覚醒編・9『駆け出し商人の災難』
翌朝、俺たちは早くに出発した。
王都まではわりと近かったのもあり、ゴーレムをかっ飛ばしたおかげで昼前には王都が見える距離まで来ていた。
快適な速度の馬車旅だったが、王都からまだ離れた場所で大きく減速させる。
王都から外側に向かって、白い壁がせり出すように斜めにそそり立っているのだ。
それも幾つも、重なるように。
「わ~! 凍った岩? すっごーい!」
「なんて光景です……まるで巨大な霜の花です」
吐き出す息がさらに白む王都ラランド。
その王都を囲むように、無数の花弁のように尖った岩が外側に突き出している地形だった。
真上から見ると、大地に咲いた白い花のよう。
まさに絶景だ。
巨大な凍った岩の花弁に囲まれた、天然の要塞だった。
岩はすさまじく固いうえに冷たい氷で覆われており、ちょっとやそっとじゃ壊れなさそうだった。
さらに王都には人工の外壁もあり、鉄壁の守りで固められている。
「そうじゃろ? ラランドは大陸屈指の要塞都市じゃ」
ミレニアがなぜか自慢げに語る。
とにかくこの独特な地形が、長い歴史のなかで周囲を人族の国に囲まれ続けても獣人の楽園であり続けた理由なのだろう。
俺たちも岩の合間を抜けるように王都に近づいていく。
道は細く速度は出せないので、ゴーレム馬車はゆっくりと進む。ミレニア以外はみんな初訪問なので、窓から外を眺めて景色を楽しんでいた。
俺は白い息を細く吐くナギの肩をトンと叩いた。
「ナギ、具合はどう?」
「今日は少し調子がいいです。この感じなら数か月は大丈夫です」
「そうか。ま、無理はするなよ。痛みが酷くなったら寝てて良いからな」
「わかったです」
素直に頷いて、またすぐに窓の外を興味津々に眺めるナギ。
本当に痛みはなさそうだから、少しは安心だな。
「そういえばルルク、言い忘れていたことがある」
「なに?」
「この国のダンジョンは少し特殊なのじゃ。妾もヘルメスと挑んだことがあるのじゃが、普通のダンジョンではない。リリスから聞いておるかの?」
「いや、聞いてないな」
首を振る。
リリスもさすがにこの国の情報は詳しくない。大陸東側はまだルニー商会の手が届いていないから、裏付けをとっていない情報は、あまり俺に教えてくれないのだ。
別にあいまいな噂とかでも気軽に教えてくれてもいいんだけど、どうにも俺に対しては間違った情報を絶対に教えたくない、みたいなこだわりを感じる。
ルニー商会では情報も商品として扱う手前、トップとして仕方ないのかな。そんなこだわりが強いところもリリスの可愛い部分なので、こっちもムリに聞こうとは思わないが。
ミレニアは俺に説明しようとしたが、窓の外を眺めていたカルマーリキが声をあげた。
「ルルク様! 前方からすごい勢いで馬車が!」
見ると、前方から凄まじい速度で走ってくる馬車が一台あった。
岩に囲まれた道は狭い。馬車同士だと、辛うじてすれ違える程度の幅だ。
「止まる気は……ないな」
狸のような丸い耳が生えた御者がひとりだけ乗っている。血相を変えているから、相当急いでいるのは間違いないだろうけど。
王都を目の前にしてトラブルに巻き込まれそうだ。
そう思っていたときだ。
「そこの変な馬車! 助けてくれ~!」
馬車の後ろから追いかけてきたのは、獣人の集団だった。
全員フードを被って顔を隠しているが、その動きは明らかに人間離れしている。身体強化スキルを持っている犬系の獣人たちだ。
彼らは馬車――その後部にたんまり積んだ荷物を狙っているようだ。狸耳の彼は、おそらく商人なんだろう。
王都のすぐ外だってのによくやるな。
そう思っていたら、ミレニアが呆れたように言った。
「護衛もつけずに荷運びとは……狙って下さいと言っているようなもんじゃな」
「そうなのか。兵士は?」
「王都の外には出てこぬ。インワンダー獣王国とは言うが、王国法が守っているのはラランド内だけじゃ。だからこそ傭兵文化が発達したのじゃが……まあよい、妾が出よう」
ミレニアがため息をついて馬車の外に飛び出した。
見えぬほど細い糸を操り空を泳ぐように移動すると、空中から、今まさに馬車を襲わんとする獣人たちを見下ろした。
いきなり空に現れた幼女に、獣人たちも驚いていた。
「な、なんだあいつは!」
「人族が空を飛んでやがる!?」
「奇怪なやつだ! おい、射抜け!」
誰かの号令で、獣人のひとりが弓を構えた。
標的は岩壁のあいまに浮かぶミレニア。
迷わず矢を放った――が、
「傭兵崩れか。妾たちに出くわすとは運が無かったのう」
矢はミレニアの目前でピタリと止まり、落ちた。
あらゆる生者と無機物を思いのままに操るミレニアの『生成操想』の前では、生半可な攻撃など意味を成さない。
「な、なんだいまの」
「バケモノだ! 撤退! 撤退!」
理解できない相手だと見て、即座に引き返していく獣人たち。
判断が早いな。
すぐに岩陰に飛び込んで身を隠して逃げていく彼らを、ミレニアは追わなかった。ゆっくりと降りてきて御者台に立った。
「逃がしていいのか?」
「連れて行っても未遂じゃからのう。口頭で注意されて、解放されるだけじゃ
そのままあっさりと見逃したのだった。
文化が違えば法律も違う……そんな当たり前のことを久々に実感したな。
獣人たちが逃げていくと、追われていた商人の青年は大きく息をついて馬車を降りた。
狸耳をペタンと垂らしている。可愛い耳だ。
商人は俺たちのところまで歩いてきて、頭を下げる。
「た、助けていただいてありがとうございました!」
「気にするでない。何もしなければぶつかるところだったのでな。それでおぬしは商人かの? 相当経験が浅いようじゃが」
「は、はい。今日が初めての行商でした」
初めてとな。
「護衛はつけなんだか? なぜじゃ」
「ええと、商売を教えてくれた人がそう言っていたので……王都の外は傭兵団が守っているから安全だって」
「ふむ……もしや、出発の日時なんかも指定されんかったか?」
「え? はい、されましたけど……?」
キョトンとした若い商人。
ミレニアは呆れて言った。
「なら、おぬしは騙されたのじゃろう。商売の助言をするように見せかけて、襲わせるように手配してのう……おそらく奪った荷物の数割はそやつの取り分じゃったんじゃろう」
「そ、そんな! あのひとはそんな悪いことをするような人じゃありません!」
「そうかの? まるで待ち構えていたように襲われたのなら、可能性は高いと思うがの。ま、妾の経験から推察しただけじゃ。信じようが信じまいがおぬしの勝手じゃがの」
「う……」
耳をペタンと垂れた商人だった。
教えてくれた相手を信頼していたようだが、他に心当たりも思い出したのか、何も言えなくなったようだった。
とはいえすでに多くの荷物を仕入れて、どこかに売りに行く準備は終えている。騙されたからといってここで引き返すことはできないだろう。
「ま、よい経験になったじゃろ。いまからでも傭兵を雇うのじゃ」
「もう元手がないんです……全部仕入れにつぎ込んだので」
「阿呆。行商なら売るだけじゃなく買うこともあろう。もしやそれも指示されたことか?」
「……はい」
全財産をはたいて仕入れをさせて、それを襲わせるとは。
無知な商人希望者を騙すろくでもない手口だな。
ミレニアはやれやれと首を振った。
「無知も罪ではあるが、ここは何かの縁じゃ。積み荷を妾がいくらか買い取ってやるから、一度王都に戻ってその金で傭兵を雇うのじゃ。品物自体は粗悪品と言うわけではあるまい?」
「は、はい。仕入れ自体は私が自分でしましたから」
それからミレニアは商人と荷台に上がり、いくらか消耗品を買った。
まとまった金を手にした商人は、
「本当にありがとうございます」
「気にするでない」
「あの、王都までは……」
「無論、一緒に行くから安心するのじゃ」
「ありがとうございます」
ペコペコと頭を下げる商人。
ミレニアは少し何かを考えてから聞いた。
「そういえば、おぬしを騙した者はどんなやつじゃ? なかなかあくどい商売をしておるようじゃが」
「大きな商家の一人娘です。街じゃ有名な商家の子で、とくに悪い噂は聞こえなかったんですけど……」
「ほう、後ろ盾があったのか。ちなみに何を扱っておる商家じゃ」
「服や帽子を扱ってる商家です。仕立てが早くて丈夫な服を作るので、私たちはみんな彼女の家に服を頼んでて……彼女も帽子を作るのがすごくうまいし、もう自分の店も持ってるくらいで。けどちょっと変わった店だからいつも暇で、空いた時間に私たちみたいな若者に商売を教えてるらしいんです」
「副業、というやつかの。それでどんな店なのじゃ?」
「帽子屋です。私たち獣人が、人族の街に行った時のために耳を隠す帽子を作ってくれるんです。その店の名前は――」
その商人は、少し躊躇いながらも言った。
「【風変りな帽子屋】って、言うんです」




