覚醒編・25『なんてやつらだ』
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「空から氷の魔物が降ってくるぞ! 全員迎撃しろ!」
ラランドの街を駆け抜けながら、マシンキーは叫び続けていた。
見上げれば、かつてラランドに壊滅的な被害をもたらした災害級の魔物〝空喰い〟。
言い伝えによれば、一昼夜のあいだ王都中に巨大な雹を降らせ続けたらしい。
かつてその話を聞いた幼い頃のマシンキーは、そんな時代に生まれなくて良かったと安堵していた。
だが、それどころじゃない規模の大災害が空から押し寄せていた。
「なんつう数だよ!」
人より遥かに大きな氷魚が、空にウジャウジャと漂っていた。
それらは順々に、一直線に地上に向かって襲いかかってくる。
一体でも建物ひとつくらいは吹き飛ばせる質量。しかもそれが、地上にいる人をめがけて突っ込でくるのだ。
マシンキーはそのうちの一体に向けて魔術を放ちながら、近くで呆然としている家族連れに叫ぶ。
「大人は死に物狂いで街を守れ! 戦えない子どもがいるなら傭兵ギルドに連れていけっ!」
「は、はいっ!」
慌てて走っていく家族。
ギルドの屋上にはエルニネールと竜姫がいる。あの二人の殲滅力ならギルド付近はまず守り切れるだろう。それに、女帝モノンが結界の魔術器を持っているらしい。
問題はそれ以外の地区だ。
獣人はみな力を誇る種族。逃げまどうような腑抜けた者は稀だが、いまは運悪く、多くの実力者が闘技場につめかけている。
女王もクリムゾンもすぐに異変に気付いてくれると思ったが、なぜか闘技場からは誰も出てこない。
その対応はカウタンに任せているはずだが……まだ動く様子はなかった。
「アタシもあとで向かった方が――オラァ!」
マシンキーめがけて落ちてきた氷魚を、全力の拳で砕く。
氷魚の破壊力は凄まじいが、マシンキーも世界トップクラスの冒険者パーティの前衛をつとめていた。さすがに氷の塊ごときに後れを取る気はしない。
とはいえ数が多い。
マシンキーがいたパーティ【頑強な絆】が唯一苦手としていたのは広域殲滅戦だ。
リーダーのウォールナットは純魔術士だったが、魔力量は人より少し優れた程度。人並み外れた洞察力と戦術立案能力で数々の苦難を乗り越えてきたが、こういう物量こそが物をいう戦場での戦闘は、マシンキーもあまり経験がなかった。
各地で獣人たちが自衛を始めているが、その防衛網を抜けて落ちてくる氷魚が地面を揺らしている。近くで誰かの断末魔が聞こえた。
「くそっ、なんなんだよ!」
つい毒づいてしまう。
だが走る足は止められない。マシンキーは各地に伝令を出す役目を担っているのだ。
せめて子どもたちにだけでも、傭兵ギルドにさえ行けば安全だと伝えないと。
そう思いながら走っていると、前方の区画から空に向かって矢が飛んでいるのが見える。
「おい誰だ。そんなもんがあのデケェ氷に効くわけが……は?」
いや、効いている。
細い矢が氷を砕いているのだ。
巨大な氷塊と何の変哲もない矢、どっちが強いか考えるまでもないはずだ。それなのに地上から空に放たれる矢は吸い込まれるように氷魚の額に命中し、その体を粉砕していく。
いったい誰だ。
マシンキーは矢を放っている何者かがいる屋根に飛び上がった。
「アンタは……」
「あ、マシンキーさんだっけ。この区画はうちに任せて大丈夫だから、次に行って」
小柄なエルフ。確か名前はカルマーリキだ。
結成してわずか二年足らずでSSランクに登りつめている歴代最高のパーティ【王の未来】。その彼らの妹分みたいな少女らしい。
もちろんマシンキーもこの数日間情報を集めていた。
彼女はBランク冒険者。
まだまだ有名とは言えない知名度だ。
でも、これがBランクか?
矢の破壊力を差し引いても、一発も外すことない命中精度。アイテムボックスでも持っているのか、矢を放った次の瞬間に矢を出現させて放つ早業。
そして何より、この敵だらけの状況でも顔色一つ変えない精神力。
何があっても仲間がいるから大丈夫――そう確信しているようですらあった。
……仲間がいる。それだけで無限に力が湧いてくるその気持ちは、よくわかる。
マシンキーは少しだけ懐かしい気持ちに浸りなから、
「わかった。ここは頼む!」
迷わず次の区画に向かった。
そこで目にした光景も、彼女の理解に及ばぬものだった。
「鬼想流――『火暴れ』」
それはまるで斬撃の結界だった。
剣士の少女ナギ。
彼女は周辺で最も高い建物の屋根に陣取り、氷魚たちを一身に引きつけていたのだ。
人に向かって落ちてくる氷魚の習性をうまく利用しているのはわかるが……正気じゃない。視界を埋め尽くすほどの氷魚がナギに向かって落ちてきているのだ。
だが、ナギの剣がすべてを消し去っていく。
無数の斬撃が刀身のはるか先まで飛んでいるのだ。
『マシンキー。真の達人はね、離れた場所の物を斬ることもできるんだよ』
昔マシンキーが剣を教わった師にそんな与太話を聞かされた記憶が蘇る。
スキルも使わずそんなことできるわけない――そう思ったマシンキーは、技術よりも実戦的な対応力を身につけた。
もちろんそれが間違っていたとは思わない。
だが師の言葉が嘘ではなかったと知って、しばし呆然としてしまった。
「そこの傭兵。ここはナギに任せてさっさと行くです。むしろ邪魔です」
「わ、わかった」
マシンキーがいては、氷魚の狙いが分散してしまう。
すぐに離脱して次の区画に向かった。
そこにいたのは――
「『天破斬』!」
理不尽の塊だった。
サーヤ=シュレーヌ。
神々の寵愛を受けし少女。
史上最年少のSSランク冒険者。
獣王国にも、その噂は届いている。
「よ! ほっ! とぅっ!」
気の抜けた軽い声を出しながら、マシンキーですら目で追うのがやっとな速度で空を跳び回るサーヤの姿だった。
落ちてくる氷魚を真っ二つに斬りながら、その氷魚の残骸を足場にして次の氷魚に飛び移っていく。
曲芸師のように空中を飛び回りながらも、手の届かない範囲の氷魚に向けて魔術を放つ。
「『フレアバレット』! 『ライトニングスナイプ』! 『トルネード』!」
魔術も多彩で、隙が無い。
もちろんそれだけじゃない。
「『確率操作』!」
空に向けてスキルを発動した瞬間、この区画一体に向けて落ちてくる氷魚たちが、なぜかぶつかり合って砕け散っていく。
……なんだ、いまのは。
マシンキーはつい足を止めてしまった。
「ふう。なかなかハードね。まあロズさんの特訓に比べたら大したことないか〜」
涼しい表情をしてのんきに言う。
……恐ろしい少女だ。
マシンキーは素直にそう思った。
サーヤはマシンキーに声をかけることはなかったが、マシンキーはすぐにその場を離れた。ここは彼女がいるから大丈夫だろう。
気を取り直して、次の区画だ。
ここからはさらに氷魚の数が多い。王都の中央からかなり外れるため、エルニネールや竜姫の破壊の余波すら届かないのだ。
空を見上げる。
雲の下を埋め尽くすほどの数の氷魚が、一斉に落ちてこようとしていた。
ゴクリと唾をのむ。
これはマシンキーですら覚悟しないと――と思ったときだった。
「『光弾』」
空を、光の筋が駆け抜けた。
閃光が幾何学模様を描き、すべての氷魚が砕けて消えていく。
一瞬、視界の端に小さな子どもが写ったような気がして視線を向けるが、すでに姿はなかった。
「え……なにが」
マシンキーは慌てて近くの屋根の上に上って、周囲をぐるりと見渡した。
遠くに、さっき見た光の線と同じものが見えた気がした。
目を凝らすと、次の区画にルルクが見えた。その頭上の空にいた氷魚はいつのまにか砕け散っており、視線を戻すとルルクはもう消えていた。
どこに行ったと思ったら、さらに奥の区画にまた閃光が煌めていて氷魚を消滅させていた。
「……すごすぎる」
圧倒的殲滅力。そして転移。
最近聞こえていた魔物十万体を一撃で倒したという噂は半信半疑だったが、この様子だとまず間違いなく真実だろう。
王都中央をエルニネールと竜姫が守り、その周囲をサーヤ、ナギ、カルマーリキが守る。そして王都外縁部はルルクひとりで殲滅して回っている。
さらに空の上――大穴が開いた雲の奥に見えるのは、とてつもなく巨大な氷魚をたったひとりで足止めし続けている賢者ミレニアの姿。
「なんてやつらだ」
これが【王の未来】か。
もちろん彼らだけで王都全域をカバーできているわけじゃないから、被害はゼロじゃない。いまも彼らの守備範囲外の氷魚たちが落ちてきていて、市民たちが必死に守っている。
マシンキーは変わらず駆け続けながら、避難の指示を出し続けた。
すべての区画に伝令を伝え終えたマシンキーは、荒い息をつきながら足を止めて空を見上げた。
さっきと変わらない光景がそこには広がっている。
空喰いは破砕と再生を繰り返し、中央は広範囲で爆発が起こり続けている。周囲はそれぞれが要所を守っていて、外縁部は閃光が煌めく。
こんな戦い方は、いままで知らなかった。想像もしたことがなかった。
「なあカムロック……世界は広いな」
マシンキーは小さくつぶやいた。
久々に、あの生意気なパーティメンバーに会いたくなったのだった。




