帰郷編・0『とある後輩の消失』
第Ⅴ幕【彼岸の郷土】・後半
帰郷編スタートです
『先輩! 逃げてーっ!』
あの光景は、いまでも鮮明に思い出せる。
突然、空に現れた逆さのヘリコプター。
とっさに叫んだわたしの声は、大好きだった先輩に届かなかった。
先輩たち3年2組は鉄塊に潰されてしまった。生き残った者は、誰一人としていなかった。
五年以上が経ったいまでも、あの事件はネットやゴシップ記事で語り草にされている。
どうやらあのヘリは、数十年も前に行方不明となっていた軍事ヘリだったらしい。
そんなものが一体、どこから降ってきたのか。
なぜ、あそこに墜落したのか。
時空を超えたとしか思えない現象が起こったのだ。
陰謀論、怪異、自然災害……様々な推測が立てられたが、結局、警察も政府も真相究明に至ることができなかった。
巻き込まれた先輩たちにとっては、本当に不幸な事故だった。
遺族の方々も、深い悲しみをどこにぶつけていいかもわからず、あまり騒ぎ立てることはなかった。それよりマスメディアや、面白がったネットユーザーたちが肥大化していって、どんどん報道は過熱していった。
在学生だったわたしたちは連日の騒ぎやインタビューにうんざりしていた。
でも、あの事件が時代の波に呑まれ報道されなくなったことに気づいたとき、わたしは先輩たちが過去になってしまったんだと強く実感したのだった。
世間が先輩たちの死を過去のものにしていっても、わたしはずっと悔いていた。
もしあのとき、桜の木の下で先輩にちゃんと声をかけることができていれば。
結果がどうあれ、秘めていた想いを告げることさえできていれば。
そして先輩がクラスメイトに呼ばれて校庭に向かうのが、ほんの数分遅れてさえいれば。
先輩だけでも死ななかったかもしれない。
「……わたしがちゃんと声をかけていれば」
「何度も言うが、それは結果論だ。百舌萌々香くん」
椅子に座り組んだ腕に力を籠めたわたし――百舌萌々香。
「君が後悔を背負う必要はない。無論、責任もだ」
唇を噛んだわたしに、諭すように語り掛けてくるのは、車椅子に座った色素の薄い青年だった。
彼は両目を閉じて、瞼の奥にいるわたしを透けてみるようにじっとこちらに顔を向けていた。
いつも冷静で、淡白なひと。生まれつき目が視えないなんて信じられないほど見透かしたことを言う不思議なひと。
彼は先輩の親友で幼馴染だった。
「運命というものは絡み合う糸のようなものだ。ひとつの事象のみを改編することはとても難しい」
彼は車椅子の肘置きに退屈そうにもたれかかりながら言った。
「別の方向へ引っ張っても、他の糸もつられて引っ張られてしまう。あのとき、もし君があいつに想いを告げることができても、あいつの運命が変わっていたかは甚だ疑問だ。ほんの少し時間がズレただけだと思うね」
「でもそれは、あくまでレイさんの見解じゃないですか」
「然り。どれだけ突き詰めようとも、結果を後から論じる以上は個人の認識に過ぎない。君が七色楽という人間を救うことができたか否かを、救えなかった未来から議論した所で何の意味もない。なら過去の仮定になんの価値がある? それこそ君が指摘した通り、あくまで個人の見解なのだよ。ゆえに責任も、後悔も、個人の見識に付随するものではない。それくらい自分でもわかっているんだろう?」
「……はい」
後悔しても意味はない。その通りだ。
いつだって彼の言葉は的確で、正しかった。
「過去は変えられない。この忌まわしいほど選択肢が限られた世界のなかで、我々人間という一個体では〝時間〟という概念にそうそう抗えたりはしない。そして万が一、過去に戻りなんらかの手段を用いて七色楽という人間を死の運命から救うことができたとしても、その救った七色楽は、君が想い馳せた七色楽ではない。そうだろう?」
「……はい」
これは、何度も彼と議論した時間概念論だ。
先輩は過去ですでに死んでいる。
だから未来から過去に干渉し、その死の運命から救っても、それは別の先輩なのだ。
当然、そこはわたしが本来生きていた世界ではない。そこにいるわたしも、七色先輩も、別の世界に生きる別人になる。わたしの現在が書き換わることはない。
これはマルチバースという概念らしい。
「わたしは、過去の先輩を救えない……」
「そう。本当の意味で過去を救うことなどできない。運命はすでに帰結しているからだ」
どれだけ悔やんでも。
どれだけ泣き喚いても。
先輩は、もうこの世界にはいないのだ。
「だが、しかし」
彼は、断言した。
「あいつの未来なら救える。僕たちにとって、七色楽という人間が五年前に死んだという事実を変えられないのであれば、やがて訪れる未来を変えることは可能だ。君は君のまま、楽を救えるだろう」
「……わたしが、未来を変える……」
「そうだ。五年前、僕もまた幼き頃からの理解者を失った。たった一人の命が失われただけで、人生がこれほどつまらないものになるのだと、僕たちは世界から教え込まれてしまったのだ」
本当に退屈そうに吐き捨てた彼。
彼もまた、かつて〝図書室の占い師〟として運命を滔々と説いていたときのような輝いた表情は、五年前に失ってしまった。
だからこそ。
彼はあのときから運命を変えようとして、道を大きく踏み外した。
狂ったように、憑りつかれたように。
そしてわたしも、彼のその歩みを――車椅子を後ろから押し続けた。
道なき道を、二人で進んだ。
だけど決して彼のためじゃない。
わたしの目的のためだった。
過去を変えられないと言うのなら。
「レイさん、安心して下さい……わたしが、未来を変えてきます」
「ふむ。こればかりは君に頼むしかない。僕は目が視えないし、とうに足も動かせなくなってしまった。ここからは適材適所というところだろう。僕自身の手であいつの未来を変えることができないのは残念で仕方ないが、君に頼ろう」
「はい。それに、これはレイさんにしかできませんから」
わたしは椅子に座ったまま、ぐるりと周囲を見渡す。
教室だった。
カーテンが閉め切られた深夜の真っ暗な教室。
かつて先輩が青春の大部分を過ごした高校の図書室に、ぽつんと置かれた椅子に座るわたし。
そしてわたしの周りには、床に描かれたわけのわからない魔法陣のような模様がたくさんと、揺らめく蝋燭の明かりがひとつだけ浮かんでいた。
「では最後にもう一度だけ確認だ、百舌萌々香くん」
彼は魔法陣の向こう側で言う。
その膝の上に、一冊の本が置かれていた。
かつて図書室で占星術という技術を使って、占い師として活動してきた彼。わたしも占い好きの友だちに付き添って、彼の占い風景を見たことがある。七色先輩と出会ったのもそのときだ。
『レイ先輩の占いは外れない』
わたしたちの間では、ずっとそう言われ続けてきた。
だから彼の占いに訪れる者が絶えなかった。抽象的なことしか言わないけれど、まるで未来を見透かしたように彼はあらゆる物事を言い当てていた。
とくに探し物を言い当てるのが得意だった。
彼曰く、これは神秘術という技術らしい。
世界の根幹を構成する力の源。
かつての日本や中国でも龍脈や地脈と呼ばれる存在がある。
そこから漏れ出すわずかな素子を、目が視えなかった彼は生まれつき感知できたという。
彼はその素子を、『霊素』と呼んでいた。
中学生の頃には下半身がまったく動かなくなり、本格的に神秘術の研究を始めた彼は、十五歳の頃に『霊素』の扱い方を憶えたらしい。
そしていま、彼の最大の術が発動する。
「百舌萌々香くん。死ぬ覚悟はできてるな?」
「はい」
彼――音無零と、わたし――百舌萌々香の目的は単純。
今度こそ、七色先輩を救うことだ。
確かに過去は変えられない。
だけどレイ先輩の占星術で導き出した答えでは、またいつか、そのチャンスが訪れるという。
だけどそのためにはわたしの全てを捧げる必要がある、と。
「レイさん、やってください」
「ああ」
音無零は、何かを操作するようにその手を動かす。
わたしには何も視えないけど、彼は確かに何かを動かしていた。
ゆっくりと、希望を手繰り寄せるように。
……始まるのだ。
わたしの、長い長い、旅路が。
そんな予感がした。
「ああ、そうだ」
レイ先輩はかすかに微笑んだ。
見えない目をうっすらと開けて。
「もし会えたら、楽によろしく伝えてくれ」
「はい」
そして――この日。
この世界から、わたしは消えた。
あとがきTips~百舌萌々香~
〇百舌萌々香
>プロローグにでてきた後輩ちゃん。
>>卒業式に意を決して桜の木の下で七色楽にアタックを試みるが、邪魔が入って失敗。その後すぐ彼の死を目撃したが、時空の歪み(ヘリコプターの出現)を目撃したせいで、過去を変えられるのではないかと考え始める。それからは七色楽の幼馴染(音無零)が没頭する神秘術の実験に付き合っていた。五年後(22歳)、音無の実験により行方不明となる。




