帰郷編・1『エデンの果実』
時間という概念は、とても不思議なものに思える。
なぜか俺たち人間には「現在」しか観測できないようにできている。
「過去」も「未来」も、それそのものを知ることは到底できない。
写真や動画や記憶はあくまで過去を記録した現在であり、予言や予知も未来を予測している現在にしか過ぎない。
時を遡るなんて、神にしか許されない御業だろう。
だが、もし。
人の身でそれを覆せるとするなら、どうする?
もし過去に戻れるとすれば、俺は何を願うのだろう?
大事な師を失わないようにする?
強くてニューゲーム?
……いいや、過去は過去だ。
すでに起きたことをやり直してしまったら、乗り越えてきたことがすべて水泡に帰してしまうだろう。出会うハズだった仲間たちにも出会えなくなるかもしれない。
だから時を戻すなんておこがましいことは考えたこともなかった。
そう、いままでは。
「頼むリリス!」
俺たちが泊っているインワンダー獣王国の高級宿。
そのリリスの部屋だった。
俺はそこで両手を合わせ、頭を下げていた。
「お兄ちゃんからの一生のお願いだ!」
合わせた手を頭の上に掲げ誠心誠意を尽くして頼み込む、ルルク流お願い術・壱の型〝一生のお願い〟。
これを見た相手はなぜかお願いを聞きたくなるという、人心掌握術を極めた技のひとつ。
そんな秘技を披露した俺は、チラッと視線を上げると、リリスは顔を曇らせていた。
「リリとしてはお兄様の言うことはなんでも聞いてあげたいのですが……」
「ありがとうリリス! じゃあ早速――」
「いえ、まずは正直に話したほうが長い目で見て得策かと」
くっ、理性が強い。
ここはもう一押しが必要か。
「そこをなんとか! お願い聞いてくれたら……よし、リリスの言うことなんでも一回聞くから!」
「……なんでもですか?」
ぴくりと耳を動かしたリリス。
ルルク流お願い術・弐の型〝なんでも聞く〟まで持ち出してしまったが、背に腹は代えられない。
終の型〝アクロバティック土下座〟は本当の最終手段なので、なるべくここで決着をつけておきたいのところだ。
リリスは涎を垂らしかけて、ハッとした。
「で、ですがサーヤお義姉様なら、失敗は誤魔化すよりも正直に謝ったほうが心証は良いですよ? お義姉様は優しいので、正直に言えば怒られはしないでしょうし」
「……たしかにそうかもしれない。けどリスクを背負ってでも最善手を打つのが冒険者ってもんじゃないか? そう、これは誤魔化すんじゃない! 最善の方法を選んでいるだけだ!」
「確かに確実にバレてしまうとは限りませんけど……」
「だろ? だから貸してくれ、例の時間逆行できる魔術器!」
俺がリリスに貸してもらおうとしているのは、中に入れた物体の時間を巻き戻す箱型魔術器『クロノスハンズ』。
リリスが造り出した数少ない神話級の魔術器だ。
そして俺の手には、一枚の赤い服があった。
サーヤが実家から持ってきたお気に入りのドレスだ。
今朝、俺たち【王の未来】は女王から国を救った褒賞を受け取るため、王城の式典に参加していた。
その式典のあとの立食パーティーの最中、サーヤがうっかりドレスに飲み物をこぼしてしまい、大きな染みをつくってしまったのだ。式典後すぐに用事があって出かけたサーヤに、「俺に任せろ」と染み抜きを安請け合いしたんだが、前世の服の知識をもとに染み抜きをしたところ、その部分だけ変に色が落ちてしまったのだ。
そう言えばこの世界の服、化学繊維じゃなかったの忘れてた。
一応、染み抜きした部分を『変色』の神秘術で変えてパッと見は色落ちは消えたものの、見る角度によって色が変わってしまったのだ。
同じ赤色に変えたはずなのに……と何度『変色』を使ってもうまく色が馴染まずに困っていた俺。しばらく試行錯誤していたら、脳内の関西人マダムが囁きかけてきたのだ。
『知ってる? 赤って二百色あんねん』
……うん、こりゃ俺には無理だ。
俺はそう判断してリリスに泣き寝入りをしているのであった。
「正直なところ、このドレスサーヤのお気に入りだったみたいだし、バレるとか以前になんとか元に戻してやりたいんだよ」
「そうですか。確かにリリが初めてサーヤお義姉様にお会いした王城のパーティでも、そのドレスをお召しになってましたものね」
「王城のパーティ? なにそれ」
「じつは初めて王都に来た9歳の頃、第三王女殿下の成人のお披露目会があったんです。そこで粗野な男の子たちに絡まれていたところ、お義姉様に助けていただいたのです。サーヤお義姉様はあのとき助けた気弱な子どもがリリだと気づいておられませんでしたが、リリはルニー商会でお会いしたときにすぐに気付きました。あの頃からサーヤお義姉様はサーヤお義姉様でした。カッコ良かったです」
うっとりとして言うリリスだった。
そうだったのか。昔、助けてもらったことがあったからリリスはずっとサーヤにべったり懐いていたんだな。ようやく納得した。
まあ、とにかく。
「ってことで頼めないか? 一時間くらい戻したら元の色に戻るはずなんだ。なんでも言うこと聞くからさ~」
「わかりました。その条件でしたらリリも共犯に――」
「ルルクがなんでも言うことを聞くです? 良い話を聞いたです」
「「ナギ」さん!?」
いつの間にか、リリスの部屋に入ってきていたのはナギだった。
ニヤリと笑みを浮かべ、
「サーヤに知られたくなければ、ついでにナギの言うことも聞くです」
「おいてめぇ悪魔かよ」
「その通り悪い魔族ですが?」
「てか、サーヤたちについていったんじゃなかったのか?」
てっきりサーヤとレンヤと一緒に、ハートハットのレストランに行ったのかと思っていた。
前世に戻れるとしたらどうするかを聞きに、元クラスメイト――小早川玲に会いに行ったのかと。
「ナギはそれほど玲と仲良くなかったです。あっちは元クラス委員長ふたりに任せるです」
「そうか」
ちなみに来訪したレンヤも、この同じ宿に滞在している。
もちろん目的は『数秘術6』を持っている女王の力を借りるためだ。
俺の〝境界〟。
聖女の〝時間〟。
女王の〝超越〟。
レンヤ曰く、この三つの権能を司る数秘術を合せると、どうやら前世に戻れる条件が揃うらしい。
とはいえ女王も国のトップだ。レンヤがいくら帝王だからといって軽々しく会えるような相手じゃない。しかもあいつ、密入国してるし。
一応、女王には俺たちから事情を話してみたところ、二日後の夜に密会できるよう手配をしてくれるらしい。それまでレンヤも俺たちと過ごしていた。
そのあいだに手分けして、思い当たるクラスメイト全員に声をかける予定なんだが、俺にも一人だけクラスメイトかもしれない相手がいたことを思い出したのだ。
「それよりルルクも思い当たる人がいるって言ってなかったです?」
「まあな。でも知り合いじゃないし、生きてるかもわからないから、いまはリリスの情報待ちなんだよ」
「誰です?」
「情報屋ギルドの創設者」
「情報屋ギルド? なぜです?」
「ギルドのマークがリンゴの形だから」
「それがどうしたです?」
首をひねるナギ。
情報屋ギルドの看板にもなっているマーク。
円の上にチョコンと枝と葉がついている記号だった。パソコンの電源ボタンとリンゴの形をミックスしたデザインと言えばいいだろうか。
「知識や知恵を扱うギルドの象徴が、リンゴの形なんだぞ? この世界でリンゴと知恵が関わるエピソードはないだろ。俺たちの世界では有名な一説だったけどな」
「旧約聖書の『楽園の果実』の話です?」
「ああ。その禁断の実がリンゴだったっていうのは一説でしかないんだけど、日本では当たり前のようにリンゴって扱いになってただろ? だから知恵=リンゴってイメージそのものが転生者特有の認識なんだよ。しかもそれが電子機器の象徴と混ざってるんだから、ほぼ確実にそのマークをデザインしたのはクラスメイトだと思うんだよな」
「ははあ、なるほどです」
ただ問題は、俺は情報屋ギルドのことを何も知らないってことだ。
だからリリスに今朝から調べてもらっているんだが……。
「お兄様、ちょうどコネルから連絡がありました。情報屋ギルドが、創設者の情報取引に関して交渉に応じてくださるそうです。聖教国支部で承る、とのことです」
ちょうど共話石で通信があったらしい。タイミングばっちりだ。
しかも聖教国支部ってことは、前に行ったところだ。
「じゃあすぐに行くって連絡しておいてくれ。リリスたちも来るか?」
「いえ、情報屋ギルドからの指定で、お兄様一人で来るようにと条件があったみたいです」
一人で? なぜに?
と思ったが、創設者の情報なんて情報屋ギルドからしてみれば最高機密一つだろう。知らせる人数は出来る限り少なくしておきたいってところか。
「わかった。じゃあ行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ。サーヤお義姉様のドレスはお預かりしておきますね」
「ありがと」
サーヤのドレスを手渡すと、隣のナギがかすかに目を細めて、
「ルルク」
「ん、なんだ?」
「ナギは情報戦には疎い剣士です。けど、もしエデンの果実をその手に収めている相手を敵に回したら、その厄介さは想像に易いです。どんな相手でも余計な対立はしないようにと忠告しておくです」
「わかってるって。俺がそんな短気だと思うか?」
「わりと短気です」
「え? どこが?」
「……自覚ないです?」
首を傾げたら、ため息を吐かれた。隣を見たらリリスも苦笑していた。
もしかして二人に短気だと思われてる? そりゃ長いこと冒険者しているし敵対した相手には容赦しないけど、普段は温厚な方だと思ってるんだけど。
割とショックだぜ。
「いいです? 挑発されてもしっかり余裕を持つです。大人の対応です」
「そうですよお兄様。リリはお優しいお兄様が好きです」
「……がんばります」
あまりにも心配な表情をされるから、俺もちょっと不安になってきた。
少しソワソワした気持ちになりながら、情報屋ギルドのすぐそばへ転移するのだった。
「ようこそおいでくださいました。【王の未来】のルルク=ムーテル様……いえ」
情報屋ギルドの扉を開けたら、以前にも会ったギルド支部のギルドマスターの女性――確か名前はシルニア――が、すでに受付で俺を待っていた。
ギルドマスター直々の出迎えか。他に人はいない。
俺が挨拶を返そうとしたら、シルニアはにっこりと笑って言った。
「ラク=ナナイロ様とお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
その表情には、かすかな笑みが浮かんでいたのだった。




