覚醒編・24『空の魚』
王都ラランドの空にかかる分厚い雲。
その上で誰にも気付かれず泳いでいたのは、全長五百メートルほどの巨大な氷の魚。
そいつは気配も鳴き声も一切立てずに、静かにふよふよと浮かんでいた。
形状は鯛のような、マグロのような……魚に詳しくないからよくわからないが、いわゆる〝魚〟と聞いて思い浮かべる形をしている。
「なんだこいつ」
少し離れた場所に転移した俺たちは、エルニが作った空気の足場に立ってそいつを眺めていた。
魚の形をしたとてつもなくデカい氷像。敵意や意思は感じない。
「紛れもない……〝空喰い〟じゃ」
ミレニアが眉をひそめた。
「じゃが、様子がおかしい。これだけ近くにいても反応がないとは……以前はすぐに襲い掛かってきたのじゃが」
「操れる?」
「……どうやら無理じゃ。こやつ、魔物ではない」
八百年に賢者三人が協力して撃退した相手だ。
そのときはミレニアもまだ『生成操想』を会得しておらず、王位存在には覚醒してなかったらしい。魔術の賢者ヘルメスも極級魔術をバンバン使えるような腕じゃなかったので、撃退するのにもかなり苦戦したんだとか。
しかも消滅させてもレベルが1たりとも上がらなかったから、完全に倒しきれなかったと判断されたようだ。
後にヘルメスは、どんな攻撃を加えても復活する最高レベルの不死性を持つ魔物として、SSSランクに制定していたのだ。
しかし八百年越しに、そもそも魔物じゃなかったという予想外の事実が判明した。
「……まさか自然現象?」
「わからぬ。生物でないなら魂を付与すれば操れるが……この大きさじゃからな。試して失敗すれば相当量の生命力を失ってしまうじゃろう」
「さすがにやめたほうがいいな」
いくら俺の膨大な生命力を分け与えられるとは言っても、無限じゃないからな。
ならここは、
「倒すか」
「そうじゃな」
「ん」
俺たちは研究者でもないし、歴史家でもない。ただの冒険者だ。
真相解明よりも安全確保が俺たちの仕事。
かつてラランド全体を壊滅状態まで追い込んだ脅威相手なら、勝手に攻撃しても批判されることはないだろう。
「よしエルニ、やっちゃって」
「『爆裂』」
膨大な魔力が渦巻き、解き放たれた。
空喰いの体よりも巨大な爆発がその身を包み、あっという間に炎熱と爆風で焼き尽くす。
おーすごい。
眼下の雲海もかなりの範囲が削り取られ、綺麗に半球状の凹みができていた。
……あの穴でたこ焼き作ったら何人分かな。ギネス記録認定できちゃうかな?
「妾たちがあれほど苦労した空喰いを一撃とは……ヘルメスが聞いたら笑い転げるじゃろうな」
氷のカケラひとつ残さず消滅したのを見て、ミレニアが苦笑していた。
意外とあっけなかったな――と思いかけたときだった。
「ん、まだ」
エルニが杖を雲に向けた。
たこ焼き器みたいに凹んだ雲が、ゆっくりと元の形に戻っていく。その流れの中から、小さな白い塊がいくつも千切れて浮かび上がってくるではないか。
なんだあれ……小さな魚?
目を凝らして見れば、それは小さな小さな、氷の魚だった。
いくつもの雲の切れ端が浮かび、凍りつき、そして魚となってまたこの高さまで集まってくる。そしてさっきと同じ場所で魚同士がくっついて、みるみるうちに大きな魚へと変わっていくではなか。
ミレニアが目を見開く。
「なんと……こやつ、雲から生まれておったのか」
「前に戦ったときはこの復活方法じゃなかったのか?」
「そもそも当時は空を飛ぶ手段などなかったからのう。氷塊が降り注ぐ地上から迎撃しておったのじゃ。あやつの体も半分雲の中におったから気づかなんだ。まさか氷魚の群体だったとはのう」
「空魚ってやつか」
釣り人たちが口にする、本当は存在しない魚の呼称。
そんな釣り用語を思い出した。
俺たちが話している間にも、どんどん大きくなっていく空喰い。あっという間に元の大きさに戻ってしまった。
「……でも、動かないな」
「うむ」
復活したは良いが、ただ元の状態に戻っただけだった。
エルニが闘志むき出しの視線を空喰いに向ける。
「やる」
「ちょっとまってエルニ」
この空に広がる雲海をいくらでも使えるとすれば、到底エルニひとりの魔力じゃ倒しきれない。
攻撃方法か、あるいはタイミングか。まだ動かないうちは、なるべく観察して無駄撃ちを防ぎたい。
……というか、そもそもこいつはなんなんだ?
攻撃しても襲い掛かってこないし、まったく意思を感じられない。
「ミレニア、こんなトンデモ現象他に知ってる?」
「ここまでの規模となると〝黙示録の獣〟くらいしか思いつかぬが、あれは理外の存在じゃ。こやつはまだ神々の定めた法則に則っておるから違うじゃろうな」
「だよな。うーん……」
「どうするルルク? 動かぬうちはまだよいが、動き出せば厄介じゃぞ。無数の氷柱を地上に落とす前になんとかせねば」
少し焦りを見せ始めたミレニア。過去の記憶がいつもの冷静さを奪っている。
落ち着いて――と言おうとしたときだった。
「あれ?」
ふと気づいた。
俺たちが吐き出す息が、そんなに白くない。
「……上空だよな?」
そういえば肌に刺すような寒さも感じない。寒いは寒いが、上空だからといえばそれまでだ。
ふと竜王が言っていた言葉を思い出した。
元々この獣王国がある地は温暖な気候で、どうやっても寒くなることはない――と。
「こいつが獣王国の寒さの原因なのか」
「その可能性はあるのう。八百年前はまだこの国は暑かった」
「だとしたら空喰いって、寒気そのものってこと?」
環境そのものが相手だとしたら、倒せるビジョンが浮かばない。
とはいえ、それにしても空喰いがいる上空が暖かいのは違和感だった。寒気そのものが現象化したのが空喰いなら、この雲の上が一番寒いはずなのに。
「いや、強い寒気とともに姿を現したようじゃが、寒気そのものではないじゃろう。むしろそこに手がかりがありそうな気もするが……」
「つっても、ヒントが少なすぎるか」
俺たちが空喰いの正体を推理していたら、ぽつりとエルニがつぶやいた。
「くる」
何が――と思った瞬間だった。
雲が、蠢いた。
分厚い雲海がその形を変えていく。小さな氷が集まり、今度は中型の氷魚が無数に形成されていく。
そして目の前の空喰いもいきなり動き出した。
真下に向かって、移動を始めたのだ。
「エルニ!」
「『エアズロック』」
見えうる限りのすべての空魚たちがピタリと動きを止めた。
「ミレニアは空喰いを頼む! 俺は中型を――『裂弾・複式』!」
「『連鎖裂衝』!」
計算式を組み立て、複製し、エルニが拘束している氷魚をすべて撃ち抜いた。
ミレニアは飛び出すと、泳ぎ始めた空喰いに掌底を叩き込んで内側から粉々にしていた。
空に舞い散る無数の氷片。
だが、それも時間稼ぎ程度でしかなかった。
「ダメじゃ、どこもかしこも再生しとる! こんなものどうすれば――」
「『極炎』」
エルニが火属性の極級魔術を放った。
いつのまに憶えていたのか、小さな太陽を雲海に放り込むと、直径数キロの範囲の雲が消滅した。かなり離れているこの空の上も瞬く間に気温が上昇する。
もちろん雲海で蠢いている空魚たちは蒸発している。
「あっつ」
「エルニネールや、おぬし街に当てておらんじゃろうな?」
「もんだいない」
さすがに『爆裂』ほどの広範囲じゃないので、配慮はしてるはず。してると思いたい。
ただ、
「やっぱり無限湧きかよ……」
端から端から、氷魚が生まれていく。
さらにミレニアが吹き飛ばした空喰いも、やはり再生を始めている。
俺は迷わず腕輪の導話石に話しかけた。
「サーヤ、聞こえるか?」
『どうしたの? 終わった? こっちももうほとんど決着がついたわ。いまクリムゾンさんと女王が何か話してるところよ。戻って来れる?』
「それどころじゃないんだよ。空見えるか?」
『空……? 雲しか見えないけど』
「え、雲に巨大な穴が開いてないか?」
『ううん。白い雲が見えるだけよ』
おかしい。
こっちからは遥か下に街が見える。さすがにサーヤがどこにいるかはわからないが、闘技場は見えている。
とはいえそれを悠長に考えてる暇はない。
「じゃあボックス席に傭兵ギルドのカウタンさんがいるか? いま、上空で空喰いが街を襲おうとして動き始めてる。カウタンさんにそれを伝えたら呼んでくれ。迎えに行くから手伝って欲しい」
『わかったわ。すぐに動くね』
通話が切れる。
突然の話にも動じずに指示に従ってくれた。
俺が話している間も、ミレニアとエルニは攻撃を続けている。
「どうするルルク。さすがにすべては止められんぞ!」
「ミレニアは空喰いを頼めるか? 俺は仲間たちを集めて、小さいやつらから街を守る」
「うむ、空喰いは任せるのじゃ!」
再び形成されていく空喰いを、ミレニアが食い止めに向かった。
俺はエルニを連れて一度ラランド――傭兵ギルドの屋上に転移した。
下から見ると、しっかり雲に大穴が開いている。闘技場に行かなかった街の人たちが、口々に空を眺めて不安そうにざわめいている。
闘技場のやつらは、まだ気づいていないようだが――
『ルルク、カウタンさんに話したわ!』
「わかった。エルニはちょっとここで待ってて」
「ん」
俺はすぐに闘技場のボックス席に転移した。
仲間たちはカウタンとマシンキーが観戦していた席にいた。俺が転移してくると、みんな何も言わずに俺の体に触れる。
「カウタンさん、ひとまず闘技場の外へ。出てから説明しますから、俺に触れてください」
「あら~わかったわ~」
そう言って俺の頭を指先で撫でてくる。
そのまま転移しようとすると、隣にいたマシンキーも俺の肩に触れた。
「アタシも連れてってくれ。足の速さが役に立つと思う」
「わかりました」
元SSランクの前衛なら力強い。
俺はみんなを連れてすぐに傭兵ギルドの屋上に戻ってきた。
「あら~。ほんとに空に穴が開いてるわね~」
「何か空にいるです。細かいのがたくさんです」
「氷の魚かな」
目の良いナギとカルマーリキが、すぐに臨戦態勢に入った。
俺は上空で見たことと感じたことを、全員に手早く話した。
カウタンはそれを聞いて、困り顔でつぶやく。
「そうなの~。じつは空喰いはダンジョンが止まると、寒気と一緒に必ず現れるのよね~」
「……知ってたんですか?」
「ごめんね~。でも昔の女王様が敷いた緘口令があるから、空喰いに関してはギルドも公表できないのよ~。さいわい、いままではずっと誰かが空の上で食い止めてたらしいから、問題にならなくてね~」
「食い止めてた? あの空喰いをですか?」
「そうなの~。女王を決める戦いの裏で、空喰いと誰かが戦い続けているって陛下が言ってたわ~。だから空喰いの存在を知っても、絶対に公表するなーって」
「アタシも知らなかった……こんな大事なこと教えてくれよギルドマスター」
「マシンキーちゃんでもだめよ~。それとも次のギルドマスターになってみるかしら~? それならいくらでも教えられるわよ~」
「うげ、冗談はよしてくれ。それよりアレどうすんだ?」
マシンキーが空を指さす。
無数の氷の魚が猛スピードで散り散りに広がっていく。ひとつひとつのサイズは大きいもので建物と同じくらい、小さなものだと人間と同じくらいか。アレがそのまま落ちて来られたら隕石群みたいになって街は崩壊するだろう。
大きいと建物ですら吹き飛ぶような大きさなのに、市民に当たったら無事では済まない。近くに落ちるだけでも被害は甚大だ。
俺は即答した。
「俺たちも迎撃します。頼めるか、みんな?」
「わかったわ」
「ふっ。容易い……」
「まかせろです」
「対空戦ならうちの出番だね」
白い息を吐き出して意気込む仲間たち。
いまでも上空では、ミレニアが無限再生する空喰いに攻撃を仕掛け続けている。
相手はかつてミレニアが倒し切れなかった謎の空魚。
八百年越しのリベンジ戦だ。
「カウタンさん、市民の避難場所はどこにしますか? 守りはお任せください」
「助かるわ~。じゃあこのギルドを守ってちょうだい~」
「アタシたちもやるぜ、マスター。どうすればいい?」
「マシンキーちゃんはギルドに避難するように伝えて回って~」
「わかった」
俺たちとともに意気込むカウタンとマシンキー。
もちろん傭兵ギルドの人たちも、カウタンが声をかければ参戦するだろう。
いきなり始まったが、傭兵ギルドとの協力戦だ。
俺たちも名実ともに冒険者ギルドのトップランカー。不甲斐ないところは見せられないな。
やる気が湧いてきたとき、ふとエルニが闘技場のほうをじっと見つめているのに気が付いた。
「どうした? あっちに何かあるのか」
「ん……なんでも」
「そうか」
視線を空に戻すエルニ。
俺たちのパーティで最も殲滅戦を得意とするのがエルニだ。というか、エルニがいなければ始まらない。
「じゃあやるぞ。各自、散開!」
俺の号令と同時、仲間たちは方々に走り出した。
ギルドの屋上に残ったのはエルニとセオリー。
二人は空に杖と手を向けて、つぶやいた。
「『極炎』」
「『滅竜破弾』!」
さあ、殲滅開始だ。
開戦を告げる衝撃が、空を突き抜けた。
あとがきTips~空魚~
・空魚
釣り人たちが惜しくも釣れなかった魚や、釣った魚を大袈裟に説明する時に用いられる空想上の魚のこと。
「もうすぐで湖のヌシが釣れた」
「魚拓取るの忘れてたけど、人間よりデカいサイズを逃しちゃってさ~」
「あの魚影なら十メートルはあったな」
など、たいていは自慢話になる。稀にUMAへと発展することもある。
・空喰い
実際は空喰いという魔物はいない。雲が氷の魚になり、それが集まった群体を空喰いと呼んでいた。異世界版ス〇ミー。
果たして氷魚の正体はいかに……。




