覚醒編・23『女王と傭兵』
「こんな……こんなところで、終わってたまるかッ!」
凍てつく寒さのなか、彼女――クリムゾンは燃えていた。
地面に這いつくばり土に爪を立てる。
彼女の体から放出される熱は、周囲の空気を歪めるほど高まっていた。
死に物狂いで攻めた。
最強の傭兵と言われた彼女の、正真正銘の全力を出した。
だが、届かない。
彼女の背中は遠かった。
はるか昔から、ずっと。
「諦めなさい、サラサナン」
彼女を見下ろす女王は、試合開始からまだ一歩も動いていない。
鍛え上げた肉体も火神の権能も、あらゆる力が通じない。
食らいつこうとする妹を、冷たい視線で見下ろしていた。
まるで路傍の石でも見るかのように。
幼い頃からそうだった。
どれだけ強くなろうが彼女は見向きもしなかった。してくれなかった。
いずれ姉に認められたい。
認めさせてやる。
その幼少期からの想いはまだ、胸に燻ぶっていた。
「まだだ、姉さんッ!」
飛び起き、駆ける。
炎の放出による推進力であっというまに女王の懐に飛び込んだ彼女。
鉄すら溶ける高熱の拳を突き上げる――が。
「何も学ばないの? 私は、とっくに火は超越したの」
「くっ――あぐっ!」
軽く受け止められ、目にも見えない速度で腹を蹴られた。
闘技場の端まで飛ばされ、壁に激突して落ちる。
常人なら上半身が木端微塵になるほどの威力だ。レベルがカンストしたクリムゾンでさえそうなのだ。
なんという膂力。
なんという速度。
近づけたと思った。傭兵として腕を磨き、記憶の中の姉に近づけたと思っていた。
だが、これが現実だった。
火が効かないだけじゃない。そもそもの実力が違いすぎる。
「あなたに女王の座は譲らないわ、サラサナン」
「姉さん……ガハッ」
内臓を痛めたらしい。
口の端から血を流し、震える足で立ち上がろうとする。
だが何度も蹴飛ばされて体力も消耗してしまったからか、うまく立てずに再び地面に這いつくばる。
審判が彼女の様子を見て、試合終了の合図を告げようと手を挙げた。
「ま、て……姉さん、待ってくれ……」
彼女は懇願するように声を絞り出した。
「ひとつだけ教えてくれ姉さん」
「……審判、終了の合図を」
「なぜだ……なぜなんだ!」
「審判っ!」
クリムゾンの言葉を遮るように、女王は審判を急かす。
「は、はい! それでは、これにて王座戦を――」
「なぜ、ミンミレーニンを奪った!」
だが彼女の叫びは、闘技場に響いた。
女王が表情を固めて言った。
「何を世迷言を。審判、宣言を――」
「答えろ姉さん! なぜ、私からミンミンを奪った! 私はあの子が幸せならそれで良い、あの子が笑っていればそれでいい……だけど姉さん、教えてくれ! どうしてあの日、私からミンミンを奪って行ったんだッ!」
「黙りなさい! あの子は私の――」
「私の娘だ!」
ずっと言いたかった。
ミンミレーニンがこの場にはいないことは知っている。
だからこそ、ここなのだ。
ミンミレーニンを困らせるつもりはない。だけどここでなら、女王を糾弾できる。
本当は、女王の座を奪って、力づくで聞きたかった。
でもやっぱり、姉さんには敵わない。
だけど真実を知るチャンスがわずかでもあるなら、その可能性に縋りたかった。
姉さんと語り合えるのは、この戦場だけなのだから――
□ □ □ □ □
――少し、時間は遡る。
王座戦最終日が始まった。
俺たちは今日も超VIP席で悠々自適に観戦を楽しんでいた。
初戦はハートハット対ネムネム。
これは、ネムネムの圧勝だった。
予知スキルが優秀過ぎるのか、ハートハットの幻影もすべて見切って対処していた。結局傷ひとつ負うことなく、最終決定戦まで進出したネムネムだった。
応援していたハートハットが負けて残念だったけど、それでもベスト4まで残れたことはすごいことだ。あとで労わないとな。
つぎはクリムゾンとヤヨイマーチの戦いだった。
前評判ではクリムゾンが圧勝だったが、意外とかなり見ごたえのある試合をしていた。
それまで身体能力だけでゴリ押してきたヤヨイマーチは、ここで初めて水と氷の魔術を多彩に使いこなして攻撃していた。クリムゾン用の隠し玉だ。
しかしそれでもクリムゾンは動じない。
いままで余裕の表情で戦ってきたヤヨイマーチが闘志をむき出しに叫び、歴戦の猛者と対等に戦う。
その姿に、観客たちは心打たれていつしか彼女への声援が闘技場に響いていた。
ただ惜しむらくは、クリムゾンに傷をつけるには魔術の出力が足りなかった。
やがて魔力切れになったヤヨイマーチは気を失い、決着を迎えたのだった。
――そして最終決定戦。
女王への挑戦権を手にしたのは、やはりクリムゾンだった。
ネムネムは予知と素早い動きでクリムゾンの攻撃をひょいひょいと避けていたが、かといって攻め手には欠けていた。やがてクリムゾンが闘技場すべてを包み込む範囲攻撃をチラつかせたところで、降参したのだった。
結局、圧倒的の一番人気だったクリムゾンが順当に駒を進めたのだった。
「いよいよです」
「ん」
「ふっ……血が滾る」
真っ白い息を吐き出しながら、最上階から身を乗り出して闘技場を見下ろす三人。
もちろん俺や他の仲間たちもコートに身を包み、固唾を飲んで見守っていた。
しばらくクリムゾンが休んで全快したところで、鐘の音が響いた。
闘技場に登場したのは女王。
パッと見は華奢な兎人族だった。
線は細く、優しそうで知的な顔立ちだ。とても国一番の強者だとは思えない。
だが気品や佇まいは凛として美しく、住んでいる世界が違うと錯覚してしまうほどに自信に溢れた姿だった。
「女王様ーっ!」
「きゃー! 陛下かっこいーっ!」
「結婚してー!」
客席から黄色い声援が飛ぶ。
かなり女性人気が高そうだ。
「やっちまえクリムゾンの姉御ー!」
「最強を見せてやれ!」
「姉御! 姉御! 姉御!」
対して、野太い声が挑戦者の背中を押す。
二の腕も足も筋肉でパツパツなクリムゾン。こっちは男人気が高そうだ。
そんな声援を浴びている二人は、しかしもはや観客の声は届いていないようだった。
じっと見つめ合ったまま、所定の位置に立ち止まる。
どちらも無手。武具は持っていない。
審判がふたりに近づき、最後の確認をおこなう。両者の準備が整ったと判断したら、息を大きく吸った。
客席もまた、静まり返った。
そして獣王国にとって最も重要な戦いが、始まる。
「いざ――死合えッ!」
火蓋が切られた。
まず動いたのはクリムゾン。その場から動かず、拳を火に変えて火炎放射器がごとく打ち出した。
女王は何もしなかった。まるでそよ風を浴びるように防御も回避もしない。
もちろん無傷だ。
「チッ! 炎剣!」
クリムゾンは火を圧縮し、剣の形に変えた。
一足飛びに女王の頭上まで飛びあがると、真上から炎の剣で斬りつける。
女王は真上に足を振るった。瞬間、風圧だけで炎の剣が霧散した。
「なんだと――ぶばっ!?」
そのままクリムゾンの頬を蹴り飛ばす。
まるでサッカーボールのように勢いよく飛ばされたクリムゾンは、地面に激突してバウンドする。即座に空中で体勢を整えて受け身を取る。
そのまま地面を滑って姿勢を戻すと、血を吐き出しながら女王を睨みつけた。
「さすが姉さん……蹴りひとつが半端ない威力だな」
「遊びじゃないのよ。本気を出しなさい」
「わかってる!」
メラメラと燃える瞳で指先に炎を収束させるクリムゾン。
その指を女王に向けて、
「烈閃ッ!」
まるでレーザービームのような炎の軌跡が空に走った。
女王は首を傾けるだけで避けた。指先から放つスナイプ系の技はいくら威力があっても読まれやすい。
だがクリムゾンにとってはそれくらい想定内だった。
撃った直後にはすでに走り出しており、女王の間合いギリギリまで来ると、
「炎界!」
その体から炎を放出し、女王を大きく包み込んだ。
火そのものではなく、熱と二酸化炭素で封殺する気だ。
なかなかえげつない技だが――
「小手先の技は格上に通用しないと、何度教えればいいの?」
蹴りをひとつ放っただけで、旋風が巻き起こってクリムゾンが弾き飛ばされた。
なんという蹴りだ。ヤヨイマーチの脚力も人並み外れていたが、それ以上の蹴りだ。
地面を転がったクリムゾンは、土を握ってぎゅっと握り固めた。
「ならこれはどうだ――散硝弾!」
熱して真っ赤になった高温の土の塊を投げつける。
まるでショットガンだ。鉄扉くらいなら軽く貫通しそうな威力だが、女王の蹴りの前には無力だった。
なんつう足技だ……というか足技だけしか使ってないな。
「なんと素晴らしい体幹と軸……足技だけならナギにも勝る実力者です」
武術オタクが興味津々に女王の動きを見ている。
その女王は、いまだその場から一歩も動いていない。
単に攻めるのが苦手なのか、あるいは動けない理由があるのか。
いくら強くてもそれじゃあ攻め手に欠ける――そう思った瞬間だった。
「『エアズロック』」
女王が、自分の足元を空気をボール状に固めた。
そしておもむろにそれを蹴った。
「っ!?」
透明な空気の塊が、とっさに避けたクリムゾンの肩をかすった。
空気を固める魔術『エアズロック』は、風魔術のなかでもかなり高度なものだ。エルニは範囲攻撃として使用しているが、なるほど、ボールみたいに固めて使うこともできるのか。
「なんだその攻撃――っ!?」
「最近憶えたの。まだまだ行くわよ」
エアズロックで固めた空気を、高速で蹴りまくる女王。
クリムゾンは魔力が見えるから、まったく見えないわけじゃないだろう。だが魔力視は高速戦闘しながら使い続けられるものではない。音に近い速さで飛んでくる不可視のボールを避けるのは、なかなか骨が折れるだろう。
「ぐっ」
避け切れずに腹に着弾する。
だが動きを止めたら袋叩きだ。クリムゾンは口元に血を滲ませながら、必死に躱し続ける。
「クリムゾン様ぁ! 負けないでッ!」
客席から杖の少女――マルケリルが必死に応援していた。
もちろん彼女だけじゃない。クリムゾンの部下たちが全員、一丸となって声援を送っている。
その声を受けたクリムゾンは、
「うおおおおっ!」
炎を拳に纏い、飛来する空気の塊を叩き落とし始めた。
まるで炎舞を踊るように動くクリムゾン。
その拳が少しずつ血で滲んでいくが、炎が闘技場から吹き上がり続ける。
観客たちが大きく湧いた。
「……ねえルルク様。クリムゾンさんって炎になってるんだよね? どうして空気が当たってダメージ受けてるの?」
「スキルだな。女王が蹴り飛ばす空気玉に『火無効』を付与してる」
「耐性の付与? そんなことできるの!?」
さすがの俺も、つい鑑定してしまった。
女王の持っている強力なスキルの正体は――
【『数秘術6・泰然超廸』
>超越を司る第6神ウィルミスの力を宿した、王級数秘術スキル。
>>指定したものへの完全耐性を得ることができるスキル。完全耐性は6つストックすることができ、6分間だけ他者への複製付与も可能。使用者の肉体干渉に対しては自動で発動し、その発動はストックに影響しない。耐えた先にある未来。 】
「『超越』の権能か……レンヤが探し求めていた最後のピースだ」
「ウィルミス神様の……す、すごいね、さすが獣王国最強だ」
カルマーリキが声を震わせていた。
女王が持っていたのは、始祖の数秘術。
俺やサーヤ、ミレニア、聖女と同じ創造神の権能だ。
しかし耐性付与とは。
また攻撃系のスキルじゃなかったか。
「やっぱ始祖の数秘術って、防御寄りのスキルなのが多い気がするなぁ」
俺が分析していたそのときだった。
ミレニアがピクリと何かを感じて真上に視線を向けた。
大盛り上がりの戦いをそっちのけに、じっと空を見て目を凝らしている。
「どうした?」
「上空の風の動きがおかしいのじゃ……空に、何かおる」
「空?」
俺も見上げるが、ここからじゃ灰色の曇り空しか見えない。
ミレニアは空気の流れを視認する『風見鶏』スキルがあるから気のせいじゃないだろう。ってことは雲の上か――そう思って『神秘之瞳』で上空を視認した。
そしたら見えたのは――なんだ、これ。
獣王国の遥か上に、明らかな異常事態が発生していた。
これはまさか。
「ミレニア……雲の上に巨大な氷の魚が飛んでるんだが」
「なんと! 〝空喰い〟か!?」
「わからん。『鑑定』が通じないから、ただの魔物じゃなさそうだ」
〝空喰い〟は、八百年前にミレニアたち賢者が撃退した謎の超大型魔物らしい。
『三賢者』物語にも描かれているので、当然俺もその存在は知っている。
でもまさか、このタイミングで復活したのか……?
「どうする? まだ女王も誰も気づいていなさそうだけど。試合を止めてもらうか?」
「……いや、妾が対処しよう」
「上まで連れてこうか?」
「頼む」
強くうなずくミレニアだった。
以前戦ったときはかなりの長期戦になったんだっけ。
まあいまのミレニアなら、生物相手なら手こずることはないだろう。
俺はサーヤに簡単に事情を説明して、ミレニアと上空の魔物に対処することにした。
すぐに転移しようとすると、
「ん」
エルニに裾を引っ張られた。
いつもの眠そうな目に、やる気が漲っている。
「一緒に行くか? 出番があるかはわからんけど」
「いく」
「わかった」
もちろん、対魔物ならエルニの同行を断る理由もない。
俺はすぐに二人を連れて、雲の上まで転移するのだった。




