だって僕、もう死んでるからね」
サラっと、とんでもないことを口にしたネラー。
……何を言っているんだ?
どう見ても生きているし、俺と会話もできているだろう。
創造神の使徒だからか鑑定は通じないが、もし死霊だとすれば魔物に魂が変質しているはずだから、そのまま権能を使えるとは考えづらい。
だが冗談を言っているとも思えない。
「説明してくれるか?」
「もちろん。僕は魔族として生まれ、幸運にも〝真実〟の権能を授かった。だけど僕が十二歳のとき、身内に殺されちゃってね」
「十二歳で……?」
「だけど死ぬ瞬間、幸運にも権能が発動してね。僕が死ななかったことになったのさ。とはいっても本当の僕はそのとき死んだから、この権能を解除すればそのまま消えてしまうのさ。つまりすでに死んでいるはずの魂が、権能によって世界に繋ぎ止められている状態なんだよ。ゲームで言うバグみたいなもんさ。ほら見て、権能弱めたら体が透けるでしょ?」
「本当だ……」
半透明の幽霊みたいになったネラー。
俺は何を言っていいかわからなかった。
神の権能ゆえに起きたバグ的な存在。
そう自称するネラーの瞳は、しかし、驚くほど澄んでいた。
「だから戻ろうとした途端に僕は死ぬはずだよ。ま、もう死んでるんだけどね」
「……そうか」
「誘ってくれたのは嬉しいよ、ありがとうルルク君。そもそもこの家に誰かが来たのも千年くらいぶりだから、こうして面と向かって話せること自体が嬉しいんだけど」
「は? 千年?」
「うん、千年」
「……そもそも何年生きてるんだ?」
「うーんと、ざっと二千年くらい生きてるかな。ま、もう死んでるけどね」
そんなに長くこの世界にいたのか。
俺が知っている限り、一番古い時代の転生者だ。二千年と言えば、マタイサ王国やマグー帝国が建国した頃だろうか。
つまりネラーは人族の歴史をずっと見てきたことになる。
「驚くよね? でも意外と二千年なんてすぐだったよ」
「そうなのか。退屈じゃなかったのか?」
「この世界は刺激に溢れてるから全然。それに情報屋ギルドを作ってからは特に退屈しなくなったね。ここにいるだけで色んな情報が集まってくるし、その数だけ真実が隠されているからね」
「真実が……」
「うん。僕はねルルク君、色んな真実を知ることが何より楽しいんだ。生き甲斐と言っても良いくらい……ま、もう死んでるけどね」
屈託のない笑みを浮かべるネラーだった。
そう言われてたら俺も納得する。物語と違って、真実はこの世のすべての事柄に存在している。そのすべてを解き明かそうなんて、終わりの見えない大迷路で遊ぶみたいなもんだろう。
確かに、それならどれだけ遊び尽くしても遊び足りないだろう。
最近新しい物語を見つけられていない俺は、ほんの少し、ネラーの嬉しそうな顔が羨ましくもあった。
「……ま、そっちが楽しいなら良かったよ」
「はは、君の口からそんな台詞が聞けるとは思わなかったね。前世では周囲のしがらみにはさほど頓着しなかった君が……なんだか雛鳥の巣立ちを見ている気分だよ。音無君が聞いたら驚いて立てるようになったりしてね」
「そんな驚くか? あいつは腐れ縁だから一緒にいただけだし、俺のことなんて世話焼いてくれる便利な幼馴染くらいにしか見てないぞ」
「へぇ、君からすると彼はそう見えたんだ? 僕からだと、君がいないと何も出来ない幼い子どもみたいに見えたけどね」
「あいつが? 確かに身体的なハンデはあったけど、あらゆる面で天才だっただろ。俺なんかいなくても何でもできたぞ」
難病により下半身は動かなくなったし、生まれつき目は視えない。
だが頭脳は誰よりも明晰で、考え方も何百年も生きた魔女のようだった。
少なくとも、俺に依存していたなんてことはあるまい。
「……ま、君の鈍感さはいまに始まったことじゃないか。それよりルルク君、せっかく来たんだし何か聞きたいことはあるかい? 情報屋ギルド総帥として、〝あらゆる真実を識れる者〟として君の好奇心を満たしてあげようじゃないか」
ソファにふんぞり返ったまま手を広げたネラー。
そりゃ知りたいことは山々あるけれども。
「無料ってことはないだろ? ここに来るためにヘソクリ使ったから、あんまり手持ちはないんだよな」
「そういえば十億ダルクを交渉なしでポンと払ったんだって? 随分と気前がいいじゃないか」
「え? もしかして値引きとかしてよかったのか?」
「そりゃ交渉は基本でしょ。え。まさか交渉前提の値段だってことは考えもしなかったの? 十億ダルクが適正価格だと思ったの?」
「……い、いや知ってたさ。俺は気前が良い男なんだ」
「あははは、君、本当に七色君そのままだね」
ケラケラと笑ったネラー。くっ、見透かされている。
なんか恥ずかしくなってきた。やはり交渉事はサーヤやリリスに任せるべきだったのだ。次からは絶対交渉のテーブルにつかないぞ……!
顔から火が出そうになったが、俺の『冷静沈着』が仕事をしてくれたので表情はピクリとも変えずに肩をすくめておいた。
「今回は勉強料とでも思っておくよ」
「太っ腹。さすが天下のSSSランク冒険者だ」
「だからまあ、端的に言えばギルド総帥が提供する情報なんてホイホイ買えるような貯金は残ってないんだ」
「そっか~」
ネラーは少し残念そうにしたが、何かを思いついたのかポンと手を叩いた。
「そうだ。君たちには借りがあるから、ひとつだけサービスしてあげるよ」
「借り?」
そんなものはなかったはずだが。
「君たちというか……厳密に言えば〝君の仲間たちとの縁〟にだね。ぶっちゃけると賢者ミレニアへの大きな借りだよ」
「ミレニアへの借りか。説明してもらっても?」
「単純な話さ。僕は権能で存続している魂の残滓。つまり、この権能を解除されてしまったら跡形もなく消えてしまう。もちろん創造神の権能を打ち消すことなんて並大抵なことではできないけど……ひとつだけ、それを容易く可能にする武具がある。君もよく知っているでしょ?」
どれほど高位の権能だとしても、スキルだとしても、あらゆる効果を打ち消す武器か。
思いつくのはひとつしかない。
「『凶刀:神薙』か?」
「そのとおり。その凶刀、元々はどこにあったか知ってるかい?」
「確か、ナギの兄様が魔族領の奥から拾って来たって……」
「そうだね。だけどその前は〝律滅の翼〟が持っていたものなんだ。賢者ミレニアとその仲間が、律滅のやつの尾から切り離して落とした。ナギ君の兄が拾いに来るまでは、ずっと地面に刺さってたんだよ」
そういえば、ミレニアの記憶で見た気がする。
あの死闘のときに一矢報いて切り落としていたのが、『凶刀:神薙』だったのか。
そして数百年経ってから、兄様がそれを見つけてナギの手に渡った、と。
ネラーは深く頷いて、
「僕は権能そのものだ。物理的な肉体もなければ、本来すでにこの世界に存在していない者でもある。生存欲はあまりないけど、消滅するのはさすがに嫌だ。僕は二千年間、この権能すら軽く消滅させることができるあの禍々しい武器から――律滅のやつから逃げて生きていたのさ。その脅威を取り除いてくれたのが、賢者ミレニアなんだ」
ま、もう死んでるんだけどね、と付け加えたネラー。
「こうして魔族領で優雅に家を建てて暮らせてるのも彼女のおかげってわけさ。だからその借りを返そうと思ってね」
「なるほどな。そういう事情があったのか」
ならミレニアの役に立てる情報をもらっておこうか。
ということなら、聞きたいことはひとつしかない。ミレニアが長い間探し求めている情報といえば、この世界の秩序を守るために必ず見つけ出さないとならないものの手がかりだ。
「じゃあ教えてくれネラー」
「なんだい?」
首を傾げるネラーに、俺は、迷わず聞いた。
「〝世界樹の扉〟は、どこある?」




