覚醒編・30『無謀者の最期』
闘技場から、凄まじい音が鳴り響いた。
それを合図に上空に舞っていた氷の残骸が、霧のようにサラサラと消えていった。
「終わったな」
「うむ。決着じゃ」
街に残っていた氷魚も、粒子となって風に溶けていく。
同時に、いままでの凍えるような寒さが嘘のように暖かくなっていった。
ラランドを囲む花のような岩壁を分厚く覆っていた白霜もみるみる溶け、水蒸気となって空へと舞い上がっていく。
国中から、キラキラと輝く煙が立ち上っていく。
まるで国中が浄化されていくみたいだ。
「この国の呪縛が解けたようじゃの」
「ああ。だけど元凶はまだ生きてるみたいだぞ。俺たちも近づいてみるか」
俺はミレニアを連れて、闘技場の客席へ転移する。
闘技場の地面には、全身を砕かれて瀕死のレクレスがぴくぴくと痙攣している。重要な器官だけはかろうじて権能でカチカチに固めて守ったんだろう。しぶといやつだ。
ただ治癒スキルじゃ間に合わないほどの重傷を負い、意識も失っている。
レクレスの能力が強制的に解けたからか、ずっと固まっていた観客たちも動けるようになっていた。とはいえ何が起こったのかわからずに、みんな困惑した様子だった。
「姉さん」
「ええ」
クリムゾンと女王は、意識のないレクレスに歩み寄っていく。
エルニはすでに歌を止めていた。トドメは女王たちに譲る気だろう。戦闘狂だけど強者には敬意をもって空気を読めるのが、うちのエルニの良いところなのだ。
「レクレス……」
地面に横たわるレクレスを見下ろして、女王は拳を握りしめた。
その顔には怒りと、ようやく解放されたと言わんばかりの安堵の表情が浮かんでいた。
そんな女王の肩に手を置いたのは妹のクリムゾン。
「姉さん」
「なにかしら」
「トドメは私が刺す」
クリムゾンが冷静に言った。
「姉さんがこいつを殺したいほど憎んでいるのはわかってる。だが殺すのは、私に任せてくれ。姉さんと違って、私の手はすでに多くの血で汚れている。わざわざ姉さんの手を汚すようなことはして欲しくない」
「……ダメよ。この男をのさばらせていたのは女王である私の罪。決着は私がつけるわ」
「ダメだ。姉さんはミンミンを育てなければならない。ミンミンにとって、姉さんが母親なんだろ? 私から〝母親〟を奪ったのなら、最後まで責任をもって理想の母親であってくれ。相手がどんな悪党だったとしても、母親が誰かを殺して喜ぶ娘がいると思うか?」
「それは……」
「これは姉さんのためじゃなく、ミンミンのためなんだ。だから姉さんはそこで見ていてくれ」
クリムゾンはどこか諦めに近い笑みを浮かべ、そう言った。
本当の母親と、育ての母親。
二人の視線が交わると、女王は一筋の涙を落としながら、震える声を漏らした。
「サラサナン。私は――」
「だから言ったじゃないか、眠り姫」
前触れはなかった。
闘技場の真ん中。
倒れ伏したレクレスのそばに、いつからか青年がひとり佇んでいた。
どこにでもいるような、まるっきり特徴のない平凡な青年だった。
いつ現れたのか、どうやってそこに現れたのか誰もわからなかった。
声を発するまで俺も認識すらできなかった。
……誰だ。
明らかにただ者じゃないのに、威圧感も強者感もまるでない。
人畜無害を極めたような、平々凡々な容姿に雰囲気だ。
そんな青年は、レクレスを心配そうに眺めていた。
ミレニアが眉をひそめて訝しむ。
「まさかあやつ――」
「『エアズロック』」
エルニが迷わず青年を拘束していた。
さすがだ。
「あら? 動けないや」
「ん。だれ」
「通りすがりの一般人だよ。敵意はないでしょ?」
おどけて言う青年。
確かに敵意も害意もなかったが、まず間違いなく【悪逆者】の一人だろう。
もちろんエルニは拘束を解かない。
エルニに油断も隙もないことを悟った青年は、力なく笑う。
「それにしても君はすごいね。魔王になっただけじゃなくて使徒にまでなるなんて。僕が組織の長なら迷わず勧誘しているところだよ。まあ君は来ないだろうけど……そっちの君はどう、女王様?」
「貴方は、ギルティゼア!?」
「先日ぶり~。君にはレクレスが長い間お世話になったね。最後の最後にとんだ迷惑かけちゃったみたいだけど、長い付き合いだから許してね」
「ど、どうしてここに……」
動揺する女王。
レクレスが【悪逆者】だったことを考えると、他のメンツもこの国に出入りしていたってことか。女王がかなりの警戒心を持っているのを見るに、ギルティゼアと呼ばれた彼もかなりの実力者なんだろう。
それにしても初めて聞く名だ。
「あやつが……」
ミレニアも目を見開いて、ギルティゼアを凝視していた。
おそらく長年ミレニアと敵対していた【悪逆者】が彼なんだろう。
つまりミレニアにとって親友の仇であり、俺たちにとっては元クラスメイトの二十重岬の仇だ。
ミレニアが迷わず『生成操想』を使おうとした――その瞬間。
「おっと。さすがにソレにかかるわけにはいかないよね」
ギルティゼアの姿が、ブレた。
まるでホログラムのように画素の荒い半透明姿になって、こっちを見上げる。
そして目が合ったミレニアに、悪意のない笑みを浮かべて言った。
「君が冒険者ギルド総帥、もとい神秘術の賢者だね。その姿では初めましてだよね? 僕が君の永年の敵……賢者殺しのギルティゼアだよ」
「貴様ッ!」
「まあまあそう怒らないで。君も僕の仲間たちを殺してきたからおあいこじゃない? 悪逆殺しのミレニア=ダムーレンさん」
……挑発か?
いや、たぶんそうじゃない。
ギルティゼアは、なんの悪意もなく事実だけを話したといわんばかりの表情だった。
ミレニアは唇を噛み、ギルティゼアを強く睨んでいる。
さりげなく何度も『生成操想』を発動しているのに、まるで通じていない。
俺もこっそり『裂弾』を撃ち込んでみたが、手ごたえはなかった。ギルティゼアはいつのまにかエルニの『エアズロック』すらも抜け出していて、レクレスの頬をペしぺしと叩いている。
何の権能か知りたかったが、やはり鑑定も効かない。
「うーん……よく生きてるね、眠り姫。キスで起こしてあげようか?」
ギルティゼアは冗談めかしてそう言うと、周囲をぐるりと見回した。
エルニ、女王、クリムゾン。数多の観客に、そして俺とミレニア。
無数の視線を浴びた彼は、
「ま、その前に撤退かな? 賢者と魔王と使徒と……始祖の数秘術持ちも三人いるし、さすがに僕も勝てるとは限らないなぁ」
肩をすくめて言う。
「じゃあ悪いねみんな、レクレスはもらっていくよ。この子、性格は反吐が出るほど悪いけど僕の可愛い後輩なんだよね」
「「「逃がさん!」」」
ミレニア、女王、クリムゾンが力を振るう。
だがすべての力をすり抜けて、ギルティゼアはあっという間に姿を消した。
瀕死のレクレスと、共に。
「――くそっ! 取り逃がしてしもうた!」
ミレニアが悔しそうに地団駄を踏む。
さすがに数秘術すら効かないのは予想外だ。明らかにレクレス以上の実力がある。
俺は手をプルプルと震わせているミレニアに近づき、頭を撫でて落ち着かせた。
「大丈夫だよミレニア。いまのところ俺の『神秘之瞳』で追ってるから」
「……なに? 本当か?」
「ああ」
ギルティゼアには何も効かなかったけど、代わりに気絶したレクレスに座標の〝楔〟を打ち込んでいたのだ。
あの二人は、いまはここから西に三百キロほど進んだ荒野にいた。
回復させるつもりなのか、ギルティゼアがレクレスに薬を飲ませているところだった。
「いまならレクレスだけなら『裂弾』で仕留められるけど……そしたらギルティゼアは追えなくなる。どうする? 倒さずに追っておく?」
「……いや、よい。どうせ追っても逃げられるじゃろう。ならせめてこの国の者たちのために、レクレスだけでも始末してくれんか?」
本当は親友の敵に復讐したいだろうに、その気持ちをぐっと堪えたミレニア。
さすが大人だな。
俺はうなずいて、闘技場の下でミレニア以上に悔しがっている女王のもとへと飛び降りた。
「女王陛下。お初にお目にかかります。冒険者のルルクと申します」
「……ええ……」
ようやく殺せたと思った相手を取り逃がしたことで、想像以上に精神的ダメージを負っている女王。
俺の言葉にも、視線を彷徨わせて空返事をしただけだった。
「安心して下さい陛下。レクレスは俺の遠視スキルでいまも捕捉してますよ。いつでも転移で追えますし、ここから心臓を撃ち抜くこともできます。まだ逃がしてないですよ」
「本当ですかっ!?」
目を見開いて顔を上げる女王。
俺はうなずいて、
「どうしますか? お望みなら、ギルティゼアに気づかれていないうちに仕留めることもできます」
「……転移で追うことは?」
「できますよ。ただギルティゼアの権能が未知数なので、あまりおススメはしませんけど」
「そうですね。あの男は、レクレスすら……。わかりました。貴方に任せるのは心苦しいですが、どうかレクレスを――」
「あっ」
女王の意向に従おうとしたときだった。
状況が、ガラリと変わった。
「どうしましたか?」
「えっと……」
予想外の展開だ。
俺は少し迷った。
正直に言ってもいいものか……いや、ここは言うべきだろう。
あれだけ多くの人たちの恨みを買っていたやつだ。
どんな最後であろうとも、誰も同情はしないだろう。
「俺が手を下さなくても大丈夫になりました」
「……はい?」
キョトンとする女王。
俺は遠視で視た景色を、そのまま説明するのだった――
■ ■ ■ ■ ■
「うわあああああっ!」
レクレスは自分の悲鳴で飛び起きた。
全身から冷や汗をかいていた。
死んだ。そう錯覚するほどの衝撃だった。
クリムゾンに全身を焼かれ、女王に蹴り砕かれた。
そして大地に激突して木端微塵に――そんな光景が脳裏に蘇る。
「はぁ、はぁ……」
息を荒くついて、自分の手を眺める。
傷がない。
さっきのは夢か?
いや、それにしても鮮明な記憶だった。
一体何が……。
「起きたかい眠り姫?」
「……ギルティゼア!?」
レクレスは振り返った。
何もない荒野。
小さな岩に腰かけて、暇そうな顔でぼんやりしてるのは憎たらしい顔見知りだった。
なぜこんなところに――と言いかけて、すぐに状況を察した。
「お前が余を助けたのか」
「まあね。この貸しは大きいよ」
ギルティゼアはレクレスに小瓶を投げてきた。
わずかに金色の液体が付着した空瓶。
まさか、これは……。
「エリクサー……そうか。これで余を」
「それだけじゃないからね。あそこから逃げるのに転移の宝玉まで使わざるを得なかったんだ。とんだ出費だよね」
「……誰が助けてくれと頼んだ」
「またそうやって。まったく素直じゃないんだから……ま、そんな君を助ける僕も僕なんだけどね」
ヘラヘラと笑うギルティゼア。
レクレスは鼻を鳴らして、
「それでここはどこなんだ? 余を助けるならいつもの召喚の首飾りを使えばよかっただろ」
「アレはまだリチャージが済んでないから使えないよ。それと、とっさに転移してランダムで飛んだから、ここがどこだか僕もわからない。ははは、二人揃って迷子だね」
「なんだって? ならさっさとお前の隠れ家に連れて行ってくれ。なぜか死ぬほど体が怠いんだ」
「そりゃ無理やり回復したから生命力が伴ってないのさ。それに、僕一人ならアジトまで転移できるけど無理だよ。転移の宝玉も連続で使えるほど魔力が残ってないし、召喚の首飾りのリチャージが終わるまでゆっくり待ってよう」
そう言ってプラプラと足を振るギルティゼア。
まったく……使えないやつだ。
レクレスがそう悪態を吐こうとしたときだった。
「――っ!?」
ギルティゼアが、弾けるように西の空に視線を向けた。
いつも余裕ぶっているその頬に、一筋の冷や汗を流していた。
「……レクレス。どうやら僕たちは運が無かったらしい」
「なんだいきなり」
「運さ。ランダム転移だから、ここがどこだかわからなかったけど……最悪な場所に出たらしい。そんなわけで僕は行くよ。まだ死にたくないからね」
「は? おい何を――」
「じゃ、万が一生きてたらまた会おう。ばいばい」
「おい!」
手を伸ばした先で、ギルティゼアが消えた。
あの男が焦るなんて、一体何が……。
困惑したレクレスの背後に、凄まじい威圧感が急接近してきた。
空から、一直線に。
それはまるで彗星だった。
凄まじい衝撃とともに、ソイツはレクレスのすぐ後ろに降ってきた。
土煙が空まで舞う。
思わず吹き飛ばされそうになったレクレスだったが、とっさに衝撃を無効化して振り返る。
そこにいたのは金髪のオールバックに、ド派手なシャツとパンツの軽装の大男だった。
「よう。俺様のナワバリになんか用か?」
片手をひょいと上げて、軽々しく挨拶をしたその大男。
その姿、そして漏れてくる存在感。
間違いない。
こいつは――
「竜王ヴァスキー=バルギリア……っ!」
世界最強の男。
そう言われている王位存在だった。
あのギルティゼアですら怖れて近づかない、竜神の使徒。
ここは竜王のナワバリだったのか。
「おい、何呆けてやがる? てめぇは誰で、俺様のナワバリに何の用があって踏み込んだのかって聞いてんだ。さっさと答えろ」
「余、余は……」
竜王に殺意はない。
ただ純粋な疑問でレクレスを睨んでいるだけだ……なのに、すごい圧力だった。
背中に冷や汗が流れ落ちる。本能が逃げた方が良いと叫んでいる。
だがそのときレクレスの頭の中に、ふと考えが閃いた。
竜王は油断している。
これは好機じゃないか?
レクレスの権能なら、一瞬で無力化できるはずだ。
それにもしここで竜王を仕留めることができれば、組織内でのレクレスの序列も上がるだろう。あのギルティゼアですら怖れる相手を倒したとなれば、序列二位も夢じゃない。
……ならば。
「余は……こういう者だ!」
レクレスは質問に答えると見せかけて、権能を叩きつけた。
その瞬間、ピタリと動きを止める竜王。
動かない……よな?
「や、やった……」
通じた。
あの竜王の動きを封じた!
「やはり余の権能は最強だ!」
レクレスはガラにもなく拳を突き出した。
「やった! 余はやったぞ! やった――」
バギンッ!
不意に、あるいは必然に。
氷が砕けるような音がした。
「え」
「……おいてめぇ」
全身の毛が逆立つような威圧感。
ぶわっと、体の至るところから汗が噴き出す。
それは逆らえない本能だった。
生存本能。
あるいは、生への渇望か。
「いま、俺様に殺意を向けたな?」
竜王は目を細め、殺気を漏らしていた。
尋常じゃない恐怖に息が止まる。
逃げないと。
逃げないと。
逃げないと。
思考が真っ白に埋め尽くされる。
なぜ氷の権能が効かなかったのか、考える暇もなかった。
逃げたい。
竜に睨まれた子羊は、ただこの場から離れることだけを考えていた。
だが、動けない。
レクレスは身動き一つとることもできずに震えていた。
「俺様のナワバリで俺様に殺意を向けるとはな。ま、その勇気は褒めてやっても良い……だが殺そうとしたってことは、当然殺される覚悟もあるんだよな?」
竜王は軽く拳を握る。
ただそれだけだ。
それだけの動作で確信した未来――死を感じて、レクレスは我を失った。
「うわああああ!」
権能をぶつける。
何度も、何度も、何度も。
だが竜王はつまらなさそうに口元を歪め、
「効くわけねぇだろ」
一歩踏み込んだ。
そのたった一歩が、あまりにも速かった。
レクレスでは認識すらできない速度で、竜王はレクレスの正面に迫った。
「くるな、くるなぁ! 凍つる終末!」
奥の手を使う。
現れたのは権能の竜。
あらゆる生物を凍らせ、死に至らしめる氷の化身だ。
だが。
「舐めてんのか。俺様は竜王だぞ?」
竜王が睨んだだけで、権能の竜は砕け散った。
余の奥の手が……!
「じゃあな三下」
「ま、待っ――」
あっさりと。
竜王が振り上げた拳がレクレスの腹を撃ち抜いた。
ぱきん。
最期に聞こえたのは、小さな音だった。
防御に回した権能ごと砕ける音。
あらゆる相手を封じてきた権能を、まるで薄氷を踏むかのように軽々と粉砕され、レクレスは凄まじい衝撃に空高くまで打ち上げられた。
最期に見えたのは太陽だった。
眩しい太陽がレクレスの目を焼き、視界を真っ白に染めた。
そしてろくに考える間もなくレクレスの全身に亀裂が走り、その命は砕け散ったのだった。
『破壊』を司る竜神の権能。
その力を拳に宿した竜王は空を眺めて、
「で、なんだったんだアイツ?」
首をかしげた。




