覚醒編・11『血の闘技場』
インワンダー獣王国の特殊ダンジョン、通称〝血の闘技場〟。
まるで巨大なコロッセウムを彷彿とさせる建造物で、闘技場の直径は百メートル以上はありそうなほどかなり大きい。
このダンジョンに入る方法はふたつ。
ひとつは、挑戦者用の正面入り口から入場すること。これはこのダンジョンに挑む唯一の方法でもある。
そしてもうひとつは、外側の階段を使って観覧席に上がることだ。
ここは世にも珍しい劇場型ダンジョンであり、観覧席から挑戦の様子を眺めることができる。ダンジョン運営を任されている傭兵ギルドによると、ときどき興行的な意味合いも兼ねて有名な戦士を召致し、観客を集めることもあるという。
とりわけ国内最強の一角〝紅蓮の災禍〟は、傭兵ギルドの主催で数年に一度は挑戦しているらしい。
彼女の拳闘は大人気で、そのときは満席どころか通路も立ち見でいっぱいになるらしい。
ミレニア曰く、興行時は賭けもおこなわれるようだ。
賭けもあるなら、応援にも熱が入って盛り上がるだろう。
とはいえ、いまは観覧席には誰もいない。
闘技場の中から無人の観客席を見上げた俺とサーヤは、同じことを考えていた。
「賭けれる闘技場か~。カムロックさんが好きそうな場所よね」
「どことなくギルドの地下訓練場と雰囲気も似てるし、何回か来てるんじゃないか?」
「あやつならパーティで挑戦しておる。いつじゃったか忘れたが、ウォールナットが話しておった」
すでにクリア済みか。
カムロックのパーティ【頑強な絆】はSSランクだから、実力的にも大陸トップクラス。リーダーのウォールナットは年齢を理由に引退し、いまはギルド本部にいて立場的にはミレニアに次ぐナンバー2だとか。
その実力なら、クリアするのも難しくなかっただろう。
「じゃが、やつらでも隠しダンジョンは出なかったらしいの。クリアタイムは歴代最速だったとウォールナットが自慢しておったんじゃが」
「じゃあ攻略時間が条件ってわけじゃないのかな。そしたら攻撃回数とか、被弾回数とか? 回復アイテム使わない、とか」
ゲームだとありがちな設定を思い浮かべて言う。
隠しダンジョンを出現させる条件は、未だわからず。
そもそも滅多に出てこないし、報酬も薬が二つだけということで積極的に狙う人はほとんどいないらしい。
リリスが調べてくれた手がかりでも、挑戦者の実力がダンジョンの想定をはるかに越えている場合、隠しダンジョンが解放されるんじゃないか……と噂があるくらいしかわからなかったらしい。
リリスが付け加える。
「気になるのは、同じ挑戦者が何度かクリアを繰り返しても出るときと出ないときがある、という情報があることです。もしかしたら一定期間を空けないと出てこない仕組みなのかもしれませんね。ダンジョンもリソースを無限に割けるわけじゃありませんし……」
「それはそうか」
ダンジョンは帯域生命という特殊な生態だ。
あくまでこの空間内のエネルギーを使って魔物や報酬を生み出しているから、クリアばかりされても困るだろう。とくに隠しダンジョンは魔物も強いだろうから、相当な魔素を消費する。
「なら、結局は戦ってみないとわからないってことか」
「そうですね。では、リリは下がっていますから」
リリスはそう言って、入り口付近の壁際まで後退した。
俺は闘技場の中央にいるエルニに声をかける。
「待たせた! 起動していいぞ!」
「ん、やる」
闘技場の中央にある、転移装置を小さくしたような見た目の魔石柱。
そこにエルニが魔力を籠めると、入り口が蠢いて分厚い石壁で塞がれた。さらに客席と闘技場のあいまに魔力の薄い膜のようなものが生まれた。
「これは魔封じの結界……こんなに薄い範囲に展開されるなんて。でもこれなら、並大抵の魔術は通りませんね」
リリスが感心していた。
さすがに物理的な要素は防げないが、魔術で観客席から妨害したり援護することは難しくなったらしい。
さて、いよいよだな。
魔封じの結界に囲まれたら闘技場の空気が変わった。
石柱が地面の下に消えると、闘技場の奥の壁がゆっくりと開いた。
そこから出てきたのは一体の魔物。
大きな牙が生えた虎――Cランク魔物のサーベルタイガーだ。
「挑戦開始だな。エルニ」
「『ウィンドカッター』」
エルニが初級魔術を唱えた瞬間、風の刃が生まれてサーベルタイガーの首を弾き飛ばした。
ドサリと倒れるサーベルタイガー。
前もって聞いていたとおり、このダンジョンでは素材は落ちない。そのまま死体はダンジョンに吸収される。
サーベルタイガーの死体が消えたら、間髪容れずに次の魔物が出てきた。
今度もCランク魔物のカトブレパスだ。
石化の魔眼を持つ牛だが、状態異常に対応さえできれば、動き自体は鈍重なので誰でも対処はしやすい。
「『ファイアボール』」
エルニの炎弾がカトブレパスを燃やし尽くす。
あっという間に二体の魔物を屠ったエルニ。
次に出てきたのは、硬い甲殻で身を包んだ魔熊ロックベアだった。
「ナギの番です」
エルニが下がり、ナギが前に出る。
今回、戦いたいメンバーは二回ごとに交代するという約束をしていた。
今回挑戦するのはエルニ、ナギ、プニスケ。
まあ、いつもどおりの戦闘民族たちだ。
『グオオオオ!』
唸り声をあげて突進してくるロックベアに対し、ナギは構えを取った。
「鬼想流――『蘇鉄断ち』」
一閃。
すれ違いざまに走らせた刀身は、ロックベアの胴体を真っ二つに切り裂いた。
岩のような甲殻も、ナギの前ではバターみたいなもんだ。
「次」
『『『ギャギャギャギャ!』』』
元気に飛び出してきたのは武装したゴブリンの集団だった。
十体くらいはいるだろうか。
彼らは棍棒やナイフを持ち、ナギを見て舌なめずりしている。
ゴブリンは生態的にメスが生まれづらい。人族の若い女を捕まえて子どもを産ませる、という悪辣な生態があるため、特に女性冒険者からは嫌悪の対象になっている魔物だ。
彼らの視線を向けられたナギは目を細め、
「消えろです。『野芥子払い』」
地を蹴って集団の中心に飛び込むと、一刀のもとにゴブリンの首をすべて刎ねた。
武器も含めて消えていく死体。
「ふん。ウォーミングアップにもならないです」
『つぎはボクの番なの~!』
「いいですかプニスケ、なるべく一撃で倒すです」
『わかったの~』
ナギと交代するプニスケ。
飛び出てきた魔物は二角獣のバイコーン。基本、ずっと走り回っている馬の魔物だ。
動きが俊敏なので弓使いなどの遠距離タイプには相性が悪い相手だが、プニスケなら。
『ねらいをさだめて~……ドン! なの!』
弾速が音を超えるプニスケのミスリル銃なら、偏差撃ちの必要もない。
額を貫かれて消えていくバイコーン。
バイコーンは何が起こったのかわらかなかっただろう。
次に出てきたのは翼が刃になっている魔鳥エッジファルコン。
小型の魔物なのでそこまで強くないが、金属の翼は触れただけで指が飛ぶほど鋭い。普通の冒険者パーティが戦うなら、盾職が欲しい相手だ。
エッジファルコンは空に舞い上がると、翼を畳んで一直線にプニスケめがけて急降下してきた。
『とう! なの!』
体から鞭を出して振るったプニスケ。
金属の翼も、ミスリルの体にとってはなんの障害にもならない。エッジファルコンはすごい勢いで弾き飛ばされ、ダンジョンの壁に激突して即死した。
『手ごたえないなの~』
「ん、こうたい」
プニスケが下がり、エルニが出る。
ボスバトルの連戦形式とはいえ、序盤はCランク以下の魔物ばかり。
なんら苦労することなくその後も戦っていくエルニたちだった。
■ ■ ■ ■ ■
「女王陛下。ご報告が」
「……入りなさい」
王都ラランド、その王城。
最上階の執務室で書類に目を通していたのは、兎の獣人女性だった。
彼女の名は、ライクラライア。
白髪でスラリと足が長い、美人で物静かな雰囲気の兎人族だ。
彼女がこのインワンダー獣王国の第十八代目女王そのひとだった。
女王は、見た目が老いづらい草食系の獣人なのでまだまだ若く見えているが、歳はすでに九十を超えている。人族でいえば四十の半ばといったところだろう。
そんな彼女の悩みは、女王の座を手にしたときから比べれば衰え始めた身体機能だった。数日後に予定している王座戦では、三十年ぶりに妹のサラサナンが参戦してくるという噂がある。今まともにやり合えば、どちらが勝つかわからない。
国内最大の傭兵団【血染めの森】の頭目〝紅蓮〟として名を馳せている妹は、三十年前のあの時から、いままで王座戦に一度も参戦しなかった。
姉に対する遠慮があったんだろう。
女王は妹が幼い頃から常に模範的な姉であろうとしていた。強さも、賢さも、誰よりも飛び抜けて強くあろうとした。
ずっと妹から憧憬のまなざしを受けていたことは自覚している。
そしてそれが、あの日、憎しみに変わったであろうことも。
五年前、この手で彼女が生んだばかりの娘を奪ったときのことは、はっきりと憶えている。
その時の妹はひどく狼狽していた。女王と傭兵――近しい身分ではなくなっていたとはいえ、昔から互いに想い合っていた。女王は妹を愛していたし、愛されていた。
その心を裏切ったのは、紛れもない自分だ。
さぞかし憎んでいるだろう。
今回の王座戦は、妹にとっては姉に憎しみを正面から叩きつけるチャンスだ。
参戦する理由はそれ以外ないだろう。王座を欲しがるような性格ではないから、きっとそうだ。
ライクラライアは、小さくため息を吐いた。
「……それでも、負けるわけには……」
「陛下、お話してもよろしいでしょうか」
「ええ報告ね。なにかしら」
遠慮がちに話しかけてきたのは、白い髭を蓄えた猫人族の執事。
執事は窓の外をちらりと見て、
「先ほど闘技場で人族の冒険者たちが挑戦を始めた、とギルドから伝達がございました。難無く踏破するであろうとの予測も」
「そう。腕の良い冒険者がやってきたのね。それでわざわざ報告した理由は?」
「その冒険者たちが、件の【王の未来】とのことで」
「っ!」
執事の言葉を聞いた瞬間、ライクラライアは窓に駆け寄って闘技場を見下ろした。
闘技場から少し離れた場所にある王城だが、最上階からはその中の一部が見える。外壁の隙間から、大きな魔物があっという間に消えていくのが見えた。
ライクラライアは怪訝な表情を浮かべる。
「なぜ、このタイミングで……傭兵ギルドは他になんと?」
「どうやら隠しダンジョンの情報を探っていたようです」
「なら『変身薬』が目的……? 王座戦に出るつもりは?」
「おそらく、それはございません。もっとも彼らの背後には賢者様がいるとの噂ですから、政治的介入の意図の可能性はありましょう。なんせ彼らのパーティには竜姫がいらっしゃいますから」
「……そうね、竜姫がいるのよね」
さすがに、それは無視できない。
いくら巨岩の霜花に囲まれた鉄壁の楽園とはいえ、竜種に空から睨まれたら終わりなのだ。
どんな国もどんな都市も、上空から属性竜のブレスを撃たれるだけで壊滅する。それが摂理だ。
そんなSランク魔物に匹敵する属性竜の軍勢を従える大陸の覇者――竜王ヴァスキー=バルギリア。
その愛娘が自国にいるという事実だけでも国王としては無視できないのに、彼らのパーティには彼女がいる。
「羊人族……」
しかもただの羊人族ではない。
魔王の才がある少女だ。
「陛下、対応はいかがしましょう」
「クローバー部隊に監視を任せて。彼らが大々的に名乗るまではそっとしておいて頂戴。ミンミンの礼もあるから城に招待したいれど……今は、なるべくここには近づけたくないから。とくに羊人族の子は」
「かしこまりました。では、そのように」
部屋を出て行った執事。
……竜姫に、羊人族の魔王候補。
竜姫の重要性は隣国すべてが認知している。誰もあの理不尽な覇王に睨まれたくないからだ。
だが、ことこの獣王国においてはむしろ、羊人族のほうが厄介事の種になるかもしれなかった。
女王として、その存在を知ってからずっと彼女の情報を集めていた。
どんな生い立ちで、どんな性格で、誰と繋がりがあるのか。
獣人である手前、いつかはこの国にも訪れるとは思っていた。
だがよりにもよってこのタイミングとは。
「……なんて間の悪い」
「なんだか面白い話をしていたね。羊人族がどうとか」
「っ!?」
すぐ後ろから声が聞こえて、弾けるように振り返った。
さっきまでまるで気配もなかったのに。
そこいたのは、白い髪の小柄な少年だった。
まるで人形かと思えるような、幼い容姿の美しい少年。
ライクラライアは、声を震わせて問いかけた。
「……いつ、お目覚めになられたのですか」
「ついさっきね。なんだか凄まじい魔力の波動を感じてさ。ちょっと早かったけど、起きちゃったよ」
「そ、そうでしたか。気づけずに申し訳ございません」
「いいんだよ。それで、余にも聞かせてくれないかな?」
白い髪に、くるりと曲がった角。
まだ幼い少年のように見える、彼。
だがそれはまやかしだと知っている。
まるで悪意のなさそうなあどけない顔立ちに浮かんでいるのは、妖しい笑み。
彼は微笑みながら、ライクラライアに聞いた。
「羊人族が、どこにいるって?」
羊人族の美少年は、そう言って目を細めた。




